JoJo Could Have Ended With Part 4 (October 2012)

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Published October 5, 2012
Incomplete translation
ArakiJOJOmenonLongestInterview.jpg

"JoJo Could Have Ended With Part 4" (ジョジョは第4部で終わっていたのかもしれない) is an interview with Hirohiko Araki in the JOJOmenon mook, published on October 5, 2012. Advertised as Araki's longest interview ever, it spans from page 14 to page 23.

Interview

Interviewer: A year or so after Part 6 ended, Part 7: Steel Ball Run began. Initially, it was still being serialized in Shonen Jump, but back then it didn't have JoJo's Bizarre Adventure in the title, right?

Araki: Yes, that's correct. Actually, I was told to remove the JoJo's Bizarre Adventure from Part 6: Stone Ocean. I still wanted to include it, so it forced its way into Stone Ocean, but they finally removed it from Steel Ball Run. The main reason was that the main character was no longer a JoJo, and that I had begun to draw for people who had never read the JoJo series up to that point. However, it was still an extension of the new world that continued from Stone Ocean, and I intended to continue drawing Stands, so when I moved to Ultra Jump in the middle of the series, I re-added the subtitle of JoJo's Bizarre Adventure Part 7.

Interviewer: Part 6 was set in a prison, but Part 7 is a sprawling journey across the North American continent from the west to the east, set at the end of the 19th century.

Araki: I believe that human beings grow and develop through travel. I also spent my high school years training myself through camping and bicycle trips, so I wanted to depict a story in which the main character grows through travel.


Interviewer: The parallel world that began in Part 7 continues on into Part 8: JoJolion, which is currently being serialized in Ultra Jump. There's still a long way to go, but what are your plans for JoJolion?

Araki: Well, because Steel Ball Run was so serious, I just couldn't wait to get back to Japan, so I decided to set the next part in Morioh (laughs). I feel relieved whenever I depict Morioh. It's like I'm back in my hometown. The story itself has just started, and I myself have yet to see the whole picture. The only image I have so far is that Johnny and Josuke are related by blood and have a bit of a connection between them. Since the story takes place in Morioh, you can probably guess that the people from Part 4 will be involved somehow, but from there, I don't really know what happens next (laughs).

Interviewer: Hahaha. Does that mean there's a possibility that characters from Part 4 will reappear in different forms?

Araki: I'm sure there is. There may be a different version of Shigechi, and Rohan might also appear. In that way, I would like to recreate Morioh all over again.

Interviewer: Where did the title of JoJolion stem from?

Araki: When I got to that point, I suddenly felt the desire to put JoJo in the title. So I decided to coin a word out of it. One of the candidates was JoJo Town (laughs).

Interviewer: That sounds like some kind of mail order site (laughs).

Araki: Come to think of it, JOJOmenon, the title of this mook, was one of the candidates.

Interviewer: Is that so? Actually, even though JoJolion is easy to remember, I still don't have any idea what it means. I rather like that feeling of mystery.

Araki: What I want to depict in JoJolion is the reason why the character Josuke Higashikata was born. I want to unravel that connection.


Interviewer: JoJolion has been a bit more erotic in comparison to previous arcs, but is this a conscious decision? Was there a motive behind this shift?

Araki: I wanted to draw something that I had never drawn before. Therefore, it's probably the first time bust shots have made an appearance. As for the art, I want to draw a looser style. Instead of having a constant focus on intense fights, I think the readers also enjoy the off-beat interactions as well. Up until now I was pursuing the element of fear but I also want to incorporate a sense of relatability and looser aspects.

Interviewer: How have you specifically actualized these ideas?

Araki: For example, I have increased the number of white panels. I try not to draw everything to perfection but rather with a little more openness. I could illustrate as dark as I did previously but I intentionally included more white elements so the reader could pass through a section without being heavily invested in a facetious scene.

Interviewer: I do really enjoy how the art throughout the JoJo series has constantly evolved.

Araki: Rather than trying to change, I try to avoid illustrating old, already existing art. However, I do realize there are characters like Koichi Hirose or Tamami Kobayashi whose heights have gradually shrunk, and that’s not great... haha.

Interviewer: Like, Funny Valentine from Part 7 was the opposite, as he steadily grew.

Araki: Ha, that's alright, he was just working out! (laughs) In reality, the characters constantly move through their lines and poses, and it just happens naturally, like the flow of nature.

Interviewer: Regarding the dialogue, it’s really amazing because the lines are so memorable that they even publish books like JoJo's Bizarre Words.

Araki: It's amazing, isn't it? Haha! When I see my work being accepted by the younger generations, I feel glad to have been drawing all this time.


「ジョジョは第4部で終わっていたのかもしれない」

史上最長インタビュー
荒木飛呂彦が語る“ジョジョの25年”

『ジョジョの奇妙な冒険』はどのようにして生まれ、描き継がれてきたのか。その創作の裏側を荒木飛呂彦がワイン片手に大いに語った過去最長のインタビュー。


――2012年は、『ジョジョの奇妙な冒険』の連載がスタートしてちょうど25周年という記念すべき年です。荒木さんのマンガ家としての歩みは、『武装ポーカー』でデビューを飾り、『魔少年ビーティー』『バオー来訪者』といった連載作品を発表し、やがて『ジョジョ』へとつながっていくわけですが、『ジョジョ』前夜とでもいうべきその流れを教えてください。

荒木 まず『魔少年ビーティー』というのは、シャーロック・ホームズをベースに描いているんですよ。それは知能戦というか、知的バトルだったんですね。で、『魔少年ビーティー』が終わって、何か次に新連載で新しいものを提示しないと採用してくれなかったので、「じゃあ、今度は肉体に行くか」と。先輩のマンガ家さんたちと同じような作品を描こうものなら、とにかく担当の編集者からダメ出しされるんですよ。だから、誰もやっていない分野に踏み込んでいくしかなかった。当時はバイオテクノロジーとかDNAとか、そういうのがちょっと流行っていて、それで『バオー来訪者』ができたんです。そして、そのあとに『ゴージャス☆アイリン』という女性が主人公の作品を描いて、次が『ジョジョの奇妙な冒険』(以下『ジョジョ』)となるわけです。

――『ジョジョ』では何を描こうとしたのですか?

荒木 『バオー来訪者』で肉体をやって、その究極の強いヤツを描いてみたくなったんですよ。あの当時はトーナメントバトル形式のマンガばかりで、そういう形ではなくて何かできないかなと考えているときにディオが生まれて、それを究極の不老不死にしたらもっと怖いだろうなって。しかも、「先祖の因縁で襲ってきたらどうだろう?」と。襲われる側は身に覚えがまったくないので、すごく怖いじゃないですか。だから、最初にディオのキャラクターができて、それに対する形でジョナサンが出てきたんですよ。やっぱり自分的に描きたいのは、ディオ。あれは『魔少年ビーティー』の延長にあると思います。もっと悪くした感じですね。

――でも、主人公はジョナサン・ジョースターですよね。

荒木 やっぱり正義は普遍的なテーマだと思っていたので、主人公はジョジョじゃないとね。

――タイトルに「奇妙な冒険」と名付けた理由は?

荒木 要するに、「奇妙な展開ですよ」「ホラーですよ」「ちょっと不思議な話ですよ」ってことを伝えたかったんです。『ジョジョの冒険』じゃダメなんです。そうそう、タモリさんがやっているテレビ番組で「世にも奇妙な物語」ってあるじゃないですか。あれよりも『ジョジョ』のほうが早いですからね。自慢じゃないけど、一応言っておきます(笑)。

――外国が舞台で、外国人が主人公という『ジョジョ』は、当時の『週刊少年ジャンプ』(以下『ジャンプ』)ではかなり異色だったのでは?

荒木 超異色でした(笑)。編集部の中では否定的な意見も多かったみたいだけど、担当の編集者がほかにはないものを描けっていう方針だったんです。その人からは、澁澤龍彦とか種村季弘とか、あとはフリーメーソン関係の本とか、いろいろ勧められましたね。直接的には描いていないにしても、どこか不思議なロマンのある世界観には少なからず影響を受けていると思います。

――そういえば、最初の『ジョジョ』は、「ロマンホラー!―深紅の秘伝説―」というキャッチコピーがつけられていました。

荒木 そうですね。あれは読者にとってわかりやすいように、一種のジャンル分けみたいなものです。僕は大好きですけど、少なくとも『ジョジョ』に関しては楳図かずお先生が描くようなホラーではないですよっていうインフォメーションです。

――『ジョジョ』の名前はどうやって決めたんですか? 由来をめぐっては、ほとんど都市伝説のような話もあるみたいですが。

荒木 ファミレスの「ジョナサン」で打ち合わせをしていたから、ジョナサン・ジョースターにしたってやつですよね。でも、それは違うんですよ。実際、打ち合わせをしてたのは「デニーズ」でしたから(笑)。まぁ、「ジョナサン」のほうが話としては面白いから、そっちが勝手に独り歩きしたんでしょうね。本当のところは、韻を踏むというか、語呂がいいというか、たとえばスティーブン・スピルバーグみたいな感じでつけたかっただけなんですよ。

“人間讃歌”は、思いつき⁉

――波紋はどうやって生まれたのですか?

荒木 とにかく超能力バトルがやりたくて、超能力を絵にするっていうか、それを目指してたんですよ。超能力って目に見えないから、僕としては何とかして絵に描いてみたかった。超能力者が念力だけでガラスをパンと割ったりするじゃないですか。その目に見えない部分を描きたくて生まれたのが波紋です。水の波紋のように、エネルギーが広がって相手を倒すイメージですよね。

――波紋と同じく“発明”といえるものが、擬音語だと思うのですが、「ズキュゥゥゥゥゥゥゥン」とか「メメタア」といった言葉はどうやって生まれるのですか?

荒木 どうやって生まれるって言われてもなぁ(笑)。これは天然で、自然と出てくるものだから、自分ではヘンだと思っていないんですよ。『ジョジョ』の連載を始めた当時、プリンスの曲とかを聴いていたんですけど、ピュンピュンピュンピュンとか、何かヘンな音が入っているんです。あと、ホラー映画を見ていても、シャワーのカーテンを開けるときにヒュインヒュインヒュインヒュインというヘンな音がついたりしていました。意味はないんだろうけど、何だかリズムがあるし、カッコよく感じるんですよね。だから、それをマンガの中でやってみたんです。

――描き始めた時点で、構想はどこまであったのでしょうか?

荒木 まず吸血鬼というモンスターを描こうと思っていました。ダークな貴族といった雰囲気がカッコいいし、何よりも十字架がダメとか、ニンニクが嫌いとか、太陽が弱点とか、彼らにはルールがあるじゃないですか。そこが面白いし、シビれるんですよね。そうしたルールにのっとったうえで、超能力を描きたいというのが始まりで、さらに主人公に敗れた敵が何らかのきっかけで甦って、子孫を襲いに来るというところまでは何となく考えていました。そういう意味では、第3部の『スターダストクルセイダース』までの構想はありました。

――『ジョジョ』の構想が生まれたとき、これはいけるなという確信はあったんですか?

荒木 妙な自信はありましたね。誤解のないように言っておくと、『ビーティー』のときも『バオー』のときも自信はあったんですよ。でも、絵はまだまだ未熟だなって思ってました。それが『ジョジョ』の連載が始まって、ヨーロッパに取材旅行に連れていってもらって、ローマで彫像のポージングを見たときに、「これをマンガにしたら大丈夫だ」と思ったんです。何ていうんだろうな、山に登るときに道を見つけたぞ、みたいな感覚ですね。この道を行けばおそらく行けそうだって感覚。

――最初に描いたカットは覚えていますか?

荒木 たぶん新連載の告知用に描いたものになるのかな。ジョジョとディオが、徒競走みたいな感じで競争しているカットだったと思います。

――『ジョジョ』のテーマといえば“人間讃歌”ですが、これはどうやって生まれたのですか?

荒木 あれはね、なんか成り行きなんですよ。コミックスの第1巻が出るときにコメントを書かなくてはいけなくて、それで思いつきで書いたのが“人間讃歌”。でも、『ジョジョ』は、機械とかに頼らないバトルマンガというか、要するに肉体と精神の戦いを描きたかったから、そこを表現するのに“人間讃歌”が適当だったわけです。われながら書いておいてよかったなと思いますよ。25年前の自分にありがとうですね(笑)。

――では、あらためて振り返ってみて、第1部の中で最も印象に残っている場面はどこですか?

荒木 石仮面のところと、あとはジョナサンが死ぬところですかね。そもそもジョナサンが死ぬことは決めていなかったんです。だけど、ディオを倒すときに、自らの命を捧げるような感じにして次の世代に宿命をつなげていったほうがいいなと思ったので、あえて死ぬ結末にしました。『ジャンプ』としてはけっこう冒険でしたよね。主人公が死んじゃうって、その頃はあり得ないですから。ただ、僕は主人公が死ぬっていうのも、いい感じだなと思ったんですよ。ジョナサンは決して負けて終わってないじゃないですか。何か美しい気持ちを残しているから、これはむしろ勝利とすべきではないかと。あと、死んだはずなのに、あっさりと生き返ってくるマンガに対して、ちょっとした反発もあったんですよ(笑)。そういうマンガが多かったんです、当時は。

――連載開始から1年もたたないうちにジョナサンが死んで、すぐに次の第2部『戦闘潮流』に向かっていますよね。

荒木 そうですね。そのときはできるかぎり早く次に行きたかったんですよ。どういう気持ちだったかはよく思い出せないですけど、先が描きたくてしょうがなかったんです。

第2部を描いてエンジンがかかった

――第2部『戦闘潮流』はどういった構想で始めたのですか?

荒木 主人公がジョナサンからジョセフに変わるので、それに合わせてキャラクターももっと明るい感じにしようと思っていました。動きがあるっていうのかな、好奇心旺盛でいろんなところに首を突っ込んでいったりするようなキャラクターにしようって。ジョナサンは、すべてが受け身というか、相手が来て、そこに対して正義を行うみたいな人なんだけど、ジョセフはもっとヤンチャっていうか、突っ込んでいく感じですよね。主人公を変えて、時代設定を変えて、ディオ以上の敵をつくる。そこまでは考えていました。結果、ストーリーも冒険の要素が入ってきたし、第2部で『ジョジョ』はすごく少年誌っぽいマンガになったんじゃないかな。

――第2部で最も印象に残っていることは何ですか?

荒木 さっき少し話しましたけど、連載が始まって1年もたってないぐらいかな。当時の編集長がイタリアに行くから、ついでに行かないかって誘われたんですよ。まだまだ新人だから取材旅行に出かけるような身分ではないんだけど、「おっ、行きます、行きます」って感じでついていったんです。これがまた、とにかくいい旅行だったんですよ。絵を描く人間としては最高というか、アイデアだらけの国だなと思いましたね。それまでも画集とかでローマ時代の彫刻や絵画は見てたけど、正直、「古くせえな」っていう印象しかなかった。でも、実際に見ると、何か違うんですよ。「すげえな!」って圧倒されっ放しで、その後の『ジョジョ』にもろに影響を受けましたね。ローマを舞台にしたり、ローマの下には遺跡がいっぱいあっていまだに掘り起こされていないっていうネタを盛り込んだり、カーズをはじめとした柱の男たちもそうです。

――たしかに第2部って、イギリスからニューヨークに来て、すぐにメキシコに行って、その後のバトルはイタリアが多いですよね。

荒木 それぐらいこのときのイタリア旅行から、すごく大きな影響を受けたんですね。

――では、第2部のキャラクターでお好きなのは?

荒木 敵がいいですよね。エシディシが泣くシーンがあるんですけど、敵が泣くのっていいなって思いました。

――「アア あんまりだァァァァ」ってところですね。あんな敵は今まで見たことがなかったです。

荒木 強い敵が、ある瞬間に弱みを見せたほうが怖いなって思ったときがあるんですよ。

――そのエシディシの泣くシーンは、見開きで構成されていて、読者としてはものすごくインパクトがありました。

荒木 『ジャンプ』って毎回19ページしかないんですね。そう考えると贅沢なページの使い方ですけど、当時の担当編集に「やるときは思いっきりやれ」って言われてたから、躊躇はなかったです。ほかに敵でいうと、僕の周りではサンタナに衝撃を受けたっていう人が多いんですよね。排気口に入ってくところが気持ち悪いって(笑)。ただ、ホラー映画好きの僕としては当たり前の描写であって、すごく普通に描いているんですよ。

――それと、柱の男のリーダーであるカーズの強さは衝撃でした。あのラストは『ジョジョ』における名場面のひとつだと思います。

荒木 究極の強い人は死なないし、ああいう感じだろうと。今にして思えば、第2部を描いているときにエンジンが本格的にかかったなという気がします。気持ちがはやっちゃって、早く第3部に行きたくてしょうがなかった。第1部を構想したときから決まっていたDIOがついにやって来るわけですからね。

波紋からスタンドへ

――第3部『スターダストクルセイダース』では舞台が現代になります。どういった構想を練っていたのですか?

荒木 DIOが復活して、ジョースター家の子孫を襲うということまでは第1部がスタートしたときから決まっていました。あとは、トーナメント方式ではなく、ロードムービー的な、目的地に向かって旅をする間に敵と出会い、戦うやり方で描きたいなと思っていました。敵に関しては、どんどん強いヤツが現れるのではなく、時には弱いヤツも出てくるんですよ。そのほうが面白いじゃないですか。そうやって戦いの旅を続ける中で、第1部と第2部を通じて追求してきた「人間はどこまで強くなれるのか?」という問いをさらに深めていこうって感じかな。

――戦いの旅は、東京からスタートして、香港、シンガポール、インド、さらに最終目的地であるエジプトへとたどり着くわけですが、このルートはどういう形で決まったのですか?

荒木 ジュール・ヴェルヌの小説に『八十日間世界一周』というのがありますよね。あれの逆コースなんですよ。あと、これは横山光輝先生の『バビル2世』の明らかな影響なんですけど、とにかく主人公に学生服を着せてエジプトに行かせたかったんです。だから、承太郎は学生服。絶対に学生服じゃなきゃダメだったんですよ、僕の中では(笑)。

――そして、第3部からは波紋ではなく、スタンドが新たに生まれました。このタイミングで波紋からスタンドに変わったのはなぜなんですか?

荒木 ある日、担当編集が「もう波紋は古いよな」って言うんですよ。僕からしたら「えっ⁉」って感じですけど、そう言われた以上は何か考えなくてはいけなくて、いろいろと考えた末に浮かんだのがスタンドだったんです。わかりやすくいうと、守護霊のイメージですね。波紋はエネルギーの広がりを絵で表現したわけですが、スタンドは能力がビジュアルとして現れる。とにかく見えないものを絵で描きたいんですよ、僕は。連載が始まった最初の頃は「一体何が起こっているのかわからない」という意見もありました。でも、僕はこれで大丈夫という妙な自信はあった。スタンドだったら、思いつくかぎり自由につくっていいから、いくらでも無限に描けると思っていましたね。

――最初に描いたスタンドは何だったんですか?

荒木 承太郎のスタープラチナですね。DIOのザ・ワールドも初めから決まっていました。タロットカードを元にスタンドを考えていたので、敵の数はカードの枚数と同じ22人くらいで終わるだろうと思っていたんだけど、いざ始めるとどんどん描けちゃって(笑)。

――いくらでも描けるということは、作業量が増えて大変になるということではないんですか?

荒木 週刊のスケジュールだとギリギリのときもありましたよ。ただ、絵って本当に無限に描けるんですよ。乗ってくるとハイになって、寝ないでもずっと描いていられる。たとえば有名なモナ・リザの絵がありますよね。あの口元の微笑みのところをずっと見ていると、ものすごく深いんですよね、あれ。作者のレオナルド・ダ・ヴィンチはおそらくずっと何度も描いていたと思いますよ。しかも、まだ終わっていない。未完。だから、謎の微笑みになっているんですよ。

――それぐらい一枚の絵を飽きることなく、ずっと描き続けられるものですか?

荒木 描けますね。これは絵だけに限らなくて、いいシーンができたときは一日じゅう何回も読み直しては自分で泣いています。「ほんとにいいシーンだな」って(笑)。だけど、それをやっちゃうと次の日がヤバイ。疲れが残ったり、腰痛になったりして、そうなると連載を続けるのがツラくなっちゃうから、ほどよいところで理性を働かせてやめるんです。

ネームは、常に21ページ

――描いていて「これは完璧だ!」と思うときってあるのですか?

荒木 ありますよ。このコマ要るし、このコマも要るし、一コマたりとも削れないなってときが。そういうときは、われながら完璧だなって思いますね(笑)。マンガって、ページをめくるリズムっていうのがあるんですよ。ポンポン、ポンポンと読んで、ページをめくったときにガンッとかね。そういうリズムみたいなのがあるんです。それが僕の場合は、21ページでひとまとまりなんですよ。ただ、『ジャンプ』っていつも1話分が19ページなんです。だから、いつも2ページどうしようって悩んでました。当然ページを増やすことはできないからカットせざるを得ないんだけど、その作業にものすっごくエネルギー使うんだよね。そうやってやり繰りすると、今度はリズムが変わってきちゃう。

――これだけずっとやっていても、19ページのリズムに慣れることはなかったんですか?

荒木 本当にそうですよね。おまえ、いい加減にわかれよって思うかもしれないけど、全然ダメでした(笑)。常に21ページでネームを描いてしまうんですよ。それで19ページに削り直して、あらためて清書していくって感じですね。たまに『ジョジョ』はわかりにくいって言われるんだけど、おそらくこのせいでもあるんじゃないかなって思ってます。

――リズムということでいえば、『ジョジョ』のセリフもリズミカルというか、特徴的ですよね。

荒木 そうですね。ちっちゃい「ッ」を入れたりとか、ビックリマークの数だったりとか、僕の中で気持ちのいいリズムがあるんですよ。だから、「オラオラ」の数とかもちゃんと決まってます。アシスタントがセリフを入れてくれるんですけど、「オラ」の数が少ないと、ちゃんとネームどおりの個数でお願いしますって注意してますから(笑)。

――セリフの話になったので、ついでにおうかがいしますと、第1部で「何をするだァーッ!」ってセリフがありますよね。ファンの間では有名な話ですが、これは完全に誤植だったんだとか。

荒木 そうそう。完全に誤植。連載のときは「何をするんだァーッ!」になっていたんだけど、単行本になるときに間違ったみたい。でも、何かいいなと思って(笑)、ずっと直させなかったんです。それなのに、文庫本になるときに修正されちゃったみたい。そのままでよかったんですけどね。

――あと、『ジョジョ』シリーズの特徴でもあるファッションへのこだわりは、第3部あたりから顕著になってきた気がするのですが、実際はどうなんですか?

荒木 そうですね。第3部あたりから意識的になってきたと思います。ジョナサンもジョセフも、遠めのシルエットだとあんまり区別がつかなかったけど、第3部に登場する5人の主要キャラクターたち(承太郎、ジョセフ、ポルナレフ、花京院、アブドゥル)に関しては、遠くにいてもそれぞれ誰だかわかるようにしたかったんですよ。だから、髪形とか帽子とかで明確に違いを出すようにしました。そのへんから、キャラクター=ファッションになってきたような気がします。

身上調査書がとても重要

――「みんながいたからこの旅は楽しかった」というセリフもあるように、第3部は仲間との長い戦いの旅でした。それが第4部『ダイヤモンドは砕けない』になると、一転して日本の地方都市が舞台になります。

荒木 第3部は、旅をしているジョジョたちに敵が襲ってくるタイプのバトルでした。だけど、蜘蛛みたいに敵が待ち受けているタイプのアイデアもいくつか浮かんでいたので、それを第4部でやろうと思ったんです。そのためにはひとつの町を舞台にするのがよくて、そこで杜王町の構想が生まれました。杜王町は、僕の地元である仙台市の二、三カ所を圧縮してつくった架空の町です。やっぱり一度は仙台を描いてみたかったんですよ。僕個人の思いですが、自分が育った時代と比べて、バブル成長期の住宅地の広がり方というのが、何だかよそ者がどんどん入ってきてる感じがして、少し不気味に思ってたんですよね。いったいどこから来た人がここに住んでるんだろうって。東京に住んでいると、みんなよそ者ばかりだからわかんないかもしれないけど、地方だと何かそういう感覚があるんですよ。吉良吉影とか岸辺露伴は、その不気味さとか、不穏さの表れみたいなものですね。

――その仙台で原画展が開かれました。出身地ですから、感慨もひとしおだったのでは?

荒木 いやぁ、そりゃもう、うれしかったですよ。でも、実際のモデルとは違うとはいえ、かなり不気味な設定にしちゃっているのに、みんな喜んでるから、不思議でしたね。オーソンが本当にできてしまうなんて、普通じゃあり得ないでしょう(笑)。

――杜王町は架空の町ですが、詳細な地図が掲載されたこともあって、自分の住んでいる町と重ねて読んだ人も多いと思います。キャラクターの設定はかなり緻密ですよね。

荒木 『ジョジョ』の連載をスタートしたときからそうですが、僕は主人公が太陽に対してどっちを向いてるかというのを考えるんですよ。じゃないと、その人が本当にいるような感覚にならない。その感覚が大切だから、キャラクターをつくるときは身上調査書を準備します。これはほかのマンガ家もそうですし、映画監督とかもやっていると思うんです。キャラクターの設定を緻密にすることで、どんどん立体的になっていくというか、実在の人物のように生き生きしてくるんですよね。

――マンガづくりにおいて一番重要なのは、キャラクターということですか?

荒木 少なくとも僕の場合はそうですね。キャラクターができると、ストーリーは自然にできていく感覚です。要するに、人物がそこにいることが重要で、その人物ができると、勝手に物語ができていくんですよ。でも、マンガってたぶんそうだと思うんですよね。ストーリーからつくると、逆にかなり困難な作業というか。

――なるほど。では、お気に入りのキャラクターは誰かいますか?

荒木 いろいろいますよ。第4部でいうと、やっぱり東方仗助はいいですね。リーゼントにしているのは、僕なりのヤンキーマンガへの憧れなんですよ。そっちのほうを目指してみたんだけど、もともと僕にその精神がないから、何だか奇妙なことになっちゃってますけどね(笑)。あと、重ちーは大好きです。というか、『ジョジョ』のすべてのシリーズを通して一番好きなキャラクターですね、重ちーは。あのキャラと、ハーヴェストというスタンドは何かいいんだよね。愛すべきバカというのか、ああいうゆるくてボケているキャラクターはあまり描かないから、そういう意味でも新鮮でした。

――そこまで好きだったのに、死んじゃいましたよね。

荒木 死んじゃいましたね。吉良というキャラクターを立てて、さらに物語を盛り上げるためなんだけど、好きだったから苦悩しました。何かをなくした感じでしたね。重ちーはもういないのかって。だから、何度も復活させたいなって思ってました。

――その重ちーを倒した吉良吉影の怖さとキラークイーンの強さは強烈でした。

荒木 DIOを違う意味で超えなきゃいけないと思っていたから、ああいう感じになったんです。僕自身、どうやったら吉良に勝てるんだろうって悩みましたよ(笑)。僕が悩むぐらいだから、読者はかなりハラハラドキドキしたんじゃないですか。

――第3部から第4部というのは、ひとつの転換点といえなくもないと思うのですが、描いているご本人はどういう認識ですか?

荒木 特にそれはないんですよね。たしかに第4部になっていろいろなことが自由に描けた感じはあります。主人公の東方仗助を筆頭に、登場人物が等身大になってきた感じもありますけど、僕自身としては第3部で描き切れなかったことを第4部でやったという意識で、転換という意味では第5部のほうがよっぽど大きな変化だったと思います。第1部から第3部はひとつの流れがあって、そこからゆるやかにつながって広がっていったのが第4部で、第5部からはテーマ性がぐっと深化した。だから、初期の構想から考えると、『ジョジョ』は第4部で終わっていたといえるのかもしれませんね。第5部からは『ジョジョ』の柱となっている血統のことももちろんあるんですけれども、信頼していた組織に裏切られた人たちの哀しみというか、生まれてきた哀しみみたいなものを描きたいなと思っていました。人間ってこの世に存在すること自体が哀しいんですよ。だからこそ、人生を通じて喜びや生まれてきた意味を見つけ出していくと思うんです。エピローグの「眠れる奴隷」がまさにそうですが、そのへんのことを描いてみたかったという意味でも、明らかに第5部から作風は変わった気がしますね。

われわれはみんな「運命の奴隷」

――第5部で最も印象に残っている場面はどこになりますか?

荒木 ベネチアのシーンで、ブチャラティがボスを裏切ることをみんなに告げるところかな。あそこは泣けるところだし、キャラクターたちの分岐点になっていると思います。あとは、アバッキオが死ぬところも印象に残っていますし、さっき話したエピローグもはずせないですね。

――エピローグは、ジョルノが登場する以前の前日譚になっていますが、あれを描こうということは最初から決めていたんですか?

荒木 そうですね。テーマをより強く伝えるために、もう一回描こうって決めてました。結果、物語がぐっと締まった感じになってよかったなと思います。今あらためて考えると、『ジョジョ』の25年間の歴史の中でも最も印象的なエピソードかもしれませんね。『ジョジョ』シリーズの神髄が、あそこには表れていると思います。

――第5部はイタリアが舞台ということもあって、登場人物たちのファッションもよかったです。

荒木 イタリアンファッションを思いっ切り描きたかったんですよ。でも、ジョルノは学生服ですけどね(笑)。

――服も含めて、キャラクターを描くときって、最初にどこを描くのですか?

荒木 僕の場合は輪郭です。どっち向いているかとかが大事で、そうすることで自然と骨格が決まってくるんですよ。骨格が決まると、下まで自動的に描ける。服もそうで、皺を入れるとどんどんどんどん立体的に服の形ができてくるんです。だから、それをどこで止めるかが難しい。放っておくとずっと描けちゃうので(笑)。

――では、ジョジョ立ちと呼ばれる独特のポージングはどのようにして生まれているのですか?

荒木 手がこのへんにあったほうが絵的にいいかなとか、そういう感じですね。

――ご自分で鏡の前でポーズしたりすることはあるんですか?

荒木 ああ、しますよ(笑)。こうやってねじったらどうなるのかなって。でも、一番参考にしているのは、女性誌ですね。女性誌のモデルさんって、けっこうあり得ないポーズをとっているので、面白いんですよ。

次に向かう先はパラレルワールド

――第5部が終わった時点で半年ほど休まれていますよね。第1部から第5部まで、ずっと連載を続けてきて、このタイミングで小休止したのはどういう意味があったのでしょうか?

荒木 ようやくマンガ家も休みがもらえるような時代になったってことですよ(笑)。それまでは休みといったらお正月だけでしたから。でも、『JOJO A-GO!GO!』(画集)とか描いたりしていたので、休んでないんですけどね。

――新連載となった第6部『ストーンオーシャン』ですが、ここで初めて女性が主人公となりました。

荒木 最初のほうでちらっと触れましたけど、『ジョジョ』を描く前に『ゴージャス☆アイリン』という女性が主人公の作品を描いていたんですよ。今でこそ強い女性が戦う作品はたくさんあるけど、当時の少年誌ではあり得なくて、直感的に「これはヤバイな」と思って長編にするのをやめたんです。人気出ないし、どうせ続かないだろうなって。

――「ヤバイな」って、具体的にどういうことですか?

荒木 その頃は『エイリアン2』が公開されて、シガニー・ウィーバー演じるリプリーみたいな強い女性がいたから、僕も試しにトライしてみたんだけど、やっぱり自分は男だし、女の子が殴られたりするのはちょっと残酷すぎて描けないと思ったんですよ。でも、15年近くもたつと時代も変わるというか、女の子がパンチをくらったりしても平気な感じになった。男も女も同じなんだなと思って、今度はちゃんとタフな女の子が描ける気がしたんです。それで第6部では空条徐倫という女の子を主人公に、『ジョジョ』の物語を描いてみました。ただ、血とかにしても、僕はデザイン的に描くようにしているんですよ。カットバックと同じような気持ちで描いているから、そんな生々しさはないと思っているんですけどね。

――舞台を刑務所にした理由は?

荒木 第5部でギャングを描いたんだったら、今度はそれよりも悪い刑務所だろうと。まぁ、これも杜王町みたいな感覚ですよ。閉ざされたそこだけの世界を描くっていう感じです。それと、スティーブ・マックイーンが主演した『大脱走』という映画があるんですけど、僕はあれが大好きで、いつかは脱獄の醍醐味も描いてみたいと思ってたんですよね。

――描いていて印象に残っているキャラクターだったり、シーンはありますか?

荒木 キャラクターだと、エンポリオが好きですね。刑務所の中で生活している少年がいるというのは何か不思議な感じがして面白いじゃないですか。

――第6部のラストはその解釈をめぐってさまざまな意見があります。ある意味、一周したというか、ひと区切りついたといえなくもないのですが、これはどういう意図だったのですか?

荒木 描いている僕のほうも、究極までいった感覚があって、『ジョジョ』は根本的に終わったなと思いましたね。スタンドのアイデアも、何か描き切った感があったんですよ。水や空気、元素、時間の流れとか、あらゆるものを描いちゃったから。そして、ここまで描いちゃったら、次に向かう先はパラレルワールドしかないだろうと。それに『ジャンプ』で描くのも、これで終わりなんだろうなって思いもありました。年齢的にも、何か少年誌で描くのも終わりかなみたいな。周りを見渡しても、『こち亀』の秋本治先生以外はみんな若いマンガ家ばかりなので、昔から浮いている感じはあったけど、さすがにもう違うのかなって。

たどり着けるのか心配だった

――第6部が終わって1年ほど間が空いてから、第7部『スティール・ボール・ラン』が始まります。最初のうちはまだ『ジャンプ』での連載でしたが、そのときはタイトルに『ジョジョの奇妙な冒険』がついてなかったですよね。

荒木 ああ、そうですね。本当は第6部の『ストーンオーシャン』のときから『ジョジョの奇妙な冒険』は、はずそうと言われていたんですよ。でも、僕は入れたかったから、『ストーンオーシャン』では無理やり入れたけど、『スティール・ボール・ラン』でついにはずれました。主人公がジョジョではなくなったこと、これまでの『ジョジョ』シリーズを読んでいない人に向けて描き始めたことが主な理由ですね。とはいってもやはり『ストーンオーシャン』から続く新たな世界の延長上でもあるし、スタンドは描き続けるつもりだったので、途中『ウルトラジャンプ』に移籍してからはサブタイトルに『ジョジョの奇妙な冒険 Part7』とつけるようになりました。

――第6部は刑務所が舞台でしたが、第7部は19世紀末の北米大陸を西から東へ横断する壮大な旅になります。

荒木 やっぱり人間って、旅をしたりして成長していくというのがあるんですよね。僕も高校時代にそうやってキャンプとか自転車旅行をして自分を鍛えるみたいなことがあったので、旅を通じて主人公を成長させるという物語を描いてみたかったんです。

――ちなみに高校時代はどちらに行ったんですか?

荒木 仙台から北海道まで自転車で行きました。高校一年生の夏休みですね。岩手の龍泉洞とか青森の恐山とかをまわって、時にはその地方のヤンキーに「誰の許可を得てここを通ってるんだよ」とか難癖つけられたりしながら(笑)、3週間ぐらいかけて走りましたよ。ただ、自転車を漕ぎすぎたからなのか、椎間板ヘルニアになって入院しましたけどね(笑)。

――第7部は具体的にどういう物語にしていこうと考えていましたか?

荒木 ジャイロ・ツェペリとジョニィ・ジョースターは、まるで兄弟関係みたいなものを象徴して、お兄さんを失ったジョニィがジャイロのおかげで成長していき、最後はジャイロが死ぬというところまでは考えていました。ふたりの登場はパラレルワールドの存在を表していて、鉄球は波紋の変形なんですよね。パラレルワールドを描けることで、『ジョジョ』の物語はいろいろな形で再び語り直すことができるようになったと思います。ただ、一応ルールはあって、ジョニィとジャイロの関係も、前の話とある程度のリンクをつけておく必要はあります。

――6000㎞に及ぶ大陸横断レースは描いているほうとしても長くなかったですか?

荒木 長かったですよ。大陸横断の旅は、なかなかゴールまでたどり着かなくて、描いていてきつかった。自分自身が最後のゴールまでたどり着けるのか心配でした(笑)。それに荒野とか草原をずーっと描いていると、精神的にくるんですよ。本当に疲れましたね。あぁ、早く日本に帰りてぇと思ってました(笑)。

――第7部が今のところ一番長いシリーズになっていますよね。

荒木 そうです。『週刊少年ジャンプ』から『ウルトラジャンプ』に移ったことで月刊になったし、ページ数も増えたから、連載期間も6年か7年ぐらいかかりました。

――このシリーズも魅力的なキャラクターが多いですが、印象に残っているのはどれですか?

荒木 全員好きですよ。なかでもリンゴォ・ロードアゲインは描いていてよかったなぁ。礼儀正しくて、男の美学があって。

――そこにはクリント・イーストウッドの西部劇からの影響はあるのでしょうか?

荒木 間違いなくあります。イーストウッドは、西部劇を誰も撮らなくなった時代にあえて西部劇をつくり、しかもそれが大傑作だってところがいいんですよね。

謎だらけの『ジョジョリオン』

――第7部から始まったパラレルワールドの世界は、現在『ウルトラジャンプ』で連載中の第8部『ジョジョリオン』でも受け継がれています。まだまだ先が見えていませんが、『ジョジョリオン』はどういう構想で描いているのですか?

荒木 とにかく『スティール・ボール・ラン』が過酷で、早く日本に帰りたくてしょうがなかったから、それだったら次の舞台は杜王町にしようって(笑)。杜王町を描いているとホッとするんですよ。ウチに帰ってきたなぁって気がして。物語自体はスタートしたばかりで、僕自身もまだまだ全貌が見えていません。ジョニィと定助は血統的につながっていて、ちょっと因縁もある、みたいなことしかイメージしていないんです。舞台が杜王町だから、第4部の人たちと何かしら関わりがあるだろうということは何となく想像つくと思いますが、そこから先の展開になるとまだよくわかっていないんですよ(笑)。

――ということは、第4部のキャラクターが別の形で登場する可能性はあるってことですか?

荒木 あるでしょうね。重ちーの別バージョンが出てくるかもしれないし、露伴も出てくるかもしれない。またそうやって杜王町をつくっていきたいと思っています。

――『ジョジョリオン』というタイトルの由来は?

荒木 ここに来て急に、ジョジョを入れたくなったんです。じゃあ、造語をつくろうということになって。候補の中には『ジョジョタウン』とかありましたよ(笑)。

――それってどこかの通販サイトみたいですね(笑)。

荒木 そういえば、今回のムックのタイトルにつけた『ジョジョメノン』も候補のひとつに挙がっていたんですよ。

――そうだったんですか! 実際、『ジョジョリオン』ってすごく覚えやすいんですけど、意味がわからないので、その謎めいた感じがいいですよね。

荒木 『ジョジョリオン』で描きたいのは、東方定助というキャラクターが生まれた理由なんですよね。そのつながりを解き明かしていきたいと思っています。

――連載準備中に東日本大震災が起きて、そのことも受けて物語は始まっています。震災後の杜王町に突如地面が隆起して「壁の目」と呼ばれる不思議な断層が現れるわけですが、ここにきてリアルタイムの『ジョジョ』が始まったわけですね。

荒木 杜王町のことを描いていて、やっぱりそこは避けられないですよね。ただ、表現の仕方によっては傷つく人がいるから、注意して描こうと思っています。

――まだ始まったばかりですが、第8部ではスタンド同士のわかりやすい肉弾戦がなく、相手の記憶をチェスに閉じ込めたりとか、細かいレベルの戦いになっているのはなぜですか?

荒木 より日常感を表したかったんですよ。火山を噴火させるとか、時間を止めるとか、そういうでっかいやつじゃなくて、小さいやつにしようと思ったんです。そのことで戦い方とか使い方を考えるのは難しくなるかもしれないけど、微妙な心理は描きやすくなった。小さいからこそ、余計に怖いと思うことってありますからね。

――そして、東方家の家系図が現れて、どんどん血統の話が出てきています。あのつながりは衝撃でした。ここにコイツがいるのかって。

荒木 そうですか。僕にしてみれば自然の流れなんですけど、まぁ、たしかにこれから家系図が重要になってきますね。家系図を眺めているだけで、一晩中ご飯が食べられるくらい面白くなるんじゃないですか(笑)。

――『ジョジョリオン』は、これまでのシリーズに比べて、少しエロティックな要素がありますが、これはどういう意識なんですか?

荒木 今まで描いたことのないものを描いてみたかったんです。だから、バストトップが出たのもたぶん今回が初めて。絵に関しても、少しゆるく描こうかなって思っているんですよ。ぎちぎちの戦いだけじゃなくて、ちょっとはずれるというか、そのへんが読者も好きなんだろうなと思うんですね。今までは怖さとかそういうのばかりを追求していたので、そこの中に適当感というか、ゆるさを入れたいんですよ。

――それは具体的にはどういう形で表れていますか?

荒木 たとえば、白い絵とかをけっこう増やしているんですよ。みっちりと描き込まないで、そこでちょっとゆるくさせるようにしています。以前のように黒く描いてもいいんだけど、読者がここでぎちぎちにならないでさらっといきたいと思わせるために、あえて白くしています。

――『ジョジョ』はシリーズを通して常に絵が進化していっていますよね。

荒木 変えようというよりも、昔の絵を描かないようにしようと心がけていますからね。ただ、広瀬康一とか小林玉美とか、身長がどんどん縮んでいくキャラがいるから、あれはちょっとまずいかなとは思いますけど(笑)。

――逆に、第7部のファニー・バレンタイン大統領はどんどん大きくなっていきましたよね。

荒木 まぁ、あれは鍛えているからいいってことで(笑)。実際、キャラクターがどんどん動いていっちゃうんですよ。セリフにしてもポージングにしても自然の流れで出てきている感じです。

――セリフに関しては、『ジョジョの奇妙な名言集』という形でまとまって本になっているからすごいですよね。

荒木 すごいですよね(笑)。ああいう形で若い世代の人たちに受け入れられるのを見ると、描いていてよかったなあと思いますね。

荒木飛呂彦はずっと『ジョジョ』

――あらためて25周年を振り返って、どういう感想ですか?

荒木 マンガってひとりで描いているときが多いんですよ。そのときに友達は遊んでいるわけですから、そういうのを見ながら、自分の仕事はこれなんだって言い聞かせてやってきた感じですね。べつに我慢してきたわけじゃないんですよ(笑)。それが積み重なって今になっているだけだと思うんです。

――こうなると次は50周年ですかね。この調子だと、あり得ると思うのですが。

荒木 いや、ないでしょ。でも、そのときになってもまだ第8部を描いていたら面白いですよね(笑)。

――散々聞かれていることだと思いますが、長く続ける秘訣って何ですか?

荒木 アイデアじゃなくて、やる気。描きたいという気持ちなんだと思います。だから、それがなくなるのが怖いですよね。

――過去にそう思ったことはあったんですか?

荒木 もう描き切ったかなって思ったときは、そういう感じになりましたね。でも、そこからまた描き続けられたのは、目標にする人がいたから。クリント・イーストウッドを見たら、まだまだやろうって気になりますよ。

――子どもの頃からマンガ家になりたかったわけですよね。初めて描いたマンガって覚えていますか?

荒木 うーん。最初は友達の似顔絵から始まるのかな。ストーリーがついたものとしては、チャンバラ漫画みたいなものを描いた記憶がありますね。友達に見せたら、「うまいね」って褒められました。

――そのときからずっとマンガを描いているときが一番楽しいという状態が続いているわけですか?

荒木 そうですね。それは変わってないです。そもそも僕は趣味という趣味がないんですよ。だから、続けられるのかもしれませんね。

――では、「こうしたい!」とか、何か夢とか目標みたいなものはないんですか?

荒木 えっ、夢ですか。女優さんと結婚したいとかってこと(笑)。いやいや、それも特にないですね。あっ、でも、イーストウッドと会うことは夢でした。だから、今回実現したことはすごくうれしいです。ドタキャンされたら本当にガッカリするから、実際に会うまではあまり期待しないようにしていましたからね(笑)。

――『ジョジョ』シリーズは永遠に描き続けていこうという意識はあるんですか?

荒木 『ジョジョ』シリーズしか描けないのかなというのはありますよね。逆に、いろいろなところにいくのはダメだと思います。芸能人が政治家になったりするのは、本当にイヤなんですよ。そういう人にはゼッタイに投票しないですから。これは書いてもらってかまいません(笑)。人には持ち分みたいなものがあるんですよ。それを超えてあっちにもこっちにも行く人は好きじゃないですね。モチはモチ屋じゃないですけど、荒木飛呂彦はずっと『ジョジョ』でいいんですよ。もう『ジョジョ』しか描かないし、『ジョジョ』しか描けない。


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