――佐々木さんは椛島さんから引き継いで担当されたわけですね。
★たしか第3部の最終回の原稿をもらう時に引き継ぎをしたと思います。椛島が「スーパージャンプ」の副編集長に昇進するので、それにともなっての担当変更でした。
――では先生との出会いは、引き継ぎが初めて?
★いや、第1部を連載されている頃、先生はよく編集部にいらっしゃっていたので、その時に。当時はイケメンなんて言葉はなかったので、僕らは「あれが荒木先生?」「超ハンサムじゃん」とか言ってました。服装も小綺麗というかオシャレで、体型もスマートだし。でも描いてる漫画がああでしたから (笑)、「変な人なのかな」と思いつつ話をしてみると、すごく普通に良い人じゃない? そのギャップに驚きました。30年近くたった今でも鮮明に憶えています。
――当時、編集部の中で荒木先生はどんな作家と見られていたんでしょうか?
★『魔少年ビーティー』も『バオー来訪者』も大ヒットじゃないけどマニアックなファンを持つ、すごく特殊な作家さんだったわけです。クセの多いところも含めて才能を活かしたままメジャーに持っていくのは相当難しいタイプの作家さんなんですが、それが第1部、第2部と来て、第3部で『ジョジョ』を大ブレイクさせていた。それは荒木先生と椛島のコンビだからできたんじゃないか、と後輩の立場からは見ていました。僕らから見てもすごいコンビだったわけで、そのあとを自分が担当するんだからものすごいプレッシャーだったわけ (笑)。その反面、椛島のあとを任されたということは嬉しくもありましたね。『ジョジョ』が大好きだったってこともあるけど、当時の「週刊少年ジャンプ」(以下、WJ) は『ドラゴンボール』や『スラムダンク』、『幽☆遊☆白書』といった人気作があって、その中でも異彩を放っている『ジョジョ』ですから。
――実際に担当されて、先生の印象は?
★そもそも椛島から聞いていたのは「洋楽好き」「ホラー映画好き」だったけど、僕は洋楽聴かない、ホラー映画は怖くて嫌いという (笑)。ただ海外ミステリーものは大好きで、例えば当時だと『ツイン・ピークス』というテレビドラマシリーズとかね。その辺も先生はお好きだっていうことで、先生とよく海外ドラマの話はしていました。で、当時のやりとりでいうと、ネームのFAXが来て電話で打ち合わせとなるわけです。でも僕は面と向かって直接話すほうがやりやすかったんで「僕、行きますよ」って言ったら「いや、来ないでくれ」と。ひとりで考えたいというか、そういうリズムになっているんでしょうね。だから人と会うとそのリズムが狂うから「来ないでくれ」ということでした。それとすごかったのがスケジュール管理能力ですね。今もそうかもしれないけど、当時からとにかく原稿のアップが早くて遅れない人だった。本来の締切前週の木曜日の夕方には先生の手を離れてスタッフが仕上げ作業。その間に僕と先生は食事に出かけていたんですが、場所は決まって近くのイタリアンレストラン。その間は漫画の話は一切しない。先生はイタリア好きですが、僕もイタリアが大好きだったから、そういった話ばかりでしたね。で、食事が終わるとおもむろにファミレスのジョナサンに移動して1時間くらい打ち合わせをバーッとして、そのあとは本当に雑談でした。具体的な内容は憶えていないけど、たぶん海外ドラマとかの話かな。その雑談もひととおり終わって仕事場に戻って、スタッフの仕上げが終わった原稿を先生がチェックして僕に渡してくれるっていうリズムです。
――椛島さんの時とまったく同じですね。
★最初に原稿を渡された時に驚いたのが「何か修正とかないですか?」って聞かれたことですね。原稿に問題はないと返事をしたら「いや、何かあるでしょ?」とまた言われて「え?」って (笑)。その後も原稿を受け取る時には、何か直していただくというのは毎回ありました。あれは先生の一種のジンクスというか、儀式みたいなものかもしれないですね。
――スケジュールがしっかりしている点は、編集者としては有り難いこと?
★言い方は悪いかもしれませんが、肉体的にはすごく楽でした。リズムがまったく崩れないのは編集としても予定が立てやすいわけで、最初の画集の「JOJO6251」も僕の担当だけど、そういう本の企画も立てやすかった。
――「JOJO6251」はイラストに加えてキャラ解説記事があったりして、今でいうファンブック的なものの走りですね。
★荒木作品はコアな読者が多かったので「普通の画集とはちょっと違う面白いものを作りましょう」という話になったんですよ。
――第3部のラストから第4部の途中までの担当が佐々木さんですが、第4部の立ち上げはどういった流れだったんでしょうか。
★偉大な作家さんは例外なく、ものすごく強い敵を作れる人なわけです。主人公は作家自身の投影だからある程度は作れたとしても魅力的な敵キャラは才能がないと作れないし、逆に言えばそこで作家さんの才能が現れるわけです。で、第1部から第3部は壮大なサーガともいえる物語で、DIOもWJ史上に残る敵だった。そのあとの第4部でどんな強くてすごい敵を考えているのかと思っていたら、第4部の舞台は日本、しかも仙台って言われて「え?」って (笑)。
――「より強い敵を出す」というパワーゲームの構図ではなかったわけですね。
★「ミステリアスな街にしたい」「街の地図を作っていきたい」という話も聞いて、「先生はこういうことも考えているのか」とも驚いた記憶がありますね。第2部みたいに不思議なものを描いて第3部のロードムービーも描けて、第4部では場所を限定した世界も描こうっていう。その引き出しの多さには驚かされました。第3部で大きくメジャーになったという点もあるでしょうが、才能は当たるスポットライトの量が多ければ多いほど輝いていくわけで、おそらく、第3部の連載中に作家としてのステージを何段も上がったんだと思います。街という小さな舞台で色々な戦い方をするという話を聞くのも面白かったですね。康一のスタンドも描き文字のスタンドなんだけど、先生から「描き文字がね、なんか染み込んだら面白いと思うんだよねー」って言われて「?」(笑)。ちょっと意味が分からなくてネームにしてもらったら「なるほど!」と。
――第4部立ち上げの際に、ラスボスである吉良の話は出ていましたか?
★いや、先のことは話していませんでした。吉良が出てくる頃は垣内が担当だから彼に聞いてもらったほうがいいですね。僕が個人的に好きだったのは、トニオのスタンドのパール・ジャムです。「このイタ飯、食べたいっすね」「腰痛も治してくれないかなー」なんて話をしてましたね。あとは山岸由花子かな。当時はまだストーカーという言葉も無かった気がしますが、生活に密着した怖さがありましたね。
――第4部はそういった個性的なキャラクターが数多く出ますね。
★岸辺露伴は先生と似ているところがありますね。露伴は「良い漫画を描くため。そのためならすべて許される」というキャラクターですが、先生も良い漫画を描くことに一生懸命な人ですから。
――第4部は短いエピソードを殺人鬼という縦の串で通すという構成なんですが、立ち上げの時に何か大きな設定とか構想はあったんでしょうか。
★何かあったかなあ…。ノストラダムスの予言にからんだ設定は聞いた気がしますね、だから年代設定が1999年だっていう。「次の100年を支配する何かが杜王町にあって」といった感じだったかもしれない。でも実際は全然違うよね (笑)。週刊連載はね、最初に最終回を考えていても描いているうちに作家も成長していくから、どんどん変わっちゃうことも多いです。そりゃあ3年後に考えた最終回の方が面白いに決まってますからね。
――第4部で言うなら、短いエピソードの積み重ねの中で吉良という大きな流れも出来たわけですね。
――編集部や佐々木さんからの、先生に対するオーダーはあったんでしょうか。
★『ジョジョ』に関してはないですね。僕の担当分に限っていえば、「ここらで大きな敵を出しましょう」とか、そういったことは言っていません。
――仗助の「ものを治す」というスタンド能力はスタープラチナに比べると、地味な印象を受けるんですがその辺は?
★そこは最初に聞いた時に「どうやって戦うんだろう?」「難しいかもしれない」というのはたしかにありました。ただ、先生から「こういう戦い方をしますよ」というアイデアがバンバン出てきて、「ちゃんと見越して考えていたのか」と思いましたね。第3部は戦いの連続だったので、「ものを治す」というのはそれの反動だったのかもしれない。仗助にしろトニオにしろ、平和なスタンド、優しいスタンドですから。
――第4部は読者の反応はどうでしたか。
★年齢層で言うと、やはり高めの読者が多かったですね。少年というよりは青年に近い年齢層の男子が多かったんじゃないかな。
――担当されていた中で、先生の特徴的な印象に残ることは?
★締切もそうだけど、約束の時間には絶対に遅れないってのはありますね。リズムを崩さないというか。だからこちらも、当たり前のことではあるんだけど時間は厳守してました。時間に遅れたからといって怒るような人でもないんだけど、作家さんがそこまできっちりやってくださるわけだから、締切を守れって言ってる立場の僕らはそれ以上にきちんとやらなきゃね。
――荒木作品は担当前から読んでいたんですか?
★全部、リアルタイムで読んでいました。最初にも言いましたが、初めて会った時はごくごく普通の感じのいい人でしたから本当に驚きました。ただ、逆に言うと超多忙なはずの週刊連載をしていながら常人以上に規則正しい普通の生活を送っているので、「そっちのほうがスゲエ」と思います。週刊連載であれだけ緻密な構成をして緻密な絵を描いてオリジナリティにあふれる作品を出しつつ、きっちり休みは取って年に何回かはイタリアに行く。その普通っぷりがすごい。他の作家さんにも言えることだけど、気持ちが入ったら周囲が見えなくなるほどの集中力があり、それを維持しているだけでも常人離れしているのにね。
――編集者という立場から、『ジョジョ』が長く続けられる理由はどこだと思いますか?
★アイデアが枯渇しないこと。もっと言うと、インプットの量が半端ないってことですね。『ジョジョ』と同じく長く続いているという点で『こちら葛飾区亀有公園前派出所』の秋本治先生の話になりますが、秋本先生は何の天才なのかというと好奇心の天才なんです。普通の人であればある程度の年齢になれば、色々と冷めてきたり面倒と思ってしまうはずなんですが、秋本先生は純粋な好奇心を持ち続けていて、そこが『こち亀』という作品の原動力になっている。荒木先生もまったく同じで映画でもファッションでも、新しいものを取り入れていくどん欲さが秘訣だと思いますね。だって人間の頭の中から出るものなんて限りがあって、5年で枯れますから。ちゃんと絶えず新しいものを入れて、自分の中で咀嚼してアイデアとして持ち続けられるという点で、描いている作品はまったく違いますが秋本先生と荒木先生はものすごく似ていると思います。
――第4部のあとも『ジョジョ』の連載は第5部、第6部と続きました。その頃も佐々木さんはWJ編集部に在籍していたわけですが、読者の反応はどうだったんでしょうか。
★読者アンケートの結果は、実はただの数字なんです。大切なのは、その数字をどう読むか。だから例えばアンケートが低かったとして、それがどの年齢層にどう受けたのかという点をちゃんと見た上で、作品の実際の人気を読み取るのも編集の仕事なんです。その点でいくと『ジョジョ』は、トップを走る作品じゃないけど間違いなくWJの看板作品でした。余談ですが僕個人の気持ちでいうと『ジョジョ』以外の作品、例えば『ゴージャス☆アイリン』みたいな作品も読みたいなと思っていましたが、ある時期から先生は「『ジョジョ』しか描かない」といったことを言ってらして、「そうなんだ、勿体ないな」と思っていたことはあります。
――第6部のあと、第7部である『スティール・ボール・ラン』はWJで不定期連載という形に掲載スタイルが変わり、途中で「ウルトラジャンプ」(以下、UJ) に連載の場を移しました。佐々木さんはそれをずっと間近で見ていた数少ない編集者のひとりになります。
★第7部の不定期連載については、先生の中で少年向けの週刊連載というペースが『ジョジョ』に合わなくなってきているんじゃないか、という気持ちもあったと思います。合わせてWJ自身もかつてのように「毎週絶対載せる」というスタイルではなくなっていて、いろいろな連載スタイルがあってもいいのでは、という流れでした。ベテランの作家さんに対しては杓子定規な接し方もしていなかったし。それで不定期連載という流れになったはずです。移籍の時は僕は副編集長になっていましたが、第6部が終わったあたりで作品も作風もWJ本来の少年読者から離れつつあったんでしょうね。荒木ファンの年代がWJのメインどころではなくなってきていたという点もあったと思います。それで荒木先生からの要望もあってUJに移籍という形になりました。『ジョジョ』を次のステージに上げるには少なくとも舞台はWJではないだろうし卒業の時期だったんだろうと思っています。
――歴代の担当編集者という立場から見て『ジョジョ』と荒木作品の魅力はどこでしょうか。
★ワン&オンリー感、他では読めないものがいっぱいあるっていうことですね。セリフ回し、展開、コマの構成、ポーズの取り方、すべてが他の漫画では見られなくて、それが『ジョジョ』を『ジョジョ』たらしめている。漫画に限らず大ヒット作はすべてそうなんですが、オリジナリティに関しては誰も真似できないものがあります。
――特にスタンドはそうですよね。誰も真似できない。
★発明ですね。「超能力を形にする」って言われてみればそうなんだけど、それまで誰も思いつかなかったし、今それをやったら「スタンドだね」と絶対言われてしまう。そういうワン&オンリーの作品ですね。