Vol. 11 do Bunko de Stone Ocean (02/2009)
NEWTRAL (Abril 2009)
O posfácio de Hirohiko Araki, escrito no volume final da versão Bunkoban de Stone Ocean em 18 de Fevereiro de 2009.
Entrevista
Jolyne Cujoh, nossa protagonista, sentiu um vazio profundo em seu coração também porque nela faltava o amor paterno que a levou a virar amiga de um cara suspeito e ser presa, depois de causar um acidente de carro. Mas o quqe é importante é o progresso que ela faz depois disso, por causa das ações que ela tem de tomar para salvar seu pai ela se torna a mulher forte que ela é. Se nós olharmos para essa história como um conto do crescimento da protagonista, sua história havia acabado. Então o que eu deveria fazer para a execução desse mangá? Em outras palavras, eu não tenho nada mais para desenhar. Acabou. ‘Jojo’s Bizarre Adventure’ chegou ao seu ápice.
Esse foi ‘Stone Ocean’.
O fim.
Mas isso não está certo, não mesmo, parece errado. O fato de que eu estou me sentindo realizado não deveria ser uma coisa boa.
É como se uma luz vermelha estivesse na minha frente, o que eu deveria fazer?
É isso o que eu então estava pensando, até eu ter uma ideia.
Voltar às origens! Não é assim que o Renascimento aconteceu na Itália, indo de volta aos conceitos gregos e romanos na arte clássica? O pintor francês Gauguin também construiu uma nova pintura inteira indo de volta às origens que Tahiti representava para ele.
[Originalmente traduzido para o inglês por macchalion][1] [Traduzido do inglês para o português por Soxz]
このあとがきのコメントは実をいうとあまりありません。
この『ジョジョの奇妙な冒険Part6 ストーンオーシャン 』でスタンド能力としては(作者自身の感覚としては)——けっこう描ききった感が当時あって、アイデア的に究極に達してしまったのかな?と創作的な満足感を味わってしまったのです。
「時間」が、どんどん人間の感覚より速くなって行って、無限に、考えうる限りの無限に——近づいて行く。——これ以上のスタンド能力ってもうないだろう。凄いのなんて、もうないな。アイデアは究極へ達した。そう思ってしまったのです。
「満足感」とか「達成感」という感覚は、けっこう危険な領域の感覚なのでは?と常日頃思っていて、つまり「全てOKしちゃって、もう何もいらないや」という状態は人間としても漫画家としても、あるいは社会や文明の発展としても科学としても哲学としても、芸術としてもきっとヤバイ事に違いない。
燃え尽きる恋愛。もしくは闘い終わった〝あしたのジョー〟。人間はきっと何かを達成したり満足するために行動するのだろうけど、満足したらそのあとどうする?それがこのストーンオーシャンを描き終わった時の矛盾した感覚でした。
主人公の空条徐倫は、求める父親からの愛情の空虚さが心の底にあって、それ理由、交通事故を引き起こし、投獄されました。
そして、逆に父を助ける行動で、ひとりの女性として成長して行く。主人公の成長物語としては達成してしまった。そのあとどうする?…漫画制作的にそうも思ってしまいました。
つまり描く事はもうないな。終わったな。「ジョジョの奇妙な冒険」はもう究極に達してしまったな。それがこの「ストーンオーシャン」です。——以上。…………………………いや、やっぱりヤだな。それはなんか、うぬぼれなのかもしれない。かなりヤバイ。達成感とか思う事。それ自体がヤバイような。赤信号が点滅しました。どおしよう?本当どおしよう?「そうだ!」そう思いました。
原点に返ろう。イタリアのルネッサンスは古代ギリシャやローマ時代の概念に返ったから起こったんだ。フランスの画家のゴーギャンは、タヒチという原始に返って新しい絵画を生みだしたんだ。
ラストのボス・プッチ神父のスタンド能力をさらにパワーアップさせよう。そうすりゃあ、時間も主人公たちも血統も宇宙一周して原始に返れる。ジョジョの奇妙な冒険は————現代文明を捨てて自然に返ろう。
それが当時、終了直前に変更して描いた、「ストーンオーシャン」のラストです。しか一現もノスタルジイの感覚も出せた。空条徐倫の記憶は別のものだが、愛と情は残って永遠のものとなり、きっと成長して行くでしょう。
そして————
ジョジョの奇妙な冒険の次の第7部の主人公は、自然と闘い、自然から学んで成長して行く主人公にしよう。タイトルは「スティール・ボール・ラン(仮)」か?
そう思いながら、当時、この第6部を描き終えました。本来なら、こういった事は言ったり書いたりすべき事ではないのかもしれない。でも作者本人のあとがきですからね。そういうあとがきです。
Referências