Monsoon Spring (04/1999)

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Published April 1999
Monsoon Spring 1999 Vol. 2

An interview with Hirohiko Araki from the Monsoon Spring 1999 Vol. 2 magazine.

Interview

Transcript

「日常」そして「運命」、その次は?

――今回の号の裏テーマが『2010』なんですよ。

荒木 西暦2010年て事ですか。

――そうなんです。「1999年でバカ騒ぎするな、一歩先の未来について考えろ!」と。

荒木 なるほど。

――それに無理矢理合わせて大好きな『ジョジョ』について考えたとき、「未来社会の『ジョジョ』は果たしてどうなるのかな」と思ったんです。

荒木 あのね、わしは「日常」っていうのを大切にしてるんですよ。生活の中でこう、コーヒー飲んだりとか、みんなに分かることってあるじゃないですか。 今、第五部ではイタリアを舞台にしてますけど、やっぱりイタリアって外国だから、日本人には馴染みが無いんだけども、 でも、ジョルノ達も御飯は日本と同じようなスパゲッティを食べてるとか、そういう読者の日常との接点を、マンガに取り入れてるんですよ。 全部作ったような世界は難しいんです。 日本人が食べたことが無いものを食べてる世界とか、日本人が使ったことが無いような機械を使ってる ○○星の人とかっていう、スターウォーズみたいなのはね、ちょっと『ジョジョ』では難しいんじゃないかな・・・といつも思ってるんですよ。

――へぇー。

荒木 九十三年の段階でマンガでは九十九年の世界が舞台だとか、そういう事もやってたんですけど、 未来で核戦争が起こったりだとか、そういうのを想像するのってあるじゃないですか。 だけど『ジョジョ』ではあんまりそういうのは想像しないんです。九十三年の日常を引きずりながら・・・

――やっぱり九十九年もそんな変わってないみたいな。

荒木 そう。殺人もやってるけど、「ちょっと殺人鬼は進化してるかなあ」みたいな、 そういう微妙なとこなんですよね。

――なるほど。やっぱり『奇妙な冒険』だから、設定からして奇妙だと、出来事が奇妙になんないですよね(笑)。

荒木 うん、そうですね。まさしくそうなんです。 でもマンガだから、「ちょっと未来が欲しいな」みたいなね。

――「日常」があるからこそ「奇妙」が際立ってくる。第四部の杜王町は、その典型ですね。

荒木 でも、読者は一方で話の盛り上がりも欲しいわけですよ。毎日同じように延々と続く『サザエさん』の世界みたいなのは、『ジョジョ』には求めてないので、「この辺で最終決闘にいかなきゃいけないのかな」っていう。四部の外伝はいっぱいあると思いますよ。

――あの日常は住んでたらちょっとヤですね。

荒木 住んでたらヤだよね(笑)。でも、あの当時は異常だったよね。 実際オウムとか起こっちゃったし。昔からね、新興住宅地は結構変なヤツがいるっていうのはあったんですよ。 「一見幸せそうできれいだけど・・・」みたいな。

――九十九年七月はどう思われます?

荒木 杜王町はたぶん普通に過ぎていくと思いますよ。

――荒木先生的に何か対策はありますか?

荒木 「ディープインパクト」ってあるじゃないですか。わし、ああいうのがいいと思うんですよ。 隕石が落ちてきて、地球の半分ぐらい死ぬじゃないですか。 全員滅亡するのはイヤだけれども、半分ぐらい壊滅して欲しいなあ、と(笑)。 別に地球を完璧には救ってないけれども、なんかスカっとするんですよ、そういうのはなんか必要なんじゃないですかねえ。

――で、今は第五部を描かれてるわけですが・・・

荒木 そうだね、第五部は「やっぱり人間って運命にしばられてるのかな」っていうのがあるんです。 マンガを描いてると分かってくるんですよ。 例えば主人公を設定するじゃないですか、で、その主人公が新宿に来たとすると、その後どうするのか、一見無限の可能性があるように思いがちですよね。 でも主人公に動機づけとか性格とかがあるとね、もう決まってくるんですよ。 例えば東京駅に敵がいたりとか、愛する人がいたら、もうその主人公は東京駅に行くしかない。 わしが考えるまでもなく、そういう風に動いてしまう。 そうすると「あ、運命ってあるんだな」って、創作してると分かるんです。

――それ逆説的ですね、なんか。

荒木 でも、「運命はやっぱり主人公が切り開いていくものなんだな」っていう。 死ぬかもしれないけど、切り開いていく。・・・キャラクター作って、過去とか細かいとこ決めていくと、やっぱり生まれた時が問題なんですよ。 生まれた時を決定すると、性格とか、後のことも自然に決まってくるんですよ。 わしはそんなの考えてないのに、「こうなるしかない」みたいな。 そうやって考えていくと、「運命とかあるのかなあ」って。

――「運命の五部」はどこに行き着くんですか。

荒木 もうすぐ終わるんですけど。ま、それは読んで頂ければいいと(笑)

――おぉー!ってことは六部の構想がもうあるわけですね。

荒木 まあ、朧気にですけどね。

――六部は未来にはしないわけですか。

荒木 いや、未来にいくんじゃないかな、微妙な未来に。

――ジョースターの血統は?

荒木 血統はどうなんだろう、まだそれは考えてないんですけどね。

――いや先生、そこ考えないと(笑)。

荒木 そっかあ。やっぱ重要ですかね。

――メチャ重要ですよ(笑)。 [1]

References

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