New York Times Japan (November 2018)
Interview Archive
An interview with Hirohiko Araki discussing the belief that loneliness attracts audiences and readers. He also talks about how zombie movies offer a "comfortable loneliness." It was published in the Winter 2019 issue of the Kotoba magazine on December 6, 2018.[1]
Interview
孤独のゾンビ映画論
漫画家・荒木飛呂彦が三〇年以上にわたって描き続ける『ジョジョの奇妙な冒険』(以下、『ジョジョ』)。その作中には、孤独なヒーローやヒロインが数多く登場する。膨大な数の映画を鑑賞、分析し、自らの創作の糧としてきた荒木にとって、孤独とはあらゆるエンターテインメントの必須要素であり、飽くなき探求の対象のようだ。数あるジャンルの中でも荒木が特に「心地のよい孤独」を感じるというゾンビ映画、その魅力を繙けば『ジョジョ』創作にも通じる哲学が見えてくる。
―これまでに『ジョジョ』で描かれてきた主人公たちの性格は、「極限的な不条理や災難に屈することなく自らの力で道を切り拓いていく」という点で共通しているように思えます。荒木先生はかねてより、「ヒーローとは孤独に世界に立ち向かっていく存在であり、だからこそ泣ける」とおっしゃっていましたが、これは三〇年以上続く『ジョジョ』のヒーロー、ヒロインたちにも一貫していますね。
荒木 そうかもしれません。ヒーローの第一条件は、「たとえ社会に認められなくとも、自分の信じる道を突き進んでいる孤独な人であること」です。これは僕が最も敬愛しているクリント・イーストウッドの作品に登場するヒーローたちにも共通していることなので、映画からの影響も大いにあると思います。
―映画や小説、漫画などのエンターテインメント作品で描かれるさまざまな「孤独」には、観客や読者を惹きつける何かがあるのでしょうね。
荒木 そうですね。僕の場合は、趣味でよく観ているゾンビ映画に「心地のよい孤独」を感じることが多いですね。「孤独」という観点から見れば、ゾンビ映画で描かれる絶望はその究極形かもしれません。多くのゾンビ映画では、文明や社会のルールが崩壊した世界に主人公やヒロインだけがポツンと残されていますよね。彼らは誰にも頼ることができず、時には生き残った数少ない人間や仲間からも裏切られ、自分の力だけで極限状態をサバイブしていかなければなりません。そして、そんな絶望的な状況にいる人たちの物語を、自宅のソファーに座ってくつろぎながら観ているときの逆説的な幸福感……これこそがゾンビ映画を鑑賞する醍醐味です。安全なこちら側の世界にいながらにして、極限状態の人々を観察し、「自分ならどうやって切り抜けるだろうか?」と想像を巡らせる。そんな時間がとても好きなのです。
―確かに、多くのゾンビ映画ではすでに文明が破綻した世界が描かれているので主人公たちは否応なく社会から断絶しています。
荒木 ええ。しかし、その一方で、ゾンビが闊歩する街中には、人類の「遺産」がそのままに残っているわけです。たとえば、ウィル・スミス演じる科学者が、廃墟と化したニューヨークの街を舞台に戦う映画『アイ・アム・レジェンド』では、主人公が無人のレンタルビデオショップで好き放題にDVDを借りたり、誰もいない航空母艦の甲板でゴルフを楽しんだりする姿が描かれています。孤独な状況にあっても、街にあるものを独り占めにし、その生活を堪能しにあるものを独り占めにし、その生活を堪能している彼の姿を見ていると、たとえ一人きりであっても死者が遺したものや文明の遺産とつながっていることを実感できれば、それほど寂しくないのかもしれないな、とさえ思えてきます。
―「誰もいなくなった街で、生き残った人間が好き放題に遊んでしまう」というのは、ゾンビ映画のお決まりパターンでもありますね (笑)。
荒木 そうなんです。僕にとってのナンバー1ゾンビ映画は、ジョージ・A・ロメロ監督の『ゾンビ』なのですが、この作品の中にも主人公たちがショッピングモールに籠城し、商品を好き放題に物色する場面があります。絶望的で閉塞された状況にありながらも物質的には満たされている、というシチュエーションは、ゾンビ映画の傑作に多く見られます。それから、ゾンビには動きが遅いゾンビと速いゾンビがいるのですが、ロメロのゾンビたちは遅いんですよ。なので、一〇メートルくらい先にゾンビが迫っていても、主人公たちは「まだ大丈夫だな」という感じで店内の商品を物色している (笑)。絶望的な状況を「日常」としているあのユルい感じが、見ている側にとっては環境音楽のようにも感じられてとても心地よいです。
―ロメロの『ゾンビ』では、ゾンビの動きが遅いので、囲まれてもダッシュすれば突破できますものね (笑)。
荒木 そうそう、時にはゾンビを舐めすぎて殺されてしまう奴もいたり (笑)。でも、ほかのジャンルの映画であれば見ていて許せなくなるような愚かな行動でも、ゾンビ映画の場合は許せてしまうのです。常に極限状態であり、パニック状態だからこそ、「下の階に逃げればいいのになんで二階に上がるんだよ!」みたいなツッコミどころも許せてしまう。
―荒木先生にとってゾンビ映画は、「人間の愚かな部分を観察できるジャンル」でもあるの