Manga Meister (December 2007)

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Published December 2007
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An interview with Hirohiko Araki from the website "Manga Meister".

Interview

――マンガ家という職業につくことを意識されたのはいつごろですか? 中学時代、好きでマンガや絵を描いていたら友達が褒めてくれてたんですね。 そのころからばくぜんと「マンガ家になりたいな」とはおもっていましたが、本当になりたいと思って投稿をはじめたのは高校に入ってからです。ゆでたまご先生が中学を卒業してすぐ『キン肉マン』の連載をはじめて、「同い年なのにプロでやっている人がいるのか、これはのんびりしていられないな」と思ったんですね。

当時はみんなデビューが早かったんですけど、それ以上に手塚治虫先生や梶原一騎先生の影響を受けた世代のマンガ家が台頭していて、マンガがメディアとしてもりあがっていたんです。 学校の先生や親には「マンガなんか読んでいたら馬鹿になるから…」と注意されていました。でも当時のマンガは、いろんな個性がぶつかりあっていて面白かったですね。

――ご出身は宮城県の仙台ですが、仙台という土地から受けた影響はありますか?

ぼくの少年時代というのは、戦争が終わって20年ほど経ったころで、戦争の爪あとじゃないけど、さまざまな伝説が残っていたんですよ。防空壕も残っていましたしね。 ふるい城下町でしたから、埋蔵金が隠されているという噂もあって、実際、そういういかがわしいものを探している山師風のひともいました。あと、年に一人くらいは子供が池でおぼれたりしていましたし、殺人事件もありました。

当時の仙台は、まだ闇が残っていたというか、ミステリー的な要素が多かったように思います。

――混沌とした雰囲気と、高度成長の波が拮抗しているような…

仙台は山や海といった要素がコンパクトにまとまっている街です。新興住宅地が広がって山のほうまで押しよせてきたり、ふるい町が区画整理されていくようすを見ながら育ちました。でもふしぎなことに、同時に、山を歩いていると亡霊や埋蔵金などの想像力を刺激する街でもあったんです。

そういう土地で『シャーロック・ホームズ』とか読んでいると、妙にリアリティがあるんです。だからマンガを読んだり、空想するのはすごく好きでした。

――子供のころは、どんなマンガを好んで読んでいましたか?

当時の流行していた作品はほとんど読んでいましたね。 『バビル二世』や『カムイ伝』、『カムイ外伝』などは、ぼくにとっての教科書というか、いまでも読み返します。横山光輝先生や白土三平先生はプロになっていく過程ですごく意識していました。

とくに横山先生は主人公の感情をドライに描く作風で、完全にサスペンスに徹しているので、子ども心に「ほかの作家さんたちとは違うな」と思っていました。ハードボイルドなんですね、絵もクールですし。

「少年ジャンプ」の作品では、やっぱり『リングにかけろ』ですね。あと『コブラ』や『サーキットの狼』。さらに子どものころだと『荒野の少年イサム』や『包丁人味平』も好きでしたね。「ジャンプ」は週刊も月刊も、すみからすみまで読んでましたよ。


マンガ家をめざして本格的に投稿をはじめた荒木氏は、1980年、『武装ポーカー』で「週刊少年ジャンプ」の新人賞「手塚賞」に準入選し、マンガ家生活をスタートした。1983年には『魔少年ビーティー』を連載、さらに翌年の『バオー来訪者』が評判となり、次世代の看板作家として期待されるようになる。だが『キン肉マン』、『キャプテン翼』、『北斗の拳』、『聖闘士星矢』などの大ヒット作がならぶ当時の「週刊少年ジャンプ」で生きのこるため、新人マンガ家・荒木飛呂彦はさまざまな試行錯誤を繰りかえしていた。


――はじめて上京して、「週刊少年ジャンプ」編集部を訪れたときの印象はどうでしたか?

高校卒業の直前くらいかな。手塚賞に投稿していて、選外佳作はあったんですけど、なかなか入選にはとどかなかったんですよ。でも佳作だと一行くらいの選評しか載らなくて、自分の欠点がよくわからないんですね。だから、その辺を編集部のひとにはっきりと聞きたいな、と思って上京しました。

当時はまだ、東京・仙台間に新幹線が開通していませんでした。片道4、5時間くらいかけて編集部にかよっていたんですが、原稿を袋から出した瞬間から編集者との勝負が始まる、という感じでした。

いきなり「おい、ホワイトしてないだろ」と怒られまして。最初はまだ、原稿をホワイトで修正するってことを知らなくて、描いた線がはみ出ていたんです。

これは何年か経ってからですけど、編集者が、原稿をめくりもしないで扉絵だけを見て「読みたくない」と言いだすこともあったんですよ。何日も徹夜して描いてきたというのに(笑)。

ようするに「続きを見たくなるような絵を描いてこい」ということなんですね。週刊マンガ誌の編集者は毎日たくさんの原稿を読んでいますから、作品の良し悪しが感覚的にわかるんです。

――最初の連載作品『魔少年ビーティー』は、連載候補にあがってから実際の連載開始まで1年くらいかかっていますが、そのあいだの不安などはありましたか? いや、全然なかったですね。そのあいだもいろいろと描きためていましたから。

あと、当時はひとりで描いていたので、技術的に毎週連載していく自信がなくて、その不安のほうが大きかったです。そのころ、秋本治先生の『こちら葛飾区亀有公園前派出所』がすでに30巻くらい出ていましたが、「30巻もどうやって描くんだろう?」と思っていましたよ。

――当時、担当編集者からのアドバイスで印象的なものはありましたか?

担当さんとはよく、映画やマンガ以外の本などについて話をしていました。澁澤龍彦さんの話題とか、「フリーメイソンとは?」みたいな、そういうダークな方向にすぐ行くんですよ(笑)。

当時のぼくはそういうことをまったく知らなかったので、「えっ、それって何ですか?」って聞くんです。すると「なんだよ、あの本読んでないの?今日、買って読みなさいよ。読まなきゃプロになれないよ?」とプレッシャーをかけてくれるんです。とにかく本を読まなければだめだ、という雰囲気はありましたね。

すすめられた本を読んだら、今度はそれを担当さんと批評しあうんです。「これは芸術的には優れているけど、読者には受けない」とか「エンターテインメントに必要なものは何か?」といった内容でしたね。

それをマンガの打ちあわせのときにやるんです。ライバル作品の批評なども含めて。

――生存競争のはげしい少年マンガ誌ですが、連載をはじめて「素晴らしい」と思ったことはありますか?

「週刊少年ジャンプ」という雑誌は、実は特異な部分を色濃く持っているんです。というか、ぼくのような変わった作風のマンガ家をデビューさせてくれていますし(笑)。そのころの「週刊少年ジャンプ」には、諸星大二郎先生や寺沢武一先生も独特な作品を描いていました。

「週刊少年ジャンプ」は、たしかにメジャーな作品はいくつか雑誌の柱としてあるんですが、ほかの作品もみんな違った個性をもっているというか。そういうところが素晴らしいんじゃないかと思いますね。


――逆につらかったことはありましたか?

当時の「週刊少年ジャンプ」は、作家だけでなく編集者どうしも競争していたんですよ。編集会議の場はそれぞれの意見が激突しあっていて、その荒波をかいくぐって連載が決まるんです。

とくに、ぼくの作品はかならずしも健全な内容じゃないので、ひどく否定されることもありました。たとえば『魔少年ビーティー』のときは、タイトルに「魔少年」と付いているだけでダメだと言われました。『ジョジョの奇妙な冒険』でも「少年マンガで外国の主人公はありえない」と言われたり。

そのいっぽうで、「やったことないんだから、ひとまずやってみようじゃないか」と考える編集者もいました。特に、ぼくの最初の担当さんは「メジャー誌だからマイナーなものをやるんだ。マイナーなものをマイナー誌でやっても意味がない。メジャー誌でやるからいいんだ」という強引な主張をしていました。

『バオー来訪者』(文庫) 『バオー来訪者』(文庫) 集英社

――連載2作目の『バオー来訪者』からは、多種多様なキャラクターが互いの強さを競い合う、バトル系の作品を中心に描かれています。サスペンスから異端の科学理論までさまざまな知恵を駆使して、はばひろい表現をされていますね。

「筋肉ムキムキのヒーローだけが強いわけではないだろう」と思っていたんですよ。貧弱な肉体の持ち主でも、自身の弱さを突きぬければ、ヒーローに勝てるかも知れない、と。また現実的な理由として、先輩たちが描いている表現のスキマを狙わなければ生き残れない、という状況もありました。

ドライなサスペンスという手法自体は横山光輝先生の影響ですけど、『ジョジョ』のスタイルはこうして開拓したものです。

――その『ジョジョの奇妙な冒険』のスタイルは、連載開始から20年を経て、現在では「週刊少年ジャンプ」の主流となっています。

それは、ぼくの読者だったひとたちが、作家としてデビューしはじめたからかもしれないですね。

でも、『ジョジョ』の連載の初期はよく「わからない」と言われていて、「どうやったらわかりやすくなるのかな?」ということに苦心していたので、ちょっと隔世の感がありますね。


ミステリー、ホラー、アクション、SFなど多岐にわたる要素を貪欲に取りこんだ『ジョジョの奇妙な冒険』シリーズ。2004年にはじまったシリーズ7作目の『スティール・ボール・ラン』では、いままでのシリーズとは異なる変化が起きていた。19世紀のアメリカ大陸を舞台とし、前作までとは似て非なる世界観で繰りひろげられる奇想天外な冒険譚(ぼうけんたん)は、いったいどこへ向かうのだろうか。

――最新作『スティール・ボール・ラン』では、掲載1回あたりのページ数が多くなり、途中で月刊誌の「ウルトラジャンプ」に移られました。作者の側からみて、作品の内容に変化はありましたか?

週刊連載というのは、短いページのなかで起承転結の妙を読者にみせていかなければならないんです。ページが多いと、起承転結を2回いれる余裕がうまれますし、こまかい心理描写もできるという利点がありますね。

週刊のころはいつも少しページ数をオーバーしてしまって、どうやってその分をカットするか、ということに時間がかかっていたんですよ。編集者と「どの部分いらないですか?」「いらない部分はないですね」「でも、ここまでいれないとお話としてはおさまりが悪いよね」「ここで切るのは良くないよね」などと話していました。

『スティール・ボール・ラン』ではページ数の制限によるストレスがなくなって、物語のリズムもよくなったと思います。

――ページ数を多くしたのは、どのような理由ですか?

ダイナミックな画面表現と、繊細な心理描写をかねそなえた作品を描こう、と思ったからですね。

あと、海外ドラマ『24』や、三部作の映画『ロード・オブ・ザ・リング』といった、壮大なボリュームの物語が増えてきた影響で、というのがありますね。週刊連載のコンパクトな起承転結の繰りかえしじゃなくて、もっと大きな物語を語りたくなったんです。

だから、原稿の枠も大きくしたいというか、2メートルくらいの原稿用紙でもいいよ、と思っているくらいで(笑)。

最近、雑誌の部数が減って、かわりにコミックスの部数が増えているのも、読者の側もおそらく、単行本でいっきに読みたいということだと思うんですよ。

『ジョジョの奇妙な冒険Part7スティール・ボール・ラン』 『ジョジョの奇妙な冒険Part7 スティール・ボール・ラン』 集英社

――対象年齢の高い雑誌に移動したことで、倫理性にまつわる描写も変化していますね 40歳をこえて、倫理性にまつわる表現も描かなくちゃダメだろう、と思ったんですね。たとえば俳優・映画監督のクリント・イーストウッドも、アクションスターという枠組みにとらわれずに活動しています。ぼくもターゲットを若い読者だけに限定していたら、作品が窮屈になるんじゃないかな、と思ったんですね。

あと『スティール・ボール・ラン』では、ストーリーから絵柄まで含めたところで、より古典的な方向へいこうと思っています。登場人物の血統や歴史ももとに戻っていますし、能力もシンプルにしようと心がけています。それから、最近はCGの利用が増えていますが、ぼくのマンガではあえて使わないようにしたりとか。

前面にはださない程度に哲学を盛りこみたいと思っていますけど、そのあたりの変化が「週刊少年ジャンプ」を出た理由なのかも知れません。

――『ジョジョ』シリーズのバトルは「肉体の戦い」というより、異端の人生観をもった敵と、主人公たちの価値観が衝突する「哲学の戦い」だと思いますが、今回も「男の美学」にこだわった強敵が登場していますね。

作品自体が古典的な方向へと向かっていますから、登場するキャラクターもとうぜん古典的な価値観に向かうんです。

物語の展開上、どこかで主人公がレースに参加する意味を見つめなおす必要があって、「男の美学」という古典的な価値観との戦いは、まさにうってつけだったんです。古典的なんだけど、公正な果たしあいで精神の成長をめざすという価値観はむしろいまの読者にとっては新しいだろうと。

それから、戦いのシンプルさと拳銃のリアリティを追求するため、派手な撃ちあいではなく、居合い切りというか、侍の静かな決闘を拳銃で表現しようと思ったんですね。その意味でもうまく描けたんじゃないかな。

――荒木先生は速筆で有名ですが、話の展開に詰まってしまったときはどのように切り抜けていますか? 1度つかってしまったアイデアをもう1度使うことがたまにあって、演出の切り口がかぶってしまわないようにするために悩むことはあります。ただ、登場人物を動かすうえで、詰め将棋のようになることはありませんね。

キャラクターをきっちり作りこんでいれば、話の流れが詰まってもうまいこと動いて切りぬけてくれる。すべての登場人物に前向きな方向性を与えていますから、お互いが物語上で衝突していくうちに問題は解決しているんです。悪役も全員、自分が正しいと思っていますから。

――新しい能力を考えて出してみたけど、これは戦いには使いづらいな、ということもありますか?

その時は戦いを早めに終わらせたりします。でも、何日も考えるようなことはないですね。

ただ、「こいつ、前に出てきたキャラクターと似てるな」という時がまずいんですよね。読者も既視感があるだろうから、「新しい魅力を追加してやるか?」「思い切ってカットするか?」という判断を迫られるんですけど、その時はちょっと苦しいかな。


誰も見たことのない新しい物語をつくりだしながら、さまざまなジャンルの若いクリエイターに強烈な影響を与え続けている「現在進行形」のマンガ家・荒木飛呂彦。いまも新しい地平を目指して走り続ける荒木氏の未来予想図と、若い世代へ向けたメッセージとは?


――最近ではパリで展覧会を行なうなど、既存のマンガのイメージに留まらない活動をされていますが、マンガ以外にはどのようなことに関心をもっていますか? ぼくは「ストーリーか?」「絵か?」と問われると絵が重要かな、と思っているマンガ家なので、音楽や絵画など、絵に取り込めるものにはすごく興味を持っていますね。マンガ以外のことも、すべてマンガに通じていますから。

特に興味があるのは、現代絵画やイタリアのルネッサンス絵画です。「この人、何を考えているんだろう?」というひとほど良いですね。ゴーギャンやミケランジェロなど。 読み解いていくのが楽しいというか、異端に走った理由を突きつめていくのが好きなんですよ。

――以前、第九部までの構想があると語っておられましたが、今後も可能な限り『ジョジョ』を続けて行かれるのでしょうか?

問題は体力ですね。週刊連載から月刊連載になりましたけど、40、50になってくると体力も落ちますからね。若いころは一晩寝れば治っていたんですけど、治らなくなったりしていますし。関節とかを悪くして、それを我慢してやっていると、どんどん悪化していくんですよ。

マンガ家って、長い間コンディションを維持していかなくてはならないあたり、アスリートと似てますね。それでなくても『スティール・ボール・ラン』は、描く側もアメリカ大陸横断レースをしているような錯覚におちいる作品なので(笑)。

特に、馬を走らせるシーンを描くのがすごく疲れるんです。馬を描くことはきっと、馬に乗っているのと同じくらい体力を取られるんじゃないかな。

自分自身がレース参加者の一人になっていますから、ゴールへ辿り着くとほっとするんですよ。でも、数十時間後にはまた次のレースが…ああ、早く日本へ帰りたいなあ、と(笑)。

――乙一さんが数年かけて『ジョジョ』の外伝小説を書いたり、SOUL'd OUTのように音楽的な意味で強い影響を受けたバンドが登場するなど、荒木さんの作品に影響を受けたと広言する若い世代のクリエイターがいま、次々とあらわれています。

若い作家さんにそう言われるのがすごく嬉しいし、活力になっているんですよ。

黙々とマンガを描いていると、どんなに売れていても、「自分の絵はこれでいいのかな?」「古くなっているんじゃないかな?」と不安に思ったり、新しい作家さんがどんどん出てくると、「もしかして俺、見捨てられてしまうのかな?」と思ったりするんですね。

そういう時に「影響を受けた」と言ってもらえるのはありがたいですし、言われないとやっぱり哀しいですよ。いままで描いてきた意味がわからなくなってしまいますから。

――最後に、クリエイターを目指している若い人たちへ向けてメッセージをお願いいたします。

ぼく自身の作品を振り返ってみると、単なる利益目的で描いているだけでは、若い人には受けいれられないんじゃないでしょうか。成長している若い人たちにとって、成長しない作品は必要ないですから。 それから、いっけん無駄に思えることも「新しい」と思ったら、やってみるべきですね。芸術やマンガ…とくにマンガというメディアは、そういう実験を許容するだけの土壌がありますから。 まあ、そういう実験に対して、眉間にしわを寄せる人もいるかもしれないけど、適度に空気を読みつつ、めげないでがんばって欲しいです。新しいことをやっていかないと、人間の精神は停滞してしまいますからね。

取材・文:更科修一郎 写真:田附愛美

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