Bleu Vague (January 2004)

Published January 13, 2004
Missing translation
Bleu Vague Winter 2004

An essay from Hirohiko Araki discussing about JoJo's Bizarre Adventure, his encounter with manga, his childhood, and his move to Tokyo.[1][2]

Interview

Transcript

『刊少年ジャンプ』への連載が、休載期間を含めて17年になる「ジョジョの奇妙な冒険」。これは、特殊能力を持つジョジョが世代を超えて世界各地で悪と戦うサスペンスアクション系の少し変わった物語で、6部まで続いているシリーズです。僕自身、こんなに長く続くとは想像していませんでしたが、描いているうちに続々とテーマが浮かんでくるんです。いつ終わるかも分からない。日記をつけるような感覚で漫画を描く―――。もはや、ライフワークになっています。


僕は少年時代を仙台市小松島で過ごしました。仲間とは埋蔵金伝説、UFO、心霊現象などを毎日よく話しましたよ。飽きることなく……。スプーン曲げも流行っていた時代でした。「ジョジョの奇妙な冒険」には様々な超能力が紹介されますが、少年時代の影響は大きいでしょうね。


その頃、一日早く発売されるからとわざわざ仙台駅まで買いに行って、漫画雑誌をよく読んだんですが、読めば読むほどに驚きました。石ノ森章太郎、梶原一騎、藤子不二夫さんたちの漫画が持つ異様なパワーに。もともと、“描く”ということにすごく興味があったんです。確かゴーギャンの絵に、空が赤くあるいは白く描かれていたりするのを、子どものときから不思議だと思っていたんですが、そうか、「画家はこころの中を絵にするんだな」って思いました。自分のこころの中の叫びをストレートに表現できるのが、僕の場合は漫画だったんです。


幸運なことに中学校の担任の先生が石ノ森章太郎と同級生で、先生の自宅に伺うと石ノ森章太郎の原画がありました。本物を見て、漫画家の叫びが身近なものになっていきました。以前はコソコソと漫画を描いていたんですが、この担任の先生が漫画も芸術として認めてくれる人だったおかげで元気が出ました。


20歳でデビューし、仙台で仕事をしていましたが、23歳で上京。そのとき、ショックを受けましたね。何か違う。ファッションも料理も何かが違った。今思うと、東京で生活する人たちの無意識の内に潜む競争心のようなものに圧倒されたんでしょう。


仙台は独自の文化圏が築かれていて、そこで満足してしまう人が多いように思うんです。もう少し刺激を受けた方がいいと思います。僕は、若い人に「一度は仙台から出ろよ!東京に行こうよ!ニューヨークに行こうよ!」と言いたい(笑)。


仙台には時々帰ります。広瀬川を眺めたり、通学していた頃のお気に入りの場所なんかにも足を延ばします。さすが「杜の都」。緑が豊かで、正直ホッとします。そんなとき、僕のこころが最初に叫んだ町・仙台は、あまり変わってほしくないなと、一方で思うんですが―――。[3]


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