Araki x Tetsuo Haro (09/2017)
Jump Square (December 2007)
KING (March 2008)
An interview between Hirohiko Araki and Tetsuo Hara, initially shown in the "Weekly Shonen Jump Exhibition".
Interview
『週刊少年ジャンプ』創刊50周年記念を機に、六本木ヒルズ森タワー52階の森アーツセンターギャラリーで2017年10月15日まで開催されている「週刊少年ジャンプ展VOL.1 創刊~1980年代、伝説のはじまり」。同誌の黎明期を盛り上げたレジェンド作家たちによる生原画が拝める貴重なイベントであるが、そんな中でさらなるスペシャル企画が行われた。
9月8日、厳しい競争率のチケットを勝ち取った30名の参加者の前に現れたのは、『ジョジョの奇妙な冒険』の荒木飛呂彦先生と、『北斗の拳』の原哲夫先生。歓声よりも息をのむ音のほうが聴こえる異様な空気の中、およそ1時間にわたって繰り広げられたプレミアムトークショー。その模様の一部をお伝えしたい。
毎週のように編集部で描き直してました」(荒木氏)
実は荒木氏と原氏、プライベートでもときどき食事をするという間柄だが、マンガの話をすることはあまりないという。そもそも荒木氏(1960年生まれ)と原氏(1961年生まれ)は同世代。10代の頃からジャンプ編集部に原稿を持ち込み、ほぼ同じ時期に荒木氏は『魔少年ビーティー』、原氏は『鉄のドンキホーテ』で連載デビューを飾った。当時を振り返る2人だが、それは必然的に担当編集者とのやり取りの記憶でもある。
原 僕のほうはすごく優しかったですよ。ピンクのポロシャツを着たクマさんみたいな。 ただ僕の仕事が遅いんで、だんだん怒りのクマさんみたいになってきて、オーラがラオウみたいに変わってくるんです。しかも夜に酔っぱらって来るから「原稿どこまでできてるんだよ!」「何でここまでしかできてねえんだよ!」って机バーンと蹴られて。
荒木 それ、今言うとダメなやつだよね(笑)。僕の場合はすごく直しの多い人でしたね。いつも地元の仙台で描いた原稿を宅急便とかで送ってたけど、あとで電話が鳴って「直しに来い」って言われるんです。そこから(東京にある)集英社の会議室で、同じ原稿を10枚とかもう一回描くわけですよ。顔が違うとかそういう理由で。隣の部屋にはゆでたまご先生とか江口(寿史)先生もいて、よく「ゆで先生、ドライヤー貸してください」なんてやり取りしてました。彼らはもう泊まり慣れてるんだよね。
原 僕はそういう缶詰みたいな体験はなかったですね。当時は杉並区に住んでたけど、担当さんも中央線沿線だから帰り道に原稿を取りに来るんです。他のマンガ家さんも同じように通り道に住むようになって、みんな吉祥寺に集まっちゃった(笑)。
補足すると、2人が示している担当編集とは、荒木飛呂彦氏は椛島良介氏(『ハイスクール!奇面組』『まじかる☆タルるートくん』など)、原哲夫氏は堀江信彦氏(『シティーハンター』など)のことである。どちらも週刊少年ジャンプで数々のヒット作を導いてきたレジェンド編集者。そして豪腕として知られている。
原 椛島さんって身長180cmくらいあって圧がすごいじゃないですか。荒木さんはカワイイ女の子みたいだから、(打ち合わせで)抱きかかえられて連れていかれちゃったよみたいな。あの後ろ姿、よく見てました。
荒木 (笑)。マンガ家と編集ってすごく密接な感じになるんだよね。打ち合わせとかも一晩ずっとやったりとか。たとえば僕、旅行とかあんまり好きじゃなかったんだけど、椛島さんが「経費でさ、エジプト行こうよ!」って言い出すんです。でも「ええー、食中毒になったらどうするんですか」って言いながら渋々付いていって。それで描いたのが『ジョジョの奇妙な冒険』だったんです。
原 ええー、そうだったんですか。僕もなんか、『北斗の拳』の連載が終了した時にご褒美旅行とかいってグアテマラに連れていかれましたね。あちらって瓶に入っている水でも濁ってるからお腹こわしちゃって。しかもホテルでは堀江さんと同じ部屋で寝るわけですよ。途中でロサンゼルスに泊まった時なんて、部屋と直結したプールに素っ裸でバーンって飛び込んで、上がってきたと思ったらそのまんまガーって寝るんです。僕そういうの苦手だから、「風邪ひきますよ?」みたいな感じで辛い旅行でした(笑)。
「“あべし”は誤字じゃないんだぞ!」(原氏) 当時の週刊少年ジャンプ編集部は、今の時勢では想像もつかないほどハードで修羅場な環境だったらしい。編集者たちは面白いマンガを作るために血気盛んで、酒が入れば喧嘩になることもしばしば。その反面、「他のマンガ誌に比べると、新人に対して門戸が開かれているイメージがあった」と原氏は語る。
高校時代、初めて原稿を持ち込んだ原氏は、別の編集者から「ゆでたまご先生なんて高校生で連載してるんだから、17歳でまだこんなの描いてたら遅いよ」と言われてショックを受けたそうだ。「なんかアイドルみたいだね」と笑う荒木氏だが、彼もまた原稿を持ち込みに行った時、「前の新人さんがある編集者に『こういう原稿見たくないんだよね』と帰されてた」と、容赦ないやり取りに戦慄を覚えたとか。中には泣きながら描いた原稿をシュレッダーに掛けさせられている新人もいたという。マンガ家たちは読者に作品を読んでもらう前に、いかにして担当編集者のチェックを通すか苦労したようだ。
原 僕なんて絵が描けるバカみたいなものだから、まず堀江さんの壁が越えられなかったんですよね。編集者ってみんな高学歴で頭がいいんですよ。僕が「ひでぶ」とか「あべし」とか描いて出しても「字を間違えてるぞ」って返ってきて(笑)。「違うんだよなあ、一生懸命考えて出したんだけどなあ。バカだと思って、俺だって考えてるんだぞ!」って思ったことがありましたね。
荒木 僕なんかはね、他の作家さんが描いた作品と似たマンガを描くと怒られたんですよ。たとえば原先生だったり江口先生みたいなマンガを描いたら、椛島さんから「おい、お前こういうのは絶対描くなよ!」って。だから他の人たちの隙間を縫うようにアイデアを出してったんです。
「ある日、大事な原稿がなくなって……」(原氏) 自分ならではのオリジナリティを磨き続けてきた延長線上に、今の栄光があるのかもしれない。いつの時代もマンガ家たちは腕を磨くために色々な努力や経験を積んできた。中でも本誌で活躍している先輩作家の下でアシスタントを経験できれば、この上ない修業になったという。絵に多少の自信があった原氏は、高校時代に『COBRA』で知られる寺沢武一先生へのアシスタントを志望したものの、堀江氏に「あそこはダメだ、高橋よしひろ先生のところへ行け」と言われたそうだ。
原 初めは「えっ!?」て思ったけど、当時ジャンプで人気があったのが(高橋)よしひろ先生だったんですよね。だから「そういう作家の下で修業したほうがいいよ」って言われて僕も納得したんです。よしひろ先生はすごく良い人でしたね。寺沢先生とも仲が良くて、後日「僕んところ来たらダメだったんじゃないの」って言われました。
荒木 いいなあ。仙台いたから行けなかったけど、僕もアシスタントとか誰かのところ行きたかったです。実は『バオー来訪者』で上京するまでホワイト(修正液)で直せることも知らなかったから、全部(白い部分を)抜いて描いてて(笑)。編集者ってマンガ家をすごく大事にしてるから、編集部に行っても他の作家の原稿とか見せてくれないんですよ。お願いしても企業秘密みたいに全然ダメで。だからこっそり誰かのデスクに置いてあった原稿をのぞいたりするんです。あれは勉強になったなあ。
原 だから独特なのか。でも、そのほうがいい画ができるんですよね。知らないほうがいいこともありますよ(笑)。
荒木 あ、でも原先生の原稿は見たことあるよ。僕の仕事場に原先生のアシスタントが来てくれたことがあって。その時に彼が原稿を持ってたんですよ。たぶん『北斗の拳』だったと思うんだけど、一枚くらい見せてくれて。
原 えっ。なんか僕の大事な原稿がなくなった時があって……。○○君かな?
荒木 いや分かんないけど。あと名前もダメだから(笑)。
「今のマンガと並べて見比べてみたい」(荒木氏) 他にも荒木氏や原氏が影響を受けたマンガや、美しいイラストの作画ポイント、週刊少年ジャンプで連載していた頃に好きだったページ数や紙の色など、マニアックな話題にも及んだ。最後に今回の展覧会を2人はどのような気持ちでご覧になったのだろうか。
荒木 やっぱり他の作家さんのを見てると上手いよね。古いっていう意味じゃなくて、ちょっと違ったエネルギーみたいなマンガ家の生命感があって。今のジャンプで連載をしている作品と描き方を見比べてみたいですね。個人的にはジャンプって圧倒的に紙質とか印刷が……なんだけど、みんなそれを承知して描いていて、読んでいてその匂いとかも好きなわけで。でもこうして生原画を見ると、すげえなあって思いました。ちょっと改めてすみませんって感じなんですよ、宮下あきら先生とか(笑)。
原 残念ながらそれ、アシスタントさんが描いてますからね(笑)。それは冗談として、僕は今まさに豊臣秀吉の気持ちが分かる気がしましたね。
荒木 ……ちょっと分かんないから説明していただけると(笑)。
原 豊臣秀吉の辞世の句(露と落ち 露と消えにし 我が身かな 浪速のことは 夢のまた夢)ですよ。僕はまだ死んでないけど、これまで頑張ってきた日々も夢のようにはかない露みたいなものだなあって思ったら、ちょっと空しくなってきて。でも、いつも気持ちが若々しい荒木先生を見たら元気をもらいました。どうもありがとうございました(笑)。
荒木 ええー、そういう感じで締めちゃうの?
正直、はじまる前のイメージとはほど遠い、のんびり和やかなムードの中、愚痴も暴露もNGワードまで色々飛び出した今回のトークショー。国民的なレジェンド作家でありながら、ボケとツッコミの漫才を見ているように交わす2人の会話は、終始楽しげに進んでいった。
なお「週刊少年ジャンプ展」では荒木氏、原氏ともに当時描いた渾身の生原画が複数飾られている。ファンでなくても目を奪われるであろう迫力に満ち溢れているので、これを機にぜひ一度鑑賞することをおすすめしたい。
取材・文=小松良介 [1]