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Interview with Hirohiko Araki published on the magazine "Nikkei Trendy".
Interview
「ジョジョの奇妙な冒険」連載25周年 荒木飛呂彦氏スペシャルインタビュー
英国をルーツにしたジョースター家を巡る数奇な物語を描いたマンガ「ジョジョの奇妙な冒険」。1987年1月1日発行の「週刊少年ジャンプ」で連載を開始し、今年で25周年を迎えた大河作品だ。単行本はシリーズですでに100巻を超え、その累計発行部数は8000万部を上回っている。
連載25周年に当たる今年は、NTTドコモからコラボモデルのスマートフォン「L-06D JOJO」が1万5000台限定で8月に発売され、予約受け付け後すぐに終了する店が続出。ローソンなどのコンビニでも、コラボスナックなどを揃えたキャンペーンが展開され、グッズの売り上げが伸びている。
また、10月からは初のテレビアニメが放送開始。現在は1部の「ファントムブラッド」を舞台に、主人公のジョナサン・ジョースターとディオ・ブランドーの成長と対決の物語が描かれている。7~8月には作者の荒木飛呂彦氏の出身地である仙台市で初の原画展を開催。その「荒木飛呂彦原画展 ジョジョ展」は現在、森アーツセンターギャラリー(東京・六本木ヒルズ)で開催されており、こちらも大いに盛り上がりを見せている(11月4日まで開催)。
現在発売中の「日経トレンディ11月号」では、「ジョジョの奇妙な冒険」の25年間の軌跡を追う特集を掲載している。ここでは、本誌に掲載された荒木氏の特別インタビューのこぼれ話を紹介しよう。
「エデンの東」のような大河作品が描きたかった
編集部:荒木先生のマンガ家としてのキャリアは、「武装ポーカー」でデビューし、「魔少年ビーティー」「バオー来訪者」といった連載作品を発表したうえで「ジョジョの奇妙な冒険」の連載につながるわけですが、初期の作品を今振り返ってみていかがですか。
荒木飛呂彦氏(以下、荒木氏):マンガにはストーリーと絵の大きく2つの要素があるんですが、当初から意識していたのは、これまで読んだことがない新しいストーリーを作ろうということ。当時の「週刊少年ジャンプ」編集部の方針も何かそういう空気があって、「王道のスポーツ漫画なんか描いてきたらボツにするよ」というような(笑)。
ストーリーとしては、「エデンの東」のような大河ドラマや、子供の時から好きで読んでいる「シャーロック・ホームズ」やホラー短編集を、自分なりにすごく分析して作りました。ストーリーが綿密に組み立てられて、何らかの伏線があってオチに向かっていくというような。「武装ポーカー」の時代から、ストーリーにこだわって、すごく冒険的に作ってきた感じはありますね。
ただ絵の方が、「これだ!」と思うものになかなかたどり着けなかった。一流のマンガ家さんって、一目見て、その人だと分かる絵を描くんですよ。ちばてつや先生しかり、手塚治虫先生しかり。他の人がマネできない絵というのが絶対的にあって、自分もそういうものを確立できるのか、「ジョジョの奇妙な冒険」を描くまでは迷っていたんですね。
編集部:「ジョジョの奇妙な冒険」の連載が始まる前、初めてヨーロッパ旅行に行かれたそうですね。そこで、絵の面で開眼した部分はありますか。
荒木氏:そう、日本でもヨーロッパの芸術作品は写真などで見ていたんですけど、実物には写真では伝わらないアイデアがいっぱい入っていたり、すごく感動したんですよね。雑誌などの写真で見るのとは全く違うインプットがあった。特にイタリアで見た宗教画やフレスコ画というのは、写真で見ると古典作品としか感じなかったけど、実際に見ると斬新だし、何かもう圧倒されてしまって。この辺から学んでいけば、自分の絵の道が開けるのかなと思いました。
編集部:「ジョジョの奇妙な冒険」は、主人公の家系図に重要な意味を持たせた作品です。連載が始まったときに、第1部~第3部までの構想があったということですが。
荒木氏:誰にも言わなかったですけど、心の中にはありましたね。ジャンプは連載の人気が出なければすぐ終わる厳しい世界ですけど、野心は持っていました。それこそ、「エデンの東」のように、世代が変わっていく話を核にできたらいいなと。あと、元々ホラー作品が好きなので、そうした要素も入れたかった。マンガ家って、例えば「ウルトラマンとガメラを戦わせたらどっちが強いか」といった究極の選択をよく考えるんですけど、それと同じように「一番怖いことって何か」考えたら、先祖の代からの恨みで襲われることかなと。自分にはまったく身に覚えがないのに、呪いじゃないけど自分を追ってくるみたいな。
「もう波紋、古いよな」。「スタンド」が生まれたきっかけの一言
編集部:「ジョジョの奇妙な冒険」の第1部は舞台がイギリスで、主人公がイギリス貴族出身と、当時の「週刊少年ジャンプ」としては、かなり異色の作品でした。
荒木氏:そうですね。まず、当時は外国人の主人公は基本的にNGだったんです。日本人が外国に行くストーリーは良いんです。でも、外国を舞台にして外国人が活躍するマンガというのは、日本の少年マンガでは「絶対に受けないから」って、方々から言われたくらい。でも、こちらは人と違うことをやりたいわけですから。あと、日本人が外国に行くの、何かわざとらしすぎないかという個人的な疑問もあって(笑)。当時の担当編集者の椛島良介さん(現・集英社新書編集部部長)も、後押ししてくれましたね。作品としては、「ジョジョ」という名前を子供でも覚えやすくするために、名前の頭文字を「J」と「J」で合わせようとか、いろいろと工夫はしているんですけどね。
編集部:ジョジョは第1部、第2部と進んでいき、第3部の「スターダストクルセイダース」で初めて「スタンド」という存在が登場しました。これはものすごい発明だったと思います。
荒木氏:それまでは、「波紋」という形で超能力を表現してきたのですが、もうちょっと実感的に相手を叩きに行くみたいな、それこそマンガ的な絵を作りたかった。エネルギーを絵にしたものが出てきて相手や物体を壊しに行く、そのとき守護霊とかが出てくる感じがいいなと。そのほうがマンガとして読者に伝わるんですよね。これまでのように、超能力者が何か念じて物体がいきなりバーンと割れるより、スタンドが実際に動くことで、相手とのヒリヒリするような距離感も表現できる。もっとも、担当編集の椛島さんが、「もう波紋、古いよな」とか言い始めて、そのプレッシャーで考えたというのもありますけどね(笑)。
編集部:第3部では、日本人の主人公がエジプトを目指す旅のなかで敵と戦うという形式が取られています。第3部の連載は1989年のバブル真っ盛りの時期に始まりましたが、こうした時代背景も意識して作品に織り込んでいますか。
荒木氏:バブル時代の経済って上り調子で、どんどん上があるじゃないですか。それってマンガ作りにも影響があったと思います。当時の格闘系のマンガはトーナメント制で敵と戦っていって、頂点を倒したと思ったらさらに高い頂点が現れる、という作品ばかりだった。でも、それを読んでいると、単純に「この後、どうするんだろう」と僕は思ったんです。絶対に破綻するよね、と。このトーナメント方式をやれば読者に受けるからと、編集部からは言われたんですが、僕はやりたくなかった。
それで、「ジョジョ」では、どこへ行っても同じような敵が登場して、出てくる敵は弱くても戦う場所が変わっているというような、すごろく方式にしました。第3部では、最終的には強敵のディオと戦うわけですけど、すごろく方式でその場その場のサスペンスを読者に楽しんでもらうために、ディオの顔は最後の戦いまでシルエットにして、あえて見せないようにしたんですね。見せちゃうと読者は頂点(ディオ)が気になってしまうから。第3部の途中で指令を出すディオを描く時などは、すごく気を使いましたね。
編集部:第3部でディオという“最強の敵”を倒した後に始まった、第4部の「ダイヤモンドは砕けない」では、初めて日本(仙台市がモデルの「M県S市杜王町」)に舞台を変え、登場する敵の強さもリセットされました。トーナメント方式のマンガでしたら、ディオより強い敵を登場させるところですが、それをやらなかった。そこが、「ジョジョ」シリーズの連載が25年間も続いた大きな要因だと思うのですが。
荒木氏:それはあるかもしれないですね。トーナメント方式の場合は前に戦った敵よりも強い敵のアイデアを出さないといけないんですけど、「ジョジョ」の場合は途中に出てくる敵は弱くてもいいんです。腕力はなくて、ただ卑怯なだけでもいいんですよ。弱い奴でも何かキャラができていれば、そのときのサスペンスが描けて、強敵として見せられるんですよね。
悪党なりの「正論」も描かれる深いストーリー
編集部:「ジョジョの奇妙な冒険」のテーマは「人間賛歌」というふうに表現されています。
荒木氏:これは、人間の意思や成長がすべての問題を解決するということ。神様は守ってくれるかもしれないけど、神様が助けに来てくれるとか、今まで負けていたのに急に最強の剣が現れて、それで相手を倒したりしないということですね。あと、苦しみを神様が救ってくれるという考え方も嫌なんです。自分たちで解決するために神様はいるんだろうという意識で、人間中心主義というか、ルネサンスの雰囲気がしっくりくるなという。
ちょっと批判になるかもしれないけど、主人公が戦争に行くのが嫌だって言いながらも結局戦っているマンガもあるんです。僕は、こうした戦いたくないとか言いながら戦う心理が分からないんです。ちゃんと心を決めてから戦えよと思うわけ(笑)。だから、「ジョジョ」の場合は、敵も全く悩まずに戦いを挑んで来るんですよ。自分が正しいって信じているんです。
編集部:そうですね。「ジョジョ」には正義と悪党のキャラクターがあるわけですけど、それぞれが自分の道を進んでいるという感じがします。
荒木氏:そうそう、全員前向き。要するに戦う人たちが悩んでいたらマンガは面白くないと思うんですよ。正義も悪党も、両方とも最高の力を持って、最高のコンディションで戦わせる。だから描いていても、「主人公、これ負けるかな」と思うときがあるんですよね。
編集部:ジョジョマニアに話を聞くと、「ジョジョ」で描かれる悪党に対して時に共感すら覚えるという人もいました。
荒木氏:第1部の頃は白と黒というか、善悪は正反対のものとして描いていたんですけど、やっぱり年を取ってくると悪には悪の理由があるという側面がすごく気になってきた。例えば、第7部の「スティール・ボール・ラン」に登場するファニー・ヴァレンタイン大統領は、愛国心はすごくあるんですよね。国を守るために人を犠牲にすることを厭わない点とか、個人から見るとすごい悪。でも、自分の国を思う心はすごくて、国という単位で見ると、ヴァレンタイン大統領のやっていることは正しいと思える。正しいと信じて行動する人は強いと思う。こうした「悪党の正論」というか、人物を別の角度からも見せる手法は、第6部の「ストーンオーシャン」に登場したエンリコ・プッチ神父を描いていたときも意識していましたね。
編集部:第6部、第7部を読んで「悪党は本当に悪党なのか」と考え出して、また第1部からシリーズを読み返すと、「そもそもジョースター家は本当に正義なのか」と疑問を持ったというジョジョマニアもいました。
荒木氏:そうですね。結局、人って何だろうと考えたときに、生まれてきて家族を作って、また死んでいくということは、もう下手したら正義とか悪とかないのかもしれない。やっぱり生き残ってこその何かなのかもしれない。特に「スティール・ボール・ラン」では、ジョースター家とはいったい何かなと考えてしまいますよね。
「ジョジョ立ち」はマネできないはずなんですが(笑)
編集部:先ほどの絵の話ですが、イタリアの芸術を実際に見て、かなり影響を受けたということですが、「ジョジョ立ち」と呼ばれる特殊なポージングは意図的に開発されてきたのですか。
荒木氏:マンガの絵ってただ立っているとつまらないけど、ちょっとひねったりするとすごく非日常的なファンタジー感が生まれてくるんですよ。ストーリーにあるリアリティーの中のファンタジーというか、それがマンガ的でいいんですよね。ポージングはイタリア美術がすごく参考になると思ったので、その辺を絵にしようと。特に、イタリアを舞台にした第5部の「黄金の風」では、意識してポージングを開発していた気がする。でも、「ジョジョ立ち」は本来、人ができないポーズを考えているのに、それをみんながやっているというからビックリしましたね。作者としては完全に予想外です。
編集部:イタリア芸術の他に影響を受けてきたものはありますか。
荒木氏:今の映画のポスターは写真ばかりですけど、昔のハリウッド映画のポスターはイラストだったんですよ。「スタートレック」などを描いたボブ・ピーク氏とか、SFやファンタジー作品の挿絵で有名なフランク・フラゼッタ氏とか、子供の頃から彼らのイラストを見ていて、非常にワクワクする絵だったんですよね。「ジョジョ」の表紙などを描くときは、そのワクワク感を忘れないように一枚絵としてのインパクトを大切にしています。「ジョーズ」とか、「007」のポスターを見たときの、これ何が始まるんだろうという感じをジョジョでも出したい。
編集部:「ジョジョ」の表紙では、主人公の髪が金髪だったり、青だったり、服の色やデザインもいろいろ変わりますが、それが一枚絵としての印象を強めていると思います。
荒木氏:そうですね。「ジョジョ」って固定の色がないですよね。「ジョジョ」はこれまでテレビアニメになっていなかったので、色をわりと自由に使えるんです。絵を描いていると何か今までにない新鮮な感じがバァーっと頭の中に降って来るときがあるんですよ。紫とか、エメラルドグリーンを塗ったとき、オォーっこれ良い色だとか思って。「承太郎、これでしばらく行こう」みたいな(笑)。あと、僕の中で無敵の組み合わせというのは、「桜色」と「青空の色」ですね。ここぞという絵では、使います。
「もうジョジョ以外は描けません」(荒木氏)
編集部:昨年から「ウルトラジャンプ」で連載がスタートした新作「ジョジョリオン」ですが、まだ謎の多い展開ですね。今までの作品は、主人公が何者であるか、それこそキャラクターの身上書がはっきりわかったうえで話が展開されていましたが、ジョジョリオンでは、主人公の素性すら明かされていません。
荒木氏:「ジョジョリオン」の主人公は、自分探しをしている段階ですね。それを描いていくうちに、家系とか、生まれてきた意味みたいなものが見えてくるといいのかなと思っています。ジョジョの第1~3部では先祖の時代の因縁が世代を超えて主人公に降りかかってくるという怖さを描いたわけですが、ジョジョリオンでは、例えば親が罪を犯したら子供もそれを受け継いでしまうのか、親の教えは子にどう影響するのかといった、一種の呪いみたいなのを乗り越えるにはどうしたらいいかを描いていきたい。それは非常に怖いことのような気がする。ニュース番組を見ていて最近の社会事件などを目にすると、そういう怖さを感じるんですよね。
編集部:「ジョジョリオン」のクライマックスは、先生の中ではもう見えているんですか。
荒木氏:あんまり見えないですね。これまでは、ラスボスと最初のキャラクターとか、途中はどう進んでも最後はここに辿り着くというふうに話を展開してきたんですけど、「ジョジョリオン」はちょっと違う。でも、「ジョジョリオン」の舞台が第4部の「ダイヤモンドは砕けない」と同じS市杜王町ということで、第4部の主人公だった「東方家」の裏に何かあるなという感じはありますけどね。
編集部:新しい物語の描き方に常にチャレンジする姿勢は、ジョジョの連載が始まった25年前と変わらないのですね。
荒木氏:それはデビューしたときに編集部から刷り込まれましたから。そういうのはありますよね。
編集部:最初、荒木先生が「週刊少年ジャンプ」編集部に作品の持ち込みをしたときは、結構、厳しいことを言われたそうですね。
荒木氏:ジャンプの人たちは、遠慮しないんですよね。「こういう作品は見たくない」とか言うんですよ(笑)。僕はいきなり「ホワイト抜けてるだろう」と言われて、「こういうのやめてよね、一番最初で。子供でもできるんだから」と厳しく言われました。ショックでもう、すぐに仙台に帰りたいって思った(笑)。
編集部:今年は連載25周年を迎えて、グッチとのコラボレーションなど、多方面の活躍が目立ちます。今後、例えばホラー映画のシナリオ制作みたいなことなど、荒木先生の力を発揮できる分野があると思うのですが。
荒木氏:いや、でも僕はマンガ家なので、マンガの中ですべてを表現したいですね。イラストを提供するといったコラボはあるかもしれませんが、そこからはみ出ることはないです。
編集部:また、今はネット媒体の他に電子書籍なども出てきて、マンガ雑誌を含めて紙媒体の置かれている状況が変わってきています。
荒木氏:僕が思うのは、デジタルって否定すべきことではないけど、デジタル作品はアナログに戻れないんですよね。一方で、紙に描いたイラストやマンガは簡単にデジタルに変換できる。だったら、アナログで描いていたほうが有利かなと僕は考えていて、紙へのこだわりは捨てたくないですね。今回、「荒木飛呂彦原画展 ジョジョ展」をやらせていただいているんですけど、それはデジタルで描いていたらできなかっただろうなと思います。こういうアナログに対するこだわりというのは、ヨーロッパでリアルの芸術作品から受けた衝撃、そういう原体験みたいなものが少なからずあると思いますね。
編集部:最後に、荒木先生の中で今後ジョジョ以外の新たな作品を描くという方向性はありますか。
荒木氏:ジョジョ以外は、スピンオフ作品ぐらいでしょうか。新たな作品はないですね。この25年の間に、「何かもうちょっと新しいの描いてみたら」と言われたこともあるんですけど、「すみません。ジョジョ以外は描けません」と、言ってきたので。でもそれで良かったのだと思います。スポーツ漫画とか描いていたらちょっとやばかった(笑)。次の25年も、きっと新たな奇妙な冒険を描いていると思います。