JOJOVELLER

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"JOJO's Bizarre Adventure" celebrates its 25th anniversary in 2012. 8 JOJOs have travelled bizarre times and places. This never-ending story is "TO BE CONTINUED".
—Incipit of the JOJOVELLER artbook

JOJOVELLER (ジョジョベラー JoJoberā) is a multimedia collection of books featuring content pertaining to the JoJo's Bizarre Adventure franchise. Succeeding JOJO A-GO!GO! as the third installment of Hirohiko Araki's series of art books, it was published to commemorate JoJo's Bizarre Adventure's 25th Anniversary.

The set was released on September 19, 2013 and includes an art book featuring original artwork from Stone Ocean, Steel Ball Run and JoJolion, a booklet describing the history of the series, and a Stand encyclopedia containing comments from Araki himself.

Summary

The Limited Edition version of JOJOVELLER

The package includes three separate books, each with their own art and information. The limited-edition comes in a black Lacquered enamel case and includes 2 Blu-Ray Discs showing the 25th-anniversary art exhibition in Tokyo and a behind-the-scenes look at Araki's creative process.

Book One

A Complete Stand Guide similar to the one in JOJO A-GO!GO! updated with Stands from Stone Ocean to the early part of JoJolion.

  • It includes information about the Stands themselves, Design, Skills and Performance, Stats, and the Users. Each has a commentary by the author himself. In the book, Stand users are referred to as "Stand Masters."

Book Two

Book Three

JoJoveller Box

The Actual JOJOVELLER artbook. It features works of art from JoJo's Bizarre Adventure and some of Araki's most recent illustrations. It is divided into the following chapters:

  • JOJOs travel to Japan: 8 commemorative works of art of each of the protagonists and other main characters posing in various places and with different typical Japanese items, all specifically created for the 25th anniversary. There is also art featuring Bruno Bucciarati and Jolyne Cujoh in Firenze taken from an earlier collaboration with GUCCI.
  • JOJO travels to Green Dolphin Street Prison: A compilation of artworks related to Stone Ocean.
  • JOJO travels from San Diego to New York: A compilation of artworks related to Steel Ball Run.
  • JOJO travels to Morioh: A compilation of artworks related to JoJolion up to the date of publication of the artbook.
  • JOJO travels to another world: A compilation of miscellaneous artwork made by Hirohiko Araki over the years, most of which are related to the series while some are independent works.
  • Hirohiko Araki X Gucci: A compilation of artwork made in collaboration with the clothing brand GUCCI.
  • This book contains a "map" with romanizations of the names of most characters and Stands shown thus far.

Blu Rays

Blu-ray discs included with Limited Edition
  • Blu-ray: Disc 1 - JoJo Exhibition 2012 Documentary. It includes three videos, first a trailer of the 25th anniversary of the series, then two videos of the Hirohiko Araki JoJo Exhibition 2012 consisting of a nighttime visit by Remote Romance, another one in daytime showing visitors.
  • Blu-ray: Disc 2 - THE MAKING OF JOJO! A behind-the-scenes look at Araki's creative process following how he designs and draws one of his artworks.[1]

Making-of

The JOJOVELLER artbook was printed with five types of colored ink instead of the usual four, enhancing the quality of the color rendition.[2]

Link to this sectionCommentary
The artbook is in five colors, which is not common in France. In technical terms, all books are in four colors which, once they are mixed, create all of the colors we know. With JOJOVELLER, they added what we called a Pantone color on each page.
—Pascal Lafine[3]
Le livre d'illustration est en cinq couleurs, ce qui n'est pas courant en France. En terme technique les livres sont tous en quatre couleurs qui une fois mélangées créées toutes celles que l'on connaît. Sur JOJOVELLER ils ont rajouté sur chaque page ce que l'on appelle une couleur Pantone.
—Pascal Lafine[3]

Interviews

JoJovellerArakiKabashimaInterview.jpg
Incomplete translation
Artbook
Interview
Published September 19, 2013

Q: You chose the name "Jonathan Joestar" because your meetings were held at the family restaurant "Jonathan's", right?

Araki: What? Jonathan's? (Laughs)

Kabashima: Didn't you want to make the name "JoJo"?

Araki: I wanted to have an alliterative name like Steven Spielberg, so the acronym would look like J.J. or S.S. But the family restaurant we had our first meeting at was Denny's. It wasn't until later that we started going to Jonathan's.

Q: No no, you've mentioned it was Jonathan's elsewhere (laughs). You stated, "Because it was at Jonathan's."

Araki: Ohh, that was more of a "Sure, Let's go with that" type of answer. (laughs)

Kabashima: It's better for these things to be interesting, right? (laughs). Araki-san likes legends. He thinks it's better for it to be interesting than for it be a fact. That's likely the root of this.

Araki: Legends are a requirement for the horror genre.

Q: Then the name "Jonathan" is...?

Araki: It was just to make the J.J. alliteration. I didn't really take it from anywhere in particular.

Kabashima: It seems the origin of Jonathan has also become something like an urban legend, but it was definitely a Denny's at first, and then we switched to having meetings at Jonathan's somewhere during the middle of serialization. It was convenient because it was close to Araki-san's workplace at the time.

運命対談
荒木飛呂彦
×
椛島良介

(初代担当編集者)


漫画家・荒木飛呂彦と、その初代担当編集者・椛島良介。10年という月日をともに歩み、ともに作品を作り続けてきたふたりが『ジョジョの奇妙な冒険』の秘話を明かす。作家と編集者、それぞれの立場から、出会い、作品作り、思い出、互いのこと、そして『ジョジョ』を語りあう――
題して「運命対談」。


荒木飛呂彦!
椛島良介と会う

――30年以上にわたるお付き合いなので、あらたまっての対談というのは照れくさいかもしれませんがよろしくお願いします。

椛島 最初、「ウルトラジャンプ」(以下、UJ) 編集部から対談を依頼された時は、自分が表に出るのはちょっとどうかな、と思ったんですよ。編集者はあくまで黒子ですからね。

荒木 でも、あの当時のことは椛島さんしか知らないから。

椛島 漫画編集の現場から離れて10年以上経つので、時効じゃないけど、まあよいかなと。ドキュメントとして残しておくのは大事かなと思い直しました。いい機会かもしれませんね。

荒木 30年経って、こうやって対談できるのは、すごく嬉しいですよ。

椛島 でも正直、かなり忘れてるけどね (笑)。

――おふたりの最初の出会いは?

荒木 「週刊少年ジャンプ」(以下、WJ) の編集部に僕が持ち込んだ時ですね。その時、椛島さんが見てくれたのが最初で、それが1979年くらいかな?

椛島 僕もまだ新入社員の頃ですね。

荒木 僕は当時、仙台に住んでてデザイン学校に通ってて、いろんな漫画賞に応募してたんだけど、最終選考止まりとかが多かったんで、これは直接意見を聞かなきゃと思って集英社に持ち込みに行ったんですよ。

――事前にアポイントメントを取って?

荒木 いやもう、いきなり。そういうの知らなかったんですよね。当時は新幹線もなかったから特急に乗って、集英社に着いたのが午前11時くらいだったかな?

――編集者は夜型が多いから、ほとんど人がいない時間帯ですね。

荒木 その時にたまたまいて、持ち込みを見てくれたのが椛島さんで。

椛島 当時、新入社員だったから早く出社させられていたんですよ。それで編集部にいたんでしょうね。だからもう、まったくの偶然。

荒木 それでも何かね、ちょっと運命的なものを感じますよ。その時いたのが椛島さんじゃなかったら、別の人が担当になっていたでしょうから。

――WJに持ち込んだのはどうしてですか?

荒木 最初ね、実は小学館に持ち込もうと思ってたんですよ (笑)。で、ビルの前まで行ったんだけど「でっかいなー」と思ってビビったの。その隣が集英社で、当時は小さなビルで入りやすくて、「こっちから行くか!」みたいな (笑)。それで集英社の受付の人に「持ち込みですけど」って。

椛島 その受付の電話に、たまたま出たのが僕だったんですよね。

荒木 あの時は本当にドキドキですよ! 編集者の方は持ち込みなんて毎日だろうけど、持ち込む方は命がけっていうか。

――その持ち込みがデビュー作の『武装ポーカー』だったんですか?

荒木 いや、別の作品ですね。何描いたんだっけな…、忘れてる (笑)。もう原稿も残ってないんですよ。

椛島 僕も見ているはずなんですけどね。どんなストーリーでしたっけ?

荒木 短編で…、あ! 砂嵐だ。たしかね、誰かが砂嵐で遭難するみたいな話だったと思う。ヒーローものとかじゃないんですよ。完全にサスペンスなんですよね。それでね、椛島さんにすごいことを言われるんですよ。こう、袋から原稿を取り出すや否や、もう新人への洗礼が始まるんですよ。1ページ目で「はみ出した線を消すくらい小学生でもできるでしょ?」「絶対やめてね」みたいなことを言われて。あとはストーリーでも「どうしてここはこうなったの?」とか聞かれて。

椛島 そうだっけ?

荒木 そう。

椛島 憶えてないねぇ (笑)。

荒木 僕は憶えてますよ (笑)。言われて「ああ、そうかッ!」「ちゃんとやらなきゃいけねーんだな」と思いましたから。

――そういった指摘を受けて『武装ポーカー』が描かれたわけですね。

椛島 半年後ぐらいですかね。『武装ポーカー』を読んだ時は驚いた。最初の持ち込みの時、本当にそんなに厳しいこと言ったかな? っていうぐらい、完成度が高くて。

荒木 言われたことをちゃんと反映できたからじゃないですかね。

椛島 ぜひこれは手塚賞にということになって、あとはトントン拍子に準入選。手塚先生が大絶賛してくださったのを憶えてます。半年後のパーティーでお会いした時にも「荒木さん、どうしてますか?」って気にかけてくださっていたほどでね。

――実は『武装ポーカー』の生原稿をお持ちしました。椛島さんが見るのは30年ぶりくらいですか?

椛島 そうですね。手塚賞のあとWJに掲載されて。懐かしいね。

荒木 デビュー作をWJに載せてもらったのが、名誉なことっていうか。普通、新人がいきなり本誌ってあまりないんですよね。

――椛島さんから見て、新人時代の荒木先生はどんな印象でしたか?

椛島 独学でやってきたんだろうなというのは、この原稿を見るとすぐわかりましたよ。印刷がされない余白のところまで、きちっと枠線が引いてあったり。普通はここまで描かないから。

荒木 すっごいペラペラの紙ですよね。どんな紙に描いていいかもわかんなかったから。

椛島 あらためて見ると、もうこの当時から、描き文字とか擬音のおもしろさがありますね。「ドギュウウン」とか、「ガーン!」とかね。

荒木 でもさ、この目の前で読んでもらうのって、今もちょっと緊張するんですけど (笑)。新人の頃を思い出してしまって…。

椛島 持ち込み原稿を読む時は、お互い沈黙してる上に、それなりに時間がかかりますからね。

荒木 その「間」っていうの? それが怖くてね。で、「ここ、ちょっとわかんないんだけど」とか聞かれるとさ、もうダメだ! みたいな (笑)。だけど最後にちょっと「おもしろいね」とか言ってもらえると、おお! って感じでね。

椛島 最初から、誰かの真似ではない独特の雰囲気はあったよね。それと、映画が好きなのかな、というのはすごく感じました。WJの漫画が好きで持ち込んだという感じではなく、最初から自分の世界を描いていた。だから正直、WJ向きじゃないな、と。

――『武装ポーカー』のあとが『バージニアによろしく』、そして『アウトロー・マン』と続きますが、椛島さんは編集者として荒木先生にどういった作品を描いてもらおうと思っていたか憶えていますか?

椛島 無理に当時のWJ風に描いてほしいとか、そういうのは一切考えなかったですね。僕自身もホラーやサスペンスが好きだったというのもあるんですけど。だから読切を描いていた頃は、『バージニア』にしても『アウトロー・マン』にしても、一言で言えば「好きにやってくれればいいよ」って感じでしたね。基本的に荒木さんの世界観というか、感性に任せていました。

――初期の短編群は、西部劇だったりSFだったり、いろんなことを試している感じが伝わって来ます。

荒木 椛島さんが喜ぶんですよ (笑)、そういう作品を描いていくと。

――喜ぶ?

荒木 当時の漫画界にないものを描け、他の作家が描いていないものを描けっていう雰囲気があって。そういう作品がWJにはある意味必要だったっていうか。

椛島 ただ、デビューしたからには人気も取らなきゃいけないっていうのがあるじゃないですか。そのハードルはやっぱり高かったですね。

――当時の編集部の中での、荒木先生の評価はどうだったんでしょうか。

椛島 初期の短編を読むだけでわかるように、すごいストーリーテラーでしょ? 当時のWJの他作品とはテイストが全然違ったので、「これはウチじゃないんじゃないか」って意見もあったんですけど、ストーリーテラーとしての才能は誰もが認めていたんじゃないかと思います。

荒木 でも読切はあんまり人気無かったんじゃないかと思いますね。いわゆるヒーローものでもないし、後味が良くないのもあるし (笑)。

椛島 でも新しかったと思うんですよ。当時はスティーブン・キングとか、モダンホラーの好い作品がどんどん世に出た時代だったから、すごく刺激を受けてね。

荒木 そういう話、よくしていましたよね。あの頃、ホラー映画が新しくて。『バオー来訪者』の頃なんかも椛島さんが本とか映画とか、色々薦めてくれるんですよ。マニアックな本とか、まだ日本に入ってきてないホラービデオとか。そういうのを紹介してくれるのが刺激になって、嬉しかったですね。

椛島 荒木さんと話している時は、いつもそういう話が多い。打ち合わせはいつも30分くらいで終わって、あとはもう2~3時間くらい雑談でね (笑)。こんな面白い小説があったとか、すごい映画が見つかったとか、お互いに。趣味を語り合ってる時間でもあるんだけど、それがまた作品に繋がっていくようなね。

荒木 分析したりするんだよね。

椛島 だから楽しかったですね。

――その時間が『魔少年ビーティー』や『バオー来訪者』、そして『ジョジョの奇妙な冒険』へと繋がっていったわけですね。

椛島 そういう世界を描いていたから当時、WJ編集部では非常にマニアックな作家になると思われていたんですけど、僕はもっと多くの読者を期待できるんじゃないかと思っていて。

荒木 椛島さんがね、マイナーなところでマイナーな題材をやっても意味がない、WJでやるから意味があるんだって言うんですよ。

椛島 マイナーって言ったら失礼かもしれないけど、そういう雑誌でね、そういう題材をやるのは普通じゃないですか。WJみたいな多くの読者がいる中で敢えて成功させたいな、と。それは価値があるだろうし、可能性はあるとは思っていましたよ。ただ、厳しい道のりでしたよね、やっぱり。

荒木 でも、すごく勇気づけられましたよ。おお、はいはい! って感じ。なんかいいんですよ、そういうのが。

椛島 偉そうに色々話しましたけど、正直言えば僕も当時は駆け出しの編集者なわけです。振り返ると荒木さんは漫画家として、僕は漫画編集者として、試行錯誤しながら一緒に歩んでいったという感じですよね。

――話は少し戻りますが、おふたりが最初に出会った時の第一印象は憶えていますか?

荒木 まずね、当時のWJ編集部がものすごいイメージと違っている印象が (笑)。なんか本とか荷物が積んであったりとか「きったねーな」っていう (笑)。で、狭いんですよ。そこにいる編集さんがジーパンとかTシャツとかで仕事していたんで、なんかその…「スーツを着ているのが編集者」ってイメージと違うっていうか。あと、長髪なんですよね。ロッカーとかフォークソングのシンガーみたいな。編集部自体がものすごく怖かったです。

椛島 緊張感はすごくあったでしょうね。本当に狭かったし、毎週締切が来るのでテンションも上がっていただろうし。荒木さんは「年を取らない」ってのが都市伝説みたいに言われているけど (笑)、本当に変わってないよね。昔からルックスもファッションもあまり変わっていないし、語り口もこんな感じで穏やかだし。とはいえ、なんでも「ハイハイ」と言うことを聞く感じでもなかったですね。作品については、それなりの主張があった。

『ビーティー』登場!!
~仙台で描いた初連載作~

荒木 憶えてるのは、最初の頃は仙台で描いてて、宅配便で原稿を送るわけですよ。そうするとね、椛島さんが「ちょっと直しがあるから来て」って言うんですよ。それで4時間くらいかけて上京して、泊まり込みで集英社の会議室で直すんですよね。仙台から道具を持ってきて、ガラスの灰皿でインクを溶いたりなんかして描いたり。それで会議室で直して、また仙台に帰るっていう。隣の会議室では、連載作家さんが同じように何か描いてたりとか。そういうのを思い出しますけど。

椛島 何かの読切の時だっけ?

荒木 読切でもあったけど『ビーティー』の時もあったかな。

椛島 あれ?『ビーティー』の時はまだ東京に出てきてなかった?

荒木 仙台で描いてましたね。連載が決まる前から1話分を3週間くらいかけてひとりで描いてたんですよ。半年くらいは仙台で描いてましたよ。うん。

椛島 『ビーティー』の連載は、最初のネームを上げてもらってから実際に掲載されるまで1年半くらいかかってましたよね。その時に編集部の上司から言われたのが「少年誌で“魔少年”って何事だよ」と。当時は根性とかガッツで勝利していくっていうのが主流で、その中でクールに頭脳戦というスタイルの作品はあまり無かったし、連載作品の中でもすごい異質だった。それに対して当時の編集長が危惧したのもわからないわけではないけども、ただ僕も「すごく面白い!」っていうのは確信していたので、1年半くらいの間は編集部内で何度もやり合いましたね。当然、注文も色々返ってくるわけで、荒木さんと僕とで知恵を絞って何度も直しましたよね。

荒木 僕も、なんでダメって言われるのかまったく理解していなかったんですよ。むしろ「なんでこれがわからないんだ?」ってくらいで。『シャーロック・ホームズ』のスタイルを下敷きにして描いていたから、妙な自信があるんですよ (笑)。

椛島 麦刈公一くんがワトソンでね、ビーティーがホームズなんだよね。

荒木 それの悪者バージョンっていうか。

椛島 ピカレスクの主人公を持ってくるのはWJでは珍しかった。正直、人気は最初はかなり厳しかったんで10回連載で終わったんだけど、実は最後の「そばかすの不気味少年事件の巻」はアンケートの人気が上がったんですよ。

荒木 あの最後の話、傑作ですよ。自分で言うのもなんですけど (笑)。

椛島 連載作品が15~16本くらいだったと思うけど、その中でベスト10くらいに入ってきたんだよね。読者も『ビーティー』みたいな作品を受け入れてくれたという感触もあって、編集者としてホッとしたというか自信を持ったと同時に、「なぜ人気が上がったのか」という分析もしましたね。あれはね、そばかすの少年という敵役が良かったんですよ。それまでの敵はマッチョだったり変人だったりで、頭脳戦を仕掛けてくるタイプじゃなかった。でもそばかすの少年はある種、ビーティーと対になるようなシャープなところがあって対等に渡り合える敵です。だから頭脳戦の方向で押して連載が続いていれば、もっと面白い作品になったんじゃないかなと思いますよ。今回、あらためて作品を読んで、僕は続きを読みたくなった。『ビーティー』の舞台って、あれは仙台の雰囲気でしょ?

荒木 そうですね。あまり南の方に行ったことはなかったんで、日本は北の方しか知らないんですよ。

椛島 『ジョジョ』の第4部に似た雰囲気と、描かれる建物も外国っぽい雰囲気があったね。荒木さんに海外旅行を薦めたのもこの頃ですよね。『ビーティー』が残念ながら終了したあと、荒木さんにアドバイスしたのが「とにかく外国、特にヨーロッパには行ったほうがいいんじゃないか」って。作家さんによっては外国に行ってもただの旅行で終わる人もいるんだけど、荒木さんの場合は身になっていくんじゃないかという感じがあった。ただ、まだ荒木さんも新人だったんで編集者として僕が同行することもできなくて、ひとりで行ったんだよね?

荒木 最初はそうですね。ツアーに入って、ロンドンからパリって感じで。それが初めての海外旅行でした。

椛島 今はもう毎年のようにイタリアにも行かれてますけどね。最初にひとりで行った時、飛行機の中で具合が悪くなって乗務員さんに膝枕してもらったんだよね? (笑)

荒木 え~ (笑)、まぁ、そういうのもありましたけど (笑)。

椛島 自転車で仙台から北海道まで行ったりもしてたから、旅そのものは好きだったよね。

荒木 いや、それほどでもないですよ。海外は、まず飛行機代がすごく高かった時代なんですよね。

カルト的人気を得た『バオー来訪者』

椛島 『ビーティー』は仙台で描いて、『バオー』の連載前で上京でしたっけ? 僕と荒木さんとふたりで不動産屋を回りましたよね。

荒木 新井薬師 (編集部注・東京都中野区) にワンルームを借りて、そこで『バオー』を執筆ですね。1年くらいしかいなかったですけど。そこが仕事場兼住居って感じで、東京に来ていちばん最初の頃ですね。

椛島 週刊連載は時間がないから、仙台と東京の行き来の時間ももったいなくてね。濃密な作業をするには、やはり東京でないと。

――『バオー』は、どんな打ち合わせから始まったんですか?

荒木 最初は、やっぱり肉体的なアクションにしようかっていう感じですよ。当時はシュワルツェネッガーやスタローンみたいな肉体派の映画が流行ってて、『ビーティー』が頭脳戦だったから「次はもうちょっと肉体を使おうか」みたいな発想だったと思いますよ。ある意味、ちょっとWJ的にしたっていうか。そういうのはありましたね。

椛島 『バオー』は典型的なストーリー漫画ですよね。キャラクター漫画というよりはストーリー性が強かった。だから「人気を取る」って言う意味では不利でしたね。荒木さんの頭の中で1本の映画のようにストーリーが構築されているものを、連載形式で週ごとに分けて読んでもらうわけですから。

荒木 そういうのはちょっとありましたね。ただ、人気を取ろうという意識は自分の中にはあんまり無かったですね。「これが受ける」とかって分析もあんまりしないし。制約がかかって描けないことが多くなりそうな感じで、嫌なんですよね。

椛島 人気の話は、あまりしなかったよね。もちろん僕は「人気を取らなきゃ」って思ってますけど、それは僕が打ち合わせの中で作品に反映させていけばいいことなので。打ち合わせでは、やっぱり面白さを追求していくっていう感じでしたね。でも、まぁコミックスが2巻で終わっていますから、人気は厳しかった (笑)。でも、当時の西村繁男編集長はすごく高く評価していました。今にして思うと、敵が巨大な猿とかマッチョ系が多かったけど、そこは「そばかすの少年」みたいな方向で追求したほうが良かったかもしれない。この辺は『ジョジョ』への課題として残ったと思ってますけど、荒木さんも『ビーティー』と『バオー』で得たものはすごく大きかったんじゃないですか?

荒木 そうですね。それと当時、車田正美先生が褒めてくださったことを憶えていますね。コミックスの巻末では寺沢武一先生にも褒めていただいて。嬉しかったですよ。力になりましたし、感謝してます。

椛島 ある種のカルト的な人気の反響はあったよね。アンケート以外のところでの反響が結構聞こえてきたり、連載が終わってから別の出版社の雑誌で特集が組まれたりもした。そういったことも荒木さんのある種の自信に繋がっていったと思います。

荒木 『バオー』にはドレスっていう組織が出るんだけど、椛島さんは「話の中で描かなくてもいいけど、組織はちゃんと構築しなきゃダメだ」みたいなことを言ってましたよね。架空の組織でも、現実の組織と同じようなちゃんとした背景とか目的を設定しないとリアリティが出ないってことで。それで椛島さんがよく「読んでね」って薦めてくれたのが世界中の組織・結社の本でしたね。すごく読みましたよ。「こんな世界が世の中にはあるのか」とあらためて思ったし、好きでしたよ、ああいうのは。

椛島 ああ、そういうこともよく話しましたね。漫画は何でも描こうと思えば描けてしまって、例えば簡単に地球を割っちゃったりもできるんだけど、その作品なりのリアリティが大事なんじゃないか、とか。ひとつの大きなルールがあって、そのルールを作るためにはキャラクターや組織の背景をある程度考えておかないと、本当にリアルな感じには演出できない。

荒木 嘘の世界じゃなく、あたかも存在するようなものの中で話を進めるっていうか…。だからその手の本を紹介してくれるのがすごく良かった。最初は意味がわからなくて「趣味を押しつけられてんのかなー」とか思ったけど (笑)、ちゃんと読むと分かってきました。『エイリアン』で有名になる前のH・R・ギーガーのイラスト集やシド・ミードの画集とかも見せてくれましたね。

――この当時、椛島さんが編集者として最も注意していた点はどこですか?

椛島 それは編集者として最も基本的なことですが、まずスケジュール管理ですね。締切を守るために作家さんが徹夜を続けるのは良くないだろうと。週刊連載はマラソンと同じでペースを守っていかないと、どこかで破綻してしまうと思います。だから、「まずスケジュールはきちんとしよう」というのがあり、アイデアが出なくて大変な時もあったかもしれないけど、そこで時間を使うと翌週はもっと大変になる。荒木さんも、そこはブレなかったですね。締切は判で押したようにしっかりと守っていただけた。

――当時のスケジュールは、どんな感じだったんですか?

椛島 月曜日にネームチェックをして、木曜日には原稿が完成してましたね。で、その木曜日の晩には次回のだいたいの流れを打ち合わせで決めて、金曜はお休み。土曜からネームを始めて、また月曜にはネームチェックということの繰り返しでした。この「金曜から土曜にかけてのオフ」というのが大事でね、そこで色々な映画や本や、体験をしてインプットしてもらうんです。このオフを取るためにも、他の日をきちんと進めたんです。だからものすごく忙しいはずの週刊連載をしていても、荒木さんは毎週のように映画館に行ってましたよね。

荒木 ああ、そうですね。

椛島 僕もたまにご一緒したりしましたね。話題作から変な映画まで、とにかくそういうものを観に行ってました。で、そのインプットがあったから、打ち合わせの時にアイデアがどんどんと出てきたんです。

戦う女性主人公、『ゴージャス☆アイリン』

――『バオー』のあとに読切で『ゴージャス☆アイリン』を2本描いていますね。

椛島 実は『ゴージャス☆アイリン』を連載しようと考えていたんだよね、『ジョジョ』ではなくて。まあまあ人気もあったんですけど。

荒木 でもね、まず自分が男なんで、女の子を主人公にするっていうのが難しい。女の子は脇役というか助演なら描けても、バトルには向いていない時代だったんですよ。あの当時の漫画、特に少年誌には、かわいらしい女の子を描かなきゃダメっていう価値観みたいなのがあったんですよね。

椛島 僕はかわいく描いてという要求はしてなかったと思いますよ。

荒木 当時のWJっていうか、少年漫画界の雰囲気がそうでしたよ。

椛島 WJでも『きまぐれオレンジ☆ロード』がヒットしてましたね。ただ、WJ編集部そのものはそれほどラブコメやかわいい女性キャラクターという雰囲気ではなかったと思いますよ。まぁ、正直ね、私もラブコメのような作品はあまり得意じゃない (笑)。そういうセンスがないんでしょうね。

荒木 戦う女の子は本当に難しいです、ええ。外国人を主人公にするよりも難しいと思いますね。2回くらい描いたんだけど、あれで吹っ切れた部分はあるかもしれないです。

――外国人が主人公といえば、いよいよ『ジョジョ』第1部ですね。

そして『ジョジョ』連載スタート!

――ジョナサン・ジョースターの名前は「ファミレスのジョナサンで打ち合わせをしたからジョナサン・ジョースター」なんですよね。

荒木 え、ジョナサン? (笑)

椛島 名前を「ジョジョ」にしたかったんでしょ?

荒木 頭文字がJ・Jとか、S・Sとか、韻を踏みたかったんですよ。スティーブン・スピルバーグみたいに。でも『ジョジョ』の打ち合わせを最初にやったファミレスはデニーズですよ。ジョナサンに行くようになったのは、そのあとなんで。

――いやいや、先生どこかで言ってますよ (笑)。「ジョナサンだったから」って。

荒木 ああ、それは「そーゆーことにしておくか」みたいな感じ? (笑)

椛島 話は面白いほうがいいよね (笑)。荒木さんは伝説好きだよね。事実よりも面白いほうがいいだろうっていう。それが根底にあるんだよね。

荒木 伝説はホラーの条件ですから。

――じゃあ「ジョナサン」という名前は…。

荒木 J・Jって韻を踏んだっていう、ただそれだけ。特にどこかから引っ張ってきたわけではないです。

椛島 ジョナサンの由来が都市伝説みたいになっちゃってるけど、たしかに最初はデニーズで、連載途中からジョナサンでの打ち合わせになったんですよ。当時の荒木さんの仕事場に近くて便利だったし。

荒木 そのジョナサンがいいんだよね! しかもなんかね、その店が牧場の跡だったんですよ。旧牧場の跡地にお店が建ってて、牛魂碑っていうのがあったりして。椛島さん、「そういうとこは縁起がいいんだよ」みたいなこと言ってましたよ。

椛島 そうだっけ? (笑) あのお店はまだあるのかな?

荒木 牛魂碑はあるみたいだけど、マンションか何かになっちゃってるらしいですよ。

――第1部のいちばん最初の打ち合わせで、もう波紋のアイデアはあったんですか?

荒木 要するに、何にでもルールを作りたかったんですよ。で、超能力もなんかこう、「見えないものを絵にしたいね」っていう感じで始まったんですよ。それで、波紋だったら絵に描けるから、パワーの大きさとかどれだけの強さかっていうのを見せられる。とにかく、「超能力を絵で描く」。

椛島 それはスタンドも同じだよね。ただ、波紋はその意味では不十分だったけど、スタンドは超能力を見えるものにしてキャラクターにまで持っていった。その発想は画期的ですね。スタンドという発想があったから、その後の20年も続けられたんじゃないかな。これは荒木さんに初めて言うことかもしれないけど、『ジョジョ』も最初の頃はあまり人気は無かったんですよ。第1部は、『バオー』と同じく典型的なストーリー漫画。今読んでも面白いし傑作だけど、やはりあれを毎週20ページずつ読むというのは、読者にはハードルが高かったと思うんですよ。「人気がないと打ち切り」という徹底した容赦ない厳しさがあるWJの中で、僕は打ち切りもある程度は覚悟していた。ただ、西村編集長が、ストーリーテラーとしての荒木さんの才能を非常に高く評価していた。だから人気のわりに、続けることができたんです。第1部は1年間くらいだっけ?

荒木 それくらいですね。

椛島 第1部はなにしろイギリス人じゃないですか。しかも100年前の話 (笑)。すごいよね。

荒木 やばいですよね (笑)。椛島さんも結構反対されてましたよね。「外国人が主人公なのはダメだ」って最初におっしゃってた。

椛島 厳しいとは思いました…というか普通はみんな思いますよ (笑)。世代交代ってのは、最初から決めてたの?

荒木 うん。これは椛島さんにも言ってなかったんですけど、世代交代したかったんですよ。主人公を殺しちゃうのって、それはすごい冒険でしたけど。『エデンの東』みたいな、ああいう話にしたかった。因縁があるっていうか…。もともと『ジョジョ』は第3部で完結させる構想が第1部の頃からあって、DIOが第3部でよみがえってくる話にしたかったんですよ。

椛島 それは初耳ですね。

荒木 打ち切られたら「まぁ、そこまでかな」っていうのもあったけど (笑)。

椛島 私は私で「第1部の展開で人気の獲得は難しい」って思っていたから、「打ち切りになる前に第1部にピリオドを打って、第2部の展開を考えよう」という作戦もあった。

荒木 だから第1部と第2部の間に連載の休みは入ってないですよね。

椛島 第2部、そして第3部と主人公像はかなりパワーアップしてますよね。ジョナサンはお坊ちゃんで純粋だけど人間的な魅力にまだ乏しいところがあって、ジョセフはお調子者という色が出て、第3部の承太郎になるとキャラクターにかなり陰影が出てきている。その進化もすごいですね。

荒木 ああ、ジョナサンはディオを描くためだから。

椛島 第1部はディオがいちばん描きたかったんだよね (笑)。

荒木 そう (笑)。ディオを描くためのジョナサンなんです。

椛島 その意味でも、ジョナサンだけだとヒーローとして厳しかった。スピードワゴンやツェペリのようなキャラクターが出てきて「主人公と仲間」という形が見え始めて、そこから読者の反響も大きくなってきたんです。こういった話は荒木さんには全然伝えていなかったんだけど、そこは阿吽の呼吸で汲んでくれたよね (笑)。第2部になると、アンケート結果もかなり良い回もありましたね。だから結構続いたはずですよ。

エジプト旅行に行こう!

荒木 椛島さんと一緒にエジプトに行ったのって、この頃でしたっけ? あの頃の椛島さんって古代エジプトにはまっていて、それで誘ってくれて。でも僕は特にエジプトとか行きたくなかったんですよね(笑)。

椛島 え、でも楽しかったじゃない?

荒木 楽しかったけど、好きな国ってあるじゃないですか。エジプトはあんまりそういうイメージじゃなかったわけですよ。だって椛島さん、「エジプトはコーラ瓶の底に砂が溜まってんだよね」とか「前の旅行で○○さんが食中毒になっちゃってさ」とか言うから、こっちは「行きたくないなあ」みたいな感じだったんですよ。でもその旅行でナイル川のクルーズツアーに参加したりとかして。その経験があったんで第3部の時に「じゃあ、DIOはエジプトにいることにするか!」みたいな感じになりました。

椛島 すぐ作品に取り込まれるわけじゃないんだけど、のちにそれが活きてくるというか。エジプトに行っていなければ、第3部はまた違っていたかもしれないね。

荒木 たしか飛行機で24時間くらいかかりましたよね、当時は。ロシアの上空が飛べなかったんだと思う。…あっ! その旅行で思い出した! あの頃の椛島さんが「読め」って薦めてくれた『現代殺人百科』を「飛行機の中で読むかー」って持っていったら、もう殺人のオンパレード (笑)。24時間ずっと (笑)。

椛島 あれ、僕が薦めたんだっけ?

荒木 そうですよッ!! コリン・ウィルソンの『現代殺人百科』。

椛島 でもそれ、飛行機に持ってこなくていいよね、普通。

荒木 あれ読んでて、なんか機内でおかしくなりましたよ。気分が悪くなった。

椛島 24時間、ずっと読んでたんだ (笑)。

荒木 でも、その殺人鬼ってのが謎だったんですよね。「世の中にこんな人がいるのかッ?」って。明確な動機とかがないんですよね。あの辺も、ある意味で浪漫って言うと変だけど謎ですよね。

椛島 人間とは何だろうっていうね。荒木作品は“人間讃歌”なんだけど、影の部分をちゃんと押さえているから光である“人間讃歌”が描けるわけでね。でも、もともとそういうシリアルキラーとかに興味はあったでしょ?

荒木 それはやっぱり興味はあったけれど。

椛島 それはもう初期の短編を見ればねえ (笑)。

荒木 だから、あのエジプト旅行はものすごかったんですよ。行きの24時間でどれだけの衝撃を受けたかっていう (笑)。

椛島 10日間くらいの旅行だったよね? 連載中だったから、たしかスケジュールを10週前くらいから少しずつ詰めていって。

荒木 体力ありましたよね。でも、あの旅行でいろんなものを見ましたよ。欧米のツアーの団体が、「アジア人とは一緒のバスに乗りたくない!」って言い出したりとか、何百年も前の時代の恨み言を現地の人が語っていたりとか。「世の中って、こういうこともあるんだ、スゲー」と思いましたよ。

椛島 イタリアにも一緒に行ったよね。当時の編集長と僕と、荒木さんとデザイナーさんだったかな。これ、なかなかの珍道中でしたよね (笑)。

荒木 たしか第2部を連載している頃でしたよね。

椛島 第2部でヴェネツィアが舞台で出るけど、そのちょっと前くらいでしたっけ。あれでイタリア好きに本格的に火が付いた感じだよね。あの時はたしか、ヴェネツィアから入ってフィレンツェ、ローマを回った。

荒木 美術とかもそうですし、見るものがすべてよかった。レストランにある塩の入れ物からして、何か全部すごかった。もう、何を見ていいのか判らないくらいで、「おお!」「おお、おおッ!!」って感じで (笑)。ホテルにしても建物のデザインっていうか佇まいからしてすごかったし。食べ物も黒かったりして、ビックリしました。

椛島 ああ、イカスミ?

荒木 衝撃だよね。「なんでこんな黒いものが⁉」って。

椛島 当時、イカスミのパスタなんて日本で知られていなかったんですよね。やっぱり普通の人と見ているところが違うんでしょうね。で、どこかに行くと必ず面白いネタを見つけるっていうか出会うっていうか。いろんな刺激が向こうから来るんだよね。

確かな手ごたえを感じた第3部

――第3部ではスタンドが出ますよね。これはもう、「発明」といっていいくらいの画期的なアイデアだと思うんですが。

椛島 波紋という超能力がまだまだ抽象的で、セリフで説明しなくちゃいけなかった。それを「何とかしたいな」という時に、荒木さんから出てきたんですよ。

荒木 そうですね。「うしろから背後霊みたいなのが出てきて、そこの茶碗を割るんですよ」っていう説明をしたと思うんですよね。ただ、WJのデザイナーさんに話しても「ワケわかんない」みたいな反応だったんで、「えーっ! キツいかなあ?」と思って。承太郎が留置場にいてスタープラチナが出てきたりするところとか、「このスタンドって何?」って編集部のみんなが言ってるよという話もありましたよね。

椛島 でも読者の反響は最初から良かったですよ。第3部で、WJ的な世界と荒木さんの世界が完全に調和できたっていう手ごたえはありましたね。あと、承太郎というキャラクターも良かった。真面目なジョナサン、お調子者のジョセフ、そして不良の承太郎でこれが日本人。それまで外国人ばかりだったから、ホッとしますよね (笑)。

荒木 親しみやすいように作り込んだんですよね、その辺は。承太郎は僕も手ごたえはありましたよ。あと「トーナメント戦はやめよう」って言ったのは椛島さんでしたよね。どんどん強い敵が出てくるっていう漫画の作り方があるんだけど、それはやめようって。「えっ、どーすんの?」って思ったけど (笑)。

椛島 同じようなことをやっても面白くないし、真似をしたような作品の連載は長続きしないっていうのも実際に見てますしね。

荒木 それでトーナメントをやめて、一緒に考えたのがスゴロクっていうかロードムービー的な戦い方。

――そしてエジプトへの旅行があったので、DIOはエジプトにいる設定にしたわけですね。

椛島 エジプト取材がうまく活かされた展開だよね。「DIOはエジプトにいる」というのは最初から荒木さんが、まだ漠然とした形でしたが言ってましたね。その時に僕が話したのは、「DIOはシルエットだけにした方がいいのでは?」ということ。何故かっていうと、最初からDIOの顔を見せて台詞をしゃべらせると、読者の気持ちがラスボスのDIOに行っちゃって、DIOとの戦い以外は単なる前哨戦になっちゃう。読者にはその時に描いている戦いとドラマがいちばんだと毎回思ってもらいたかったし、荒木さんや僕も先のことを考えすぎると気持ちがそっちに行ってしまう。だから、あまり先のことは考えないようにして、アイデアも出し惜しみせずにとにかく毎週が全力投球でした。第3部はスタンドのアイデアもいっぱい出し合いましたね。荒木さんもスケッチブックにいっぱいアイデアを書き込んでてね。アレ、今もやってるの?

荒木 今もスケッチブックにアイデアを描いてますよ。

椛島 今だと何十冊もあるんでしょ? そのスケッチブック。とにかくそんな感じでアイデアを出し合って。でも、実際30分くらいだよね、打ち合わせをやってたのって。

荒木 うん。でも出ない時は2時間くらい話してたと思うよ。第3部あたりになってくると流れは決まっているから、打ち合わせにそんなに時間はかかってないと思うけど。

――打ち合わせの中で、例えば言い合いになったりとかはなかったんですか?

荒木 あんまりないけど。でも、意見の違いみたいなのは、まぁあったかな?

椛島 人気がない頃には僕は「人気を出すためにこうしたい」、荒木さんは「描きたいのはそれじゃない」っていうところの調整はありましたけど。人気が出てからは、そういう調整もなくなりましたね。それと漫画の打ち合わせは30分くらいで、あとは雑談だったから。雑談じゃケンカにもならないでしょ (笑)。

荒木 雑談の中で、「これがいいんだよ!」って薦めてきてくれるのがいいんです。それが自分がまったく知らないようなやつだと特に。あと、僕がちょうど何かを描いてる時に、偶然ぴったりな資料を見せてくれたりとか。椛島さんには、そういう超能力みたいなのがあるんじゃないですかね。

椛島 普段から自分が読んだり見たりして面白いものを薦めているだけで、荒木さんに会うからネタを仕込んでいこうとかそういうのではないし、あまり無理して薦めているというわけではないんですよ。だから嗜好性が似ているところがあるんでしょうね。お互いホラー好きだったりとか。

荒木 人に何か薦めるのが巧いですよね。資料じゃないんだけど、僕にウォーターベッドを薦めたの憶えてます? 「母親の胎内にいるような感じでいいよ」って薦めてましたよね (笑)。僕は「すっげー!」と思って買ったんだけど、3日くらいで駄目だと思った (笑)。自分には合わなかったんで、すぐ売ったもんね。

進化する荒木飛呂彦

――荒木先生の絵柄に関しては、椛島さんから何かオーダーしたことはありましたか?

椛島 絵に関しては基本的にお任せしていましたね。パースが良くないとか、そういうことは言ったかもしれないけど、絵柄は荒木さんが自分でどんどん探求しているし。だから毎回、進化していくんじゃない?

荒木 うーん。わからないですけど。

椛島 僕はすごく進化していると思いますよ。絵に関しては、『ビーティー』から『バオー』というように作品が進むたびに進化してましたね。『ジョジョ』になってからも、例えば第2部と第3部って絵柄がかなり変わってるけど、でも連載は休んでないんだから、荒木さんが意図的に変えていったんじゃないかな。

荒木 ちょっと反省して、何か新しいことをやったりするんですよ。踏み込んでいない部分をやろうとか、何かを追求してみようとか。絵については今でもたまに言ってくれますよね。「ちょっと下手になったんじゃないか」って。そう言われて「うそッ⁉」て。で、言われると気を引き締めますよ。

――コマの演出について、椛島さんから何かアドバイスしたことは?

椛島 それは時々ありましたね。

荒木 ちょっと分かりにくかったり、デッサンが狂っていたりすると描き直しになるんですよ。

椛島 波紋にしてもスタンドにしても、普通の日常を描いているわけではないので、そりゃ描くのも難しいでしょうね。とはいえ読者がパッと見た時に分かりやすくないとまずいので、修正をお願いしたことはありました。修正を嫌がる作家さんも中にはいらっしゃいますが、荒木さんは全然そういうことはありませんでした。

荒木 人から、19ページ全部が描き直しになった作家さんがいるらしいとか、そういう伝説を色々と聞いていたんで、コマの修正くらいですむなら有り難いと思ってた (笑)。

椛島 ジョナサンでの打ち合わせで次の号の大きな流れは見えているわけです。もちろんネーム段階の演出で印象が変わりますが、そんなに大きく外すことは無いですね。逆にいうと、打ち合わせをきちんとやっていないとどっちに転ぶか分からないので、ジョナサンでの打ち合わせがいちばん重要だったんです。だから僕にとって木曜日は非常に重要な日だったんですよ。まず原稿が上がって、それをきちんと読んで、そして次の展開の打ち合わせ。木曜日は密度がすごく濃かったですね。

荒木 構築してから描くんですよ。そういう作り方でしたね。

椛島 だから全ページ描き直しなんて一度もなかったよね。

荒木 でも6ページ描き直しみたいなのはありましたよ。

椛島 よく憶えてるなあ (笑)。それ、6コマじゃなかった?

荒木 …6コマかもしんないけど (笑)。演出が雑だったりとか、そういう理由で「この後半が分かりにくいね」って指摘されて、僕のほうも「じゃあ最初から描き直すか」みたいな感じで。連載はページ数が短いんで、結構やりくりしなきゃ入りきらないじゃない? 1コマを描き直すだけだと、うまくそこに入れられなかったりするんですよね。だから自分から何ページか描き直したりしてた。

椛島 でも、納得してないとやらないでしょ?

荒木 もちろん。

椛島 第3部になると読者の人気も安定していた印象がありますね。もちろん多少の上下はありましたけど、アンケート結果が危険水域に入っていったという記憶はないですね。

荒木 「人気漫画になるとは思わなかったなー」っていう台詞もありましたよ。

椛島 誰の?

荒木 椛島さん。

椛島 ああ、私ね (笑)。だってイギリス貴族で100年前の話でって、ねえ…。やっぱりねえ (笑)。第3部の当時でWJは500万部を突破して躍進していく時代ですから。人気競争はレベルが高いし、新人の新連載はほとんど残らないと言っていい。その中で英国貴族のね、深紅の秘伝説ね…って誰も続くと思わないでしょう (笑)。それが、もう25年。

荒木 たしかに奇跡かもしんない (笑)。よく続いてますよね。見捨てないでくれて嬉しいです、ほんと。椛島さんはその当時、3本くらい連載を抱えてたんでしたっけ。

椛島 第1部が始まった頃に『魁!!男塾』や『県立海空高校野球部員山下たろーくん』を担当してたかな? 少しあとになると『まじかる☆タルるートくん』もやってましたね。週刊連載で3本は結構忙しいですよ。

荒木 しかも新連載を立ち上げたりしてましたよね。そんな中でも『ジョジョ』を捨てないでくれてて、すごい有り難かったです。

椛島 僕が直接担当していたのは第3部の終わりまでだけど、第4部の話もなんとなくしてたよね。で、「次は日本を舞台にしよう」って言った気がする。第3部が完結する頃に僕は「スーパージャンプ」に異動が決まって、そのあとは佐々木が担当してくれたんだけど、そこでまた盛り上がっていくのもすごいね。

荒木 でも担当さんが替わるって、僕は他の担当さんについたことがないからやっぱ不安でしたよー。なんていうか、こう…、故郷が無くなるような感じで。それと、椛島さんじゃない編集さんとちゃんと話したことがなくて。だから「知らない人とどうやって?」「できるのか?」ってまず思いましたね。あと、椛島さんみたいな「ここはこうしたら」っていうアドバイスとか言ってくれるのかなとか。知り合いの作家さんから、原稿をちょっと見ただけで「これダメ。見たくない」なんて言う編集者もいるぞって言われていたから。「もしそういうことを言われたらどうしよう⁉」って思いましたよ。

椛島 荒木さんは他の作家さんのアシスタントを経験してなかったから。アシスタントの経験があると、いろんな編集者を見られると思うんだけど、そういうのもなかったですからね。でも実際に佐々木でホッとしたんじゃない?

荒木 そうですね。佐々木さんは優しかったですね。

――椛島さん自身は、担当を外れた時の気持ちはどうだったんですか?

椛島 人気的にも安定していたし、作品も流れに乗っている感じもあったので大丈夫だろうとは思っていましたが、残念ではありました。私は別の青年漫画誌に行くわけでしたし。でもスパッと担当が替わるというのも、それはそれで良いんじゃないでしょうか。多くの担当編集の刺激があったからこそというのもあるし、歴代担当にも恵まれているんじゃないですか?

荒木 皆さん、素晴らしいです。個性豊かな人ばかりでWJの伝統かなーって思うし。会社の中でも出世してるし (笑)。

――第3部のコミックスの最後には、椛島さんへの謝辞が載っていますよね。

荒木 まぁ、ちょっと感謝のつもりだったんですけど、「死んだみたいだからやめろよ」って言われましたけど (笑)。

椛島 そうね (笑)。でも有り難いですね。

パートナーとして友として

――椛島さんは担当を離れてからは、一歩引いた視点で作品をご覧になっていたわけですか?

椛島 あまり熱心に読まないようにしていました。担当が変われば、新しい担当者との関係の中で作品は出来上がっていくものじゃないですか。でも自分が読むとね、どうしても言いたくなるじゃない? だから基本的には先生と新しい担当にお任せしていました。

荒木 でも『ドルチ~ダイ・ハード・ザ・キャット~』とかの短編は椛島さんが担当してくれましたね。椛島さんがチョー猫好きなんで、そこから出来た短編ですね。

椛島 昔から猫は描いてるよね、悪役だけど (笑)。『死刑執行中 脱獄進行中』とか『変人偏屈列伝』とかも僕が担当だね。あの頃は僕が「スーパージャンプ」に移ったので、荒木さんに助けてもらったっていうかね。でも、基本はそんなにお願いはしてないですよね。人気のある作家さんだけど、「スーパージャンプ」で連載して欲しいとか、そういうことは一切言っていないし、短編をお願いしたのも僕が異動してからずいぶん経ってからじゃなかったかな? やはり基本的に『ジョジョ』を大切にしてほしいんで、あまり「スーパージャンプ」に引っ張っちゃいけないっていう気持ちはありました。

荒木 椛島さんはそういうところがなんか良いんですよ。短編は岸辺露伴のシリーズみたいなスピンオフ的なものも描けるのがいいですね。

椛島 青年誌だと、普段と違うテイストも描けるというのはありますよね。

――言いにくいかもしれませんが、ふたりの関係を分かりやすく喩えるなら、どんな関係なんでしょうか。

荒木 作詞家と作曲家かな? というかプロデューサーとミュージシャンとかかな。意見を聞いて作品を作っていくっていう。

椛島 僕が現場の頃はそんな感じだったね。今は年に何回か、一緒に食事をしたりとか、どっちかっていうと友人に近い、そんな感じです。

荒木 30年、あっという間でしたね。最初に会ったのって、ついこの間のようですよね (笑)。

椛島 今は会っても仕事の話はあまりしないよね? 僕も「『ジョジョ』を邪魔しちゃいけない」っていうのが大前提にあるから。だけども関係性は変わっていない。連載当時の打ち合わせという仕事の部分が抜け落ちて、今は残りの雑談だけって感じですね。

荒木 でも、たまに会うと、いろんな情報を教えてくれるんですが、それが嬉しいんですよ。あと、椛島さんはものすごいマニアックなんですよ。ちょっと言えないような変なものを集めたりしてるじゃないですか。僕、まったくないんですよ、そういう「集める」っていうのが。コレクションしないっていうか、どんどん捨てていくって感じ。

椛島 荒木さんの場合は集めるっていうか、どんどん頭に入れるんじゃない? だってホラー映画はものすごく沢山観ているじゃないですか。

荒木 ああいう映画を観ていると、「殺人鬼は何を考えてるんだ⁉」みたいなのがあって、そういう作品を描きたいなっていうのもあるんですよ。読者に「荒木飛呂彦は何を描こうとしているんだ⁉」みたいな驚きを与えたいっていうか。ホラー映画にはそういう刺激があって、そこがいいんですよ。「ワケわかんないけどスゲー」って。

――椛島さんから見て、荒木先生のいちばん大きな才能とはどこだと感じていますか?

椛島 月並みだけどストーリーテリングじゃないですかね。『ビーティー』にしても初期の短編にしても現在でも通じるような展開だと思いますし、ラストにもっていく巧さや伏線の張り方は天性のものだと思います。WJでやる時は、それは諸刃だったところはあると思いますけど。あとは発想ですね。今の『ジョジョリオン』もそうですが、「思いっきりやろう」という挑戦を感じます。だから仕事もね、楽しんでやっていると思うんですよ。実は担当が変わってからの20年間で、途中で何度か荒木さんから弱音を聞いたりしたこともあったけど、基本的にはすごく楽しんでやっている。これは強みなんじゃないですか? 仕事だから描く、締切だから描くっていうのではなく、漫画を描いていくのが楽しいんじゃないですか?

荒木 まぁ…はい (笑)。たしかにね、椛島さんから「思いっきりやれ!」って言われたのも憶えています。WJは少年誌だから、描いちゃまずいこともあるんですよ。例えば喫煙シーンとかそうだけど、「そんなの、あとでちょっと修正すりゃいい」「とにかく描きたい時に描きたいことを描け」みたいなことを言われたことはあります。そういうのは嬉しいし、有り難いですね。制約を付けられると、気持ちがそこだけに行くじゃないですか。あとね、人気を取ると、それを分析してどうすればまた人気を取れるかみたいな話になりがちだと思うんだけど、椛島さんはそういうことを言わないのがいいです。

椛島 人気を取ると自己模倣というか自分の真似をしていくようになりがちで、それはよろしくないですから。荒木さんは自分の中で、常にチャレンジしているんじゃないですか? そうでなかったら『ジョジョ』は25年も続けられない。それと『ジョジョ』ってひとつの作品なんだけど、それぞれの部で違うと言えば違う。だから今の『ジョジョリオン』も面白いけど、第9部もあれば第10部もあるような気がしますね。それと希望としては、まったく違う作品もまた読んでみたい。

――『バオー』や『ビーティー』の新作を読みたいファンも多いはずですよ。

荒木 いやぁ、『バオー』はあの終わり方がいいんで、それはないかなー。『ビーティー』はあるかもしれないですけど。わからないですけど、うん (笑)。

椛島 『ビーティー』の頭脳戦をね、またやってもらいたい。謎めいたお婆さんとかいたじゃない? あの辺のキャラが活きてきたら、もっとすごい展開もあるんじゃないかな。『ビーティー』をやるんだったら担当してもいいね (笑)。ノーギャラでもいいよ (笑)。

荒木 『魔少年ビーティー2013』とか? (笑) 機会とアイデアがあれば、是非やりたいですね。


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Incomplete translation
Artbook
Interview & Commentary
Published September 19, 2013
👤 Hiroshi Sasaki, Katsuhiko Kaito, Hiroshi Sekiya, Hideto Azuma, Tomoyuki Shima, Yoshihisa Heishi, Yuu Saitou, Ryou Itou, Satoshi Yamauchi, Hirohiko Araki
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Parts 1-3: Phantom Blood, Battle Tendency, and Stardust Crusaders

As mentioned during the interview with Mr. Kabashima, Dio was the character I wanted to depict in Part 1. It felt as though the story existed to portray him, and I was always thinking about how Dio should proceed. I wanted to draw a manga that illustrated the stark contrast between the hero and his rival, like good and evil or black and white. Because of that, the enemy had to be powerful for it to be fascinating. So I wanted Dio to be the "ultimate evil," someone that would force the reader to ask, "How is the protagonist going to beat him?" But at the same time, I also wanted to make him an evil that readers could sympathize with and even admire a little.

I made Dio the ultimate evil, so in contrast Jonathan became too pure of a character. If I wrote Jonathan today, I would have given him a bit of a different flavor, but I was young at the time. The main character's name, Jonathan, doesn't have a particularly deep meaning. The main character is a foreigner, so I wanted to make the name easy for readers to remember. I felt the name would make a stronger impression if it utilized alliteration, like Steven Spielberg, so I ultimately went with Jonathan Joestar. It's more common now, but at the time there weren't many manga starring foreigners as the main characters, so the unfamiliarity of it left me a bit uncomfortable. I myself was aware that it probably wouldn't be popular while drawing it, but I also felt that I wanted this kind of thing to become accepted.

Dio serves as an evolution of B.T., the main character in Cool Shock B.T. As a character, he exceeds B.T. in demonstrating the darker aspects of human emotion, such as jealousy and hunger. Even portraying Dio, the villain of the work, might have had an effect on my own mental state. I don't get frustrated often, but in my day-to-day life I would, for example, suddenly think dark thoughts or look down on people from Dio's perspective, as if they were mere insects. Just like when I was working on Cool Shock B.T., I was aiming to create a kind of anti-shonen manga with Parts 1 and 2, a cheeky attempt to challenge and explore Weekly Shonen Jump's world of friendship, perserverance, and triumph.

Joseph, the protagonist of Part 2 of the series, was also given his name simply to be a "JoJo" like Jonathan, and again it has no deeper meaning. The reason for his light-hearted personality was to create a contrast between him and Jonathan, who was more serious. What I wanted to do within the story was depict the strongest and most terrifying kind of person. By using ultimate lifeforms as the enemies, I was able to depict precisely that, the apex of the food chain.

At the time, I was anxious about having to create my own style. My predecessors, the famous writers of the 1970s, each had their own individual style. I believed there was some important meaning behind that. But just because my manga wasn't popular, I thought, that's no reason to suddenly switch to drawing sports manga or romantic comedy manga. I began to believe that "I have to push myself to the limit," and that "I can't let myself falter." I had to push myself to live up to that at first, but I've kept it up to this day. If I ever hit a dead end, that might just be the end of it... if I let myself believe that there's always a path forward, that is.

The main characters in Parts 1 and 2 were foreigners, so I guess it had to be a Japanese person in Part 3, huh? But the destination was Egypt, and besides, many of my friends were foreigners too, heheh. As for the main character's name, the "jo" in Jotaro means "to inherit." It's actually read as "sho," but sometimes it appears in the names of temples with the reading "jo," so I decided to go with that. The Kujo surname came from Hōjō, the regent clan of the Kamakura shogunate, since I had gone to Kamakura for an interview around the time Part 3 started. And so, JoJo became Jotaro Kujo.

Parts 4-6: Diamond is Unbreakable, Vento Aureo, and Stone Ocean

The name of Part 4's protagonist, Josuke Higashikata, also doesn't have any deep meaning. The idea behind it is that the name of the protagonist should be memorable. Nothing too out of the ordinary, but as long as it's somewhat unrealistic and abbreviates to JoJo, it should be fine.

In Part 4, I thought a lot about the antagonist. In Part 2, I depicted the ultimate lifeform Kars, and in Part 3, I depicted DIO, who wanted to rule the world. I looked for a new concept of evil distinct from any evil I had depicted before, and I arrived at the character of Kira. I imagined seeing human beings from the perspective of the universe or of God, and I asked myself: What exactly is evil? Could good and evil be ambiguous? For example, what if someone commits murder as a hobby? What if someone existed for whom murder was a necessity, and something they couldn't exist without?

Murder as a hobby is a terrifying concept, and it fits with the city setting. Yoshikage Kira is a man who doesn't resent his cursed life. He is a character who recognizes the curse of his obsession with beautiful hands and tries to move forward nonetheless. In that sense, he is just a bit different from the villains in my other works.

In Part 5: Vento Aureo, the thing I had the most difficulty drawing was the protagonist, Giorno, or more specifically his eyebrows. The previous protagonists had thick, pitch-black eyebrows, but with Giorno, I wanted to try drawing thinner eyebrows. It was fine for a supporting character like Kakyoin to have thin eyebrows, but for the main character, I found it challenging at first. The style of shonen manga used to prioritize thick eyebrows, and I was used to that. But since I considered it a challenge, I took care to draw him as calmly as possible.

I also tried to incorporate a feeling of gender neutrality in Part 5. The fashion largely consists of feminine apparel, and Bucciarati even has the haircut of a little girl, heheh. But my main goal was to depict the world of man. It was the challenge of the artwork and the full manifestation of the world of man in Part 5 that allowed me to introduce a female protagonist in Part 6. I had already decided before the first meeting that Part 6: Stone Ocean would have a female protagonist. I felt that I could do something now that I couldn't in Gorgeous Irene. I had thought about having a girl as the main character in earlier parts, but once I began drawing Giorno in Part 5, I had the strong feeling that next time, it would definitely be a girl.

I wanted to make the girl tough and realistic enough that she could handle a nosebleed or a severed arm. The reason why the story takes place in a prison is because I wanted to show off that toughness. Part 5 traveled all across Italy, so this time I chose the enclosed space of a prison. Jolyne can fight, but I also wanted to show the curvature of a woman's body, so that's why I chose the outfit I did for her. I also put a lot of emphasis on the silhouette of each character, and so I wanted to create a design that wouldn't clash with the silhouettes of the main characters of the previous parts. So I designed her with two dumplings on her head.

Incidentally, the subtitles were first added in Part 6. As for the title of Stone Ocean, I included the word "ocean" to symbolize the femininity of the main character. Like in the phrase "mother ocean" and like how ships are usually named after women, the sea symbolizes womanhood all over the world. The word "stone" evokes the image of a stone prison. So Stone Ocean represents both a prison and a woman's heart. And her Stand, Stone Free, symbolizes breaking free of the prison, or something like that.

And since I had the chance, I gave subtitles to Parts 1 through 5 as well. Part 1: Phantom Blood was inspired by the blood relationship between Jonathan and Dio, as well as the fantasy, mythology, and magic a bloodline brings to mind. Part 2: Battle Tendency was mainly influenced by the times. It was the height of the bubble economy, and the general feeling of society was "on to the next one, on to the next one" or, "get richer, get bigger!" The social background was such that the tendency to battle grew stronger and stronger, all the way up to the ultimate lifeform... That's the image I intended to convey.

The subtitle of Part 3: Stardust Crusaders references the word "stardust," which is associated with the Joestar Family and Star Platinum. The image created is that of a crusade against the enemy, DIO. Part 4: Diamond is Unbreakable is an indomitable fighting spirit that simply cannot be broken, no matter what. And Part 5 is Vento Aureo, the image of the air or wind (vento) of the four elements and the refreshing feeling Giorno gives off. I had put minerals like platinum and gold in the names of the previous protagonists' Stands, so I wanted to reflect that in the subtitles of the parts after Part 3, along with the four major elements of nature: air, fire, earth, and water. So I included the names of minerals such as gold (aureo) and diamond. It was also around this time that I published the artbook JOJO A-GO!GO!.

Before Part 6 began serialization, I went to the U.S. to do research. I was given special access to the inside of a prison, which was an invaluable experience. I was shown the wing inside the prison where the thugs were kept. I was told that the thugs were locked up in transparent hard-glass cells and spent the day watching a TV outside their rooms. It really did feel just like a movie. Like I said in the interview with Mr. Azuma, I got sick to my stomach during the visit. Haha. Anyway, the security was so tight that every time I got on the elevator or entered another block, the door would close behind me with a bang. I didn't know where I was going or how I would get there, and I began to hyperventilate, thinking, "What if I can't get out?" I was seriously concerned for my well-being, so I took a rest on a sofa in the corridor, but I heard later that the man sitting next to me was a criminal waiting to be locked up. Ha. It really was a rare experience.

Parts 7-8: Steel Ball Run and JoJolion

I envisioned Steel Ball Run as a story about starting again from a place where everything has been destroyed. The story of Stands ended once in Part 6, but I wanted to revive it once more, or perhaps I could even call it a renaissance. There's the feeling of a parallel world to it, perhaps a continuation of the universe that came full circle at the end of Part 6, or perhaps not. In Part 7: Steel Ball Run, the words "reincarnation," "rotation," "spiral," and "infinite energy" were used to form the image of the work, and I named one of the main characters, Gyro, after the gyro effect of a spinning top. The title Steel Ball Run was chosen because I wanted to create a sense of unstoppability, and also because it reminded me of a race and the image of steel.

When it was first serialized in Weekly Shonen Jump, the title was just Steel Ball Run, without any mention of JoJo. This was a request from the editorial department, who thought that calling the work a new series would attract more readers. But in my mind, it was always JoJo. That's why I brought the JoJo title back when I moved to Ultra Jump. If I may talk about the drawings for a bit, I wanted to create a western atmosphere for Steel Ball Run. I tried to make the lines I drew a bit more jagged to evoke the desert atmosphere, and I also tried to make the lines on the faces and the proportions thinner.

After drawing four volumes' worth of manga, I moved to Ultra Jump. I chose Ultra Jump because Mr. Ito worked there, and because none of the other seinen magazines had as many pages, so there really was no other option for me. I had it in mind from the beginning that Shueisha was the only publisher for me, but I began to think that it would be alright to work for a publisher other than Weekly Shonen Jump, because I was in a period of crisis as a manga artist, or perhaps because I couldn't imagine what would happen to me if I stayed there... Those were the types of doubts I had at the time. I talked it over with Mr. Kabashima, who was my first supervisor... But the final decision was mine to make.

After moving to Ultra Jump, I escalated the series in various ways, like introducing a mysterious corpse and a new enemy in the form of the president. Also, compared to the previous series, I drew a lot more of the pasts of the protagonists, Gyro and Johnny. In a weekly series, I would have to return to the present and draw a separate scene to illustrate that "this week is a story from the past" in 19 pages or less, which made things very hectic. But in a monthly series, I have a lot of pages to draw what I want. That's another benefit.

Ultra Jump prints better than Weekly Shonen Jump (haha), so I wanted to make my drawings more realistic. It wasn't that I had a theme before and wanted to change it, but rather that I didn't want to lose out to the print quality, and the change came about naturally. Even with color illustrations, Ultra Jump gives off the feeling that the colors will come out deeper in print. At first, I didn't really understand that, so there were times when I thought, "I should have applied a few more layers of color here." But once I understood it, I changed the way I applied the colors instead. The story of Steel Ball Run itself had the image of "rebirth," but after the transfer, I feel that the way I draw manga was also able to be reborn.

JoJolion is also a kind of parallel world. It's a world next door to the Thus Spoke Kishibe Rohan series. The main character, Josuke Higashikata, wears a sailor suit, giving off the image of a person in distress. The image conveyed is that of a person who has lost his memory in the disaster.

The origin of the title is as I wrote in the cover comment of Volume 2. I wanted to include the word JoJo, and I also wanted it to have a monumental meaning. So I just connected the two and came up with JoJolion. When I first asked my editor, Mr. Ito, about it, he said, "Huh? What do you mean?" and I thought, "Well, that's not good." Haha. I came up with a lot of other titles. One of them was JOJOmenon. It was later used as the title of a mook. I also thought about JoJo Town, since it takes place in Morioh. I didn't take it very seriously. I just wanted people to get the feeling that the title was a little archaic. Even if they didn't understand the meaning, it was fine. All they needed to know was that it was the new JoJo work.

I wonder how long I'll be able to continue as a manga artist. I've thought for a long time that I'll last until around 60, but I wonder what will happen. As I get older, the time I'll have to sit around will keep getting shorter, and I'll be worn out more and more often, meaning I'll have less time to work. I think I'll keep looking for ways to serve readers while doing so. Instead of serializing my work on a weekly or monthly basis, I think I'd like to spend a lot of time drawing, and then have readers experience it in a newly-published book. That's the kind of manga artist I might become.

To Be Continued...

The idea of becoming a manga artist first solidified itself in my mind in high school, when someone else of my generation made their debut. I became impatient, thinking, "They've gotten ahead of me!" I had appreciated manga since I was in elementary school, but back then I didn't have a distinct goal of working as a manga artist. But I would read manga, analyze them, categorize them, and keep a notebook of them. For example, I would write things like, "There's only one genre for horror manga, but Shigeru Mizuki and Kazuo Umezu's manga are so different," and so on. I would also analyze a movie by breaking down the overall length with such questions as, "At what point does the main character appear? At what point does the incident occur?" That was how I viewed manga, movies, and paintings.

When I was in elementary school, I had friends who were fanatics in various fields. An audiophile friend would say, "That amplifier has a softer sound because of the vacuum tubes inside," or a bicycle enthusiast friend would say, "There are two kinds of screws to fasten pedals, and this one looks cooler," or my art-lover friends would say, "Gauguin does this part so well. But Da Vinci is so different from the rest!" Some of my friends had a huge collection of records, even though they were in elementary school, haha. Among them was a friend who would critique the manga I drew. He also gave me constructive criticism. He was the same type of person as Mr. Kabashima, my first supervisor. Maybe it was that kind of environment that led me to become a manga artist. It's a bit strange, now that I think about it. I think I lived in the countryside of Sendai, but maybe the culture there was unusual.

As a manga artist, I think it's important to always try new things. That is something Weekly Shonen Jump taught me when I first started out. I was taught that I should never draw the same thing as some other artist or work, and I've been trying to maintain that while taking on new challenges. I feel a little strange about the magazines. In some ways, it's like I draw for Weekly Shonen Jump and Ultra Jump themselves. Of course, I want the readers to be happy with my work, but I draw for the editors and staff who commission me... In metaphorical terms, I am the artist who made a sculpture at the request of a Roman emperor or created a painting for the Pope. That's how I feel.

JoJo also carries the theme of overcoming destiny. When the protagonist is driven into a corner, the author himself feels the same way as the protagonist, because he doesn't know what to do either. How the author overcomes the crisis perfectly aligns with how the protagonist overcomes the crisis. When I draw manga in that way, I come to the conclusion that the human way of life is to overcome. I'm sure that the same feeling applies to, say, agriculture, where nature is overcome in order to grow crops. Whether growing tomatoes or drawing manga, you challenge something and overcome it. I believe that is the human way of life, and I would like to continue to depict that human way of life through JoJo.

[Translated by HudgynS]

JOJO
JOURNEY

Hirohiko Araki Interview
荒木飛呂彦 インタビュー


★ 第1部 ファントムブラッド
★ 第2部 戦闘潮流
★ 第3部 スターダスト クルセイダース


椛島さんとの対談でも少し話が出ましたけど、第1部はディオを描きたかったんですよ。とにかく彼を描くためのストーリーみたいなところがあって、「ディオをどう動かすか」を常に考えていた気がします。「善と悪」「白と黒」みたいな主人公とライバルの対比を見せる漫画にしようと思っていた。そのためには敵が強力じゃないと絶対面白くないんですよね。だからディオは、「どうやって主人公はコイツに勝つんだ⁉」と読者が思ってくれるような「究極の悪」にしました。ただ、読者がちょっと憧れるような部分も持った悪、「共感できる悪」にしたいとも思ってました。

ディオを究極の悪にした分、その対比としてジョナサンは純粋すぎるくらいのキャラクターになりましたね。ジョナサンは今だったら、もうちょっと違う味付けができるんだけど、当時は僕も若かったから。
主人公のジョナサンという名前に、そんなに深い意味はないですね。外国人が主人公なので名前は「とにかく読者が覚えやすいものにしよう」と思っていました。「スティーブン・スピルバーグ」みたいに、頭で韻を踏んでいると印象が強いように感じたので「ジョナサン・ジョースター」。
今では受け入れられているけど当時は外国人が主人公の漫画なんて少なかったから、馴染みがないというか違和感がありました。自分でも描いていて「人気は出ないかもな」という意識もありつつ、でも「こういうのも認めてほしい」という気持ちもありました。

ディオは『魔少年ビーティー』の主人公・ビーティーの発展系なんです。嫉妬だとかハングリー精神といった人間の感情の影の部分を、ビーティーよりももっと深くしたキャラクターです。悪役であるディオを描いていた時は、自分の精神面にも影響はあったかもしれない。イライラするようなことはないんだけど、例えば普段の暮らしの中でも、ふとダークなことを考えてしまったり、ディオと同じ視点になっちゃって人間を昆虫観察するような目で眺めてしまったり、そういうことはあったかもしれないですね。

『魔少年ビーティー』を描いていた頃もそうだったんだけど、第1部や第2部の当時に目指していたのは少年漫画へのアンチっていうか、友情・努力・勝利っていう「週刊少年ジャンプ」(以下、WJ) の世界に挑戦して開拓していこうっていう生意気な気持ちもありました。

第2部の主人公のジョセフという名前は、ジョナサンと同じく「ジョジョ」になればいいってことだけで、これも深い意味はないです。お調子者の性格は、生真面目だったジョナサンと対比させたからですね。

物語で目指したのは「誰がいちばん強いのか」「どういう人間が怖いのか」を描くこと。敵が「究極生命体」という設定は、まさにそこですね、食物連鎖の頂点。
当時は「とにかく自分の作風を作らなきゃ」と思っていました。僕の先輩の方々、1970年代の有名な作家さんは、皆さんご自分の作風を持っているんです。そこには何か大事な意味があるんだろうと思っていました。だから自分の漫画の人気がないからといって、「ホラーを描いていたのに、急にスポーツ漫画やラブコメ漫画を描くようになっちゃダメだろう」と。「そこは突き詰めていかなきゃダメなんだ」「ブレてはいけない」と思うようになったんです。
それは自分で自分を追い込むことになるけど、今でも続いていますね。行き詰まったら終わりかもしれない。…でも道は必ず開けると思えばこそです。

第3部は、第1部と第2部の主人公が外国人で続いたので、日本人になったっていうのはあるかな。でも向かう場所はエジプトだし、仲間も外国人が多かったんですが (笑)。
主人公の名前は「承」の字には「受け継ぐ」という意味があって、本当は「しょう」という読み方だけどお寺の名前とかで「じょう」と読ませることもあったので、それに決めました。「空条」の方は、第3部が始まる時に鎌倉に取材に行ったことがあって、鎌倉幕府の執権だった「北条」氏からですね。それで「ジョジョ=空条承太郎」としました。


★ 第4部 ダイヤモンドは砕けない
★ 第5部 黄金の風
★ 第6部 ストーンオーシャン


第4部の主人公の東方仗助という名前も、それほど深い意味はありません。主人公の名前は、印象に残ればいいという発想があるんですよ。あまりにも外れているものはダメだけど、ファンタジー性があって「ジョジョ」になっていればいいんです。
第4部では、「悪のキャラクター」については色々と考えましたね。第2部ではカーズという究極生命体を描いて、第3部では世界の支配を目指したDIOを描いたんだけど、以前に描いた悪とは違う新しい悪の概念を探して、それで辿り着いたのが吉良というキャラクター。宇宙だとか神の視点から見る人間を想像し、「悪っていったい何だろう?」「善悪とは実は曖昧なものではないか」という考えから生まれました。例えばもし殺人が趣味というヤツがいたら? 殺人が生きるために必要なことで、それが無くなったら存在できないヤツがいるとしたら?
趣味が殺人というのは怖いし、それは街という舞台とも合っていましたから。
吉良吉影って、自分の「呪われた」人生を恨んでいないヤツなんですよね。美しい手首への執着という「呪い」とも言える(さが)を認めて、さらに前に行こうというキャラクターで、これはちょっと他の作品の悪役とは違うと思います。

第5部「黄金の風」で、絵の面で難しかったのは、主人公のジョルノの眉毛。それまでの歴代主人公は太い真っ黒な眉毛なんだけど、ジョルノでは細い眉毛に挑戦しようと思ったんですよ。ただ、花京院みたいな脇役なら細くてもいいんだけど、主人公では最初は難しかったですね。かつての少年漫画の文法では眉毛は太かったし、僕もそれに慣れていたから。でも、そこは挑戦だと思って、意識して冷静に描いていきましたけど。

また第5部では中性的な感じを取り入れることにも挑戦しました。ファッションも女性っぽいものを着せたり、ブチャラティなんか女の子の髪型だし (笑)。だけど目指したのは「男の世界」を描くことでした。絵の面での挑戦、そして存分に「男の世界」を描いた第5部があったからこそ、第6部で女性主人公に持って行けたという面はありますね。

第6部「ストーンオーシャン」で女性主人公にすることは、最初の打ち合わせをする前から決めてました。『ゴージャス☆アイリン』の時にできなかったことが、今ならできるんじゃないか、という思いもありました。女の子を主人公に、というのはそれ以前の部でも考えたことがあったのですが、第5部でジョルノを描いていた頃から、「次こそは女の子で!」っていう気持ちが大きかったんですよ。
ただ、鼻血を出したり腕が吹っ飛んだりしても大丈夫なくらいタフでリアルな女の子にしたかった。舞台が刑務所なのもタフさを出したかったからなんです。第5部でイタリア中を旅したから、今度は刑務所という閉ざされた空間にしたのもありますけどね。
徐倫は、戦闘ができるけど、ちょっと女の子の体のラインも出したいと思って、あの服装にしました。もうひとつ、僕はキャラクターのシルエットを重視するんですが、前の部の主人公とシルエットがかぶらないようにと、頭にお団子をふたつ付けたデザインにしたんです。

ちなみにサブタイトルがつくことになったのも第6部からです。「ストーンオーシャン」というこのタイトルは、女性が主人公なのを象徴して「オーシャン」を入れたんです。世界中に「母なる海」という言い方があったり、船名に女性の名前を付けたりと、海は女性の象徴なんですよね。「ストーン」のほうは石の牢獄のイメージ。だから「ストーンオーシャン=石作りの海」は、牢獄でもあり、女性の心でもある。スタンドのストーン・フリーは「牢獄から出て自由になる」、そんなイメージですね。

いい機会だから、その時に残りの第1部~第5部にもサブタイトルをつけました。
第1部の「ファントムブラッド」はジョナサンとディオの血の因縁をイメージしたもので、血筋が生み出すファンタジーや神話性・幻想性を考えて。
第2部の「戦闘潮流」は時代が影響していますね。バブル全盛期で、「次へ、次へ!!」「もっと儲けよう、デカくなろう!!」みたいな社会背景があったから、究極生命体に至るまで戦いの流れが次々と大きくなっていく…そんなイメージがあります。
「スターダスト クルセイダース」という第3部のサブタイトルは、「スターダスト」が「ジョースター」家とか「スタープラチナ」から連想される言葉。「DIOという敵に向かっていく聖戦」のイメージですね。 第4部の「ダイヤモンドは砕けない」ってのは何があっても壊れない不屈の闘志。
第5部は4大元素の空気 (風) を入れて、ジョルノの爽やかさもイメージして「黄金の風」。歴代主人公のスタンドには、プラチナとかゴールドみたいに鉱物の名前を入れていたんですけど、第3部以降の部のサブタイトルにも鉱物の名前と、加えて空気・火・土・水といった自然界の4大元素を入れたいというのがあったんですよ。それで黄金とかダイヤモンドといった鉱物系の名前を割り当てていったんです。

画集「JOJO A-GO!GO!」を出したのもこの頃ですね。
第6部の連載前にはアメリカにも取材に行きました。刑務所の内部にも特別に入れてもらえて、それは貴重な体験でした。刑務所では凶悪犯がいる棟を見せてもらいました。僕が取材したところでは、凶悪犯は透明な硬質ガラスの牢獄に閉じこめられていて、部屋の外にあるTVを見て1日を過ごすそうです。本当に映画みたいな感じでしたね。

東さんもインタビューで言ってるけど、僕は見学中に気分が悪くなっちゃって (笑)。とにかくセキュリティがすごくて、エレベーターに乗ったり1ブロック進むたびに扉が「ガーン!」って閉まるんですよ。自分がどこをどう進んでいるのかも分からなくなって、「出られなくなるかも⁉」って思ったら過呼吸になっちゃった。「これはまずい」と思って廊下のソファで休んでいたんですが、隣に座っていた男の人が、後で聞いたら入獄待ちの犯罪者だったっていう (笑)。ホント、そういうレアな体験をしました。


★ 第7部 スティール・ボール・ラン
★ 第8部 ジョジョリオン


『スティール・ボール・ラン』は、全てを壊したところからもう一度始める物語にしようというイメージでした。スタンドの物語は第6部で一旦終わったんだけど、もう一回再生するというか、「ルネッサンス」と言ってもいいかな。第6部のラストで一巡した宇宙の続きのような、そうでないような、パラレルワールド的な感じもありますね。
第7部の『スティール・ボール・ラン』は「輪廻、回転、螺旋、無限のエネルギー」といった言葉が作品イメージとしてあって、そこで主人公のひとりであるジャイロの名前は回転ゴマのジャイロ効果から付けました。タイトルは止まらない感じを出したくて、さらにレースを連想しつつ鉄のイメージもあるってことで『スティール・ボール・ラン』。

WJでの連載時は『スティール・ボール・ラン』だけで、タイトルに『ジョジョ』が入っていません。これは「新連載」と銘打ったほうが読者の食いつきはいいだろう、という編集部からの要請でした。でも自分の中では『ジョジョ』。「ウルトラジャンプ」(以下、UJ) に移籍した時に『ジョジョ』を復活させたのも、そういうことですね。
絵についてお話しますと、『スティール・ボール・ラン』はウエスタンの雰囲気を出したかったんです。描く線も、砂漠の雰囲気を出すためにちょっとカサカサした感じにしてみようと顔やプロポーションの線を細くしてみたりもしました。

コミックス4巻分まで描いたところで、UJに連載の場を移しました。UJを移籍先に選んだのは井藤さんがいたからというのもあるし、他の青年誌はどれもページ数が少ないから選択肢にあまり入っていなかったのもあります。集英社以外の出版社は最初からないなと思っていましたね。「WJ以外の場所でもいいかな」と思い始めたのは、漫画家としての危機意識というか、「自分がそこにいて将来どうなるか」が見えない時期っていうんですかね…自分の中でそんな迷いがあった頃です。初代担当の椛島さんにも相談したりしましたけど…、そこを決めるのは自分だから。

UJに移ってからは、謎の遺体を登場させたり新しい敵の大統領を出したりと、色々とパワーアップもしました。あと、過去のシリーズと比べ、主人公であるジャイロとジョニィの過去をたくさん描きました。週刊連載だと、現代に戻って「今週は過去の話ですよ」と分かるようなシーンを1週分19ページの中で描かなきゃいけないからすごく慌ただしくなるんだけど、月刊だとページ数があるからたっぷり描ける。そういうところもいいですね。

UJはWJに比べて印刷がいいので (笑)、絵をリアルに描きたくなりました。テーマを持って変えようと思ったわけじゃなくて「印刷に負けないようにしよう」と思ったら自然に変わったんです。
カラーイラストもね、UJは色味が深くまで印刷に出る感じがあるんです。最初の頃はそれが分からないから、「もう少し色を重ねて塗ればよかった」と思うこともあったんですが、分かってからは塗り方も変わりました。『スティール・ボール・ラン』という物語自体、イメージが「再生」だったけど、移籍を経て漫画の描き方についても再生できた気がしています。

『ジョジョリオン』も一種のパラレルワールドですね。『岸辺露伴は動かない』のシリーズと隣あわせの世界です。主人公の東方定助はセーラー服を着ているけど、あれは遭難した人のイメージなんです。遭難して記憶をなくした、そんな人のイメージです。
タイトルの由来は第2巻のカバーコメントに描いたとおり。「ジョジョ」という言葉を入れたかったのと、記念碑的な意味を込めたかったからです。それでそのままふたつを繋げて『ジョジョリオン』。最初に担当編集の井藤さんに聞かせたら、「え? なんスか、それ」って言われて、「ちょっとヤバいかな」と思ったけど (笑)。
タイトルは他にも色々と考えましたよ。そのうちのひとつが「ジョジョメノン」。後にムックのタイトルとして活かされてますけど (笑)。杜王町が舞台なんで「ジョジョタウン」ってタイトルもあったかな。割と軽い気持ちですよ。ちょっと時代からずれていたりとか、そういう雰囲気を感じてもらえればいいんであって、意味が分からなくても「『ジョジョ』の新作だ」って分かってくれればそれでよかったんです。
漫画家…いつまで続けるのかなぁ。60歳くらいかなーって昔から考えているけど、どうなるんだろう。年齢を重ねていくと、座っていられる時間も短くなっていくだろうし、疲れが抜けないこともあるだろうから、仕事の時間は短くなるだろうし。それでいながら読者にサービス出来るやり方を模索していくと思いますよ。週刊とか月刊で連載とかではなくて、たっぷりと時間をかけて描きためたものを、描き下ろし単行本で読んでいただくとか。そういう感じの漫画家になっていくかもしれないですね。


★ To Be Continued


そもそも漫画家になりたいと明確に思ったのは高校生の頃で、僕と同世代の人がデビューしたのがきっかけでした。「先を行かれた!」という焦りが生まれました。小学生の頃から漫画は好きでしたけど、その頃はまだ職業として漫画家を明確に意識してはいませんでした。でも漫画を読んで、分析してカテゴリ分けし、それをノートにつけたりしてましたね。「ホラー漫画と一言で言っても、水木しげる先生と楳図かずお先生はこう違う!」とかね。映画も全体の尺から、「主人公は何分頃に登場して、何分頃に事件が起きて」っていうのを分析してたり…。漫画や映画、絵画などはそうやって観ていましたね。

小学生の頃は友達にも各分野のマニアみたいな人がいました。オーディオの友人だと「あのアンプは真空管がこうだから、出てくる音が柔らかいんだ」とか、自転車の友人だと「ペダルを止めるネジは2種類あって、こっちのネジがカッコいいんだ」とか、美術好きの友達は「ゴーギャンのここがいい。ダ・ヴィンチはここが他と違う!」みたいな話をしたりとか。膨大な数のレコードを持っている友達もいましたねぇ、小学生なのに (笑)。そんな中には僕が描いた漫画を批評してくれる友達もいた。彼がまた的確な批評をくれるんですよ。初代担当の椛島さんみたいなタイプ (笑)。
僕が漫画家になったのはそういう周りの環境も大きかったのかもしれない。今にして思うとちょっと変ですかね (笑)。僕が住んでいたのは仙台市の中でも田舎のほうだと思うんですけど、変わった文化圏だったのかもしれませんね。

漫画家として、常に新しいことに挑戦していくのも大事だと思っていますけど、それはデビューした頃にWJに教えてもらったことなんです。他の作家さんや作品と同じようなものを描いてはいけないんだと教わって、ずっとそれを守り続けて挑戦している感じですね。雑誌に対してはちょっと不思議な気持ちがあります。僕はWJやUJのために描いているところもあるんですよね。もちろん読者に喜んでほしいというのが最終的にはありますけど、依頼してくれた編集部や担当さんに向けて描いているというか…。例えるならローマ皇帝の依頼で彫刻を作ったり、法王のために絵画を描いた芸術家。そんな気分です。

『ジョジョ』には「運命を乗り越える」っていうテーマもあります。主人公が追い詰められるストーリー展開になると、作者自身もどうしていいか分からなくなって主人公と同じ気持ちになるんですよ。「作者がどう乗り越えていくのか」という部分と「主人公が危機をどう乗り越えていくのか」という部分は完全に一致します。そうやって漫画を描いていると、「人間の生き方というのは何かを乗り越えていくんだな」という結論になるんですよ。それはきっと、例えば自然を克服しながら作物を作っていく農業も同じような気持ちなんだと思う。トマトを栽培するのも漫画を描くのも「何かに挑戦して、それを乗り越えていく」ということ。それこそが人間の生き方なんだろうと思います。これからも、『ジョジョ』を通して、そういう「人間の生き方」を描いていきたいですね。

(2013年6月7日、荒木先生の誕生日に収録)


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References

  1. コミックナタリー - ジョジョ画集「JOJOVELLER」限定版は書籍3冊とBD2枚
  2. Pascal Lafine (December 2020)
  3. Pascal Lafine is an editorial director at Delcourt, the publisher of the JoJo's Bizarre Adventure series in France as of 2020.

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