MEN'S NON-NO (07/2002)

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Incomplete translation
Published July 9, 2002
MEN'S NON-NO July 2002 Cover

An interview with Hirohiko Araki found in the July 2002 issue of MEN'S NON-NO.

Interview

Childhood

People are often surprised by this, but I used to play little-league baseball. Although, there was one absurd aspect of the team I didn’t like. I used to think, “Why does that kid keep getting put in when I’m the better player?” Maybe I was being selfish, but it meant that I didn’t have a space where I was able to be myself. Despite that, I still kept playing, but I still don’t even know why I suppressed those feelings to do so. Starting in middle school, I began doing Kendo. I decided, “I’ll never take part in another team sport like baseball ever again” (haha). Around that time, I noticed that my personality wasn’t really meant for groups. I read books by myself, looked at art, drew, and I noticed that doing these things alone made me feel pleasant. Being immersed in that world by myself was fun.

Twin Sisters

Now that I think about it, the fact that I liked being alone was probably in part because of my family. I have two little twin sisters that are 4 years younger than me, but their presence is considerably large. This is when we were children, but if I were to give you an example, there was one time that my mother was preparing for us three pieces of cake as an afternoon snack. Since my sisters usually get back home faster than I, they usually eat first. So, they must’ve been thinking, “(If we eat big brother’s piece) He won’t know, right?” My sisters conspired to eat my piece of cake. Well, if they would’ve just asked I wouldn’t have minded (haha). I wonder how many times they tried to trick me like this. We fought, but they would both start crying at the same time, and, even though I wasn’t a bad kid, it made me feel bad. I always felt like I was getting blamed for something I didn’t do, so I ended up not liking coming back home. I saw this strong bond between my sisters, and it made me a feel a strange sort of alienation. Mentally I was an only child (haha). That’s why I think I ended up liking doing things by myself. Nowadays our relationship is normal, my sisters and I (haha).

Manga and stories you were passionate about

Those days I was really into Star of the Giants and other manga by Ikki Kajiwara. They taught me more about life, I think. A little bit later I got into things like Ashita no Joe. Of course, I loved Tezuka-Sensei’s manga too, but the manga I ran to buy every week was Kajiwara-Sensei’s. Now that I’m thinking about it, I think Kajiwara’s manga had an influence on me wanting to start Kendo in middle school. Besides manga, I read a lot of Edogawa Ranpo’s book series and the Sherlock Holmes series. I wonder if I was already starting to draw stuff like manga around that time. I might’ve been trying to reproduce the coolest and most popular characters from those series, but I don’t remember. From the beginning, this was the world I drew from.

High School Days

During one’s high school days*, your path in life and your future start to gradually feel more real. Due to my personality, I thought that the lifestyle of working in someplace would be impossible. Around that time, I started thinking about the power of manga. It had the power to make readers keep flipping pages, the power to make the reader anxious for new developments in the story, the power to make readers run and buy the newest chapter on the very day it’s released… I think the power of manga is incredible. From that point on, I had a strong feeling that I wanted to become a mangaka. In terms of manga I was reading at that time, I really got into Yokoyama Mitsuteru-Sensei’s suspense manga. It was a lot different than Kajiwara-Sensei’s fiery “I’m gonna rise in this world!” type of manga. This was more focused on character motives and strategy, with the criminals being more dry and business-like. At the same time, kids wearing school uniforms were hanging around ancient ruins, it was both a comforting and discomforting feeling. “So, manga like this exist too” I used to think; it felt fresh. Besides that, the Lord of the Flies short story left an impression on me. It made me think. It had a similar theme to Jules Verne’s Two Years’ Vacation, where a group of young boys wash up on a deserted island. However, in Lord of the Flies, there’s a factional dispute among the boys, all the way until the end where they end up wanting to kill each other. I really think Lord of the Flies was the more realistic of the two books. Those days were when my first contribution to Jump was selected for an honorable mention. My name was printed in the small corner of one of the pages. That made me extremely happy. Even to this day, it might be the happiest moment of my life.

  • In high school, I was part of the cycling team. My best subjects were science and mathematics, while my worst was English.
[Translated by Eas]

少年時代

 意外だっていわれるんですけど、少年野球をやってたんですよ。でもね、団体スポーツの不条理な部分が嫌で。「オレのほうがうまいのに、なんであいつがレギュラーなんだ」とか思ったり。わがままだったのかもしれないけど、居場所がないなと思ってましたね。自分を抑えてまでやる意味もわからなかった。それで中学から剣道を始めたんです。「もう野球みたいなチームスポーツは絶対やらんぞ」と心に決めて(笑)。そのころからですね、自分は集団に合わない性格なんだって気づきだして。ひとりで本を読んだり、絵を見たり、描いたりしてる時間の心地よさに目覚めた感じですね。ひとりでその世界に浸ってる状態が楽しかった。

双子の妹

 今にして思えば、ひとりの世界が好きっていうのは、家族関係も影響してると思うんです。僕には4つ年下の双子の妹がいるんですけど、彼女たちの存在は相当大きい。小さいころの話ですけど、例えばおふくろがおやつにケーキを3つ用意してくれていたとするじゃないですか。たいてい、僕より妹たちのほうが帰宅するのが早いから、先に食べてますよね。そうすると、「(お兄ちゃんの分も)食べちゃえばわかんないんじゃない?」とか思うんでしょうね。妹どうし、結託して僕の分も食べちゃうんですよ。僕だって、くれって言われれば別にあげるんだけど(笑)、なんかこう、知らないところでよくだまされてたっていうのかなぁ。ケンカしたりしても、僕は悪くないのに、2人いっぺんに泣かれたりすると、こっちが悪い気になってきちゃう。もうね、常に無実の罪を着せられてるような気持ち。だから家に帰るのがだんだん好きじゃなくなってきちゃった。妹どうしの絆の強さを目にしてたから、妙な疎外感を感じちゃってて。精神的なひとりっ子ですね(笑)。そういうわけでよけいにひとりで何かを楽しむことが好きになったんだと思う。別に今はふつうの仲ですよ、妹たちとは(笑)。

熱中していた漫画・小説

 当時は『巨人の星』とか梶原一騎の漫画にはまってましたね。もう人生まで教えてもらったと思ってます。もう少し経つと『あしたのジョー』とかにはまってました。もちろん手塚先生の漫画も大好きだったんですけど、毎週発売日に走ったのは、梶原先生の漫画だったな。中学に入って剣道を始めたのも、今思えば梶原漫画の影響だったと思います。漫画以外だと、江戸川乱歩シリーズとか、シャーロック・ホームズシリーズはよく読みましたね。そのころはすでに漫画のようなものを描きだしてたのかな。でも不思議と、人気キャラクターを模写してたって記憶はないんですよね。最初から、こう自分の世界で描いてたというか。

高校時代

 高校時代(※)って、だんだん自分の進路とか将来がリアルに感じられてくるじゃないですか? 僕の性格上、どこかに勤めるという生き方はできないなって思ってましたね。ちょうどこのころ、漫画の力というものをね、考えたりしたことがあって。読む人にページをめくらせる力、次の展開を待ち遠しいと思わせる力、発売日と同時に走って買いにいかせてしまう力・・・・・・。やっぱり漫画の力はすごいあるなと思って。このころからですね、漫画家になりたいって強く思うようになったのは。  漫画では、横山光輝先生のサスペンスものにもはまってましたね。梶原先生の熱くて「のし上がっていくぜ」的な漫画とは全然違うんですけどね。こう、もっと動機とか駆け引き、事件性をドライに追っていくという感じ。その一方で、学生服を着た少年が古代遺跡で活躍したりするような、心地よい違和感もあった。こういう漫画もあるんだなって新鮮でしたね。 ほかに印象的だったのは『蠅の王』という小説。これも考えさせられた。『十五少年漂流記』とモチーフは似てるんですよ、少年たちが無人島に流れ着いて、っていう。だけど『蠅の王』では、子どもたちの間で派閥争いが起こったり、しまいには殺し合いみたいなことになってしまうんです。僕には、断然『蠅の王』のほうがリアルだったな。  初めて投稿した作品がジャンプの選外佳作に選ばれたのもこのころでした。ページの下の角のほうに小さく名前が載ったりして。それはすごいうれしかったなぁ。今までの人生でいちばんうれしかった出来事かもしれませんね。 ※高校時代はロードレース部に所属。得意科目は理数系、苦手なのは英語だったとのこと。

専門学校時代

 何回目かに投稿した作品で、画力が不足って批評されて。じゃぁ、絵がうまくならなくちゃいけないと思って、高校卒業後、地元の仙台のデザイン専門学校に通うことにしたんです。  当時、仲のいい友達のなかに、やたらと僕の作品を誉めてくれるやつがいたんですよ。今思えば、たいした漫画じゃなかったと思うんだけど、「おお、いいなぁ、すげーなぁ。また読ませてくれよ」っていつも言ってくれてて。ほら、人間のせられると気分もいいし、やる気がでるじゃないですか(笑)。その言葉にはだいぶ励まされたし、助けられましたね。  そうこうしながら投稿を続けてるうちに、ふと東京の編集部まで直接持っていこうと思い立って。そのとき見てくれた編集の人には、ホントいろいろ言われましたね。「ここはダメだ。ここにはこういうエピソードを入れて」とか。絵の矛盾や歪みも全部指摘されて。当時はまだ作品の最初と最後で、キャラクターの絵が違ってきちゃうようなこともありましたから(笑)。でもそうやって直しを入れた作品のほうが全然よくなってるんですよ。それは自分でも実感できるほど。アドバイスを受けて直しを入れたこの作品が、僕の初めての入選作になりました。

『魔少年ビーティー』

 僕の連載デビュー作ですね。まだ仙台で描いているころです。この作品は当時、編集部で猛反発を受けたんですよ。いじめの描写もでてくるし、主人公もちょっとダークな側面を持ってましたからね。タイトルからして”魔少年”だし(笑)。清く、正しく、美しくじゃないけど、当時の風潮とは完全に逆を行く作品だったから、あやうくボツになるところだったんです。それを当時の編集の人が編集長を説得して救ってくれたという。何年か経ったあとに当時の編集長が「こういう時代になるとは思わなかったなぁ」と言ってたというのは聞きました。  『魔少年ビーティー』は、小さいころに読んだシャーロック・ホームズの裏返しという意味合いも強かったですね。ビーティーがホームズで、友人の公一がワトソン。公一の語りで話が進行していくとか、ビーティーのセリフすべてにいちいち意味があるというのも影響のひとつですね。あとは白土三平先生の『カムイ伝』『サスケ』かな。どちらも僕の好きな作品です。トリックの種明かしにページを割くっていう構成でも影響を受けてる。絵もそういうところあるかな。ビーティーがどこかカムイに似てるような(笑)。

『バオー来訪者』

 『魔少年ビーティー』でトリックやテクニックを使ったいわば知的な作品をやったので、なんとなく次は肉体がテーマかなと思っていたんです。スタローンやシュワルツェネッガーが人気の時代だったし。それともうひとつ、世界的に遺伝子操作が騒がれだした時代だったんですよね。『バオー来訪者』は、そうした流れのなかで生まれた作品です。遺伝子操作で作り上げられた究極の生命体の話ですね。人間の本質とか、本当に強い人っていうのはどんな人なんだろうということもテーマにありました。自分の絵をいちばん模索してたのもこのころですね。

『ジョジョの奇妙な冒険』①

 究極の生命体という、いわば“バオー”を発展させた考えの先にあったのが吸血鬼。不老不死というのもぴったりだし、相手の血を吸う、生命を取り込んで生きているというのも、究極の生命体にはまってた。吸血鬼ってダンディーなイメージもあるでしょう。それもよかったんです。 それでいよいよ、担当の編集の人に「次は吸血鬼を敵にした作品にします」ってことを伝えたんですよ。そしたら、彼がまたそういうダークな世界が好きな人で。僕がその話をしたときに、妙に目が輝いてた(笑)。専門学校時代の友達じゃないけど、うまくのせてくれる人が近くにいるとね、僕はどうしてだか、そっちに行っちゃうんですね。

『ジョジョの奇妙な冒険』②

 “ジョジョ”は、壮大な大河ドラマにしたいと思ってたんです。吸血鬼の存在が噂されたのが1880年代だから、第一部はその時代から始まるということを決めて。その後、子ども、孫と現在まで続いていくような話にしたいと。ほかに決めてたのは、主人公の愛称をみんなジョジョにしようってことぐらいですね。波紋やスタンドも当初のアイデアにはなかったんです。

ルール

 吸血鬼って夜にしか活動できない、十字架に弱いという、規制というか、ルールがありますよね。ルールがあるからこそ、漫画は面白くなる。話はちょっと違うかもしれないんですけど、僕は、自分で自分に課したルールに従って生きている人間やキャラクターにすごく惹かれてしまうんです。自分のルールに従うことで、たとえ立場が不利になったり、窮地に追い込まれたとしても、それを最後まで貫く。そこがたまらなくかっこいい。承太郎がどんなときでも帽子を脱がないというのも、ルールです(笑)。

いちばん好きなキャラクター

 そのとき描いているキャラクターがいちばん好きですけどね。強いていうなら、第4部の仗助かな。1999年の設定だったんですけど、彼は学ラン姿に気合いの入ったリーゼントスタイル(笑)。「そんなやついね~よ」って話なんですけど、貫いてるでしょ? だからかっこいい。それに彼は自分が父親や先祖から受け継いだものをしっかりと自覚している。仗助はジョセフの浮気相手の子どもなんだけどそこに悲壮感はまったくないし、ハッピーに生きてるってところもいい。何より心に熱いものを持っているからね、だからすごくかっこいいんですよ。

女性キャラクター

 以前『コージャス☆アイリン』を描いたときにですね、女性を描くことに限界を感じてしまってたんですよ。例えば主人公の女の子が敵を殴る、殴られるというシーンがあるじゃないですか。それがもうすでに不自然というか。僕にはあまりリアルじゃなかったんですね。まだまだ女は女らしくという時代だったし、アイドルだってかわいければいいという感じでしたから。だからね、逆にいつかは女性の主人公をもう一度描きたいって思ってたんです。ほら、今って殴られてすぐさま殴り返す女性を描いたとしても、とってもリアルじゃないですか(笑)。女性が強いということがリアルな時代。第6部のジョジョが女性っていうのは、そういう時代性もありますね。

過去の作品に対する思い

 僕にとって過去の作品は日記みたいなもの。記録なんです。ほかの作家の方はどうかわからないけど、どの作品でも「あれは失敗したなぁ」とか「自分の歴史のなかで、なかったことにしたい」なんて気持ちはまったく起きないんですよね。例えば前のページでは右足をケガしてるのに、後ろのほうでは左足になってたなんてことがあっても(笑)、それはそれでいいと思っちゃう。コミックとして出版されるときには、やっぱり書き直してほしいって言われるんですけどね。それでも僕は、「できればそのままにしておきたいなぁ」と。直したくないんですよね。汚点もまたよし。それも含めて僕の記録だと思ってますから。

イタリア

 食べ物も街並みも全部好き。イタリアは本当に好きですね。興味ないのはサッカーぐらい。ファッションも好きなんですよ。とくに80年代のベルサーチ(※)とかね。「こんな服ありかよ」ってぐらいパワフルだったでしょ。巨大な金の鎖がシャツ全体に描かれてたりとかね、初めて見たときは相当ショックを受けました。もちろん“ジョジョ”のファッションのルーツもこのヘんにあります。踊ってるような、ねじれてるようなポージングも影響受けてるなぁ。奇抜でエレガントな衣装に妙なポーズ(笑)。全然ありですよね。  ほかにイタリアというと、怪奇庭園もいいですね。変わったもの好きの貴族が、お金と権力にまかせ集めちゃいました、みたいな美術館とかも好き。やっぱり奇妙なものに惹かれるなあ(笑)。でも自分自身はモノに固執しないんですよ。コレクターじゃない。持ってる本も完全に資料ばかりですし。そういえば、車の免許も持ってないし、携帯も持ってない。パソコンもやらないしな。でもなぜかボートの免許は持ってたりするという(笑)。変わってるねとよく言われます。 ※イタリアを代表するファッションブランドのひとつ。斬新かつ絢爛な色彩や柄も有名。創立デザイナーのジャンニ・ベルサーチは97年に亡くなった。「すごいショックでしたね。彼の新作がもう見られないのかと思うと悲しい」と荒木氏。ちなみに荒木氏は80年代のモスキーノなどからも影響を受けたと告白。現代のデザイナーのなかではジョン・ガリアーノ(現クリスチャン・ディオールデザイナー)がお気に入りとか。納得。

もし漫画家になっていなかったら

 イタリアンレストラン(※)のウエイターとかがいいですね。なんかこう、テキパキ仕切っていく感じの。常にサービスすることを考えていたい。お客の好みを覚えてたりするような、気のきいたウエイターがいいな。 ※オフの日など、イタリアンレストランに行くのが楽しみという荒木氏。「以前、イタリアに行ったときなんだけど、ナスを揚げたものにチョコレートをかけて食べるって料理が出てきたんですよ。最初は誰でも『えぇ!』って思うじゃないですか? でも食べるとすごくおいしい。自分にとってなじみのない組み合わせがおいしかったりしたらもう最高ですね。『新発見!』という感じ(笑)」

漫画とは

 僕にとって漫画とは。う~ん、描いてるときの気持ちそのものですね。だから、例えば過去に誰もが認める最高傑作を描いたとして、その作品を超えられないと悩むとか、スランプに陥るってことはない。常に今描いているものがいちばんいいと思ってるし。それに最高傑作といっても、見方によっていろいろ違うものじゃないですか。人によってはアンケートの人気かもしれないし、売り上げかもしれない。自己満足できたかどうかという見方だってある。もちろん読む人それぞれで最高傑作は変わるものだし。  だからこそ僕は、毎回一生懸命描くってことだけを意識してます。現在進行系の気持ちをぶつけてる感覚ですね。

閑静な住宅街に佇む荒木氏のアトリエにて。

「道具へのこだわりは特別ないですね。気にしてるとすれば、10年経って、描いたものが薄れてしまうようなインクとか、すぐボロボロになっちゃうような紙は使わないってことぐらい」 と荒木氏。職業柄、徹夜仕事が多いのではと問うと、 「仕事で徹夜はしませんね」。

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