Manga Heaven (June 2007)

Published June 25, 2007
Incomplete translation
Manga Heaven

An interview with Hirohiko Araki in "Manga Heaven" titled The Power of Manga (まんがのチカラ).

Interview

TranslationTranscript

Question: What kind of editor do you have?

Araki: They’re something like a cheerful partner to me. They’re extremely important. I absolutely could not create manga alone. Coming together and discussing with my editor is of utmost importance.

By the way, until now I worked with more than 10 editors, but the most recent one tends to not tell me his opinion on things. I get a little angry when he does that. He says that whatever I say is good, and I tell him that saying what’s good is his job.

Question: Have you ever changed your work because of an editor’s opinion?

Araki: Of course. He gives me his tastes and preferences. For example, initially Dio was not going to be defeated in Egypt, but the Editor liked Egypt. I said, “Isn’t Egypt dirty?” He said, “Not all of it.” So, we ended up going together. I really didn’t want to go though haha.

『荒木飛呂彦先生』 その1

現在、ウルトラジャンプで『スティール・ボール・ラン』を連載中の荒木先生。 その唯一無二の作品は、はたしてどのような環境から生まれてくるのでしょうか? そこで、ここでは、荒木先生がどのように作品作りに取り組んでいるのかを教えていただきました。あの「ポーズ」や「構図」がどのようにして生まれたかの秘話も大公開!

荒木飛呂彦の仕事術、その源流は『こち亀』にあった!? ―― まずは、荒木先生の仕事スタイルについて教えてください。

荒木:まんが家って徹夜ばかりしているイメージがあるかもしれませんが、僕は規則正しい、会社員のような生活をしてます。10時に起きて、夜の11時くらいまで仕事している。そしてそれをなるべく崩さない。お休みも週に2日取りますね。

―― やっぱり徹夜は効率が落ちますか?

荒木:基本的には「落ちる」と思います。ノってきて、そのまま作業し続けたいな、徹夜したいなって思うこともあるんですが、何年も続けていくことを考えると良くないので、30歳を過ぎたあたりからは徹夜をしないようになりました。そのほうが後々良いんですよ。

―― それは荒木先生だけじゃなく他の漫画家さんもそうなんですか?

荒木:いや、みんなというわけではないですね。僕が先輩の秋本治先生(『こちら葛飾区亀有公園前派出所』)を見習ってそういうふうにしているだけで。

―― 秋本先生とはどういったご関係なんですか?

荒木:アシスタントをしていたとかそういうことではなく、単に僕が秋本先生のそういうウワサを聞いて勝手に見習っているだけですね(笑)。ちなみに締め切りの1週間前にあげるってのも秋本先生の影響です。だから、これまで締め切りを破ったことがないんですよ。

―― しっかりと仕事をコントロールできているということですね。ちなみに作業のサイクルはどういった感じなんですか?

荒木:ジャンプの場合、印刷所に入れなきゃいけないのが金曜日なんですよ。だから木曜日の夜、遅くても金曜の昼までには終わらせたい。と考えると、日曜にネームを考えて、月曜日に編集者にチェックしてもらって、下描きに入って、火曜日から木曜日で絵にしていくサイクルになりますね。

今は月刊誌(ウルトラジャンプ)で連載していますが、ページを分割して、15ページずつ週刊ペースで描いてます。

―― 月刊誌の方が週刊誌より負担は少ないものなんですか?

荒木:ページ数が週刊誌時代の19ページから15ページに減ったこともありますけど、締め切りが月に1度しかないのは安心ですね。心に余裕ができました。週刊誌のときは、締め切りを越えたら、すぐにまた次の締め切りでしたから。

そういうストレスってね、長くやってると本当に辛くなってくるんですよ。あと、やっぱり体力的にも大変になってきました。

―― でも『スティール・ボール・ラン』は、ジャンプ掲載時(コミックス4巻まで)は、週に31ページという驚異的な分量で連載されていましたよね?

荒木:あれは、休んでいる間に描き貯めたりしたからできたんですよ。1回のお話でここまで読ませたいってのがあるんですけど、19ページだとどうしてもページが足りない。そこで無理に詰め込もうとすると絵の迫力を削って小さいコマにしないといけなくなる。でも、ガン! って大ゴマで見せたいところもあるじゃないですか。それまでの『ジョジョ』はそこがしんどかったんですよ。かなり削っていたんで。だから編集部と交渉してああいう形にしてもらいました。

―― そのこだわりのストーリーはどのようにして生みだすのですか?

荒木:うーん、キャラクターの性格とかが決まっていると、もうある方向にしかお話が進んでいかないんですよ。決定されているんですね、描く前から。

状況はこう、キャラクターはこう、だからこうなるしかない。そういうのがあるんです。

僕が考えるのは「前回が暴力的なスタンドだったから、今回はちょっと柔らかめにしていこう」とか、そういうことだけですね。メリハリを意識して、あとはキャラクターが動くに任せていく。そこを無理にいじろうとするとおかしくなっちゃう。

例えば第1部の最後で、ジョナサン・ジョースターを殺さないであげたいって思ったんだけれど、やはりあそこは死ぬしかないシーンだった。編集者と真剣に話し合ったんですけど、最終的には「こういうのがあっても良いんじゃないか」って考えることにしました。これは美しい死に方なんだって。

―― 荒木先生の作品と言えば、独特な構図やポーズ、いわゆる「ジョジョ立ち」なども話題になりますが、ああいったものはどこから生まれてくるんでしょうか?


荒木:あれはねえ......えーと、さかのぼって話しますが、僕がデビューした80年代頃って、先輩とか同年代の人たちに、ものすごいまんが家さんがたくさんいらっしゃったんですよ。

どういうふうにすごいかっていうと、例えば『キャプテン翼』(高橋陽一先生)や『リングにかけろ!』(車田正美先生)、『北斗の拳』(武論尊先生/原哲夫先生)とかの絵って100m先からでも分かるんですね。それってものすごい事なんですよ。


そういうのが自分にはないな、ってことをずっと感じていて......。プロになってからもずっと悩んでいたんです。 それが、25、26歳くらいの時、取材旅行に行ったイタリアで彫刻とか見ていて気がついたんですけど、なんかこう、全部ねじれているんですよね、ポーズが。

そこで突然「これだ!」ってひらめいて、これを自分なりに描いてみようかなって。ああいう螺旋とか曲線みたいなものを突き詰めていこうと思ったんですよ。

―― 「絵柄」ではなく「ポーズ」とか「造形美」とかで自分らしさを演出しようと思ったわけですね。

荒木:とにかく「自分なりの絵」ってのが描きたかったんです。

―― 自分だけのスタイルが欲しかった?

荒木:特に少年ジャンプとかのあの頃はね。

当時の、ジャンプ編集部の風潮で、真似するともんのすごいけなされるんですよ。「これは○○○のパクリだ」「こんなんじゃダメだ!」って。それこそ毎日言われてました(笑)。

あの当時、ジャンプ編集部で言われた事は今でも身体に染みついていますね。自分の中でオキテみたいになってますよ。「まんがとはこうあるべし!」みたいな。

―― 具体的には?

荒木:例えば、当時の少年まんがって眉を太く描かなきゃいけないってのがあって。それが未だに抜けませんね。細くするとね、キモチ悪いんですよ。刷り込みって克服するのが、大変ですよね(笑)。


「ジョジョ立ち」はイタリアのアートから生まれた?

―― 荒木先生の作品と言えば、独特な構図やポーズ、いわゆる「ジョジョ立ち」なども話題になりますが、ああいったものはどこから生まれてくるんでしょうか?

荒木:あれはねえ......えーと、さかのぼって話しますが、僕がデビューした80年代頃って、先輩とか同年代の人たちに、ものすごいまんが家さんがたくさんいらっしゃったんですよ。

どういうふうにすごいかっていうと、例えば『キャプテン翼』(高橋陽一先生)や『リングにかけろ!』(車田正美先生)、『北斗の拳』(武論尊先生/原哲夫先生)とかの絵って100m先からでも分かるんですね。それってものすごい事なんですよ。

そういうのが自分にはないな、ってことをずっと感じていて......。プロになってからもずっと悩んでいたんです。 それが、25、26歳くらいの時、取材旅行に行ったイタリアで彫刻とか見ていて気がついたんですけど、なんかこう、全部ねじれているんですよね、ポーズが。

そこで突然「これだ!」ってひらめいて、これを自分なりに描いてみようかなって。ああいう螺旋とか曲線みたいなものを突き詰めていこうと思ったんですよ。

―― 「絵柄」ではなく「ポーズ」とか「造形美」とかで自分らしさを演出しようと思ったわけですね。

荒木:とにかく「自分なりの絵」ってのが描きたかったんです。

―― 自分だけのスタイルが欲しかった?

荒木:特に少年ジャンプとかのあの頃はね。

当時の、ジャンプ編集部の風潮で、真似するともんのすごいけなされるんですよ。「これは○○○のパクリだ」「こんなんじゃダメだ!」って。それこそ毎日言われてました(笑)。

あの当時、ジャンプ編集部で言われた事は今でも身体に染みついていますね。自分の中でオキテみたいになってますよ。「まんがとはこうあるべし!」みたいな。

―― 具体的には?

荒木:例えば、当時の少年まんがって眉を太く描かなきゃいけないってのがあって。それが未だに抜けませんね。細くするとね、キモチ悪いんですよ。刷り込みって克服するのが、大変ですよね(笑)。


荒木飛呂彦先生編

荒木先生のことをもっと知りたい!」と思ったまんてんから、さらりと、でもかなり突っ込んだ質問を投げかけてみました。先生、よろしくお願いします!

無人島に一冊だけ、まんがを持っていくとしたら?

迷うなあ......あえて選ぶなら『バビル2世』(横山光輝先生)の第4巻を持っていきます。自分の原点なんですよ。バベルの塔に入っていくバビル2世が襲われるシーンがあるんですけど、そこが良いんですよね。

好きな映画は?

大脱走』(ジョン・スタージェス監督)と『ヒート』(マイケル・マン監督)かな。

大脱走』は、スティーブ・マックイーンが何度も戻ってくるところが泣けるんですよ。あの男気、みんなのために戻ってくるところが良いですね。たまらないです。

ヒート』も、ロバート・デ・ニーロが逃げれば良いのに逃げない、そういうところにグッと来ますね。銃撃戦もかっこよかった。

好きな食べ物、嫌いな食べ物は?

好きなのはスパゲッティ・トマトソース。嫌いなのは、サラダとかに入ってるトマトの皮ですね。煮たり、ソースにしてくれれば食べられるんだけど。

仕事中のBGMは?

CDで、主に洋楽です。

仕事中の気分転換は?

昼休みにジョギングに行きます。でも、外は空気が汚いのでジムで。 週に2回くらい、日によって違うけど、4、5キロくらい走ります。

こういう姿勢で働いてると身体に悪いんでね、身体を動かしたいですね。

学生時代の得意な教科は?

世界史かなあ。得意っていうか、好きでした。 教科書にキャラクター描いて覚えてましたよ(笑)。

今、手塚治虫先生に会ったらどうしますか?

デビューの時にお世話になったんですよ。 もし、今会えるのなら、「手塚賞の受賞パーティではあがってしまって失礼しました」っておわびしたいですね。

今、会いたいタレントさんは

キーファー・サザーランドに会いたいですね! 『24 -TWENTY FOUR-』全部見てるんですよ(笑)。

好きな街は?

イタリアのカプリ島が好きですね。 でも、これ読んで人が殺到したらイヤだなぁ(笑)。

もし生まれ変わるなら、どの時代に生まれ変わりたい?

ルネッサンスがいいですね。西部開拓時代もいいな。 仕事はまんが家がいいですが、ない時代なら絵を描く人でありたいです。 絵を描きながら旅したいですね。


仙台の高校生を本気にさせた『キン肉マン』の衝撃

―― 先生の趣味ってなんですか?

荒木:う~ん、趣味はないです。でも映画は好きですよ。映画館にもよく行きますし。DVDも含めると週に4~5本くらい観ています。特にホラーが好きですね。最近では『ホステル』(クエンティン・タランティーノ制作総指揮)が良かったかなあ。

―― やっぱりDVDは大きいプラズマテレビとか、ホームシアターとかでご覧になってるんですか?

荒木:いや、ブラウン管です。20年くらいずっと使ってるヤツで見てます。

―― それは意外です。高級ホームシアターとかで見ているような印象がありました(笑)。

荒木:なかなか壊れないんですよね。でも、ブラウン管の方が液晶テレビよりもぜんぜんキレイだと思います。

―― 音楽もお好きですよね。ジョジョのスタンド名などを見ている限り、かなり幅広い曲を聴いていらっしゃるようですが。

荒木:好きですね。仕事中はずっと聴いてますよ。

―― 最近だとどういう音楽を?

荒木:カントリー良いですよ。すごく良いですね。

―― やはり、まんがのアイディアを映画や音楽から得ようって気持ちがあるんですか?

荒木:ないけど、活かされているんじゃないかな。音楽なんかは、意味不明なのがたまに出てくるんですよ。自分の概念を越えたというか。

そういうのを聴いて、それが理解できた時、自分古くないな、オジサンじゃないなって思うようにしてます(笑)。

―― ファッションにもこだわりがおありのようですが......。

荒木:ファッション雑誌が好きなんですよ。VOGUEとかNumeroとか、表紙のカッコいいヤツが良いですね。あと、スティーブン・マイゼルとかピーター・リンドバーグとか、好きなフォトグラファーの作品が載ってるヤツもよく見ます。

で、見ているうちに「今年のファッションはこれだな」ってのがあって。去年と今年はやっぱ、ドルチェ&ガッバーナですね。

―― そういうビジュアルへの興味は、子供の頃から?

荒木:ああ、僕らの世代ってね、親が百科事典とか全書を必ず買うんですよ。僕も美術全集を買ってもらって、ずっとそれを見ていました。

中でもゴーギャンとピカソとかの絵が不思議で。何のためにこんな絵を描くんだろうって思ってましたね。レオナルド・ダ・ヴィンチとかは分かるんですよ。でも、彼らは「謎」だった。そこに引き込まれましたね。

音楽なんかもそうですけど、ビートルズのあとでプログレッシブロックなんかがあって......あれって今聴いても「なんなんだ??」って感じでしよ? ピンクフロイドとか、ホントにワケわかんないですが、じっくり聴いてみると良いんですよねえ。

―― 普通の子供が見るようなものにはあんまり興味がなかったんですか? 例えば『仮面ライダー』(石ノ森章太郎先生)とか。

荒木:ああ、『仮面ライダー』も謎でした。あのね、はっきり言って全然面白いと思えなかった(笑)。『巨人の星』(梶原一騎先生/川崎のぼる先生)とかに比べて、ストーリーが何を言いたいのか分からない。ずっと、うじうじうじうじ悩んでいるじゃないですか。なのに、すごい人気があって不思議だったなあ。石ノ森先生の『マンガ家入門』はバイブルですけど、あのまんがの良さはわからないですねえ、いまだに。

―― まんがはいつくらいから描かれていたんですか?

荒木:まんがは小学生の時から描いてます。ストーリー考えて、コマ割って、何ページかのまんがを描いてました。

その当時の友達がね、僕の絵を褒めてくれたんですよ。「上手いね」って。それがすごくうれしくってね。彼はまんがを描かないんですけど、編集者みたいにいろいろと助言してくれるので、描いたらまず彼に見せるようにしていました。今でも彼とは付き合いがありますよ。

―― それがまんが家・荒木飛呂彦のスタートなんですね。ところで、周りにはまんがを「描く」友達はいなかったんですか?

荒木:いなかったですね。当時は人前でまんがを読んでると馬鹿にされるんですよ。あと親と先生は怒るんです。そういう時代だったんですよ。だから隠れてやってました。

当然教えてくれる人もいませんから、『マンガ家入門』だけが頼りでしたね。

―― プロのまんが家になろうと思ったのはいつ頃ですか?

荒木:高校の時に、僕と同い年のゆでたまご先生(『キン肉マン』)がデビューしたんですよ。ショックでしたね、コイツら同じ高校生なのにって。

将来プロのまんが家になれたらいいなって思ってはいたけれど、とりあえずは目先の高校生としての勉強をするじゃないですか? だから「え! そんなのアリ?」って感じでした(笑)。

それで、これは勉強なんかしている場合じゃないなーとかすごく焦りました。それで自分もすぐに投稿して、最終選考まで残ったんですけど落選して。どこが悪かったのを知りたくてジャンプ編集部まで持ち込んで......編集者にムチャクチャ言われて(笑)。

―― 具体的には?

荒木:基本的に全部独学でここまで来たじゃないですか? だから、僕、「ホワイト」って知らなくて。一般的にまんがでは描き文字の周りを読みやすいように白で抜くんですが、普通は描いた後にホワイトのインクで縁取りするんですよ。

ところが、当時の僕はそれを知らなかったんで、最初からそういうふうに描こうとしていたんです。でも、どうやっても微妙にはみ出しちゃうじゃないですか? そこを編集者に怒られてね。「はみ出しちゃうんですよ」って言うと「ホワイトも知らねぇのか!」って(笑)。

でも最後に、なんか面白いから直して新人賞に回してみようか、って。

―― そこからデビューに繋がっていくんですね!


荒木飛呂彦 -その下積み時代-

―― 少年ジャンプ時代のお話を伺いしてもいいですか? まずはデビュー作である『魔少年ビーティー』(1983年)について教えてください。あの作品はどのようにして生まれたのでしょう?

荒木:僕ね、シャーローック・ホームズが大好きで、それの逆バージョンっていうんですか? 頭の良い主人公が、知能犯的に悪いことをするんだけど、それは友情のための戦いであって、決して私利私欲のための戦いではないっていうのを描きたかったんです。

―― でも、やってることは悪いことですよね?

荒木:悪いことだけど、悪を倒すために悪いことするんです。実はそれが正義なんだって考え方。当時から「善悪とはもっと複雑な概念なんじゃないのか」って気持ちがあって、そういう気持ちを込めて描きました。単純な勧善懲悪とか、うさんくさいこと言いたくなかったんですよ。

―― 今、読んでもけっこうドキリとさせられる内容ですよね。

荒木:でも、編集部からはムチャクチャ言われました。もう「魔少年」ってタイトルが駄目だって(笑)。担当さんが味方してくれて、なんとかそのまま連載になりましたけど。

―― 読者の反応はどうだったんですか?

荒木:最初はやっぱりとまどったらしいですけど、最後の方はけっこう支持されたみたいですね。

―― そうすると10週で終わらせてしまったのはもったいなかったですね。

荒木:いやあ~、僕、そのころ仙台住んでいてねえ。ほんっとにギリギリだったんですよ(苦笑)。1週間分を描くのに2週間くらいかかってて......。もちろんアシスタントなんかいないから、全部1人で描いてて。あそこで、やめてなかったらどうなっていたことやら。

―― 体力的にも10話が限界だったと。

荒木:そうですね。とにかくあの当時思ったのは、どうやれば週刊連載なんてできるのかってこと。単行本1冊分描くのにあんなに労力使うわけですから。

ところがその時、『こち亀』(『こちら葛飾区亀有公園前派出所』)なんかは、50巻くらい出ていてね。この人(秋本治先生)は、一体なんなんだって思いましたよ(笑)。

―― 『魔少年ビーティー』終了後は、どうされたんですか?

荒木:すぐに次回作をどうしようかを担当編集者と話し合い始めました。その結果、『ビーティー』では知的な戦いを描いたので、今度は肉体的な戦いを描こうということなりました。それが『バオー来訪者』(1984年)です。

で、そのための取材をしたり、資料になりそうな本を漁ったり......例えば『バオー』では秘密結社が出てくるんですけど、そのために、ヨーロッパに実在する秘密結社について書かれた本を読んだりしてました。

そして、その上で4話分のネームを書いて新連載の審査に出して、連載が決まったところで東京に引っ越して......というか、担当さんに「仙台に原稿を取りに行くのがイヤだ」って、人さらいのように拉致されてきて(笑)。

それがだいたい連載開始の3ヶ月くらい前なんですが、あとはずっと前倒しで原稿を描いてましたね。『ビーティー』の時に「直し」で苦しんだので。

―― 「直し」が多かったんですか?

荒木:そうですね、10ページの直しくらいざらです。連載は19ページなのに、毎週実質30ページくらい描いているの(苦笑)。担当さんから「これ駄目だ」「これ描き直せ」って。

―― 具体的にはどういう?

荒木:顔の表情とかかなあ。未熟だったから、最初の絵と最後の絵が違うんですよ。そういう時は絶対に描き直させられましたね。

あと、これは、その担当さんだけのコダワリなのかもしれないけれど、「バコ!」とかいう描き文字の「ハ」の部分が「リ」に見えるから描き直せとか......。それで描き文字が顔にかかっちゃうって事になると、コマ全部書き直しですよ。

―― それは大変ですね。勘弁して欲しいって思ったことはないですか?

荒木:「勘弁してください」ってのはない世界ですね。

当時、『ブラックエンジェルズ』が大人気だった平松伸二先生ですら19ページ丸まる描き直しとかさせられたことがあったそうですから、「お前みたいなヤツはしょっちゅうだよ」って(笑)。

なんか、最近直しをイヤがる新人がいるらしいですけど、信じられないですよね。ありがたいことを自分から拒否してどうするのって思うんですけど。

―― アシスタントは入れなかったんですか?

荒木:『バオー』から入れました。ただ、僕自身がアシスタント経験がなかったので、どう指示していいのか分からず、逆にどう指示してほしいのか聞いたり......。最初のころはそれがあんまり上手くいかなくてストレスになってましたね。

例えば、ここにベタを塗ってくれって頼むと、ほかのとこ塗ってきたりするんですよ(苦笑)。そういう時に怒るべきなのか、優しく諭すべきなのか、自分の指示が悪かったと反省すべきなのか、とにかくどうしていいのか分からなかった。このあたりは、ずいぶんと試行錯誤しました。

―― とにかく我流でなんとかしていくしかなかったわけですよね。そうすると、よそでやっていたアシスタントさんが、荒木先生独自のやり方にびっくりしたなんてこともあったんじゃないですか?

荒木:あったと思いますよ。実際に聞いたのは破壊されたものの描き方についてですね。僕は、例えば茶碗が割れたときとか、破片がジグソーパズルみたいにきちんとはまるように描かれていないとイヤなんですが、こういうのを適当に描く人がいる。

それについて、「タマゴ割って、破片が合わなきゃおかしいでしょ。丸くならなきゃおかしい」って言ったら、その人は別のまんが家さんのところで、荒木飛呂彦にこういうこと言われてびっくりした、って(笑)。

―― 確かに当時(80年代)は、そんなに絵にこだわっていたまんが家さんって多くなかったと思います。先生は、ちょっと先に進みすぎていたのかも知れませんね。

荒木:でも、技術的なところで、アシスタントさんから学んだことも多かったですよ。

『北斗の拳』の原哲夫先生とか、『キャッツ・アイ』の北条司先生とか、絵の上手いまんが家さんのところでやっていた人は、やっぱり上手なんですよ。しかも、なんでか知らないですけど、彼ら、『北斗の拳』の生原稿とか持っているんです。それを見せて貰って、「ここどうやんの?」とか教えてもらったり(笑)。

―― やっぱり、絵の上手いまんが家さんの描き方には興味があったんですか?

荒木:そりゃあ、ありましたよ! 当時、『コブラ』の寺沢武一先生の原稿がどうしても見たくて、編集者に頼み込んでコピーをもらったりしました。あり得ない方向にペンが走ってたりして、どうやって描いているのか、すごい気になってたんですよ。

―― 今では業界トップレベルの技術力・表現力との呼び声も高い荒木先生ですが、デビュー直後は勉強また勉強の日々だったんですね。

荒木:いや、今でもけっこう直しているんですよ。直してあれなんです(笑)。

ジョジョの奇妙な冒険 -荒木飛呂彦は屈しない- ―― 『バオー来訪者』の終了から約2年後、ついに『ジョジョの奇妙な冒険』(1986年~)が始まりました。

荒木:『ビーティー』で「知性」を、『バオー』で「肉体」を描いたので、次は「心」かな、と。当時の少年まんがって「強い人」=「ケンカの達人」だったじゃないですか。僕はそうじゃなくて、もっと心の強さみたいなものを描きたかったんです。

当時はバブル経済のただ中だったんで、まんがもバブリーでイケイケな話が多かったんですよ。トーナメント方式とかで、どんどん敵が強くなっていく。でも頂上まで行ったら本当に最強なのか、「真の強さ」って本当にそこにあるのかって部分にすごく疑問があった。

僕はその答えが「心」にあるんじゃないかと思ったんです。そして、そういうキャラクターを描きたい、と。

―― それが、ジョジョであったり、ディオであったりするわけですね。でも、『ビーティー』の時もそうだったわけですけど、本流に逆らうのは大変なことだと思います。当時の編集部からは、「もっと分かりやすくて強そうな敵をバンバン出せ!」とか、そういう要望はなかったんでしょうか?

荒木:それはもちろんありましたよ。ただ、僕は「他人が描いていないことを描く」ということを一番大事にしていたので、そこは譲りませんでした。まんが家としての価値観を「人気」だとか、「売り上げ」だとかに置いていると屈しちゃうと思うんですけど、自分の中で進むべき道が見えていると、周りに何を言われても気にならなくなりますね。

―― アンケート結果にこだわっていなかったんですね。

荒木:いや当然、1位を取れたらうれしいですよ。でもそれは目的じゃないですよね。全く売れないのはイヤですけど、誌面に載っていれば良いのかな、と。

それに、"トーナメントもの"はストーリーとしてやばくないかって思っていたんです。それをやって描き尽くしたまんが家さんたちが、次の作品の時にパワーを失っている感じがするんですよ。それもイヤで。

―― そういう意味で言うと、『ジョジョ』は、新しい部が始まるたびに全く違う方向になって、新鮮な面白さとパワーがある作品ですよね。ところで、『ジョジョ』の主人公が変わっていくという、当時としては(今でも?)かなり珍しいアイディアは最初から予定していたものなんですか?

荒木:そうですね。『エデンの東』(ジョン・スタインベック)とか、アメリカの小説に主人公が代替わりしていくってのがよくあるんですよ。連続大河ドラマっていうんですかね。そういうのが好きだったんでやってみたかったんです。

―― なるほど。ではディオも最初からジョースター一族に関わっていくキャラクターという予定だったんですね。

荒木:『ジョジョ』の構想の中に「先祖の因縁」ってものがあって、第1部で死んだはずのディオが現代に蘇るっていう展開は最初から考えてました。自分には何も責任がないのに、先祖からの因縁で命を狙われるってすごいコワイじゃないですか。そういうのを描きたかったんですよ。

―― 逆に、連載中に偶然生まれたキャラクターや設定というのはありませんか?

荒木:実は「スタンド」がそれですね。第2部が終わる直前に、「もう波紋は終わりにして、第3部は新しいので行こうよ」って編集者に言われて。それで慌ててひねり出しました(笑)。

スタンドは超能力を目に見えるように描くとどうなるか、っていうアイディアなんですけど、最初はなかなか概念を分かってもらえなくてね。「なんだそれ」って。こっから(背後の空間を指さして)守護霊みたいなのが出てきて敵を攻撃するんですよって言っても分かってもらえない(笑)。

そうこうしているうちに締め切りも近づいてきたんで、とりあえず描いて、それを読んでもらったんですが、それでもなかなかね......。それを、どうやってわかってもらおうかってのが、第3部の始まりでした。

―― でも、だんだん認知されていって、今では定番の表現方法になっていますよね。

荒木:そうなっちゃいましたね~。

―― しかし、こうしてお伺いしていると、随所に「編集者」の存在が出てきますよね。荒木先生にとって「編集者」とはいったいどんな存在なのでしょうか?

荒木:お笑いの相方って感じですかね。とても大切ですよ。1人じゃ絶対にまんがは作れませんから。編集者との打合せは大事です。

ちなみに、これまで10人以上の編集者と仕事してきましたけど、新人編集者だと萎縮して意見を言わないことがあるんですよね。だからそういうとき、僕、ちょっと怒るんですよ。なんでも良いから言えって、言うのがあなたの仕事だよって。

―― 編集者の意見によって作品が変わるって事はあるんですか?

荒木:それはもちろん。その人の好みも入っちゃったりするし。たとえば、ジョジョの第3部でディオを倒しにエジプトに行くじゃないですか。あれは、編集者がエジプト好きだったからなんですよ。僕は、ああいう、なんていうんですか、汚い? そういう場所はイヤだったんですよ。それを編集者がむりやり一緒に行こうよって。僕は行きたくなかったんですけどね(笑)。

―― 今までの担当編集者の中で一番印象が強かった人と言うと?

荒木:皆さん、それぞれ個性的でしたが、やはり圧倒的なのは、デビュー当時からお世話になってる椛島さんですね。僕のまんが家としての方向性はその人とのやりとりの中で決まっていったと思います。

椛島さんが担当したほかの作家さんの作品とかを見ると分かるんですけど、ジョージ秋山先生とか、宮下あきら先生とか、みんなちょっとヤバいですよね(笑)。

―― 強烈な作品をお描きの方ばかりですね。ただ、逆に言うと、そんな椛島さんだからこそ、荒木先生の力を引き出せたのかも知れませんね。

荒木:こういう感じにはなってなかったかもしれませんねえ(笑)。だから椛島さんには感謝していますよ。


ジョジョの奇妙な冒険 -荒木飛呂彦は屈しない-

―― 『バオー来訪者』の終了から約2年後、ついに『ジョジョの奇妙な冒険』(1986年~)が始まりました。

荒木:『ビーティー』で「知性」を、『バオー』で「肉体」を描いたので、次は「心」かな、と。当時の少年まんがって「強い人」=「ケンカの達人」だったじゃないですか。僕はそうじゃなくて、もっと心の強さみたいなものを描きたかったんです。

当時はバブル経済のただ中だったんで、まんがもバブリーでイケイケな話が多かったんですよ。トーナメント方式とかで、どんどん敵が強くなっていく。でも頂上まで行ったら本当に最強なのか、「真の強さ」って本当にそこにあるのかって部分にすごく疑問があった。

僕はその答えが「心」にあるんじゃないかと思ったんです。そして、そういうキャラクターを描きたい、と。

―― それが、ジョジョであったり、ディオであったりするわけですね。でも、『ビーティー』の時もそうだったわけですけど、本流に逆らうのは大変なことだと思います。当時の編集部からは、「もっと分かりやすくて強そうな敵をバンバン出せ!」とか、そういう要望はなかったんでしょうか?

荒木:それはもちろんありましたよ。ただ、僕は「他人が描いていないことを描く」ということを一番大事にしていたので、そこは譲りませんでした。まんが家としての価値観を「人気」だとか、「売り上げ」だとかに置いていると屈しちゃうと思うんですけど、自分の中で進むべき道が見えていると、周りに何を言われても気にならなくなりますね。

―― アンケート結果にこだわっていなかったんですね。

荒木:いや当然、1位を取れたらうれしいですよ。でもそれは目的じゃないですよね。全く売れないのはイヤですけど、誌面に載っていれば良いのかな、と。

それに、"トーナメントもの"はストーリーとしてやばくないかって思っていたんです。それをやって描き尽くしたまんが家さんたちが、次の作品の時にパワーを失っている感じがするんですよ。それもイヤで。

―― そういう意味で言うと、『ジョジョ』は、新しい部が始まるたびに全く違う方向になって、新鮮な面白さとパワーがある作品ですよね。ところで、『ジョジョ』の主人公が変わっていくという、当時としては(今でも?)かなり珍しいアイディアは最初から予定していたものなんですか?

荒木:そうですね。『エデンの東』(ジョン・スタインベック)とか、アメリカの小説に主人公が代替わりしていくってのがよくあるんですよ。連続大河ドラマっていうんですかね。そういうのが好きだったんでやってみたかったんです。

―― なるほど。ではディオも最初からジョースター一族に関わっていくキャラクターという予定だったんですね。

荒木:『ジョジョ』の構想の中に「先祖の因縁」ってものがあって、第1部で死んだはずのディオが現代に蘇るっていう展開は最初から考えてました。自分には何も責任がないのに、先祖からの因縁で命を狙われるってすごいコワイじゃないですか。そういうのを描きたかったんですよ。

―― 逆に、連載中に偶然生まれたキャラクターや設定というのはありませんか?

荒木:実は「スタンド」がそれですね。第2部が終わる直前に、「もう波紋は終わりにして、第3部は新しいので行こうよ」って編集者に言われて。それで慌ててひねり出しました(笑)。

スタンドは超能力を目に見えるように描くとどうなるか、っていうアイディアなんですけど、最初はなかなか概念を分かってもらえなくてね。「なんだそれ」って。こっから(背後の空間を指さして)守護霊みたいなのが出てきて敵を攻撃するんですよって言っても分かってもらえない(笑)。

そうこうしているうちに締め切りも近づいてきたんで、とりあえず描いて、それを読んでもらったんですが、それでもなかなかね......。それを、どうやってわかってもらおうかってのが、第3部の始まりでした。

―― でも、だんだん認知されていって、今では定番の表現方法になっていますよね。

荒木:そうなっちゃいましたね~。

―― しかし、こうしてお伺いしていると、随所に「編集者」の存在が出てきますよね。荒木先生にとって「編集者」とはいったいどんな存在なのでしょうか?

荒木:お笑いの相方って感じですかね。とても大切ですよ。1人じゃ絶対にまんがは作れませんから。編集者との打合せは大事です。

ちなみに、これまで10人以上の編集者と仕事してきましたけど、新人編集者だと萎縮して意見を言わないことがあるんですよね。だからそういうとき、僕、ちょっと怒るんですよ。なんでも良いから言えって、言うのがあなたの仕事だよって。

―― 編集者の意見によって作品が変わるって事はあるんですか?

荒木:それはもちろん。その人の好みも入っちゃったりするし。たとえば、ジョジョの第3部でディオを倒しにエジプトに行くじゃないですか。あれは、編集者がエジプト好きだったからなんですよ。僕は、ああいう、なんていうんですか、汚い? そういう場所はイヤだったんですよ。それを編集者がむりやり一緒に行こうよって。僕は行きたくなかったんですけどね(笑)。

―― 今までの担当編集者の中で一番印象が強かった人と言うと?

荒木:皆さん、それぞれ個性的でしたが、やはり圧倒的なのは、デビュー当時からお世話になってる椛島さんですね。僕のまんが家としての方向性はその人とのやりとりの中で決まっていったと思います。

椛島さんが担当したほかの作家さんの作品とかを見ると分かるんですけど、ジョージ秋山先生とか、宮下あきら先生とか、みんなちょっとヤバいですよね(笑)。

―― 強烈な作品をお描きの方ばかりですね。ただ、逆に言うと、そんな椛島さんだからこそ、荒木先生の力を引き出せたのかも知れませんね。

荒木:こういう感じにはなってなかったかもしれませんねえ(笑)。だから椛島さんには感謝していますよ。


広がる「ジョジョ」ワールド

―― さて、今や、『ジョジョ』といえば、各界のクリエイターやアーティストにも熱狂的なファンがいますよね。そういう、別の世界で活躍していらっしゃる著名人に『ジョジョ』が愛されているということについてはどう思われますか。

荒木:長い間やっているとね、自分って古いのかなって思う時期があるんですよ。でもそういうふうに言ってもらえるとね、古くてもこのままさらに行けばいいんだって思うんですよ。だからうれしい、ありがたいですね。

―― CDジャケットやTシャツデザインなど、他業界のアーティストとのコラボレーションも積極的に行なわれていますよね。

CDジャケット:

『Catwalk』 SOUL'd OUT(Sony Music Entertainment, 2006)

『MUSIC IS THE KEY OF LIFE』 SUGIURUMN(MIDI Creative, 2000)

『LIFE GROUND MUSIC』 SUGIURUMN(MIDI Creative, 2002)

Tシャツ: UNIQLO CREATIVE AWARD 2006(完売)

荒木:そうですね、頼まれるとうれしいし、つい引き受けちゃいますね。仕事というより、気分転換って言うんですか? 休みの日に楽しんで描いてますよ。

―― 休日にお描きになってるんですか?

荒木:良い気分転換になってますよ。それに僕や『ジョジョ』のことを知らない人達に見てもらえるのもいいですね。「これは何だ?」って思ってほしい。

―― そうやって『ジョジョ』を知って、ファンになった人も多いと思います。ちなみに、まんがとイラストでは何か違ったりするんでしょうか?

荒木:心構えが違いますね。イラストの場合はパッと見た時の印象に残る感じを大事にするから、ポーズとか色とか構図を考えるのにすごい時間をかけますよ。

例えば手をかくときは、自分の手を眺めて考えたり、実際に紙に描いて消して、描いて消して、時間をおいてまた描いて、そんなふうにして作っていきます。まんがは、ストーリーができているから、カメラをとっていくように一個の流れで描いて行くんですが、それとはだいぶ違いますね。

―― たしかに、引き込まれるようなそんな引力を感じますね。ところで、それとはまた別のコラボレーションとして、『ジョジョ』のゲームやアニメがありますが、ああいう風に、自分の作品を、別の人間が別の作品にしていくことについてはどのようにお考えですか?

荒木:アニメにせよ、ゲームにせよ、質の高いものにしてもらいたいですね。大事なところを適当に流さなければ、好きにやってもらってかまいません。絵が変わってもいいし、声優が誰でもいい。

その点、ゲームは原作にない展開があったりして、けっこう良くできているんですよ。自分の描いたキャラクターにやられるのはむかつきますけどね(笑)。

―― 最後の質問です。先生は、これからも『ジョジョ』を描き続けますか?

荒木:編集部からそろそろ違うの描けって言われているんですけど、もう無理ですね。何を描いても『ジョジョ』になってしまう。自分の考えていることはひとつなので、そこを器用に分けられないんですよ。だから飽きられたら終わりなんだろうな(笑)。

―― 逆に荒木先生がまんがを描くに飽きるということはないんでしょうか?

荒木:さっきも言いましたけど、つねに謎とかを追究し続けたいんですよ。ネッシーっているのかなとか、殺人鬼はなんで人を殺すのかとか、ピカソはなんで絵を描くのかとか......。そういう謎ってなくならないじゃないですか?

飛行機とかが飛ぶようになって地球が狭くなった時に謎ってなくなんのかな、って思ったけれど、まだいっぱいあるんでやめられそうにないですね。[1]


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