Hirosegawa (February 2011)
Futoko Shimbun (January 2011)
Interview with Hirohiko Araki on the website hirosegawa.net. One part of the interview was published every day from February 14 until February 23, 2011.
Interview
第1回 「杜王町」と仙台市との関係は? 2011.2.14
聞き手: この「私の広瀬川インタビュー」では、 仙台や広瀬川にゆかりのある著名人に出演いただくことで、 多くの方に広瀬川をはじめとする仙台の魅力を 知っていただきたいと考えています。 今日は、仙台市出身のマンガ家で 「ジョジョの奇妙な冒険」(以下「ジョジョ」)の 作者・荒木飛呂彦さんに出演いただきました。 どうぞよろしくお願いします。
荒木さん: こちらこそ、よろしくお願いします。
聞き手: 早速ですが、先生の作品にはデビュー当時から 仙台に縁のある地名や人名などが数多く登場しており、 私たち仙台市民は大変嬉しく思っています。 特に「ジョジョ」第四部「ダイヤモンドは砕けない」編では、 「杜王町」という日本の架空都市が舞台となっていますが、 実際に仙台にある地名やお店なども登場しており、 ファンの皆さんから、仙台市が「ジョジョ」作品の 「聖地」の一つとも思われているようです。 そこでまずは杜王町と仙台との関連について 教えていただけますか。
荒木さん: 仙台は自分が生まれ育った街なので、 なじみ深いというか、描きやすいんですね。 作品上の架空の街とはいえ、 自分の体験を下敷きにして作品に描くことは基本ですし、 何よりリアリティが出るので。
聞き手: 第四部の主要人物の一人として登場するマンガ家の 「岸辺露伴」は、読者から先生と 同一視されるむきもあるようですが、 やはり作品でもリアリティを重視していることが窺えます。
荒木さん: 露伴は僕自身ではないですよ(笑)。 ただ、リアリティは欲しいですが、 あいにく第四部では殺人鬼が出てきますので、 仙台をその舞台とするのはさすがにどうかなと思い、 市民の皆さんになるべくご迷惑がかからないように 「杜王町」という架空の街を作らせていただいた、 という次第です。
聞き手: 最近では、仙台市も物騒になりまして、 映画化もされた仙台市在住の作家・伊坂幸太郎さんの 「ゴールデンスランバー」の作中で、 仙台出身の首相が暗殺される時代です。 ちなみに暗殺シーン撮影時には、 エキストラとしてたくさんの市民の皆さんから 協力いただいたので、 今だったらそうしたご心配をされなくても 大丈夫かもしれませんが。
荒木さん: 連載時(注:第四部の連載は1992年~1995年)は S市というのが仙台市で、 杜王町はその郊外の街という設定で、 仙台市そのものが舞台ではなかったんです。
聞き手: 近年では、その杜王町も人口が増えて、 S市「杜王区」に昇格したそうですね。
荒木さん: ええ、S市内に取り込まれる形で合併したようです(笑)。
聞き手: 杜王町の地形的なモデルとしては、 岩手県の宮古市ではないか、という話がファンの間で されているそうです。
荒木さん: 地理的にイメージしたのは、宮城県の松島の北、 東松島市のあたりです。 ただ、ベッドタウンとしての街のイメージは、 当時開発が進んでいた泉市(注:昭和63年より仙台市泉区) や宮城野区鶴ヶ谷ニュータウンなどを参考にしていました。
聞き手: なるほど。 そうした当時のニュータウン開発の様子が 作品に反映されているんですね。
荒木さん: 当時は東北学院高校榴ヶ岡校舎に通学していましたが、 毎日のように風景が変わっていくんですよ。 もう道路が急にバーン!とできたりして、 その変化がショッキングでしたね。 そんな体験がいくらかは反映されているかもしれない。
聞き手: 先生が仙台にお住いだった頃の仙台は、 日本の経済成長に合わせて街も 大きく姿を変えていく時代の真っ只中だったと思いますが、 その一方で、まだ戦後の面影を残したような ミステリアスなところがあったと伺いました。
荒木さん: ありましたね。あの、広瀬川には関係ないですけど(笑)、 子供の頃に小松島や与平衛沼のあたりで よく遊んでいたんです。 そこには防空壕跡みたいな所があって、 住み付いていた方がいました。 その方は、実は浮浪者ではなく、 昔大金持ちで、その財産が隠されているという 埋蔵金の噂があったんですよ。
聞き手: 先生ご自身も探しに行かれたのですか?
荒木さん: 当然行きましたよ! まあ、噂話だったと思いますが(笑)、 それが妙なリアリティがあって、子供心に 実際に何かあるのではないかと感じさせられるんです、 本当に。 その方にも知的な雰囲気があって、 英語でしゃべったりして、一体何者なんだ?みたいな(笑)。
聞き手: 「ジョジョ」の作中に出てきたりするような…
荒木さん: そうそう。世捨て人だけど、過去に何かあったんだろうな、 という雰囲気があって、埋蔵金の話も、 まんざら噂でもないって思わせられる…
第2回 初めて覚えた言葉は「どざえもん」!? 子供時代の思い出 2011.2.15
聞き手: そんなミステリアスな雰囲気が漂っていた一方で、 どんどん宅地開発が進むという ちょうど時代の変わり目だったのかもしれません。 子供の頃に広瀬川で遊ばれたことはありましたか。
荒木さん: 父が若林の生まれで、幼少の頃は若林区に住んでいました。 宮城刑務所の傍で、 その刑務所がまたミステリアスなんですけど(笑)。 ずっと、塀の向こうはどうなっているんだろう? と思いながら育ちました。
聞き手: そうした生い立ちから「ジョジョ」は 生まれるべくして生まれたような気がします。 ちなみに宮城刑務所は、 政宗公が隠居後に過ごした若林城跡に建てられており、 堀には広瀬川から取水した水が流れています。
荒木さん: 広瀬川は当時住んでいたところからも近かったので、 よく遊びに行っていましたよ。 毎年7月1日にアユ釣りの解禁日には、 父に連れられて一緒に胴長をはいて釣りにいっていましたし。
聞き手: 先生が胴長をはいて川に入っているところは、 想像し難いですが、広瀬川は幼い頃から 身近な存在だったんですね。
荒木さん: 実は子供の時に、最初に覚えた言葉が 「どざえもん」なんです(笑)。 今は広瀬川に対して、 皆さんきれいなイメージしかないと思いますが、 当時は犬の死体とか流れてくることもあって、 周りの大人たちから 「どざえもんになるから、川に行く時は気ぃつけなよ」 と言い聞かせられていたみたい。 昔はそうした危険に対して、 地域のお年寄りたちの目配りもあったんですね。
聞き手: 子供が初めて覚える言葉としては、 かなりショッキングな言葉ですが。
荒木さん: 川でどうやって遊ぶかを教えてくれていたのだと思います。 川遊びは自己責任だから、自分自身で気を付けないと ダメなんだよ、ということで。
聞き手: 当時はまだ水難事故で亡くなる方が少なくない時代ですよね。
荒木さん: 何か事故があると今だとすぐ行政が責められがちですが、 当時の川遊びなどは自己責任でしたね。 あと、南蒲生浄化センターができる前には あの辺や河口の閖上のあたりで泳いだり、 キャンプをしたりしました。 それと秋にはもっと上流で芋煮会が定番でしたね。
聞き手: 杜王町編には出てきませんが、 先生も芋煮会はよくされていましたか。
荒木さん: もちろんですよ!やはり父に連れられて二口渓谷や 奥新川などへ行ってやっていました。
父はアユ釣りだけでなく、 雉撃ちやきのこ狩りなどもやっていましたので。
聞き手: 広瀬川の近くにお住まいの方は、 狩猟民族の血が流れているかもしれないですね。 この広瀬川ホームページで今年取材させていただいた 大年寺山のふもとでハチミツつくりをされている方も 冬になると狩りに行くそうですし、 以前奥新川で芋煮会の企画でお世話になった方も 渓流釣りやきのこに通暁されていましたし。
荒木さん: きのこは難しいですよね。 同じ種類でも宮城県で食べられるのに、 お隣の福島県では毒を持っているものもあるそうですね。 あと、仙台の人は東京に行っても、 芋煮会の話題で盛り上がりますよね。 「芋煮会してた?」 「河原でやるんだよね」って。 でも、東京の人と話すと「それってバーベキューのこと?」 と聞かれますが、 「いや違う違う、芋煮会では煮るんだよ、 河原で肉は焼かないよね~」みたいな(笑)。
聞き手: 仙台出身者同士だと芋煮会って言うだけで すぐ分かり合えたりしますよね。
荒木さん: そうなんですよ。いや~芋煮会はいいですよね。 いろんな人とコミュニケーションできたり、 河原で家族の輪とか確認できたりして。
聞き手:「芋煮会」と聞くともうそれだけで仙台のことを 思い出したり、故郷に帰ってきたな、 と実感できたりしますよね。
荒木さん: そうそう。今頃もまだやっていますか。
聞き手: 牛越橋の上流が広瀬川での芋煮会の聖地となっていて、 学生さんが中心ですが、天気の良い日は 朝から場所とりしたりしているそうです。 そろそろ寒くなってきたので、 もう下火になってきているようですが、 つい先日もここから見えるあの米ヶ袋の河原で やっていました。
荒木さん: そうなんですか。今の学生さんはバーベキューですか?
聞き手: メインはやはり芋煮だと思います。
荒木さん: ですよね。よかった(笑)。
第3回 広瀬康一君の由来は? 2011.2.16
聞き手: 「ジョジョ」第四部には、語り部として「広瀬康一」君 というキャラクターが重要人物として登場します。 こうしたキャラクターに「広瀬」と名付けられた 先生の意図は、広瀬川を仙台のシンボルとして 考えられてのことなのでしょうか?
荒木さん: やっぱり「広瀬川」を出さないわけには いかないじゃないですか! 杜王町は仙台市ではないですが。 さとう宗幸さんの大ヒット曲もありますし、 広瀬康一君は仙台のシンボル・広瀬川から、 それしかないですよ。
聞き手: ありがとうございます。 仙台市に住む「ジョジョ」ファンにとって、 とても嬉しい話です。 以前広瀬川沿いに「河童」の銅像を市民の寄付で建立しよう という企画があったようですが、 「ジョジョ」ファンだったら広瀬康一君の銅像を 建てたいと思うでしょうね。 では、仙台を離れた今、懐かしく思う場所や、 今でもよく立ち寄る場所などはありますか?
荒木さん: 少年時代に遊んだ小松島の方には今でも行きますよ。 昔からあんまり変わっていないですよね。 与兵衛沼周辺も公園区域として自然が残されていたりして、 いいですね。 あと台原森林公園や東北薬科大学側の瞑想の松とか。
聞き手: 懐かしい場所を訪ねて足を運ばれるのでしょうか?
荒木さん: 本当によくあの辺で遊んでいたので。 そうですね、いいことも悪いことも いろんな思い出があります。
聞き手: 「動物の足跡を追っていろいろ訪ね歩くのが 好きな少年時代だった」というお話も伺いました。
荒木さん: 先程の埋蔵金探しではないのですが、 いろんなものを追跡するのが好きで、今でも動物の足跡とか、 すごく興味があります。
聞き手: 今年は熊の餌となるナラの実が不作で、 人里までよく熊が降りてくるそうですが、熊の足跡なども…
荒木さん: 仙台でも熊が降りて来るんですか? 水溜りのそばとかに爪で引っ掻いた跡があると、 背筋がぞっとしますよ。 「ほんとに、ここに居るんだ、通ったんだ」って。
聞き手: ところで、今年(注:2011年)でデビューから30周年と伺っています。 1987年の「ジョジョ」連載開始からは24年が経ち、 その間に日本を取り巻く社会情勢も 大きく変化したと思います。 連載で仙台を離れられてから、 昔と比べて現在の仙台をどうご覧になりますか。
荒木さん: そうですね、昔の御屋敷のような建物が 無くなっちゃいましたね。 それと、いい喫茶店も無くなってしまって ちょっと寂しいです。 街自体はきれいになって、住みやすくなったとは思いますが。
聞き手: 戦後の面影を残したミステリアスな雰囲気は、 市街地整備が進んでなくなってしまったかもしれません。
荒木さん: でも、さっきタクシーの運転手さんが話されていましたが、 昨日雪が降る前に現れるというユキムシが 舞っていたそうですよ。 それも市内で出ていたそうですが、 そうした自然が身近に感じられることは 素晴らしいなと思います。
聞き手: 子供の頃の「どざえもん」が流れて来ていた時代や 高度経済成長期の公害問題などを経て、 自然環境を大切にしなければという意識の高まりから、 自然との共生が回復しつつあるという感じでしょうか。
荒木さん: そう考えると仙台はこの街の規模がいいんですよね。
聞き手: コンパクトでちょうど良い街のサイズなのかもしれません。
荒木さん: そうですね。歩いて回るにしても、 電車やバスを使うにしても、ちょうど良い距離で どこへ行くにしても移動しやすい。
聞き手: 車は運転なさらないのですか。
荒木さん: なぜか・・・しなかったですね。
聞き手: やはり、歩いて追跡したりするのがお好きということで。
荒木さん 荒木さん: 追跡は楽しいですね~(笑) でも本当に仙台は住みやすい都市規模だと思いますよ。 東京だと広すぎて。
聞き手: コミックスの折り返しのコメントで拝見したのですが、 先生が仙台で連載を始めた頃は、 コピーが一枚40円するなど、仙台に住みながら 連載するには大変だということで 東京に引越しされたそうですが。
荒木さん: 当時はまだ東北新幹線が開通していなくて、 東京まで電車で4時間はかかったんです。 宅配システムもやっとクロネコヤマトの宅急便が できたくらいの時期で 週刊誌で連載するのは大変だったんで、 もう行かざるをえない状況でした。
聞き手: 今ではインターネットなど通信技術も普及し、 またこうした自然環境も身近にあり住みやすくなって、 逆に、今だったら仙台に住みながら連載してもいいな、 と思うこともありますか?
荒木さん: ありますね。仙台に住みながら連載できたらいいですよね。
聞き手: 先ほどの伊坂幸太郎さんを始め、仙台にお住まいの 人気作家の方も多いようです。
荒木さん: 小説家の方はほぼ問題ないと思いますよ。 マンガもデジタルで描いていればインターネットがあれば 送れますけど、僕はそうではないので…。 誰かが生原稿を確実に編集部に届けないといけないんです。
聞き手: 「岸辺露伴」は杜王町で連載できても、先生が連載中に 仙台に住むことはやはり厳しいのでしょうか…
荒木さん: 仕事関係や友人関係といった生活基盤が今は東京にあるので、 難しいでしょうね…。 アシスタントさんたちも、東京に住んでますから。
第4回 街と自然とが共存する仙台の魅力 2011.2.17
聞き手: 先生は各地を旅されて、いろいろな街を ご覧になっていると思いますが、 今の仙台の街の魅力はどのように感じられますか。
荒木さん: こういう、街と自然が共存している感じはいいですよね。 建物と樹木とか。 実はそういう都市ってあんまりないと思いますよ。 関東だと箱根などにはそのような雰囲気が あるかもしれないですが、別荘地的な要素もあって また違います。 日常生活の中に溶け込んだ自然という意味では、 青葉通や定禅寺通のケヤキ並木の風景などは、 まさに仙台を象徴する魅力的なところだと思います。
聞き手: 仙台駅に降り立って青葉通りのケヤキ並木を見ると、 仙台に帰ってきたなという感じがしたり。
荒木さん: そうそう。それと、仙台には、 オーディオや自転車、古本とか、趣味というより もっとマニアックにこだわっている人が実は結構いて、 すごいお店がありますよ。 オーディオだと「のだや」さんとか、 自転車だと「シクロヤマグチ」さんとか。 普通の街中に、すごくこだわった商品を扱っている お店があるんですよ。 一つの街に、そうしたいろいろなこだわりのお店が ある街というのは、東京でもあまり見かけないかもしれない。
聞き手: 自転車の話がでましたが、 広瀬川は先生が遊んでいらした若林区からは、 川沿いを自転車で河口の閖上まで行けるようになっています。 以前その取材で「シクロヤマグチ」の山口さんに お世話になりました。
荒木さん: 僕が仙台にいた時からずっとあるっていうのは、 すごいですね。 あと貞山運河沿いにもサイクリングロードがありますよね?
聞き手: ええ。2010年には、海岸公園にセンターハウスもできて、 そこで自転車の貸し出しも行っています。 周辺も整備され、多くの人たちが 楽しめるようになっています。
荒木さん: 生活圏内にこうした海水浴場やスキー場がある街って、 すごいですよ、本当に。 東京だと、スキーに行くにしても一泊が前提だったりして、 もうそれだけで面倒で… 映画に行くにも、場所によっては 1~2時間かかったりしますから。
聞き手: 仙台市内中心部から泉が岳のスキー場、 深沼の海水浴場、広瀬川上流の芋煮会や温泉、 だいたいどこへも30分圏内で行けますよね。
荒木さん: そうなんですよ。 あと、最近は街を歩いている人も ずいぶんファッショナブルになったような気が…。
聞き手: 先生が仙台にいらした頃は、 あまりファッショナブルなイメージが…?
荒木さん: いやなんか、昔は女の子があんまかわいくないとか… 言われてましたよね(笑)。 今では全然そんなことないですが。
聞き手: 先生の学生時代には、私服の学校が流行った時だったと 思いますが、当時はガクランを着られていましたか。
荒木さん: 僕はガクラン派でしたね。高校では私服OKでしたが、 服を選ぶのがそのうち面倒になって みんなガクランになってくる(笑)。
聞き手: 「ジョジョ」の登場人物は、みなさんガクランが ユニフォームみたいになっていて、先生のガクランに対する 思い入れが相当あるのではと思っていました。
荒木さん: ガクラン、やっぱり格好いいですよ。 実は、マンガのファッションとして一番格好いいのは ガクランで、「クローズ」とかがヒットしたのは 絶対ガクランだったからですよ。 それでガクランにビニール傘をさす、っていうのがまた 格好いいんですよね。 もう、男の美学としてのマンガの黄金方程式というか。 多分、高倉健さんの影響からだと思いますけど。
第5回 マンガと現実世界との関わり 2011.2.18
聞き手: 近年では、「ジョジョ芸人」といわれるタレントさんや 熱心なファンによる「ジョジョ立ち」などのムーヴメントが 話題になっています。 マンガというフィクションから 今までと違った形で現実への影響が及んでいると思いますが、 そうしたファンが先生の作品を解釈して盛り上がっている 状況についてはどうご覧になっていますか?
荒木さん: 「ジョジョ立ち」については、自分でもびっくりしていて、 世の中のほうが変わったんだなと思いました(笑)。 もともと「ジョジョ」の登場人物のポーズは、 ファンタジー性を出すためにあえて 現実にはありえないポーズを取り入れて演出しているんです。 実際の人間の関節の可動範囲はここまでというところを、 さらに限界を超えたところまで捻って表現していますが、 それを実際にやっているんですから… 写真でみると、ちゃんと再現しているんですよ! 人間の体が進化したのかな?
聞き手: 全くの予想外だったのでしょうか。
荒木さん: 予想外というか真似して欲しくないというよりも、 そもそも真似しようがない表現にしているのに、 そこに現実に踏み込んでくるという… なんか、その発想からして驚きですよ。
聞き手: 驚かれたとも思いますが、先生にとってはそれも 嬉しいことだったのでしょうか。
荒木さん: 嬉しい…というか(笑)。 もう、好きなように楽しんでもらえれば… と思ってますね(笑)。
聞き手: 最近では先生も巻き込まれて、一緒にポージングされる こともあるようですが。
荒木さん: だってやってくださいって言われるから(笑)。
聞き手: 今日はわれわれもぜひ先生と一緒に 「ジョジョ立ち」をしたいと思っていました。
荒木さん: わかりました…って、現実にはできないんだから(笑)。
聞き手: 私が中学生時代に先生の作品に触れたときは、 もっと直接的に、特徴的なセリフなどを 友達同士で真似したりとした記憶がありますが、 近年のこうした盛り上がりは、 インターネットによる影響も大きいのではとも思います。
荒木さん: 確かにそうかもしれないですね。
聞き手: インターネットを通じて見知らぬ人同士が結びついて 共有される、共感されるという時代なのではと思いますが、 そうした変化を実際に感じられることはありますか?
荒木さん: 昔は口コミといっても範囲は限定的でしたが、 現代だと、インターネットによる予想のできない 展開があると思います。だから逆に怖いですね… その、作品には人間の本心が無意識にでますから。 例えば卑怯な描き方をしていると、たぶん読者の方は 見抜くと思いますが、それがネットだと 増幅されたりするのかもしれないですよね。
聞き手: こうした時代だからこそ、より誠実さを求められる ということなのでしょうか。
荒木さん: そうですね。一見損かもしれないけど、誠実に描いてないと それがあとになって確実に効いてくる…
聞き手: 以前先生が東北大学で「売れるマンガ」というテーマで 講演されたそうですが、そのときも、 「売れる」ためにそれだけを狙って描くというのではなくて、 どんなに良い作品でも結果的に売れないと、読者に 届かないからだめなんだという話をされていたそうですね。
荒木さん: そうですね。「売れる」ことだけを狙った作品と、 読者に届けるために結果的に「売れる」作品との違いは、 読者の方は見抜くでしょう。 また、それとは別に、ネットでの発言などでそういう精神は よりはっきりと見抜かれてしまうのではないでしょうか。 インターネットの書き込みの内容から、 「この人ずるいな」と感じたり。
聞き手: 先生自身はよくインターネットでチェックされますか。
荒木さん: 怖いから、なんかね、あまりやらないです(笑)。
聞き手: なるべく避けられたい、とか。
荒木さん: 一線を画しておきたいというよりも、「岸辺露伴」 ではないですが、図に乗ったことを言いそうなので 自重のために(笑)。
聞き手: 岸辺露伴は、マンガに関しては善悪の判断基準を 超えたものすごい執着心から、ちょっとやりすぎな面が 見受けられますが、やはりそうした面には 先生の想い入れが反映されているように感じてしまいます。
荒木さん: そういう部分もありますが、露伴は憧れですね。 スーパーマンガ家としての。 ただ少しだけ、作品とか芸術に対して 真摯でないことへの怒りなどを表現していますが。
聞き手: あくまでも極端な形での表現だと思いますが、 短編「岸辺露伴は動かない」では、露伴が取材で イタリアに行き、教会の懺悔室に潜入してみて 体験の重要性を語るシーンもありました。 ファンとしては、そうしたところに実際の先生の姿を 重ねたくなると思います。
荒木さん: その辺は確かに実感を反映しているかもしれません。 今だとネットで調べればほとんど あらゆるものの情報は分かる時代だと思いますが、 僕自身はやはり実際に体験した上で描きたいですね。 例えばイタリア料理の絵を描く時、 別に食べなくても写真を見たりして描けますが、 でも、僕だったらその料理の匂いを嗅いだり、 実際に味わいを確かめた上で描きたいです。 その辺は、露伴にも反映されているかな。
第6回 海外のマンガ事情 2011.2.19
聞き手: 京都国際マンガミュージアムでは、「マンガ・ミーツ・ ルーヴル―美術館に迷い込んだ5人の作家たち―」 という特別展で、「岸辺露伴 ルーヴルに行く」という 展示が公開されていました。 (注:2010年11月5日~12月3日まで開催) また、2009年にルーヴル美術館の企画展で、 日本のマンガ家としてルーヴル史上初となる 作品展示がされたと伺っています。 ちなみに今回同行しているスタッフでそれを 鑑賞するためにルーヴル美術館に行った者もおります。
荒木さん: 本当ですか?ありがとうございます。
聞き手: その時はフランスでも大変好評であったと 伺っていますが、今やマンガが日本の誇る 現代アートとして海外で評価される時代だと思います。 私たちが学生時代は、どちらかというと マンガに対するイメージは良くなくて、 学校の先生や両親などからは 「マンガばかり見ていないで勉強しなさい」 というような時代だったと思いますが、 その時代に先生がマンガ家を志そうと思われた 動機は何だったのでしょうか?
荒木さん: 70年代という「時代の風」でしょうか。もう、本当に いろんなマンガが出てきた時代だったんです。 SFもあれば時代劇もあるし、 「ゲゲゲの鬼太郎」みたいな妖怪マンガや 楳図かずお先生のような怪奇マンガとか、 とにかくいろいろな作品が一気に出てきた時期で、 そのエネルギーがとにかくすごかった。
聞き手: 一つのメディアとしてのエネルギーが マックスだったのでしょうか。
荒木さん: というよりも、新しい時代の始まりという感じ かもしれない。芸術でいうとルネサンスというか、 一つの黄金時代の始まりというか、 今から思えばそんな感じがします。
聞き手: そこに当てられてしまって。
荒木さん: そう、当てられて、もう…ほんと、 マンガ家になりたくてしょうがなかったですよ。
聞き手: マンガ家になられただけでなく、今ではアーティスト としてルーヴル美術館に展示されるまでになられました。
荒木さん: いや、まだまだですけど(笑)…でもね、 当時は「キン肉マン」を描いたゆでたまご先生が、 僕と同い年なのに高校生でもうプロになっているという 時代でした。僕なんか普通に学校通っていた時で、 「えっ、同い年でもうプロのマンガ家なんだ!」って。 その時は焦りましたね、 「もう学校に行っている場合じゃあない!」と(笑)。 それから僕もマンガ描いて、早く投稿とかしないと プロになれない、と思いました。
聞き手: そこから独学でスタートされて…
荒木さん: そうですね。本当はアシスタントとかきちっと やりたかったですが、その前に独り立ちしてしまって… 二十歳のときにデビューさせていただいたんです。
聞き手: 先ほど申し上げましたように、今ではマンガが海外でも 評価される時代ですが、デビューされてから これまでのマンガを取り巻く環境の変化は どのように感じられますか?
荒木さん: マンガには、例えばストーリーが面白いとか、 画がうまいとか、デザインが素晴らしいといった、 いろいろな要素から成り立つ総合芸術的な魅力も あると思います。 でも、そのうちのどれか一つだけでも成立すると 思うんです。話が面白くなくても、画がうまいと それでプロとして成り立ったりするんですね。 普通だったらこのストーリーだと幼稚だな、 というものでも売れちゃうんです。 売れるというか、芸術として成り立つんですね。 逆に、画がこれは子供が描いたの?という作品でも、 とにかくストーリーが面白かったり。 いろんな魅力があるんですよ。 でも、僕には理解できないものもありますが(笑)。
聞き手: これはすごいと感銘を受けるものは今でもありますか?
荒木さん: それはもうたくさんあります。 若い人たちはすごいですよ。 でも逆に、画もうまくないし、ストーリーも面白さが わからないけど売れる、という作品もありますね。
聞き手: 東北大学での講演時にもストーリーは 起承転結が非常に大事という話もされていたそうですね。
荒木さん: そこから完全に外れているマンガでも、 かなりファンがいたりとか… それはそれで、すごいですけどね。
聞き手: そうした懐の広さというのもマンガの持つ 魅力かもしれませんね。一方で、海外では マンガはどのように受け止められているのでしょうか。
荒木さん: フランスのマンガは「バンド・デシネ」というのですが、 その描き方はこちらとは明らかに違います。 例えば、日本ではまず表紙に主人公を描くんですよ。 メインのキャラクターをバーン!と。 それを、ルーヴルのスタッフは表紙にキャラクターを 描いてくれるなというんです。 ルーヴル美術館は人物の背景として描いているのに、 背景のルーヴルをメインで描いてくれって。 確かにフランスのバンド・デシネを見ていると、 表紙のメインが背景なんですよ。
聞き手: 主人公はどうなってしまうのですか?
荒木さん: 主人公は背景のどこかに、 よ~く見ると小さく写っていたりとか、 建物の上を飛んでいる飛行機に ちょっと乗っていたりとか、 運転している車の操縦席からちらっと 見えていたりとか(笑)。 そういう画を描いてくれって言われました。 逆に、日本の場合は絶対にファッション雑誌の 表紙の様に主人公が前にガーン!と出ている。 そこはまるで違いますね。
聞き手: 正反対の価値観なのですね。
荒木さん: ええ。だから、「日本はこういうやり方なんです」って 説明して描いたんですよ(笑)。 なかなか分かってもらえなかったですが、 「日本人のマンガ家に依頼したんだから、 日本のマンガの方法論でやらせて下さい」と 説得しました。
聞き手: 先生がデビューされた当時の週刊少年ジャンプでは、 10m離れても見ても誰が作者なのか分かる画を描く、 というのが基本だったそうですね。
荒木さん: ええ、そうです。
聞き手: でもそれとは逆で、向うの人は一目で誰が描いたのか 分からなくても、いいと。
荒木さん: まず全体的なムードを描いてくれ、という感じですね。 あなたならルーヴル美術館をどう描きますか、みたいな。 あくまでもルーヴルがメインという考え方ですね。
聞き手: 「ジョジョ」の作者というよりも、アーティストという 位置づけだったのかもしれませんね。
第7回 今後の仙台市とジョジョ作品との関わりは? 2011.2.20
聞き手: 確かに欧米では、マンガやアニメは子供のもので、 大人が見るものではないという区分けが はっきりなされているようですね。 我々ファンは、荒木先生が遂に世界に認められて ルーヴル美術館に展示された、ということで 嬉しく思っていますが、先生にとっては、 マンガ家の立場とアーティストの立場で 葛藤があったのでしょうか。
荒木さん: 葛藤というか、そうした違いをはっきりと感じましたね。
聞き手: 京都の展覧会では、ヨーロッパの作家さんと 一緒に展示されていますが、その作家さんたちとの 交流はありますか?
荒木さん: その時来日されていた、ニコラ・ド・グレシーさんには お会いしました。
聞き手: 日本語訳が出版された際に推薦の帯を 書かれたそうですね。 先生の作品と相通じるところはあるのでしょうか?
荒木さん: いや、違いますね。読み味とか全然違うんですよ。
聞き手: ファンの方が運営されているサイトで 紹介されていましたが、先生のファンならば、 これはこれでひとつの完成された奇妙な世界のように みえるそうですが。
荒木さん: そうですね。画がものすごく上手いです。
聞き手: それはマンガというよりも絵画として。
荒木さん: ええ、なんかねこう、大人がお茶とか お酒を飲みながらゆっくり鑑賞するようなイメージで、 日本のマンガみたいに電車の中とかでバーッと読む 感じではないですね。
聞き手: アートとして鑑賞するようなイメージですか。
荒木さん: ワイン片手に鑑賞しながら、「ンー」みたいな(笑)。 あるいは週末の午後はこれを観ながら ゆっくり過ごそうかな、みたいな感じで。
聞き手: 日本でもそんなマンガ文化があれば面白いですね。 先生の画集などは、おそらくそういう楽しみ方も できると思います。
荒木さん: そうした要素も少しずつ取り入れたいとは思いますが、 でも、電車の中で読むっていうシチュエーションも また大切なんだよね。
聞き手: 家に帰るまで待ちきれない楽しみというのも ありますから。
荒木さん: そうそう。「来週どうなるんだろなあ~」って。 僕が子供のときは、少年ジャンプは本当は 火曜日発売なのに、仙台駅だけは月曜の夕方に 買えたんですよ!もう一刻も早く読みたくて 駅まで買いに行ってました。 そういうのは必要ですよね。
聞き手: ワクワク感といいますか、続きがどうなるんだろう、 という楽しみが生活の中にあるのは大事ですよね。 その意味でマンガの役割は、大きいと思います。
荒木さん: そうだと嬉しいですけどね。
聞き手: こうして話を伺っていると、先生のアイデンティティは かなり仙台で生まれ育ったことに起因する部分も かなりあるように感じますが、そのご活躍や 「ジョジョ」作品を知っている仙台市民は多くても、 実際にご出身が仙台だということは、あまり 知られていないような気がします。
荒木さん: そうかもしれないですね、僕自身あまり仙台を アピールしていなかったかも(笑)。
聞き手: たまたまあまりその機会が無かったからでしょうか。
荒木さん: 主人公が旅をするストーリーが多いので、 僕自身がどこかに定住しているイメージが ないのかもしれない… 「ジョジョ」で日本を舞台としているのは、 第四部の杜王町シリーズだけだし。
聞き手: ですが第四部で大きくファン層が広がったと思います。
荒木さん: 今度はもっとその辺をアピールしますか、 杜王町を舞台にしているのは、「ジョジョ」の作者が 仙台市出身だからだよ!って(笑)。
聞き手: ぜひお願いします。
荒木さん: でもね、殺人鬼とか出てくる話ですから、 仙台市民の方が怒るのではないかという心配が 強いんです。本当に仙台の人たちに ご迷惑をおかけしたくないから。
聞き手: 今年(※注2010年)は市内でも事件があり、 仙台が全国的に注目された時期もありましたが、 裁判員制度も始まり自分の住んでいるところでも、 そうした事件が身近に感じる時代に残念ながら なりつつあるかもしれません。
荒木さん: 「こちら葛飾区亀有公園前派出所」のように 街にとって良いイメージがあるような作品であれば 良いのでしょうが、僕の作品のイメージだと、 ちょっと…(笑)。 あんまり大々的に仙台をそうした舞台とするのは 気が引けます。
聞き手: ところで、以前先生にエコバッグのデザインを お願いしたことがありましたが、先生に描いて いただいたものは大人気で あっという間になくなってしまいまして。
荒木さん: 嬉しいですね、エコバッグで少しは仙台市に 貢献できたのかな。
聞き手: 大変話題となったのですが、エコバックの制作枚数 自体がそれほど多くはなくて、あっという間に コレクターアイテムになってしまったみたいです。
荒木さん: 市民の皆さんに喜んでいただけるなら、 今後も頑張ります。
聞き手: 「ジョジョ」ファンの皆さんは、仙台を 聖地巡礼として訪れる方がいらっしゃるようですし、 また仙台市での「ジョジョ立ち」も大変盛り上がったと 伺っておりますので、ぜひ、仙台で「ジョジョ」を リアルに感じてもらえたらと思います。 ちなみに仙台市では「彫刻のあるまちづくり事業」を 行っていて、市のシンボルである定禅寺通りの ケヤキ並木の下などにも、ファンには「ジョジョ」の 世界観を感じさせる彫刻もありますし。
荒木さん: ああ、ありますね(笑)。
聞き手: 熱心なファンの方でしたら、「ジョジョ」とは 全く関係がなくても「捻り」が入った彫刻を見て 喜ばれると思いますが、実際に「ジョジョ」を モチーフとした作品を仙台市で鑑賞できたら、全国から ファンの方がたくさん仙台市を訪れてくれると思います。 ちなみに、仙台市役所にも「ジョジョ」の熱心な ファンがいて、 作品に登場するエピソードや 名所などを巡るルートを設定して、仙台市としても セールスポイントをつくろうという企画がありました。
荒木さん: いやそんな、恐れ多い(笑)。でも夢のような話としては、 なんだか、楽しそうですね。
聞き手: 実際に青葉区花京院にある郵便局などをファンの方が 訪れて、「郵便局なのにやっぱり緑色だ!」という話も あったそうです。普通の郵便局だけでなく、 街のいろんなところに「ジョジョ」ワールドを 見出す熱心なファンの方がいるようです。
第8回 仙台出身者はいつまでも若い?! 2011.2.21
聞き手: 「ジョジョ立ち」もそうですが、フィクションの世界に とどまらず、作品の魅力が現実世界に侵食してきて いるということだと思います。 また、2010年のNHK朝のテレビドラマ小説で 「ゲゲゲの女房」が大ヒットして、 モデルとなった水木しげる先生の故郷に たくさんの観光客が押し寄せるようになったそうです。 テレビ放映前は、ファンの方が訪れるくらいだったのが、 放映後には人口の数倍の一般の観光客が訪れるように なったそうで、経済効果としても大きな効果があったと。
荒木さん: 水木先生ご自身がもう素晴らしいですからね。
聞き手: せっかくですから、今後は何か仙台市でも、 「『ジョジョ』の作者・荒木飛呂彦のルーツはここにあり」 みたいな企画などできたらと思います。
荒木さん: いや、非常に光栄なんですが…恐縮してしまいます。
聞き手: ご存じかと思いますが、仙台市は自然環境に恵まれて いるものの、正直なところ全国からどっと人が 押し寄せる観光地というよりも、どちらかといえば 実際に暮らしてみて、 いいなぁと思う土地柄だと思います。
荒木さん: そうですね。
聞き手: ですから、仙台の良さをPRする上でやはり 「人」がカギになると思います。 仙台の良さを知っていただき、 実際に住んでみていただいて、 ああ、本当に素晴らしいですね、 と思っていただくためには、そこで暮らす人たち自身が いいところだと実感していることは前提ですが、 その上で人と人とのつながりによって 魅力を発信していくことが大切だと思います。 「ジョジョ」ファン同士には非常に固い絆があると 思いますから、仙台市の地域振興、魅力の発信という 観点からもぜひ先生のご協力をいただければ、 と思っております。 「水木しげるロード」ならぬ 「荒木飛呂彦『ジョジョ』ロード」ですとか。
荒木さん: 本当に夢みたいな話ですね。 仙台市のために協力できることがあったら これからも何かできればと思っています。
聞き手: ありがとうございます。 生命科学研究者の瀬藤光利さんが、 アメリカの医学生物学誌「cell」の表紙用イラストを 先生にリクエストされたように、 リアルタイムで「ジョジョ」を読んで育った世代が、 作品から受けた影響をマンガ以外のフィールドでも どんどん現す時代になってきたと感じます。 また、新たな若い読者も増えているようですし。
荒木さん: すごく嬉しいですね。 これからも幅広い世代に渡って読んでいただけたら いいですね・・・水木先生のように。
聞き手: やはり長く連載されているからこそ、 そうした意味でも広くアピールできると思いますので 今後も末永いご活躍を願っております。
荒木さん: 水木先生はもうすぐ90歳になられますが、 それでもなお素晴らしいですよね。
聞き手: 以前先生は、週刊誌連載では非常に体力を消耗するので、 連載は50歳くらいが限界、というようなことを おっしゃっていました。現在は月刊誌での連載となり、 週刊誌よりはいくらかご負担が減ったと思いますが、 今後はどのくらいまででしたら大丈夫と 感じられていますか。
荒木さん: いや…こればっかりは、本当に分からないですね。 でも、あと10年は最低でもやりたいですね。
聞き手: 先生は1960年生まれと伺っていますが、 こうしてお話を伺っていながら、 正直に申し上げますがとてもそうは見えません。 噂では「ジョジョ」の登場人物たちと同じく 「波紋使い」ですとか、 奥様が波紋の使い手で、ご自宅で「波紋」を 浴びているとか…
荒木さん: いや歳相応ですよ(笑)。 「波紋」じゃなくて…仙台の人は、 皆さん若いからだと思いますよ(笑)。
聞き手: 先生に限らず仙台出身者は若く見える人が多いと。
荒木さん: こうした自然環境や気候とか、お米や食べ物とか… そうした要素があるかも。
聞き手: では先生もこのまま変わらず、あと私たち仙台市民も、 いつまでも若々しく「ジョジョ」を楽しむことが できますね。
荒木さん: でも、この仕事は本当に危ないんですよ。 油断できませんから。 手塚先生は60歳で亡くなられていますし。
聞き手: 創作にエネルギーを注ぎ込んでしまうから なのでしょうか。
荒木さん: どうしても無理してしまうのかもしれないですね。 若い時とは違ってもう徹夜できないのに、 描いているとやれると思ってしまうとか。
聞き手: 描いているとアドレナリンが出て 疲れを感じられなくなってしまったりするのでしょうか。
荒木さん: 集中していたら、あっという間に時間が飛びますから。 気づいたら何時間も同じ姿勢で描き続けていて、 腰がもう…(苦笑)。
聞き手: まるでディアボロのスタンド「キングクリムゾン」 の攻撃にあったみたいに、時間が消し飛び、 腰の痛みだけが残る。 私たちも「波紋」が使えるのでしたら、 先生に生命エネルギーを送りたいですが(笑)。
荒木さん: ありがとうございます。 いつでもエネルギーは欲しいですので(笑)。 でも今日は、皆さんから元気のエネルギーを たくさんいただいた気がしますよ。
第9回 荒木先生からのメッセージ 2011.2.22
聞き手: では最新作の話をお伺いします。 先日(2010年11月)、第7部「SBR」の第22巻が 発売されました。その中で、 我々行政機関で働く職員にとって 非常に印象的なエピソードがありました。 この世の不幸をどこか自分たちの住む地域とは 別の世界へ追いやるという絶大な能力を得た アメリカ大統領が、世界中のすべての人間が 幸せになることはありえないので、 自分は愛国心に基づいて、この能力を使って 正しい行いをしていると主張するシーンがあります。 行政職員としては、より多くの市民が幸せを 感じられるような施策を行うことを考えながら、 一方ですべての市民にとって満足のいく施策は 難しいというジレンマがあり、 やはりこの大統領の主張にも 肯かされるところもあるように感じてしまいました。
荒木さん: 予め断っておいた方がいいと思いますけど、 このヴァレンタイン大統領は、悪役ですからね(笑)。 参考にしないで(笑)。でも、実はある意味では その主張が正しいという悪役にしたかったんです。
聞き手: そうですよね、実際、ストーリー上では主人公が そのシーンで「あれ?間違っていたのは僕?」 みたいな感じで…
荒木さん: そうそう、揺れています。
聞き手: 先生が「悪役」と言われるのでそのセリフを 真に受けてしまってはダメなんでしょうが、 リーダーシップとしてはありなのかな、とも思えますが。
荒木さん: いや、現実世界ではありだと思いますよ。 僕自身もこの大統領のようなリーダーシップの方が、 本当は好きです。
聞き手: 上に立つものとしては、やはりそうした覚悟を 背負う必要があると。
荒木さん: そう。全員にとっての幸せが無理なら、やはりどこかに 視点を置いて考えなければいけないでしょうから。 結局物事において絶対的に正しいとか悪いことって そんなにないと思います。だからこそ、 もうここだという線引きが重要だし、 政治はそのための仕事でしょうから。 それで、覚悟を持って決めたからにはもう、 突き進んでいくべきだと思います。 ちょっと何か言われたくらいで心が折れたり、 前言撤回したりすることは良くないなと思います。
聞き手: そういう意味では、ヴァレンタイン大統領は、 政治家としてはOKですよね。 もうこのまま行くしかない。
荒木さん: 悪役ですけどね(笑)。
聞き手: 一方で現実世界は、いろいろな価値観がぶつかり合う 本当に難しい時代です。 今の政治にヴァレンタイン大統領のような精神を 求めることも厳しいかもしれませんが、 それでも寄って立つべき信念は必要ではないか と思います。大統領は「愛国心だ」と言っていますが、 私たち一市民として持っておくべき信念としては、 先生の作品のテーマにつながる話かと思いますが、 改めてお聞かせいただけませんか。
荒木さん: 愛国心とまではいかなくても、 やはり家族を守ろうという感情や、 あるいは自分が生まれた故郷や今暮らしている地域 への想いなどに繋がる部分だと思います。
聞き手: 「ジョジョ」が「人間賛歌」をテーマとしている といわれる由縁ですね。やはり先生の仙台への想いも そこから来ているんですね。
荒木さん: そこの辺を…自分としては、おろそかにして 欲しくないですし、おろそかにするような人には 上に立って欲しくないと思いますね。
聞き手: 仙台市役所職員は自分の住む街を思う気持ちは もちろん持っていると思いますが、その上でさらに 覚悟を持って仕事に臨まなければいけませんね。
荒木さん: そうですね。厳しい時代ですから、 風当たりは強くなるかもしれませんが。
聞き手: そこはやはり、「ジョジョ」を愛する市職員としては、 作品で描かれているような「『正義』の輝きの中にある 『黄金の精神』」を参考にしたいと思います。
荒木さん: 「ジョジョ」作品の中での戦いだと、 最後まで勝ち残るのは、 多分一人二人くらいしかいない世界ですし、 また現実も相当厳しい時代ですが、頑張ってください。
聞き手: ありがとうございます。
聞き手: さて、広瀬川ではNPO団体が約20年振りに 貸しボートを復活させたり、 市民団体が中心となって企業や大学などと 流域一斉清掃活動などを行ったりと、 市民の皆さんがいろいろな活動を行っています。 最後に、先生から広瀬川に関わる活動を行っている 皆さんへ応援のメッセージをいただけますか。
荒木さん: 広瀬川だけでなく、こうした自然環境を守っていく上で、 これからの時代は行政だけで何もかもやっていくことは 不可能だと思います。 昔は、例えば神社の落ち葉掃除などを 近隣に住む人たちが自然にやっていましたよね。 先ほど愛国心の話もありましたが、 そこまでいかなくても 市民が自分の住む街を大切に思う気持ちから、 ボランティア活動などを行うことは とても大切なことだと思います。 そうした活動をされている方が広瀬川に たくさんいらっしゃることは、 素晴らしいことだと思います。
聞き手: 市民一人ひとりがそうした地域を愛する気持ちを持って、 連携していければ広瀬川だけでなく仙台市も さらに素晴らしい街になりますよね。
荒木さん: そうですね。 誰か一人の力で何とかなるものではないと思いますから。 そのためにも、みんなで芋煮会をしたりして 仲良くなったり、付き合いが広がっていけば いいですよね。何よりも楽しいし(笑)。
聞き手: 芋煮会はコミュニケーションを深められるだけでなく、 広瀬川をこれからも守っていくことにつながりますね。
荒木さん: そういった活動がさらに広がっていくことを 願っています。僕もそのために何かできることが ありましたら協力したいと思います。
聞き手: ありがとうございます。 先生の広瀬康一君にこめられた想いに負けないように、 私たちもこれから頑張りたいと思います。 今日はお忙しいところ本当にありがとうございました。
第10回 こぼれ話 2011.2.23
聞き手: 今回は、ここイタリアンレストラン「アル フィオーレ」 をインタビュー会場としてお借りしました。 こちらのお店からは、ご覧いただいているように、 広瀬川と仙台市街地を見下ろす 素晴らしい景色が望めます。
荒木さん:そうですね。 この場所にこんな素敵なイタリアンレストランが あるなんて、僕が仙台にいた頃には 考えられなかったことすね。
聞き手: このロケーションも素晴らしいのですが、 こちらのお店に伺った理由はもう一つあります。 「ジョジョ」第四部、「杜王町」という日本の架空都市を 舞台とした「ダイヤモンドは砕けない」編で、 主人公「東方仗助」と親友の「虹村億泰」が、 イタリア料理店「トラサルディー」を訪れるという エピソードがあります。
荒木さん: スタンド使いのシェフ・トニオさんが、スタンドで 料理を食べた人を健康な状態に直してしまうというお店。
聞き手: 私も大好きなエピソードで、「ジョジョ」ファンならば そんなお店が現実にあった絶対行きたい、 というお店ですが、実はこのお店のシェフ目黒さんも、 スタンド使いではありませんが、様々な食材も 手づくりされていて、こちらに吊るされている ハムなどもシェフ自らが作られているんです。
荒木さん: トニオさんみたいに料理にスタンド「パール・ジャム」 が入っているかも。
聞き手: 先生、肩こりや眼精疲労などの症状はありませんか。 でも今日は、食事を召し上がっていただく時間がなくて 大変残念ですが・・・ ところで、「ジョジョ」第五部「黄金の風」編で イタリアを舞台とした作品を描かれていることもあり、 先生はイタリアが大変お好きなのではないかと 思っておりました。
荒木さん: 実は東京に行っていちばん衝撃を受けたのは、 パスタなんです。 こんなに美味しい食べ物があったのかー!って、 本当に圧倒的な衝撃でした。 僕が仙台にいた頃は、 今のようなイタリアンレストランはなかったんですよ。 こんな素敵なイタリアンレストランがあるというのは、 当時から考えたら夢みたいです。
聞き手: こちらの目黒シェフは先日TBS「情熱大陸」に出演され、 仙台のイタリア料理界では注目のお店で、わざわざ 東京から足を運ばれるお客さんもいるくらいです。 ちなみに、お店のメニューも、お客さんの好みに応じて シェフと相談して決めるというのが基本です。
荒木さん: 同じじゃないですか。 まさか、「ジョジョ」の方が後からだったりして…
聞き手: お店は開店して間もなく6周年、 現在の場所に移転されてからは、4年周年とのことです。
荒木さん: よかった、「トラサルディー」のオープンが先ですね(笑)。 ところでこのタルト、香りが素晴らしいですね。 僕は食材の香りを活かしている料理が好きなんですよ。
目黒シェフ: 紅イモのアイスクリームピュレを添えた 洋ナシのタルトです。 その上にパルミジャーノ・レッジャーノを 振りかけています。
荒木さん: 本当にパルミジャーノ・レッジャーノの香が・・・すごい。 あとこの紅イモの甘みが・・・美味しいですね~。
聞き手: ぜひ今度仙台にお越しになる際にはこちらで食事を 召し上がっていただければと思います。 シーズンになったらジビエ(野獣)料理もお勧めです。
荒木さん: ジビエといっても、例えば海側でとれる雉と野山で 獲れる雉とでは、潮風とか食べる餌の違いらしいですが、 味が違うらしいですよ。 そんな話を聞くと、その違いを探ってみたいですね。
聞き手: では今度、こちらのお店のシェフに 海側の雉と山側の雉を取り寄せていただいて…
荒木さん: 二種類出していただいて、今度ぜひ 食べ比べしたいですね(笑)。 でもこちらのデザートをいただいたら 何だか元気が出てきましたよ!
聞き手: シェフ、先生がデザートを召し上がって 元気が出たそうです! やっぱりスタンド使いだったんですね(笑)。