Manba (February 2023)

From JoJo's Bizarre Encyclopedia - JoJo Wiki
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Published February 27, 2023
Missing translation

An interview with Ryosuke Kabashima from the Manba website. The first part discussing his upbringing and time after joining the editorial department of Weekly Shonen Jump was posted on February 27, 2023.[1] The second part discussing his memories of Hirohiko Araki was posted on March 7.[2] The third part discussing nine manga recommendations of his was posted on March 14.[3]

Interview

Part 1

■「ジャンプ」は読んでいなかった

――最初に、椛島さんの生い立ちからうかがえますでしょうか。

椛島 私は1954年、北海道の室蘭の生まれです。残っている最も古い記憶は3歳ぐらい。東京に出て来る飛行機のシーンですね。北海道は当時の家族写真で見ると「こういう所だったんだな」くらいで、全く覚えていないです。室蘭は製鉄の町で、富士製鐵と八幡製鐵が合併して後に新日本製鐵になるのですが、父がその富士製鐵で働いていました。北海道にルーツがあったわけじゃなくて、父がたまたま転勤となって、私が生まれたわけです。

――元々、椛島家は九州の方でしたか。

椛島 そうですね、遠い先祖は佐賀藩です。でも私は佐賀に行ったことがないです(笑)。ただ祖父・勝一は長崎の諫早生まれです。それで長崎県美術館に勝一の原画を寄贈したり、ジョジョ展 (※1) の関係で長崎には何度か行ってます。たまたま長崎県美術館の勝一担当の学芸員の方がジョジョファンで、実現したというわけです。荒木さんの発案で勝一の原画の展示も併せてやったりとかしました。

インタビューに応じる椛島良介氏

――出版やマンガ編集者の道に進もうとお考えだったんですか?

椛島 当時集英社は、「月刊プレイボーイ」が創刊されたりして勢いがあり、集英社だったらそういうところへ行きたいというのはありました。「少年ジャンプ」は正直読んでいなかったですね。そのころの大学生が一番読んでいたのは「少年チャンピオン」だったんじゃないかな。『がきデカ』とか、『マカロニほうれん荘』とか、『ブラック・ジャック』とか。とにかく面白かったのは「チャンピオン」という印象でした。マンガ体験で言えば、小学生のときは「少年サンデー」を読んでいました。「少年キング」の創刊も覚えてますよ。確か戦艦大和が表紙でした。『鉄腕アトム』のTVアニメなんかも始まって、かかさず見ていた記憶があります。小学校低学年ぐらいですね。「サンデー」はなぜか親が買ってくれてたんです…『伊賀の影丸』や『おそ松くん』を夢中になって読んでいました。典型的な普通の少年のマンガ読書体験だったと思います。

今でも覚えているのは、よく「サンデー」の漫画の絵を切り抜いて貼り合わせて、コラージュみたいなものにしていました。そうしたら、最近、東京国立近代美術館で回顧展をやっている大竹伸朗さんが『紫電改のタカ』の絵で同じことをやっているのを発見して、一驚でした。うろ覚えですけど、動画か何かで「私は昔から貼るのが好きだった」というようなことを言われていて、大竹さんは私の多分一つぐらい年下で、当時の少年が皆貼っていたわけではないでしょうけど、とても親しみを感じます。とにかくスクラップブックですね。大竹さんの作品で見ていて一番楽しいのは。立体造形とか色々ありますけど、膨大な量を貼ってあるスクラップにはとても惹かれます。大竹さんをここで引き合いに出すのはおこがましいのですけど、つい好きなので。

――スクラップは言ってみれば自分の目で見て、いいものを選んで、まとめるという編集作業なので、それがお好きという所から編集者の適性のようなものもあったのかもしれないですね。

椛島 どうでしょうか。私としては自分で描かないというところが、ポイントかもしれないですね(笑)。とにかく貼り合わせるのは好きでした。そんな子供でしたね。中学生以降はそんなにマンガを読んでいた記憶はありません。つげ義春さんとかは一応読みましたけど。

後年、水木しげるさんが勝一の絵が好きだったと知り、つげさんも水木さんのアシスタントをしていた時代があるので、そういう流れから勝一を思い出したりはします。子供の頃から勝一のペン画は、家にあったのでよく見ていましたけど、『正チャン』は読んでいませんでした。実は、今に至るまでちゃんと読んでいないので、今度まとめて読みやすい体裁で刊行される (※2) のが自分としては楽しみです。フキダシのセリフが手書きのカタカナ文字だと、なかなか普通にマンガを読むようにはいかないですね。早く次に行きたいのに、まず解読しなきゃいけないから辛い(笑)。やっぱりマンガってリズムに乗って読むことがすごく大事なので、そういう意味では初めて『正チャン』をマンガとして味わえるようになる機会なので、ありがたいことだと思っています。

なので、話が逸れましたけど、マンガ編集者を志していたということはないです。たまたま集英社に入って「ジャンプ」に配属されただけです。

――ジャンプ編集部に入られたのが1979年、西村編集長 (※3) の時代ですよね。

椛島 西村編集長は、目の具合が悪いとかで昼間から編集部でサングラスをしていたりと、とても強もてな感じでした。当時はタバコも編集部でバンバン吸っていて、吸い殻もちゃんと始末して捨てないから部屋中燻っててひどい状況でした(笑)。4月に入社して、1ヶ月ぐらい研修があって、販売や制作や編集など、一通り各部の人の話を聞いて、その後に「ジャンプ」に仮配属され、半年間ぐらい試用期間がありました。正社員になったのは秋くらいだったでしょうか。人によっては仮配属と本配属で部署が変わったりしますが、私の場合は仮配属からそのまま「ジャンプ」でした。

ジャンプ編集部に最初に行ったときのことはよく覚えています。西村編集長が出て来て。例のサングラスでね。ずっとタバコをふかしながら、最初の訓示みたいなものを喋る。それがくぐもった声で、何て言っているのか全然聞き取れない(笑)。途中で諦めて、後で隣の同期の堀江くん (※4) に聞けばいいかと思っていました。そういうのは普通短めに話すじゃないですか。でもそれが長かったんです。10分ぐらいだったかな。一言も聞き取れなかったから、長く感じたかもしれないですけど(笑)。外国語だって、ちょっと単語くらいは入ってくるじゃないですか。緊張してるせいなのか分からないけど、とにかく聞きとれない。後で堀江くんに聞いたら、堀江くんも「全く分からなかった」と(笑)。だから、そのときに西村さんが何て仰ったのか、いまだに分からないままで残念です。

そういう不肖のスタートでした。西村編集長には、よく叱られましたけど、私にとってはThe 編集長という感じです。私が曲がりなりにも今日あるのは西村編集長のお蔭だと思っています。そして、その編集長のもとで、とにかく活気のある編集部で。配属後すぐに確か300万部を突破しました。

――そうですね、1980年に「ジャンプ」は300万部を突破しています。

椛島 そこから私は1992年くらいまで約13年いたんですけど、とにかく部数が毎年上がって行きました。右肩上がりで。私がいたときにすでに600万部に達していたんじゃないかな。その後もさらに650万部まで行くわけです。とにかくもう売れて売れて、毎年記録を更新して、怒涛の時代でした。スタッフは皆もう、何か「俺が」「俺が」みたいな雰囲気がありましたね(笑)。とにかく人気アンケートで上位を取るというのが編集スタッフ全員の目標ですから。新人漫画家と二人三脚で上を目指すというビジネスモデルは、今思い返しても、完璧でした。「新人起用」、「アンケート重視」、「専属契約」を柱にしたいわゆるジャンプ・システムです。

長野編集長、中野編集長、西村編集長で3代目ですけど、創刊して10年ちょっとで、私が入ったときにはシステムが完全にできあがっていました。新人起用に関しては、「ジャンプ」は後発で「サンデー」や「マガジン」に人気漫画家はすでにとられているし、しょうがないから新人漫画家を育てようとなったと言われてますね。それにしても見事なまでのビジネスモデルだと思います。ただ「新人起用」と「アンケート重視」、この二つは意味をよくよく考えると恐ろしいです。

■完成されていた「ジャンプ」システムのすごさと恐ろしさ

椛島 この二つは、新入社員にとってはある意味で福音なんです。新人を大事に育ててアンケートで人気さえとれればいい、ということですから。例えば、ヒエラルキーって、普通どこの世界にもあったりしますよね。大御所がいて、やっぱりそこは単に実力勝負だけじゃない、難しい問題もあるじゃないですか。だけど、「ジャンプ」はそうじゃないんです。「新人起用」「アンケート重視」ですから。昨日まで全く無名だった才能が、大先生を押しのけて一瞬で大スターになるわけです。最近だと『鬼滅の刃』の吾峠さん。10年前は誰も知らなかった。でも、あっという間に一世を風靡してしまう。

――『鬼滅の刃』は1億5000万部を突破しましたね。

椛島 短期間ですごいですよね。だから、いまだに「ジャンプ」のビジネスモデルってものすごく機能しているんだと思います。と、ここまでは誰でも容易に想像がつくところでしょう。けれど、その意味をよく考えたら恐ろしく思えてきます。どういうことかと言うと、新人編集者、新人漫画家はいいんです。私なんかも入社後1年も経たないくらいで荒木飛呂彦さんに出会って、手塚賞に応募して、準入選を取って…そうやってステップアップしていく。とにかく読者の支持さえあれば、全くの新人漫画家であっても、担当者が新人でも、ブイブイ言わせられる可能性があるじゃないですか。だから新人はいいのですけど、逆に言うと、上に行けば行くほどすごくシビアなルールだと思うのです。

たとえば編集長も若い頃は誰かの担当をしていたわけじゃないですか。そうやって多くの先生方のご尽力のお陰で自分も編集長になれたわけだし、雑誌も伸びて成長してきたわけです。でも、人気がなくなったら、その先生方は新人起用の影の方に行っちゃうことになる。それはなかなか厳しいことです。実績はあって、お世話になった先生方です。でも、人気がなくなったら道を空けていただく。実際にそういう立場に置かれないと、そこをリアルに考える人はあまりいないと思います。どこの世界もそうですけど、業績を支えてきたような人に対しては、変わらぬ感謝とリスペクトというのは当たり前のことですし。でも時代の変化によって読者とズレてきたりもする。そういうときに「先生、ちょっと人気がないんで…」というのは、なかなかにシビアなことだと思います。そして、実際にそれをやってきたというのは、今考えてもすごい。「ジャンプ」が後発で、なまじ歴史が10年ぐらいしかないからできたことかもしれないですね。

あと「専属契約」というのが、これはやっぱり「新人起用」とセットで大事で、表裏というか。新人漫画家さんはやっぱりキャパがないので何本も連載を描けないでしょう。だから「専属契約」って才能の囲い込みというイメージがあると思いますけど、これもすごく合理的です。要するに、フリーの人ってなかなか仕事を断れない。例えば「ジャンプ」で当たったとする。そうしたら「サンデー」や「マガジン」から声がかかって、「憧れの歴史と伝統ある雑誌からお誘いが来た!」とついなっちゃうじゃないですか。でも、そう何本も描けないですよね。そういうときに「専属契約」があると、「いや、本当にありがたいんですけども、自分は「ジャンプ」の専属なんで」と言える。まあ1年契約ですから。どうしてもよそに行きたかったら、契約が切れるまで待って行ったっていいわけです。だけど、やっぱり新人が腰を据えて作品作りをするという意味では、「専属契約」は機能しているといえるでしょう。

――一度「ジャンプ」で描いたら、基本的にもう「ジャンプ」以外で描けないというイメージを持っている読者も昔は多かったと思います。

椛島 今でも1年契約じゃないですかね。自動更新になっていると思いますけど。ごくまれに他社でも仕事をした漫画家さんはいましたけど、少年誌を掛け持ちというのはほとんどなかった。やっぱり人気アンケートで上位をとるというのは難しいです。何誌も掛け持ちでやってできることではないでしょう。「新人起用」と言ったって、チャンスは与えられるんですけど、人気を取れなければダメなんです。年間で何十本という連載が始まっても、残って行くのは数本です。とても狭き門です。でも、連載のチャンスは掴みやすかったりはしますよね。そのときにまず壁にぶつかるのは、人気をいかに取るかです。当時、私の前に立ちはだかったのは『リングにかけろ』でした。

■圧倒的大人気の『リングにかけろ』から学んだこと

――同時代には『キン肉マン』や『Dr.スランプ』 (※5) (*これはもう少し後の作品)などの大人気作品もありましたが、『リンかけ』だったんですね。

椛島 『リンかけ』はダントツ人気1位でした。もう2位とか3位とかは覚えていません。とにかく圧倒的な1位でした。そして、まず最初に思ったのは、『リンかけ』の人気の秘密を理解して、言語化できないなら、「ジャンプ」やその読者がよく分からないことになる、ひいてはこの職場ではやっていけないだろう、ということでした。だから、とにかく考えてましたね。分からなければ、自分の担当している漫画家さんにも伝えられない。

『リンかけ』のパターンとして、最後に見開きで必殺技がドカーンと炸裂して終わるというのがあるじゃないですか。あれをやっぱり皆真似するんです。形だけ皆真似してましたけど、ほとんどの人はそのまま人気がなくて終わる。1回の連載が20ページ前後で大体10回、コミックス1巻分です。10話で終わるということは、終了を決めるのは大体3回目か4回目かのアンケート結果なんです。タイムラグもあるから、10話目を描いているときに10話目での終了は決められない。もう次の新連載が決まってなきゃいけない。だから、苦しいですよね。皆が『リンかけ』を意識して、分析して、それなりに真似する。だけど、それで人気作品にはならない。つまり、真似になってないってことです。(『リングにかけろ』の、パンチ一発で競技場の遥か外まで選手が吹っ飛ぶシーンを見ながら)こういうシーンはやっぱり皆印象に残りますよね。マンガなんだからニューヨークまで飛んで行くことだって、描こうと思えば描けるわけです。形で真似すると、こういうところに目が行きがちです。でも違う。そこじゃないんです。じゃあ何だろうなって考える。マンガのリアリティについてものすごく考えさせられたんです。

マンガのリアリティっていうのは、ただ現実っぽく描いたって駄目じゃないですか。リアルに描くマンガももちろんありますけど、そのマンガ固有のリアリティというのがそれぞれにあって、そこがきちんとされていなければならない。だから、いきなりこういうシーンだけを真似して描いても、前提としてのその作品の世界観ができてないと駄目ですよね。だからこのシーンでいうと、この極端な表現それ自体ではなく、その表現を読者に納得させられる、そこに至るまでの流れがあったことが大事なわけです。読者に「ちょっと大げさ過ぎてついていけないよ」って言われたら駄目ですよね。でも読者は、熱狂的に拍手しているのです。やっぱり説得されてるわけです。それは、敵に対して「なんて汚い奴らだ!」という読者の気持ちとかを、“人間場外ホームラン”を許容できるぐらいのボルテージまで高めていたっていうことなんです。むしろ大事なのはそこなのです。最後、見開きで「バーン!」となって、というシーンだけじゃなくて、そこに行きつくまでに、どれぐらい読者の気持ちを高めておくかということです。心理的なリアリティができ上がってるからこそ、これでいい。車田さんはそこまで持って行っているわけです。そういうことを2、3年くらいずっと考えてました。

それと、今読み返して思ったんですけど、非常に週刊誌のテンポになっていますね。あまりうだうだやっていなくて、試合の展開なんかとても速い。ほとんど無駄がない。非常に洗練されていて、大事なエッセンスだけで進行していく。19ページの中のラスト4,5ページなんじゃないかな。闘いが始まっちゃうと、あっという間に終わる。週刊誌のリズムに非常に即しているというか。でもキャラクターの想いとか、背負っているものとか、生い立ちなどは前半にしっかり描いているのです。それが全体の2/3くらいあるでしょうか? 登場人物たちの想いをきちんと描きこむ。でも、いざ闘いが始まると早いテンポで進む。そこが真似した人たちとの大きな違いです。人間場外ホームランになっても、むしろ「よくやった!」と言わせるぐらいにまで読者を巻き込んでいた。人間を拳で回転させて飛ばしたりしますから(笑)。そんなことできるわけないって言っちゃったらね、ダメなんです。

――『リンかけ』も荒唐無稽ではあるんですけど、それこそ白土三平さんの作品のような理屈付けもされていて、子供の頃は納得感を覚えながら読んでいました。『聖闘士星矢』などでも理系的な要素がありますが、車田さんのどこからそういったものが出て来るのかは、不思議でした。編集さんの影響などがあったんでしょうか。

椛島 よくわかりませんが、おそらく担当者との打合せで、アイデア出しはよくやっていたんでしょう。とにかく今読んでも全然古びていない独特の世界ですね。あとはやっぱり神話的なものを感じました。神話っていわゆるリアリズムを超越したところにあるじゃないですか。ギリシャ神話とかでは、死んだ人が生き返ってきたり変身してみたりとか。超能力といえば超能力ですよね。それに近いものを感じました。そうしたら、しばらくして『聖闘士星矢』が始まって(笑)。そうだよね、しっくりするよね、と。

――なるほど(笑)。(『リングにかけろ』と『聖闘士星矢』の間に連載されて人気を博した)『風魔の小次郎』にもそういうところはありましたね。

椛島 そうですね。とにかく『リングにかけろ』という作品は、当時ジャンプ編集部に入った私が「マンガとは何か」、「マンガのリアリズムとは何か」を一番学ばせていただいた重要な作品です。

■諸星大二郎さんの作品は救いだった

椛島さんにお持ちいただいた『アダムの肋骨』 (諸星大二郎 1978年 奇想天外社)

――椛島さんは、ジャンプ編集部に入ったときに一番最初に担当された作品は何だったんでしょうか。

椛島 最初は、『アストロ球団』などで活躍されていた原作者・遠崎史朗さんと漫画家・川島よしかずさんのコンビの『ラジコン戦争』 (※6) でした。先輩の企画をうけついで担当したのですが、力及ばずというか編集者としてまったく未熟だったので10回で終わってしまいました。右も左も分からなくて、「校了とは何ぞや?」とかまずそういう所からのスタートでした。当然、入ったばかりなので、自分にはまだ一緒に仕事をする新人漫画家もいませんでしたし。でも『ラジコン戦争』から学ぶべきものが一杯あったのは確かですね。原作付きでしたし。

とにかく週刊誌の仕事って1週間が早いんです。20代の1週間は今の1週間よりは、感覚的に長かったかもしれないですけど。そのペースでずっとやって行くというのは、大変でした。先輩に最初の1回だけ少し教わって、後は自分でやるしかない(笑)。基本的に「新人起用」「アンケート重視」で、全員ライバルじゃないですか。だからといって、潰しに入ったり、いじめがあったりってことはないですけど。そういえば、よく「ジャンプ」の漫画のコンセプトを「友情・努力・勝利」とか言われたりしますけど、編集部の中でああいう言葉を聞いたことは一度もないです。対外的にはそれで納得してもらえるので、言っていたかもしれないですけど(笑)。

(諸星大二郎作『アダムの肋骨』奇想天外社刊を手にして)これが78年ですから、私が集英社に入る直前くらいに出た作品ですね。最初に読んだ諸星作品がこの『アダムの肋骨』でした。澁澤龍彦とか怪奇小説が大好きだった人間としては、入りやすかったですね。諸星さんのデビューは違いますけど (※7) 、すでに「ジャンプ」で何度も連載されていた。だから諸星さんの作品には救われた気がしました。こういう作品も「ジャンプ」にあっていいんだ、と。「ジャンプ」がすごいのは、この多様性でした。諸星さんはすでに『妖怪ハンター』とか『暗黒神話』とか『孔子暗黒伝』などをジャンプで連載している。『孔子暗黒伝』なんかもう凄まじい話です。神話や古代史、SF的なものが入り混じって壮大なスケールで描かれている。こういう作品も載っていた。星野之宣さんとかも連載されてましたし。そこが当時の「ジャンプ」のすごいところでしょう。

諸星さんも星野さんも手塚賞受賞漫画家でしたね (※8) 。「ジャンプ」を読んでいて「ジャンプ」の作家になった人もいれば、手塚賞に憧れる才能の人もいる。

――荒木飛呂彦さんも手塚賞ですもんね。

椛島 そうです。本当の意味での多様性が担保されていたと思いますね。『リンかけ』の傍らで、諸星作品があってもいいというのは、とにかく私にとっては大きな救いでした。


※1) 「荒木飛呂彦原画展 JOJO -冒険の波紋-」。2020年1月25日から3月29日まで長崎県美術館で開催され、開催に先駆けて1月23日に荒木飛呂彦×初代担当編集者・椛島良介対談も行われた。

※2) 連載開始100周年を記念して、連載版全869話を読みやすい体裁に変更した単行本が、viviON THOTH出版より、今秋刊行予定となっている。公式サイトはこちら

※3) 西村繁男。「少年ブック」で松本零士、ちばてつや、横山光輝などを担当後、創刊から18年間「少年ジャンプ」に携わり1978年には3代目編集長に就任。その後、「フレッシュジャンプ」や「スーパージャンプ」の創刊編集長も歴任。本宮ひろ志、武論尊を漫画家、原作者へと導き「ジャンプ」黄金期の礎を築き上げた。

※4) 堀江信彦。現コアミックス代表取締役。1993年には5代目の週刊少年ジャンプ編集長に就任し、歴代最多部数の653万部時代を牽引した。代表的な立ち上げ作品は『北斗の拳』や『シティハンター』など。本名または北原星望(きたはらせいぼう)のペンネームで脚本家・原作者・作詞家としても活動。

※5) キン肉マンは1979年22号連載開始、Dr.スランプは1980年5・6合併号連載開始で、大人気を博すのはもう少し後の時代となる。

※6) 遠崎史朗さんはジェームス・高木名義。

※7) 1970年に「COM」でデビュー。

※8) 諸星大二郎は1974年第7回手塚賞に『生物都市』で、星野之宣は第9回手塚賞に『はるかなる朝』で入選。


Part 2

■打ち切られても先へと繋がった『魔少年ビーティー』

椛島 荒木さんとは入社して1年も経たない内に出会っています。「少年ジャンプ」はいつでも新人を募集しているので、毎日、それも午前中にかなりの持ち込みがあります。先輩たちは出社が昼過ぎですけど、新入りは早く行くので、新入社員と新人漫画家さんは必然的にマッチングしやすい状況になっていました。受付から「持ち込みです」と電話が掛かってきて、当時はセキュリティとかもうるさくなかったので、そのまま上がってもらいました。でも、その時のこと、最初の作品はまったく憶えていないです。投稿や持ち込み作品がとにかくたくさんあり、月例賞などもあって毎日のように新人さんの原稿を読んでいましたから。

――「枠線をちゃんとしろって、叱られた」と荒木さんが語られていましたね。

椛島 マンガの描き方はまったくの我流でしたから。紙もペラペラなのを使っていて。タチキリとかも全然ない。そして、いろいろ言われて発奮したのか、これでどうだと言わんばかりにリベンジで持って来たのが『武装ポーカー』です。一読して完成度が高いなと。今読んでもそう思います。荒木さんって、アシスタントをまったく経験していません。新人はアシスタントをまずやることが多いですね。てっとり早く技術を学びやすいですし、アシスタントをやりながら自分の作品を描いて、先生やその先生の担当に見せたり、漫画賞に応募したりする。でも荒木さんの場合はそうではなかった。『武装ポーカー』が2回目の持ち込みだったんです。そしてそれが手塚賞準入選となる。すごくいいスタートでしたね。

――その頃から、荒木さんと他の新人さんの違いのようなものは感じていましたか?

椛島 やっぱり独特でした。映画が好きなんだろうなぁ、ペキンパー (※1) とか好きなんだろうなぁ、と思ったら、実際そうだったんです。もっとも、当時の「ジャンプ」連載陣の中に入ってアンケートで即人気をとれるかと言ったら、それはないと思いました。でも、そこはいいんです。新人は誰しもそうでしたから。何かしら引っかかった才能があれば、こちらもそこでチャレンジしようという気になりますから。

――椛島さんは「ジャンプ」の中で、メジャー路線ではないところで頑張る、ということを積極的にやられていたと聞いてます。他の編集者と比べても苦労が多かったのではないかと思うのですが。

椛島 そうですね、大変といえば大変だったかもしれないですけど、勝手に好きでやっていたので、それほど苦にはならなかったです。荒木さんの場合は、まず読切作品を何本か試して、面白いは面白いんですけど、やっぱりそこまで人気が取れなかったですね。新人漫画家は誰しも連載前にまず読切作品で試します。分厚い増刊号に載せて、そこで最初に人気アンケートの洗礼を受けるのです。『武装ポーカー』の次は読切『アウトロー・マン』、『バージニアによろしく』。その後は『魔少年ビーティー』をやりました。

『武装ポーカー』、『アウトロー・マン』、『バージニアによろしく』の3作は、連載向けのキャラクターが登場するような作品ではありませんでした。読切ストーリーのためのキャラクター造形なんです。でも、『魔少年ビーティー』だけは違っていました。これは連載向きかな、と思えたんです。これなら連載に充分チャレンジできるんじゃないか、とネームをため始めたんです。でも、結局連載を勝ち取るまでには2年近くかかってしまいました。編集部は最初「何だよ、少年ジャンプに”魔少年”って(笑)」という感じで厳しかったです。だからけっこう部内でバトルになりましたね。こっちも生意気だったんでしょうけど(笑)。企画会議に出すと、注文、難くせのような意見がついて返って来るんですよ。何を!と思いながら荒木さんとまた打合せをして、擦った揉んだして、それを約2年、何度も繰り返しました。すると根負けしてくれたのか編集部から「じゃあいいよ、やってみなよ」と言われたんです。

でも、いざ連載してみると、やっぱり人気がなかったんです。だから立場がないところもありました。10週で終わるわけです。でも、諦めたらそこで終わりじゃないですか。終了は決まったんだけど、最後まで力を尽くしていこうと。とにかく10回連載すればコミックス1冊になって、書店に並ぶわけですから。消化試合という考えはなくて、最後まで荒木さんは手を抜かなかった。そうしたら、最後の方で人気が上がったんです。上がったと言っても、連載作品15、6本のうち10番以内にようやく入るか入らないくらいなんですけど。でも、連載終了が決まった作品が、後から人気を上げてくるのはとても珍しかった。

――当時の連載陣を振り返ると『北斗の拳』、『キン肉マン』、『Dr.スランプ』、『キャッツアイ』、『キャプテン翼』、『こち亀』、『天地を喰らう』、『ストップひばりくん』、『銀牙-流れ星銀-』、『風魔の小次郎』、『ウイングマン』、『よろしくメカドック』、『ブラック・エンジェルズ』、『シェイプアップ乱』、『ハイスクール奇面組』、『キックオフ』で、確かにこの中では10番以内も至難の業ですよね。

椛島 そんな連載陣の中で順位が上がったことで、手応えと可能性を感じました。『魔少年ビーティー』は終わってしまったんですけど、次のステップに繋がるものを確実に得たような感じでした。後で思えば、これはすごく大事なことだったと思います。

――2021年にはその『魔少年ビーティー』の60年後の話が西尾維新さん原作・出水ぽすかさん作画で描かれました。そこまで繋がったのも、そのときに最後まで諦めずに面白くしようとしたからなわけですね。

■魔少年から19世紀イギリス貴族へと続いてゆく挑戦

椛島 その後は『バオー来訪者』ですね。『魔少年ビーティー』の倍くらいは連載したんですけど、やはりそれほど人気はなかった。一部の人には大人気で、今でもファンの方がいらっしゃいますけど。鳥海永行監督のOVAにもなりましたね。車田正美さんも「面白かった」と褒めてくださった。トップの人から褒められるのは嬉しいですよね。10回でなく20回できたのは、『魔少年ビーティー』のように後半で人気が伸びることを期待されていたからでしょうけど、そこまではいかなかったですね。それからまた1、2年かけて、『ゴージャス★アイリン』を挟んで『ジョジョの奇妙な冒険』の連載になるのですが。

――一番最初に『ジョジョ』を読んだときは、どのように感じられましたか。

椛島 「……19世紀のイギリス貴族かあ。大変だろうな」と(笑)。まだカズオ・イシグロだって『日の名残り』を書いておらず、日本の話を書いていた時代です。少女マンガだったら分かりますけど少年マンガで、しかも「少年ジャンプ」で、と思いました。でも、意外にすんなり企画会議を通った。『ジョジョ』の頃には西村編集長から後藤編集長にかわっていたんですが、そこはやっぱり「ジャンプ」の懐の深い所だったんでしょう。『魔少年ビーティー』のときは連載を勝ちとるまで大変でしたけど、『バオー来訪者』と『ジョジョ』に関して言えば何度もネームを描き直すこともなく、すんなり企画は通ったと記憶してます。

もっとも第1部は、またしても苦戦しました。それで、荒木さんと話しあって、割と早い段階ですぐ第2部に行こうとなったんです。第2部ではもう時代も場所も、そして主人公すら変えてしまおうと。荒業ですよね。ジョナサンは貴族のお坊ちゃんで、キャラとして動かしづらいところもあった一方で、第2部のジョセフはかなり「ジャンプ」っぽいですよね。でも、相変わらず外国が舞台で、外国人が主人公でどこまでできるのか、というのはありました。ただ、それでも第1部よりはかなりステップアップできて、とりあえず1年くらい続けられた。とは言っても、やっぱり限界がいろいろ見えてくる。そこで、またしても荒業というか第3部に突入するわけです。今度は満を持して主人公は日本人。もっとも舞台はやはり外国なんですけど(笑)。とにかく第3部になると人気的にも安定して、“終了”の2文字が脳裏に浮かぶことはなくなりました。その理由はいくつかありますが、なんといっても一番大きかったのは「スタンド」の発明です。ジョジョ・シリーズの中で、もっとも画期を成すのが、このスタンドの登場でしょう。荒木さんがよくぞ思いついたと、今でも思います。

――超能力を可視化・擬人化した「スタンド」は画期的な大発明で、その後の作品に多大な影響を与えました。

椛島 当時、「37年後にもまだ『ジョジョ』は続いていて、アニメにはなるし、NHKでドラマにもなる」ということを預言する人がいたとしても、絶対に信用しなかったですね(笑)。

――「Gucciとコラボをしたり、ルーブル美術館で展示されたりします」と言っても信じられないでしょうね(笑)。

椛島 そんなことは夢にも思わなかったですね。結果として、あまり「ジャンプ」的とはいえないような作品が、ストーリー漫画としては一番長く続いていますね。荒木さんはまだまだしばらくはやるんじゃないでしょうか。アイディアは尽きないでしょうから。

■荒木さんのスゴさはインプットのスゴさ

椛島 荒木さんのすごいところはたくさんありますけど、やはり週刊誌で連載しながら、情報をインプットし続けていたことですね。それは想像以上に大変なことです。月曜日から執筆が始まって、木曜日の夕方に原稿が上がります。それで、木曜日の夜に私が原稿を取りに行き、そこですぐ打合せもする。そして、金曜日だけはオフで、この日にインプットです。土曜日からはネームを描きはじめて、日曜日にできたものをチェックして、また月曜日から原稿を描き始める。それを延々と繰り返していく。今はゴールデンウィークやお盆の時期に合併号が増えましたけど、当時は正月しかなかった。一年中ほとんど休みなしで仕事です。

休みがないとなると漫画家って、やっぱり情報源が限られてくるじゃないですか。そして、アウトプットばっかりになってしまいます。だから編集者の役割の一つに、漫画家さんにとっての情報の窓口になるということもありますね。今、述べたように毎週木曜日に打合せでしたが、それまでずっと原稿を描いてきて、ようやく上がったその日に、その場でもう次の打合わせとなるわけです。そんな限られた時間の中で、30分ぐらいで次週の展開についての打合せは終えて、そこから2時間から3時間は、最近読んだり観たりした本や映画の雑談をしていました。とにかく荒木さんは映画が大好きで、実によく観ていました。特にゾンビ映画に関しては、C級Ⅾ級と言われるものまで手当たり次第に観てるんじゃないでしょうか(笑)。『荒木飛呂彦の奇妙なホラー映画論』、『荒木飛呂彦の超偏愛!映画の掟』(共に集英社新書)を読んでいただければ分かると思いますが、忙しい生活の中でよくぞこんなに観ているなあ、と感心します。本人は好きなことだから、当たり前のようにやっているのでしょうけど。

――椛島さんと荒木さんのそういった感性が近しかったのも、非常にプラスに働いた気がします。特に荒木さんと話していて思い出に残ってる映画などはありますか?

椛島 フランク・ヘネンロッターの『バスケット・ケース』とか一緒に映画館で観ましたね。なかなかふたりで映画館に行ける時間はなかったですけど、荒木さんはオフの日によくひとりで映画館に足を運んでいました。映画はビデオやDVDで観るのと映画館で観るのとでは、体験が違いますからね。『バスケット・ケース』は結合双生児で分離した兄弟の話で、荒木さんは違うと言うでしょうけど、ちょっとこじつけると兄弟の関係が本人とスタンドみたいなところのある話でした。

他には『サスペリア』の監督ダリオ・アルジェントの『デモンズ』とか。映画館の中でゾンビが暴れまくるという内容なんですけど、それを映画館で観終わって荒木さんが「下らなかったですね~、本当に(笑)」ってニコニコしていて。ふたりともそれで満足なんです。もちろん、大ヒット映画は当然観ているんでしょうけど、ふたりで語り合うのはそういう作品でしたね。そういえば荒木さんが、何か面白い作品はないかと尋ねたときに、大ヒット映画やベストセラーをあげられるとがっかりすると言っていました。すぐには作品に活かせないないような刺激こそ、長い目で見ると大事なんでしょう。

――そういったインプットの積み重ねが荒木さんを作ってるというのは、読んでいても強く伝わって来るところもあります。

椛島 膨大なものが入ってますね。高校生のときに映画を毎年300本観るのって大変じゃないですか。仙台時代に3本立てで観てたそうです。そして、見せてもらったことはありませんが、鑑賞した映画について感想等をノートに几帳面に記しているらしい。仕事だからやってるのではない。好きだからやっている。私も嫌いではないですけど、本数だけでもとても及びません。B級ゾンビ映画はまだしも、C級、Ⅾ級のゾンビ映画は辛いですよ(笑)。でも、廃墟となったゾンビの世界に癒されるとか、そういう感覚はすごく分かります。

――荒木さん自身も、椛島さんに薦められた本を読んで、それがとてもためになったという話もされていますね。

椛島 私も荒木さんに薦められたら、必ず読んだり、観たりしてました。スティーブン・キングなんかはその後大ヒットしていますけど、『呪われた町』とか最初の方の作品からふたりとも読んでいました。私はやっぱり初期がいいですね。『IT』ぐらいまでは、短編も含めてかかさず読みましたけど、その後はあまり読まなくなってしまった。でも、荒木さんはいまだに読んでるんじゃないでしょうか。『ミザリー』とか好きでしたね。

――作家が責められるストーリーは、個人的にはちょっと岸辺露伴を思わせたりもします。

■荒木さんと行ったイタリアやエジプトの思い出

ヴェネチアの風景

――荒木さんを初めてイタリアやエジプトに連れて行ったのも椛島さんで、荒木さんもそれからイタリアにハマっていったということで、『ジョジョ』に与えた影響も甚大だったと思うのですが、何か旅行中の思い出深いエピソードなどはありますか。

椛島 後藤編集長、デザイナーさん、荒木さんと4人でフランスからイタリアを巡りました。荒木さんは、それ以前にひとりでロンドンとパリに行っていますね。荒木さんのような人が外国に行けば絶対に身になるなと思って、若い内に見ておいた方がいいと勧めました。でも、大変なんですよ、休みを取るのが。1週間=7日間でやっている仕事を詰めて6日にすると1日浮くじゃないですか。アシスタントにも負担をかけるんですけど、それを10週間繰り返して、やっと10日間の海外取材旅行に行ける。そういえば一度も締め切りを守らなかったことがありません。あと徹夜とかもしないですね。やはり連載は短距離走ではなく、マラソンなので。ダッシュしちゃうと駄目なんです。ダッシュするとその週は間に合うかもしれませんけど、その負担が次の週にのしかかってきますから。

フランス、イタリアのときは編集長も一緒だったので、上等なホテルに泊まれました。パリではハリソン・フォードの映画にも出てきたル・グラン。上階の部屋で窓からパリの街が一望できました。オペラ・ガルニエの近くでしたかね。イタリアではローマ、フィレンツェ、ヴェネツィアを巡りました。ヴェネツィアでは水上バスの1日券を買って、一日中飽きずにグルグルしました。不思議な雰囲気の街で、ジョジョっぽいというか(笑)。フィレンツェではサボイ、ヴェネツィアではダニエリ (※2) が宿でした。荒木さんは普通の人が気にも留めないような物や場所をよく観察していたようです。ミケランジェロからイカスミパスタまで、イタリアはやっぱり荒木さんの中で弾けたみたいで、その後しばらくは毎年のようにも行っていましたね。有名な名所・旧跡を観るだけではなく、街そのものを見て歩く旅でした。

――それはいい旅ですね。何でもない所にその土地に住む人の日常が垣間見えることもあり、私もそちらの方が好きです。エジプト旅行の方はいかがでしたか?

椛島 エジプトは荒木さんとふたりで行きました。まずカイロから飛行機でナイル河上流のアスワンにまで行き、そこから下流のカイロまでクルーズの旅でした。アスワンにはアブ・シンベル神殿という世界遺産にも登録されている神殿遺跡があったんですけど、ダムができると水没してしまうということで、ユネスコによる大工事によって、高台に移築されていました。外観は古代の遺跡でしが、内部は現代のドームになっていて、そのコントラストが不思議な印象でした。アガサ・クリスティの『ナイル殺人事件』ほど優雅な船旅ではないですけど(笑)、ナイル河を上流から下流まで、河岸の古代エジプトの遺跡を巡りながらのクルーズで、船の上部デッキで横になっていると、ナイル河の景色がゆっくり流れて行くんです。まさに悠久の時の流れを感じるようで、それをボーッと見ていました。荒木さんはそのとき何を考えていたんでしょうね。クルーズだけでも3泊4日くらいの贅沢な旅でした。カイロでは、三大ピラミッドを訪れたりしましたけど、もともと荒木さんはエジプトには興味なかったと思います。でも、ヨーロッパとかに比べてもエジプトは別世界じゃないですか。特に古代エジプトなんて全くの異世界。そのインパクト、影響は結果としてすごくあったと思います。

――そこからやがて、エジプトを目指す承太郎たちの旅が描かれて行くわけですからね。

椛島 荒木さんがロードムービー好きなのもあったと思います。現地で、自分で直接見て、触れて、感じたものすべてが作品になっていくんでしょう。旅こそインプットですよね。五感を通じて刺激が全部入ってきますから。第9部を始めるにあたっても海外取材に行ったそうですが、新連載の今後がとても楽しみです。

――私自身『ジョジョ』が好きで、ローマやヴェネツィアを巡り五感で感じてきたので、非常によく解ります。第9部も始まりましたが、今回は特に1話目から非常に濃密でこれまでの『ジョジョ』を読んできたファンからすると「おおッ!?」という部分もあり、これからの展開がとても楽しみです。

椛島 荒木さんには、いろいろな引き出しがあって、そこにびっしりと情報が詰まっている。なので、露伴みたいな不思議なキャラクターも出てくる。長期にわたって連載するには、才能だけでは駄目ですね。どれだけ新しいものを出せるか、そのためにどれだけ新しいものを入れていくかということが大事だと思います。でも、それを普通の人がやるのではなく、超忙しい人が何十年も、いまだにやっているというのが本当に凄い。私が担当したのは『ジョジョ』の最初の数年間だけで、第4部の構想の打合せ辺りでバトンタッチしていますけど、あの濃い時間・密度を知っていますから、それを何十年も続けていることには頭が下がります。還暦を過ぎても見た目も若いし(笑)、作品もまったく現役ですから。実に稀有な存在だと思います。読者の方も、131巻 (※3) の大作を長期にわたって読み続けてくださる。ありがたいことです。読者も、作者も、お互いを裏切っていない感じで、いいなと思います。もう親子で読むというようなステージになっていますが、このまま行くと本当に3代で楽しむような作品になりますね。

――正に、ジョースター家のように受け継がれて行く物語になりつつありますね。


※1) サム・ペキンパー(1925-1984)。アメリカの映画監督。代表作に『荒野のガンマン』、『ワイルドバンチ』など。「最後の西部劇監督」、「西部劇の破壊者」、「ブラッディサム」などの異名を持つ。『武装ポーカー』の主要人物ドン・ペキンパーの名前の元であり、また西部劇的な作品全体の雰囲気にも大きく影響を与えていると考えられる。

※2) Hotel Danieli。ヴェネツィアでも最も豪華な5つ星ホテル。アンジェリーナ・ジョリーとジョニー・デップ主演の映画『ツーリスト』や、天野こずえ作『AQUA』、『ARIA』の姫屋のモデルとなった舞台としても有名。

※3) ジャンプコミックス版。第8部完結まで。


Part 3

椛島 私が読んできた限られた作品の中で、強く印象に残ったり、今現在、読み返してみて、あらためてその魅力を再認識した作品を偏愛的に選びました。おすすめというと、ちょっとおこがましい気がします。また、自分が担当した作品はあえて取り上げませんでした。

懐かしそうにマンガを読む椛島氏。

『サスケ』白土三平

椛島 子どもの頃に読んで以来でしたが、今回読み返して思ったのは、けっこう覚えているものですね。幼い頃の記憶は意外に永遠だなあ、と思いました。白土三平作品はもう、全部読むべきなのでしょうけど、私が最初に読んだ白土作品が『サスケ』だったので、一番思い入れが深いです。

――白土三平さんは、マンガ史的にも本当に大きい存在だと思います。

椛島 白土三平作品の入門としても『サスケ』はすごくいいのではないでしょうか。忍術の解説などに引きこまれるようにして読んでいましたが、なによりも絵的表現の説得力がすごい。例えば、晒し首が並んでいる中に父親がいなくてホッとするシーン。このときにサスケにはセリフがないのです。何も言わせない。絵だけで、表情だけで見せる。少年忍者が生きている過酷な世界というものを、ここで読者は強く実感させられます。こういうシーンにやっぱり上手さがでてますね。また、人間に冬虫夏草の巨大なものが取りついているシーンなどは、ちょっとトラウマで一生忘れられないです。

『伊賀の影丸』横山光輝

椛島 白土さんの忍者ものほどリアルでない印象があるかもしれませんけど、これはこれですごく説得力がありました。臨場感とかアイディアとか、ワクワクして読んでいましたね。ある忍者が催眠術をかけるんですけど、相対峙する敵方の忍者も同じポーズをとり、術をかけている方が実は逆にかけられていたという展開など、子ども心に強く印象に残りました。こういうやり取りは、今読んでもいいなあと思えます。頭脳戦になっているというか。

――マンガにおける頭脳戦の元祖を辿ると横山光輝さんに辿り着くという説がありますね。荒木飛呂彦さんも『バビル2世』が大好きと仰ってましたね。

椛島 絵もとても魅力的です。キャラの動きにスピード感があって、なおかつシーンの状況が明快で分かりやすい。固唾をのむような感じで読めます。横山さんの数ある作品のなかでも個人的にはやっぱり『伊賀の影丸』ですね。

『魔太郎がくる!!』藤子不二雄A

椛島 こういうダーク系の路線はやっぱり安孫子さん。F先生にも短編でかなり捻っている作品はありますけど、ダーク系はやっぱりA先生。それゆえにかどうかアニメ化されていませんね。

――単行本になったときに、残虐過ぎると変えられてしまったエピソードなどもありますからね。

椛島 いじめ問題とかに配慮されているのでしょう。毎回ラストで、太い黒枠で囲ったコマに、魔太郎の決め台詞があって、これが実に効果的です。安孫子さんのセンスの冴えを感じます。魔太郎を描くときの安孫子さんのノリが伝わってくるようです。

コミックス2巻目の終わりあたりから、切人という赤ちゃんキャラクターが登場しますが、この存在がまたいいのです。要するに魔太郎の好敵手ですが、それが赤ちゃんというのがいい。赤ちゃんだから手強いのです。さすがの魔太郎も可愛さと不気味さを使い分ける切人に、まず敗北を喫するじゃないですか。「こんどの勝負はぼくの負けだ! だがこの次はきっとお前を降参させてやるからな!」とか、最高です。その昔、「スーパージャンプ」にいたときに、この切人が主人公の『切人がきた!!』を連載していただき、とても嬉しかったのを覚えています。でも今思うと、魔太郎あっての切人、切人あっての魔太郎で、どちらかを欠いてもいけなかったのかもしれないですけど。

直接担当したわけではないのですが、たまにご一緒に飲む機会があり、「昨日も遅くまで飲んで、今朝は早くに起きてゴルフだったからほとんど寝てない」と仰るので、それなら今夜は早く終わるのかなと思ったら、夜中の2時、3時になってもぜんぜんお元気でした。若い私たちの方が先にダウンしてしまった、なんてことがありました。マンガもすごいですけど、ご本人もすごい方でした。

『デロリンマン』ジョージ秋山

椛島 ジョージ秋山さんが「ジャンプ」で連載した『シャカの息子』と『海人ゴンズイ』を担当しました。『デロリンマン』は1969年から1970年に「ジャンプ」で連載され、その後1975年から1976年に「マガジン」でリメイク版が連載という珍しい作品です。独特の味わいがありますね。

ジョージさんは、この頃『アシュラ』や『銭ゲバ』など、とにかく攻め過ぎというくらい攻めていました。ジャンプ版の終盤の展開(通称「黒船編」)はぶっ飛んでいますね。『E.T.』よりこっちが先だったんだなと。どんどんエスカレートしてしまって、かなり読み味は変わってしまう。私はやはり「黒船編」より前の『デロリンマン』がいいですね。そういえば家庭で疎外されて居場所がないお父さんって、けっこういたなあ、と。古谷三敏さんの『ダメおやじ』も同時期に連載が始まっていますよね。当時がその走りだったかもしれないです。その前の世代では、家での父親の地位は揺るぎないものでしたから。

――星一徹的な父親像ではなくなっていった時代ですね。

椛島 1960年から70年頃になって出てきた居場所のないお父さんとか、そういう存在を反映したりしていますね。遠景に登場して一言発するオロカメン (※1) がまた効果的です。デロリンマンがちょっといいことを言ったり、やったりしても、それをオロカメンがひっくり返して行くじゃないですか。“愛”とか“正義”とか言って、子供にまでバカにされている姿は、ある種少年誌のヒーローに対する想い、アンチなのかなと思うんですけど。オロカメンによる相対化によってメッセージを強調し過ぎないというか。読んでる方にいろいろ思いを渡し、考えさせてくれる。またオロカメンも、デロリンマンが体を張った行為をしているときには、冷や水を浴びせない。その塩梅もいいですね。愛蔵版が出続けているので、根強いファンがいるんでしょう。

――ジョージ秋山さんを担当されていたときに思い出に残っているエピソードなどはありますか。

椛島 『シャカの息子』も『海人ゴンズイ』も短く終わってしまったんですけど、どちらの作品も、ジョージさんの中に大きな構想があったようで、もっと続きが読みたいなと思うような話でした。

ジョージさんご本人はデロリンマンとは真逆で、スタイリッシュで格好いい人なんですけど、事前にネームとか何もくれないんです。初めて担当した時、締切前日に行っても何もできていなくて、「明日夕方くらいに原稿が上がらないと厳しいです」といったら「明日夕方、同じ時間にいらっしゃい」と言われて。でも今何もないしなあ、って(笑)。普通は数日かかるものだし、ネームもできていないし、不安になるじゃないですか。なので「明日まず午前中に寄ります」と言うと「好きにしたら」と。それで翌朝に行くと、ネームなしで原稿用紙に直に下書きを描かれている。「私もここにいていいですか」と言ったら「好きにしたら。変わったやつだな」と(笑)。居場所もなかったんですけど、その日はずっとそこにいました。アシスタントの皆さんには昼にお弁当が届くんですけど、ジョージさんは基本的に食べないので余って、「お前食べれば」といただいたこともあります。ジョージさんは朝からずっと飲まず食わずで描いていて、それだけなら分かるんですけど、トイレすら一度も行かない。ずーっと集中して、座って描いている。それで夕方までに描き終わるんです。最後の原稿をアシスタントに渡すと、こちらに向き直ってブランデーなんかをチビチビやっている。それでアシスタントが仕上げたものをパラパラと確認すると「それじゃ、お疲れ」となる。

ときどき、月に1、2回くらい「じゃ、飲みに行こうか」と銀座の高い店に連れて行ってくださったりもしました。こういう時は、普通は出版社が取材費で出すんですけど、そういうことは一切なくて、いつもジョージさんの奢りでしたね。だからどこでも人気でした。そうそう、先ほどお話しましたように、ジョージさんはネームを描かかずに、いきなり原稿用紙に下書きを始めるのですが、「何かが降りて来て、あたかも誰か他の人が描いていて、こんな面白いことを考えているんだと、それを自分が読んでいるような感覚になることがある」と仰っていました。

『DEATH NOTE』小畑健、大場つぐみ

椛島 『DEATH NOTE』は、とにかく独自の世界がしっかりと構築されている作品です。作品世界のルールがけっこう複雑なんですけど、無駄なく、手際よくエピソードで見せくれるので、スッと入ってくる。込み入っていても明解で分かりやすい。また、主人公・夜神月とその好敵手のLのキャラクターのやりとりが凄まじい。二人がキレキレの頭脳戦を繰り広げるんですけど、お互いの心理の読みあいとか、見事としか言いようがないです。

――それこそ、『DEATH NOTE』も『ジョジョ』が切り拓いていった「ジャンプ」における頭脳戦の系譜にある作品ですね。

椛島 主人公・夜神月が「神になる」と言って正義のために人を殺したりしますが、死神とかが出てきて寓話的で、一見荒唐無稽な感じもありますけど、実はものすごく今日的・普遍的でもあります。“平和を守るための戦争”とか、現実によく言われてたりしますし。よくアメリカのドラマなんかでも、テロを防ぐためだったら拷問してもいい、みたいな展開があったりする。そこまでいかなくても、社会正義のためには検閲も許されるとか。目的が手段を正当化する…そういう議論に、ついつい人は引き込まれてしまう。そんなダークヒーローを主人公にして、この作品を少年誌でエンタメとして成立させている。「ジャンプ」でよく連載しましたね。とにかく設定といい、頭脳戦といい、極限まで突きつめていて、しかも物語としての面白さが際立っている作品です。

『ストップ!!ひばりくん!』江口寿史

椛島 江口さんの「彼女展」 (※2) というのをやっていて、昨年秋に観てきたんですけど、とてもよかったです。イラストレーターでかわいい女性を描ける人はいくらでもいるでしょう。でも、江口さんの描くそれは、他とまったくちがうというか、段違いですね。その理由は二つあると思います。ひとつは、あくまで漫画家による絵だということです。一枚絵のイラストなんですけど、その中に物語が感じられる。前後の物語が浮かんで来るような絵なのです。たとえば『Real Wine Guide』表紙のワインを持った女性の絵なんかも、この子は学校や職場ではこんな感じで、どんなアパートに住んでいて…、と、つぎつぎにイメージ、エピソードが浮かんできます。そこが、江口さんがやはり漫画家なんだなと思うところです。

「Real Wine Guide」©️リアルワインガイド) 左から64号、58号、62号の表紙

もうひとつは、江口さんが何かのインタビューで「女性に生まれたかったくらい。…自分が女性だったらこうなりたいと意識しながら描いている」と語っていましたが、単に男目線でかわいい女性を描いているのではないということですね。男目線と同時に、かわいい女性になりたいという自分の目線があり、その両方で描いている。だから絵の説得力が他の人とまるで違う。絵を描きながら、“かわいい女の子っていいな、いろんなファッションを楽しんだりできて…”、みたいな感覚を純粋に味わっているのでしょうか。だから男性だけでなく女性からも絶大な人気がある。自分が一人の女の子になって、お洒落して人生を楽しみたいという願望をどこかにもって女性を描いている人は、江口さんしかいないと思います。唯一無二でしょう。そしてそれは40年前の『ストップ!!ひばりくん!』から続いている。イラストの話ばかりになってしまいましたが、とにかく「彼女」展は素晴らしいので、まだの人はぜひ。

――少女マンガであれば、かわいい女の子への憧れや変身願望を満たしてくれる作品はたくさんありますけど、それを少年マンガのカテゴリーで、しかも「ジャンプ」でやっていたというのは画期的ですよね。

椛島 主人公がひばりくんと夢の中でキスをしてしまうシーンとか、これはもちろん主人公が女の子になりたいというわけじゃないですけど、けっこう複雑な感情が入っていますよね。つい深読みしながら読んでしまいます。

――今はVTuberなども流行ってますけど、まさに男性がかわいい女の子になりたいという願望を叶えて、それが認められるようにもなって来ていて、時代がようやく追いついて来た気がします。

『ゴールデンカムイ』野田サトル

椛島 懐かしい作品が続いたので、ちょっと新しいものも。最近初めて読んだんですけど、実に面白かったです、これは!

大変なことをやっていますよね。歴史的なことや民族学・アイヌ学的なことを北海道の自然を背景に織り交ぜて、いろいろな陣営が入り乱れてストーリーは展開していく。明治末期の北海道、樺太を舞台にした時代物ですけど、複数の複雑な要素を上手に消化していて感心しました。

まず、連載ストーリーマンガってストーリーを追いかけちゃ駄目なんです。ストーリーを追いかけると、どんどん先を読みたくはなるんですけど、言ってしまうと最後に至るまで過程になってしまう。場合によっては、そのストーリーの説明ばっかりの回もあったりする。コミックスで一気に読めるのならいいですけど。だから、ストーリーを描くというよりも興味深いエピソードを描いていって、その背景にいつの間にかストーリーが自然に流れているぐらいでいいと私は思っています。必ずしもストーリーは進展しなくてもいい。この回はコーヒーを飲むだけとかでも、面白く読めればいい。逆に、ストーリーを決めてストーリーを追いかけると、ストーリーの説明になってしまって、キャラクターの魅力だとか大事なことが疎かになりがちです。『ゴールデンカムイ』にも刺青人皮による金塊探しという大きな筋はあるけど、それを追いかけ過ぎない。今日は熊と戦って、今日はリスを食べる回とか。感心したのは、事件の鍵を握るであろう謎の人物・のっぺらぼうの姿をはっきりと描かないことですね。描きすぎるとそこに読者の気がいってしまい、今現在の物語に集中できなくなる。途中でほんの少しだけ、暗示的に出てくるんですが、それだけなんです。それでまた個々のエピソードに戻って、オソマ (※3) を食べる話とかになる。アシリパのようなヒロインも、かわいいだけで終わっておらず、馬を潰して食べてしまおうとか、厳しい大自然の中で生き抜いてきた人物としてしっかりと立てられている。さらに、19世紀末のアメリカに実在した殺人ホテルにインスパイアされたと思われるエピソードや、怪しいはく製屋などかなり猟奇的な展開もあり、これは一驚でした。野田さんの守備範囲の広さは相当なものですね。敵味方、登場するどのキャラクターにも一癖二癖あって、しかも魅力的です。その強烈なキャラクターを複雑にからませながら、掘り下げながら、上手に動かしていく手腕は実に見事です。

『孔子暗黒伝』諸星大二郎

椛島 この作品を描かれた当時は、諸星さんはまだ20代ですか、吃驚です。主人公は孔子で、この作品で孔子は思いっきり怪力乱神を語っています。今回読みかえして思ったのは、まず絵がいいこと。上手いとか下手とかではなく、この世界を描くには、この絵しかないだろうという絵ですね。諸星さんの呪術的な世界観を絶妙に表すタッチです。もっとも印象に残ったのは、最後に孔子の野望がついえて「天 われを滅ぼせり! 天 われを滅ぼせり!」と連呼するシーン。強く明確なイメージがあったんでしょう。何十年も、ずっと記憶に残っています。

孔子が周王の墓に行って視肉 (※4) を食っている少年・赤(せき)と出逢いますよね。視肉って中国には伝説だけでなく、実際にもあるとされて、太歳とか肉霊芝とか様ざまな呼び方があるらしいんですけど、肉霊芝について調べたら粘菌、変形菌の一種ではないかという説もある。『山海経』とか、拠り所となる文献などを読みこんだうえで、そういった伝説等をうまく作品世界に取り込んでいる。いろいろと掘り下げて読むことができ、興味は尽きないです。

――諸星大二郎さんもまた、たくさんのインプットをしてこうした壮大な世界観を描いていそうですね。

椛島 そうなんです。資料、史料を自在に使って、まったく独自の世界を創り上げていく。古代中国から始まって、古代インド、日本にまで話が及び、最後は20世紀の宇宙船で締めくくる。……宇宙の循環論ですか。ビッグバンがあって宇宙が生成されて、膨張して行って、また縮小に入って、繰り返していく。最新の宇宙論なんかと重ね合わせて読み返してみると、また新しい発見があります。逆に言うと、一度読んだぐらいでは、物語の全体がすんなりと頭に入ってこず処理できないでしょう。この機会に諸星作品を全部きちんと読み返してみるべきだと思いました。

『定本 エリノア』谷口ひとみ

椛島 いろいろな人に語られていますし、読切作品なので一読してもらえればと思いますが、とにかくラストの余韻、深さですね。私は読み終えたときに『フランダースの犬』を真っ先に思い浮かべました。『フランダースの犬』は日本では人気ですが、お膝元の西欧では“負け犬の話”とか言われ、あまり人気がないそうです。“滅びの美学“だったり、判官びいきとかを日本人は好きだからなのでしょうか。

『エリノア』で特に素晴らしいのは、「でもエリノアは世界一しあわせな少女だったのではないでしょうか」で終わるところです。もちろん安易なハッピーエンドにはしていなくて、過酷な人生を生きるエリノアで最後までいく。でも、ただ悲惨なままでは終わらせない。余韻のある一言で、読んでいる方の感情も複雑になりますよね。『フランダースの犬』も”かわいそうなふたり“というだけではないでしょう。少年と犬に真の友情があり、そして願いが叶ってルーベンスの絵に光が差すことで、ふたりは死んでしまうのですけど、天国の門が開かれたような暗示があります。世界一幸せなふたりだった、とまでは言えないかもしれないですけど、そういう両義性があります。『エリノア』の作者は若干18歳で亡くなってしまい、この作品がデビュー作であり遺作になってしまいましたが、その価値は永遠でしょう。


※1) 愛と正義によって人々を幸福へと導こうとするデロリンマンに対し「力こそ正義」を信条とし、デロリンマンを「おろかものめ」と否定し続ける存在

※2) 「企画展 江口寿史イラストレーション展 彼女 -世界の誰にも描けない君の絵を描いている-」。全国を巡回し、全会場で合計12万人超を動員した。2023年3月14日〜4月23日には、東京ミッドタウン日比谷にて、新たに描き下ろされた新作も加え、イラストレーション展「東京彼女」が開催される。

※3) アイヌ語で大便(うんこ)のこと。味噌を見たことがなかったアシリパはそれをうんこだと思い、食べるのを拒否する。

※4) 『山海経』などの古代中国の古文書にその存在が記される、手足がなく牛の肝臓のような形で真ん中に2つの目がある妖怪。食べても減ることがなく、食したものは不老不死になるという伝説があり仙薬の材料とされる。聚肉、太歳、封などとも呼ばれる。日本では『孔子暗黒伝』によりその存在が広く認知された。


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