Quick Japan (December 2007)

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Published December 10, 2007
"Quick Japan" magazine Vol. 75.

Interview with Hirohiko Araki in Volume 75 of "Quick Japan" magazine, published on December 10, 2007.[1][2]

Interview

TranslationTranscript

This year marks the 20th anniversary of JoJo's Bizarre Adventure. With the seventh part of the series currently being serialized and still going strong, JoJo is becoming the topic for hot discussion. Araki-sensei must be feeling the excitement, but what are his thoughts on it?

Araki: When I first heard that people were doing "JoJo Poses", I visited a website about it on my computer. And to my surprise, I was blown away at how amazing they all were--it was like modern art. (laughs) After that, a lot of TV personalities who were fans of my work started recommending JoJo on their shows. What I found more interesting though is that most of these TV personalities were people in their 30s. I guess its true that you become a lot more vocal once you reach your 20s. (laughs) This also made me wonder if all the boys and girls who read JoJo in school when it first came out were finally growing up and starting to show off their talents to the world.

These youngsters sure like being vocal about their opinions without listening to the older generation--they also like making hour-long programs about JoJo. (laughs)

Araki: Yes, that's true. (laughs) On a side note, Shonen Jump is a great magazine that takes very good care of its authors. To help concentrate on our weekly schedule, authors were never expected to take interviews--but I usually took them anyway. Maybe that's how I came to notice the little changes in the air around JoJo over time. Whenever someone came up to me for an interviews, I would just go out and do it. It wasn't until recently that I started doing formal requests. I never initiate anything myself.

How do you feel about the fact that you've been drawing JoJo for 20 years?

Araki: My editors often tell me to draw new works. That way, the editorial department can write big headlines about how the author of JoJo is working on a new series, which would be big news and would attract a lot of attention. My response is usually "Huh? I can't draw anything but JoJo," and then I go, "Okay, maybe I'll change protagonist," and so on for 20 years. For me, when the main character changes, it's the same feeling as starting a new series. It's a lot of hard work, as I have to create all the characters and settings from scratch. So, in a way, it doesn't feel like I've been drawing the same series for 20 years.

What do you mean by "I can't draw anything but JoJo"?

Araki:' When you create a character, you start becoming curious about who their father is. I always want to know exactly who both parents are and how they were raised. It's only after I have all this information that the character is truly born. I feel like these aspects give the character a more real presence about them. This way, you get to know the father a lot more when the bloodlines are continued--maybe that's why I'm so particularly fond of JoJo.

What was it that started your interest in parents and bloodlines?

Araki: When starting out, I wanted to draw a horror manga, centered around terror and suspense. This got me thinking hard on stuff like "Who's the strongest man in the world?", "What's the scariest thing in the world?", and so on. Is the strongest man in the world just a person with big muscles and powerful punches? No matter how strong your opponent is, if you strike their weak points, you'll be able to take them down. Or so they say.

When I thought about it, what's really frightening is being attacked by something completely out of your control, like ancestral karma, even if you're innocent. Characters like Josuke and Jotaro are under siege of a grudge that happened generations before they were born that they knew nothing of. I think a world where you can't escape your fate is the scariest thing in the world, perhaps more so than death. That's why I'm so obsessed with the concept of bloodlines and lineages.

[...]

Araki: As for Part 7, which is currently being serialized, I got stuck on a lot of things after Part 6 ended. (laughs) Firstly, I can't go any further into the future than 2011. Osamu Tezuka's a manga artist who is great at depicting distant futures, like in Phoenix, but I can't do it at all. I want the setting my main characters are in to be as realistic as possible. The concept of drawing flying cars or the year 2200 is completely out of the question. (laughs) In terms of developments in civilization, I would only be able to go as recent as the cell phone. Manga that feature fantastical inventions are also far beyond me. I always strive for something more realistic. So, I decided to end the series here and go back to where it all started.

[...]

There isn't a lot of romance in JoJo, is there?

Araki: That's because JoJo is a fighting manga. I try to center the series around horror and psychological battles, so whenever romance is involved, it becomes rather dull (laughs). It just isn't exciting. The last time I did romance had to have been the story between Koichi and Yukako in Part 4.

I guess that's the JoJo-style of romance, where even love is a battle (laughs).

Araki: When I drew Yukako, I had been married for about two years. I might get in trouble for saying this (laughs), but I think my experience being married was reflected in my work. Instead of drawing women just for the sake of it, I started trying to draw the other side of women that you don't usually get to see. I think getting married and having a family has added a lot of depth to my work.

[Translated by Morganstedmanms (JoJo's Bizarre Encyclopedia)]

荒木飛呂彦三〇〇〇字インタビュー

人間讃歌は変わらないッ!!

閑静な住宅街に建つマンションの一室に、荒木飛呂彦の仕事場はあった。笑顔で取材班を迎え入れてくれた荒木の上着の色は、紫。『ジョジョ』という作品を色で表現するなら紫かなと思っていたので、勝手に驚き、本人に訊ねてしまった。「絵の具を混ぜ合わせた時に、一番楽しいのが紫なんですよ。赤に青を混ぜるといきなり紫に変わる、その、ふあーっと爆発する感じが好きなんですよね」日本が世界に誇る稀代のストーリーテラーは、絵の快楽を誰よりも知る画家であるという事実を、今さらながら再認識した〈すぐれた画家や彫刻家は自分の 『魂』を目に見える形にできる(中略)まるで時空を越えた「スタンド」だ…そう思わないか?〉(「ジョジョの奇妙な冒険PART6ストーンオーシャン』第二巻より)

『ジョジョ』以外描けない

――今年は 『ジョジョの奇妙な冒険』(以下、『ジョジョ」)の連載開始ニ〇周年、現在連載中の第七部が絶好調ということもあり、 『ジョジョ』絡みの話題が目白押しでした。荒木先生一自身もブームを実感されているのではないかと思うのですが、いかがですか。

荒木 最初は「ジョジョ立ち」という、『ジョジョ』のキャラクターと同じポージングをやってる人達がいるよという話を人から聞いて、パソコンでサイトを見たんです。で、あぁ、なんかこれ」fすげぇって(笑)。現代アートだと思いましたね。それから、『ジョジョ」を好きだと言ってくれる芸人さん達が、テレビ番組などで作品を紹介してくれるようにもなって。ちょっと考えたのは、その人達ってみんな三〇代なんですよね。二〇代を終えて、発言力も増すというんですか(笑)。 『ジョジョ』の連載が始まった頃、小学生や中学生だった人達が、才能を発揮し出してきているのかなと。

――上の世代の顔色を伺わずに素直に自分の意見が表明できて、『ジョジョ』で一時間の番組を作れてしまうという(笑)。

荒木 そうそう(笑)。あともうひとつは、『少年ジャンプ 』って、作家をすごく大切に育てる雑誌なんですね。週刊連載に集中するために、作家取材はあまり受けないみたいな雰囲気があったのかもしれないんだけど、僕は普通に受けたりしてたんですよ。そのせいなのかな『ジョジョ』周辺の環境の変化は少しずつ感じました。ただ声を掛けられたから僕も出ていくだけで、ちょっと前までは依頼自体がなかったんですよ。自分から何か仕掛けているってことは全然ないんです。

――『ジョジョ』を二〇年描き継いできたという事実は、今どうお感じになられていますか。

荒木 「新作を描け」って編集者はよく言うんですよ。そのほうが、「 『ジョジョ』の荒木が新作を!」と話題になって、編集部的にはいいんじゃないですかね。で、僕は「えーっ!『ジョジョ』以外描けないんです」と言って「とにかく主人公は変えますから」とそういう感じで二〇年続けてきた。主人公が変わった時は、自分では新連載と同じ感覚なんです。大変なんですよ一からキャラクターを作って、設定も作ってくので。だから、二〇年間、同じ作品を描いてきたという感覚はあまりないですね。

――「『ジョジョ』以外描けない」というのは?

荒木 キャラクターを作る時に、お父さんが誰かを知りたいんですよね。両一親がどんな人で、どんなふうに育てられてきたかを僕はちゃんと知りたい。その部分の情報が入ると、キャラクターが、確かにそこに生まれてくる感じがするんですよね。描いていて、”いる。って感じがするんですよ。そうすると、血統が続いていたほうが父親がはっきりするし、そこが 『ジョジョ』にこだわっている理由ですね。「スタンド」というアイデア(超能力をビジュアル化したキャラクター)にこだわっているんじゃないんですよ。血統でこだわっているんです。

――親への興味、血統への興味は、どんな初期衝動から始まったものなんでしょうか。

荒木 やっぱりどうしても、恐怖マンガを描きたかったんですね。恐怖というか、サスペンスが軸の漫画を描きたかった。そうすると一番強い人は誰かとか一番この世で恐いものはなんだろうとか、究極まで考えるんですよ。本当に強い人間はただ筋肉が強くてパンチが強い人間なのか?どんなに力が強〜ても、弱点を一点集中で攻めてこられたらひとたまりもないよな、とか。……そう考えていった時に、本当に恐いのは、先祖の因縁で、自分には全く罪がないのに襲われることじゃないか伏助とか承太郎って、本人達はなんにも知らないうちに、何代か前の怨念に襲われるじゃないですか。あれが、とにかくこの世で一番恐いんじゃないかなって思ったんですよ。ひょっとしたら、死ぬことよりも怖い。逃れようがない運命の世界というんですか。それもあって、血統というか、血筋みたいなことにこだわってるんですよね。

――改めて荒木さんの言葉で語り直していただくと、それは究極的に恐いことですね。

荒木 そこを追求していくと、哲学の部分も自然に生まれるんですよ。自分でむりやり生み出そうとしなくても勝手に作品に出てくるんですよね。その辺がやっぱり、新連載はできないなぁと思う理由ですね。だからまぁ血統だけ受け継いで、親の遺産だけ受け継いで自分が何かするかなって、そういう感じですよ。スネをかじるだけにならないようにしたいと思います(笑)。

――いえいえ、遺産の資産運用が抜群にうまいと思います(笑)。『ジョジョ』の歴史を見つめたうえで、今の一部で新たに何ができるかという荒木先生の挑戦心を、読者は感じていると思います。

荒木 今連載している第七部に関していうとね、第六部でいろんなものが行き詰まったんですよ(笑)。まず、あれ以上先の未来(西暦二〇一一年)に僕は行けないですね。手塚治虫先生は 『火の鳥』で遠い未来を描いてるんですけど、僕は描けない。現実に、ここにいてほしいんですよね、主人公が。ェアカーが飛んでるとか、二二〇〇年とかは絶対無理(笑)。文明の発達で言えば携帯電話までですね。それ以上の発明品とかが入ってくるような漫画は、自分にとってはファンタジーすぎるんですよ。僕はもっと、リアルな部分がほしい。で、ここで終わりかなと思ったけど、もう一回原点に戻ろう」ということで時間を巻き戻して、一部と同じ一九世紀末を舞台設定で始めてみたのが第七部なんです。そのうえで六部の流れを引きずったり、反省したりして描いてる。だから 『ジョジョ』は第六部までで一度、切れてるんです。

――リアルが大切という話でしたが、では「ジョジョ立ち」に代表されるキャラクターのフォルムというのは……。

荒木 あれはファンタジーですね(笑)。お話をリアルに突き詰めたいぶん、絵の方にファンタジーを入れたいんですよ。漫画の中にリアリティーとファンタジーを同居させたいと考えるu「ジョジョ立ち」みたいなことになる。ミロのヴィーナスとか、イタリアの彫刻がルーツなんですけどね。ちょっと腰が入って、こう(実演中)。こうでいいのに、こうとか。「こう」の部分がファンタジーなんですよ(笑)。ありえない日常のつもりで描いてるんだけど、それをみんなが現実でやり始めてるから面白いよね。現実のほうが、漫画に近づいている。

荒木飛呂彦ができるまで

――御出身は、「杜の都」こと宮城県仙台市だそうですね。

荒木 第四部の舞台、杜王町のモデルになった街です。うちのそばで、埋蔵金を持っていたという噂のおじいさんが、山の裏手の自然公園で殺された事件があったんですよ。しかおじいさんがどこかに金を隠したという噂が今度は流れてさ。そういう、サスペンスとか口マンとかがあるような場所でした。当時シャーロック。ホームズとか、怪人二十面相が流行ってたんですけど、現実の雰囲気とすごく一致してたんです。

――ミステリーな街だった、と。

荒木 結構危険もいっぱいで、子供が池で溺れ死ぬことる年に一回か二回はあったんですよ。犬なんかもうしょっちゅう浮いてたり……。もしかすると、街」じゃなくて、時代的な要因のほうが強いのかな。七〇年代という時代。セブンティーズね。あと、僕はおじいちゃん子だったんですけど、戦時中はこ」うだったんだわって、会うと戦争の話ばっかりされてたんです。戦争を知らない世代みたいに言われましたけど僕は意外と当時との心理的な距離感は一遠くないのかもしれない。漫画家さんとか作家さんって、子供時代に見たり読んだりした経験を絶対ひきずってますよね。

――どんな御家庭で、どんな子供時代を過ごされたんでしょうか。

荒木 双子の妹がいて、きょうだいの中で疎外感がすごくありました。双子だから、見えない緋があるんだよね。兄として、そこに入っていけないんですよ。いっつも僕一人仲間はずれでいじめられてるような気分になってさ。テレビのチャンネル権さえ妹が持ってるからね。だって、多数決になると絶対負けるわけでしょ(笑)。そういう時に、漫画って一人で読めるじゃないですか。絵を描くのも一人でできる娯楽なので、だから自然と、漫画を描くようになったと思うんですよね。

――子供時代に特にハマった漫画は何ですか?

荒木 やっぱり、白土三平先生の漫画ですかね。白土先生の漫画は、忍者の術を理論的に描いてるんですよ。図解したり、手品のアイディアで忍術やったり。ミステリーやサスペンスを好きになった、ルーッだと思います。根性で勝負が決まる漫画、大嫌いだったんですよ(笑)。ここは俺の根性で乗り切った〜じゃなくて、勝つ理由をちゃんと描いてくれ、みたいな。理論的な漫画とか小説が好きだったんです。

――七〇年代に青春を過ごした経験は大きかったでしょうか。

荒木 大きいですね。中学からロックにハマったんですけど、七〇年代って変なバンドがいっぱい出て、これ誰が買うんだろみたいなレコードが意外と売れてたりするから驚くんですよね。普通は、売れるから作るじゃないですか。ヒットするだろうとか。だけどそういうところとは明らかに外れていてジャケットとかも変なんですよ。でも聴くといいんです。一体これはなんなんだと、なんでこんなの作っちゃったんだろうと、そういうことを考えるのが楽しいし、理由がわかった時は快感なんですよね。現代絵画でもそうなんですけど、なんでこんなの描いてるんだろとか思うんですけど、必ずその意味があるんですよ。これはもう、ミスチリーを読む楽しみと同じだと思うんです。

――デビューの経緯は?

荒木 僕が一六歳の時に、同い年のゆでたまご先生がデビューしたんですよ。ちょっと焦ったんですよね、「同い年なのにもうプロなのか!」と。それで、高校三年の時に初めて『少年ジャンプ』に投稿した作品が、佳作入選したんです。そのまま何作か描き統けて、専門学生だったハタチの時に「武装ポーカー」が手塚賞を受賞してデピューしました。編集部に行くとね、例えば車田(正美)先生みたいな漫画た描いて持つていくと、「パクリだ」「他人と同じようなものを描くな」と、とにかくむちゃくちゃけなされるわけ。誰も描かないところを進もうとしたら、こうなりました(笑)。

波紋、スタンド、恋愛

――八七年に『ジョジョ』の連載を始めた時、先の構想は決まっていたのでしょうか。

荒木 構想自体は第三部まで、第一部の敵が第三部で襲ってくるというイメージがありましたね。倒したはずのディオが長い時間を経て復活して、ジョースター家の子孫を襲う、という。人気がなければ第一部で終わるかもしれなかったんですけど、そうなったらまあ、しょうがないかなって(笑)。外国人を主人公にしたり、主人公を部ごとに変えるって、当時の常識からしたらありえないことなんだけど、見切り発車で始めちゃいました。それがこんなに続くなんて、僕が一番驚いてます。

――当時の漫画状況を考えると、第一部、第二部で登場する「波紋」という能力表現は画期的だったのではないかと思うんですが。

荒木 あれはですね、大友(克洋)先生の漫画で、登場人物が超能力でバーンっとものを破壊するじゃないですか。力の始まりからバーンという結果までの間に、もうちょっと絵がほしかったんですよ。エネルギーの描写がほしい。描きたいんですよそこが。それが、波紋なんです。最初は三部まで波紋でいこうと思ってたんですよ。だけど、編集者から「そろそろ波紋じゃない何かに変えましょう」と言われて。あまり長くやっても飽きられるとか、あとは波紋の能力はもう限界だろうみたいな、そういう判断があったんじゃないかな。究極奥義ももう出ちゃってたし、波紋がこれ以上強くなるのは難しいよなって。それで、スタンドを考えたんです。

――スタンドは一人一能力で、強さの価値観がまさに千差万別ですよね。強さの価値観がひとつではないからこそ、「無敵」「最強」の相手を倒せるというロジックが面白いです。

荒木 そこはやっぱり、哲学なんじゃないですかね。自分がこうと信じる、哲学の強さ対決みたいな感じが裏にあるかもしれない。スタンドができた時は、バトルにもいろんなバラエティができるなって、想像力が一気に広がりました。

――『ジョジョ』を読むと、現代日本に暮らす日本人が描き出した物語なのに、普遍的で神話的なイメージを捉えていることに驚くんです。目の前のリアルではなく、その奥の普遍性に手を伸ばせたのはなぜなんだろうと。

荒木 なぜなんでしょうね(笑)。でも、血統は普遍的ですよね。聖書でも、全部血統から始まるじゃないですか。アダムとイブの子が誰と誰でとずーっと行く、家系図の物語で。高校がキリスト教系だったというのもあって、聖書からの影響はあるんだと思います。それと、欧米の小説って、聖書的というか、血統の物語が伝統的にあるんですよ。『エデンの東』とか、僕の時代では『ルーツ』とかね。海外の大作大河小説からも、すごく影響を受けてます。あとはね、八〇年代にデビューした時に、いわゆる『ジャンプ』のトーナメント制で敵がどんどん強くなってく方式が全盛期だったんですよ。それに対して僕は意識的に距離を取っていて、本当の強さって何なのかなとひとりで考えていたから、人間とは何かみたいな、普遍的なテーマにハマっていったんです。でも、第三部までは神話みたいな世界が好きだったんだけど、第四部からは日常的な世界に行きました。隣の友達を描きたくなったんでね。

――別に悪い友達がいたとか、そういうわけではなくて(笑)。

荒木 じゃなくてね(笑)。身近な人、いい人、楽しい人、友達を描きたくなった。第三部から続けて登場する承太郎はまだ神話上のキャラクターって感じなんですけど、仗助と億泰とかはもう、実際にいる友達を描いてるような感覚ですね。だけどちょっと、邪悪な面も持っていたりとか。スタンドってファンタジーなんですけど、人間の裏の顔なんですよ。人間の持っている二面性三面性を表現しているつもりなんです。

――ところで、『ジョジョ』は恋愛要素が少ないですよね。

荒木 それはたぶん、『ジョジョ』がバトル漫画の形態を取ってるせいですね。やっぱりやりたいのはホラーであり心理バトルなので、恋愛が入ってくると、うざったいんですよ(笑)。スカッとしない。ギリギリが(広瀬)康一んと(山岸)由花子さんのエピソード(第四部)とか、あのへんなのかな。

――あれが『ジョジョ』流の恋愛だ恋愛とは格闘だ、と(笑)。

荒木 由花子を描いた時って、僕が結婚して二年目ぐらいの時なんですよ。あのまんまだと危ないけどさ(笑)、結婚した経験が出てきているとは思いますね。ただ単に女の人を出すだけじゃなくて、女の人の裏の顔を描こうとするようになりました。結婚して家庭を持ったおかげで、作品に厚みが出たとは思います。

「生きている悲しみ」の始まり

――第四部から、スタンド使い(スタンド能力を持つ者)同士は「引き合う」というルールが登場します。たいていの物語は、御都合主義的に人と人が出会ってしまうことが多いと思うんですが、その出会いをルール化したというのは画期的だと思いました。

荒木 人と人の間には、逃れられない引力があるんじゃないかという、僕なりのエセ理論というか仮説なんです。人と人が知り合うのって、必然だと思うんですよ。というか、描いているとそういうふうに感じられてくる。そうとしか思えなくなる、というか。誰かひとりの人がいて、例えば悪者を倒そうとしているとしたら、そこには悪者に対して引力があるんですよ。戦う使命というか動機がある場合は、絶対引力があるだろうなと思うんです。だからこそ、主人公に動機がない状態で戦っていると、何描いてるか分かんない漫画になっちゃう。ただ攻めて来たヤツの挑戦を受けて、「やったー、勝った!」みたいな漫画ってものすごくつまんないんですよ。主人公に動機がなくて、親がどんな人か分かんない小説とか映画って、絶対に名作じゃない。その二点は、名作の条件に入ると、僕は思うんですよね。

――殺人鬼は、動機とともに、の問題も大きいですよね。 荒木先生は、シリアルキラー関係の本を読まれてきたということですが......。

荒木 相当、読んでます(笑)。大量殺人者の人生を知るとね、必ずどこかで同情できる、かわいそうな部分があるんです。で、必ず謎がありますね。いくらなんでも、殺し方がすさまじいでしょう。彼らはなぜここまでするんだろうと思うと、そこにはお父さんと息子の関係もあったりして。中には、指示するタイプのやつがいるんですよ。操るタイプというんでしょうか、実行犯を支配下においてね。意外とね、女の人だったりするんですよ。ボーイフレンドを支配下において、愛情なのか何なのか分からないけど、「おまえがやれ」と男に指示して殺させて、金品を奪ったり、ドロドロに溶かしたり。なんで部下になって人殺しをするんだろう、その人はどんな気持ちなんだろうと、それも謎なんですよ。

――今の話はまさにディオですよね。人々の心を支配してしまうカリスマ性を持っている。

荒木 第五部に出てくるマフィアのボス、ディアボロもそのイメージかな。ヤクザのボスの下に、殺し屋の子分がいたりするじゃないですか。そいつ自身は一人でもものすごく強いと思うんですよ。でも、ボスの命令じゃなければ動かない。そこの精神的な繋がりってなんだろうという、これも不思議な


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