Josuke shows great proficiency with using Crazy Diamond in combat. Thanks to its great physical prowess, Josuke can use Crazy Diamond's fists to perform outside-of-the-box tactics such as breaking through a wall to escape an attack. Moreover, he has been shown to throw projectiles with great efficiency thanks to his Stand's sheer strength and precision.
By 89 (27.38% of) votes,
the winner of the April 2020 Poll
for What are you mostly doing during the Coronavirus Lockdown? is:
"Re-watching/Re-reading JoJo".
Runner-up: "Playing video games" (72 (22.15% of) votes); "Schoolwork/Still have to work" (44 (13.54% of) votes)
The poll was created on April 12, 2020 at 22:24, and 325 people voted.
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Araki x Masateru Kinoshita?
木下昌輝さんは『絵金、闇を塗る』を執筆しながら、主人公の絵金に、ある漫画家の姿を重ねていることに気がついた。その漫画家とは、荒木飛呂彦さん。
大人気漫画『ジョジョの奇妙な冒険』で革新的な世界観を展開し、アートやファッションの世界でも大きな存在となっている。今回、荒木さんに『絵金、闇を塗る』と絵金の画集をお渡しして、対談を申し込み、OKのお返事をいただいた。
荒木さんも惹かれた絵金の絵と、その人物像の魅力とは?
流血はリアルか構図か
──今回の対談は木下さんが、ぜひ荒木さんと絵金についてお話ししたいということで実現しました。
荒木 ありがとうございます。
木下 こちらこそありがとうございます。絵金について取材したところ、小さい頃に絵金の絵を見てトラウマになったという方が多かったんです。トラウマになりつつも、愛される。自分にとってそういう創作物は何かなと考えると、それが荒木先生の『ジョジョの奇妙な冒険』でした。僕が中一ぐらいのときに第1部(『ファントムブラッド』)が始まったんですけど、あまりに怖くてトラウマになりました。とくにディオに吸血鬼にされたお母さんが自分の赤ちゃんを殺す、という場面を読んだときには悪夢にうなされました。でも、同時にすごく面白くて夢中になって読んできました。絵金が描く人物たちのポージングに、荒木先生の絵と共通するものを感じたこともあって、ぜひ対談をお願いしたいと思ったんです。
荒木 僕の絵がトラウマになるっていうのは……光栄です(笑)。絵金の資料をいただいて、なんとなくそういうことをお話しになりたいのかなと思いました。
木下 絵金のことはご存じでしたか。
荒木 初めて知りました。幕末の頃、四国の土佐にこういう画家がおられて、いまだに人気を集めているというのがすごいなと思いますね。絵の内容はグロいというか、みんなが嫌がるような絵を描いている。でも、それをお祭りで使っている。その感覚が興味深い。
木下 言い伝えでは、絵金の絵で海から来る魔物を追い払うという意味があるそうです。
荒木 魔除けなんですね。
木下 そうです。だから魔物よりも怖いものを描こうとしていたみたいです。
荒木 日本の絵には昔から怖い絵がよくありますよね。
木下 ありますね。とくに、幕末は政情不安だったせいか、幽霊画や化け物の絵が流行ったらしいです。絵金もその一環で描いたんじゃないかとも言われていますね。
荒木 絵金はスプラッターな絵が印象的ですけど、実際に死体を見ているのかな。僕なんか、映画とか小説にヒントを得た想像でしかないし、グロく描こうとは思っていないんです。
木下 そうなんですか。
荒木 絵の構図を成り立たせるために血を噴き出させてるところがある。血の飛ぶ方向とかを絵の中に線として入れたいんですよ。
木下 なるほど。研究者によっては、絵金が描く血はリアルな流れ方をしていると言う人もいてるんですよ。絵金はもともと貧しい髪結いの家の子供だったんですけど、仁尾という大商人がパトロンになって江戸の狩野派に学びました。土佐に帰ってから、林という藩医の株を買っていて、もしかしたら解剖に立ち会ったり実際の血の流れ方を見ているんじゃないかという説もあります。
荒木 どちらか判断に迷いますね。血が垂直に落ちている絵がありますけど、重力に従っているからリアルだと捉えるのか、あくまで絵の構図のためだと捉えるのか。塗料にも特色がありますね。この赤なんかすごいですよ。
木下 水銀朱を使っているらしくて。四国は水銀がいっぱいとれたらしいんです。
荒木 技術的にもすごく進んだ時代なのかもしれませんね。
木下 そうですね。ちょうどこの頃、西洋顔料が入ってきたんです。絵金のライバルに河田小龍という画家がいるんですが、その人は西洋顔料のウルトラマリンブルーを使って描いていますね。
江戸時代の絵画ってあんまり写実的じゃないという先入観があったんですけど、当時の絵師の手記を読むと、自分の描いた絵馬が笑われたと。馬が草を食む様子を描いたらしいんですけど、その馬は目を開けたまま草を食んでいた。馬は目を怪我しないように、草を食むときは絶対に目を閉じるらしいんですよ。こいつ、そんなこともわからずに描いてるって大笑いされて恥をかいたそうです。
荒木 ちゃんと観察しろと。
木下 そうなんです。写実的に描けと。
ホラー映画と絵画
荒木 絵金はこういう怖い絵をなぜ描きたがったんでしょうね。
木下 なぜでしょうね。荒木先生もホラー映画をめっちゃよく観てはるじゃないですか。ご著書があるくらい。なぜでしょう。
荒木 癒やされるんですよね、簡単に言うと。最初はちょっと「うっ」となるけど、きれいなだけのものよりも安心できるというか。でも、本物の暗黒部分はちょっとダメかもしれないな。
木下 本物の暗黒部分っていうのは、どういうところですか。
荒木 本当に人が死んでいるところをリアルに描いているような部分ですね。ちょっとフィクションが欲しい。ファンタジーというか。
絵金が描いているのも一種のファンタジーかもしれない。歌舞伎の場面ですよね。お芝居だからこういう残酷な絵が描けたのかな。でも、江戸時代だからリアルな感じもしますよね。武士が刀を持って歩いていた時代だから。だから、パワーがすごいのかもしれないし。
木下 さらし首とか、普通にあったと思いますね。
荒木 絵金はよく生首を描いていますね。
木下 僕は人物のポージングが面白いなと思うんですけど。荒木先生の漫画でも「ジョジョ立ち」と言われるように、ポージングが特徴的ですよね。
荒木 絵金のはたぶん役者さんが演じているときのポーズなんでしょうね。「おおっ」て驚いたり、劇的なところを描くとこうなると思います。「何してる、おのれ」みたいな。
木下 それをさらにぎゅっと凝縮していますよね。
荒木 絵描きは構図にこだわるんですよ。たとえば画面のここに人を入れるか入れないかで絵がまったく違ってくるんです。あと、手の方向が対角線上に伸びていたりとか。画面のある部分に重量があったら、空いたところをどうするかと考える。
木下 単に余白が寂しいから入れてるだけじゃなくて。
荒木 色にも重さがあって、赤い色があると、もう一方にはもうちょっと抑えた色でバランスをとったり。それと絵金の場合は、土佐っていう土地柄もありますよね。坂本龍馬を輩出したような独特の熱気を感じます。
木下 そうですね。熱狂みたいなものがありますね。
荒木 黒船が来た時代。時代の変わり目が来ている感じがしますね。
木下 絵金は幕末の画家ですが、その後、注目を浴びた時期があって、それは学生運動の時代なんですよ。
荒木 六〇年代とか七〇年代ですか。
木下 その頃ですね。ちょっと人々がクレイジーになった時代というんですかね。僕自身は、絵金の絵はちょっとアクが強過ぎて家には飾りたくないんですけど。自分にパワーがないときに見たら、病気になりそうな気がして。
荒木 夢に見ちゃう。僕も家に置くなら血が出ていない絵のほうがいいですね(笑)。
木下 ですよね。だからお祭りでたまに見るくらいがいいのかなと。
ろうそくの灯りで見る絵金
荒木 絵金の絵はお祭りでどんなふうに使われているんですか。
木下 高知県香南市赤岡町の「絵金祭り」という祭りが有名ですが、他にも毎年七月十四、十五日には須留田八幡宮の神祭があります。不思議なお祭りなんですよ。その晩は赤岡の町の電気を全部消すんです。街灯とか自動販売機、家の電灯まで。ゴーストタウンみたいな感じになります。
荒木 写真で見ても面白そうですね。ちょっとわくわくする。
木下 家のガレージなんかを使って絵を展示するんですが、ろうそくの灯りだけで絵を見るんです。だから原画が煤でくすんでいる。
荒木 意外とカジュアルに扱っているんですね。
木下 そうなんですよね。雨が降っても、のんびり片づけていましたね。
荒木 展示する絵は誰の所有なんですか。
木下 飾っている家の人のものが多いと思います。「絵金蔵」という絵金の資料館が保管しているのもありますけど。朝倉神社という神社では絵金の絵を参道に掲げてその下を通れたりもします。美術品の扱いとしてはどうなのかなと思うんですけど、生活の中にある感じですね。夏のお祭りなのでビールを飲みながら見る感じです。
荒木 絵金はろうそくの灯りで見るという設定で描いていたんでしょうか。芝居の看板だったり、舞台の絵だったりしますから、提灯で見ることは想定していたような気がしますね。だとするとホラー的な内容とも相性がいい。その反対にマリア様がいるような聖なる絵もいいと思うんですよね。カラヴァッジョ的な絵もろうそくで見てみたい。
木下 イタリアの画家ですね。絵金に通じるものがありますか。
荒木 絵金を見てちょっとカラヴァッジョを思い出したんです。カラヴァッジョの絵にも生首や剣が出てきたりするんですよ。
木下 そうなんですか。
荒木 実際、カラヴァッジョはケンカで人を殺したこともあったみたいです。とにかく心がすごく激しい人だったらしい。絵も本当にすごいんですよ。
あと、タランティーノとか思い出しますよね。絵金を見たせいか、タランティーノの映画を見返しました。『キル・ビル』とか(笑)。やっぱり面白いなと思って。
木下 『キル・ビル』もビビッドな色彩だし。
荒木 タランティーノ、好きそうですよ。
木下 タランティーノにも対談をお願いしたいですね(笑)。
絵金を主人公にした理由
荒木 先生の小説(『絵金、闇を塗る』)では、絵金は関わった人たちに影響を与えていきますね。人斬り以蔵のような闇に落ちていく人もいれば、武市半平太のように自身を見つめるきっかけをつかむ人もいる。
木下 絵金には人を狂わせる力があったような気がするんです。調べてもどんな人間かよくわからない。だったらもう、わからないまま書くのがいいのかなと思って──ということは、荒木先生、読んでくれたんですか、僕の小説。
荒木 もちろん読みました。面白かったですよ。
木下 ありがとうございます。感激です。もう、今日、命が終わってもいい。
荒木 いや、そんな(笑)。
木下 本当に嬉しいです。僕、荒木先生のように各話ごとにスタンドっぽいムチャをしたいなと思ったくらいなんです。絵金の師匠の前村洞和が絵金祭りの世界に行ったりとか。ストーリーを創作する人間として。
荒木 今まで埋もれていたというんですか、僕はとにかく存じ上げなかったので、絵金という人物に興味を惹かれましたね。どこか横溝正史的な世界でもあるし。調べてもわからないということは、絵金には謎が多いんですか。
木下 そうなんですよ。記録が残っていないんです。噂では、お金が大好きだったとか、一日六十枚ぐらい描いていたとか。
荒木 描くのは速そうですね。
木下 あ、やっぱりわかるんですか。それは筆遣いで?
荒木 そうですね。ぐおーって描いてる感じがするんですよね。
木下 それって絵描きとして良いことなんですか、悪いことなんですか。
荒木 個性じゃないですか。良いとか悪いとかはないと思いますけど。(絵を見ながら)でも、この辺は丁寧に描いていますね。看板の絵はすごく速そう。一日六十枚って松本零士先生級です。永井豪先生とか。
木下 弟子がたくさんいたから、どこまで絵金が描いていたかは、実際わからないらしいですけどね。
荒木 でも、人物は描いてそうですね。
木下 統一性はありますもんね。
荒木 ええ。でも、筆遣いがわかる白描の絵とか、墨一色だけの線画もすごくいいですよね。ふぁっふぁっふぁっふぁって描いてますよ、一気に。
時代とオリジナリティ
木下 絵金は贋作騒動を起こして狩野派を破門されるんです。はっきりとした理由はわからないんですけど、贋作をつくったことで土佐藩家老のお抱え絵師の座を追われる。作風もその後、大きく変わっていくんですよね。
荒木 絵が変わったのは注文主が変わったからかなとも思いますけど、それとは別に、やはり新しい時代に新しい絵を描こうとしたような気がしますね。狩野派に収まる絵だけではいたくなかったんだと僕は思います。絵金が生きた十九世紀は、世界中がそういう時代だと思うんですよね。
木下 荒木先生もご自身の絵を変えようと思われたことはあるんですか。『ジョジョ』の一巻を読み返していたんですけど、今とは絵がだいぶ変わられていますね。
荒木 時代によって目指すものが違うとちょっと変わってくるということはあると思いますね。一巻あたりは筋肉にこだわっていました。シュワルツェネッガーのような肉体を目指していたんですよ。その後、女性が主人公になったり、少年のような身体つきのほうがリアリティーが出てきたりしました。それで、絵柄もちょっと変わっていきましたね。それに、僕の子供の頃は、主人公の眉は絶対太くなきゃいけないというイメージがあって。
木下 ああ、そうですよね。
荒木 男性の眉を細く描けるようになるまで時間がかかりましたね。感覚的に気持ち悪くてダメなんですよ。描いても悪役になってしまうんです。
木下 僕らの子供の頃の漫画は、細い眉は悪役というイメージでした、たしかに。
荒木 そうそう。それが、あるとき、細くてもいい感じになった。そういうことがあるんです。主人公の眉が細くなったのは第4部(『ダイヤモンドは砕けない』)の東方助からですね。第3部(『スターダストクルセイダース』)に出てくる花京院典明は眉が細いんですが、あの時代では脇役でしかない。細い眉を描いたら、こいつは主人公じゃないな、気持ち悪いなっていう感じなんですよ。
木下 花京院は女性っぽい容姿をしているのは覚えているんですけど、眉が細めだったんですね。
荒木 あれでも細めなんです。時代なんです。自分が求めていたのか、世の中が求めたのか。時代の要請で言えば、絵金の色のどぎつさもそうですね。特徴的な赤もそうだし、着物に使っている緑も普通はあまり使わない緑ですね。
木下 荒木先生も信じられないような色遣いをされますよね。空の色をピンクとか。もちろん調和はしているんですけど。何で空がこんな色をしているのかなって。
荒木 それは、また違う概念があるんです。
木下 どんな概念なんですか。
荒木 砂浜をピンクに塗ったりする西洋画家がいるんですよ。ゴーギャンとか。それを見て、ああ、砂浜がピンクでもいいんだって。でも、ゴーギャンの絵では、ピンクでもちゃんと海岸の砂浜に見えるんですよ。
木下 初期の頃はそういうことはされていなかったような気がするんですけど。
荒木 最初はやはりみんながやっているような感じでいくけれど、たぶん競争ですね。漫画家って、同じもの描いたらけなされる。誰々に似てるよねって言われるんですよ。だから、そうじゃないところをいくとこうなってくる。みんなそうです。漫画家もすごいキャラクターがそろっているというか。『キャプテン翼』もあれば、『ジョジョ』もあれば、『SLAM DUNK』もある。
木下 オリジナルじゃないとダメなんですね。この人の絵だってわからないといけない。
荒木 そうですね。昔、電車で漫画雑誌がよく読まれていましたが、オリジナリティのある絵柄の作品は遠くからでも何の漫画を読んでいるかがわかったんですよ。
木下 遠くからでもわかるんですか。オリジナリティはどうやって出そうとしはったんですか。
荒木 頑張っていればそのうち出てくるんですけど。でも、何か似せないように描こうと意識したり、新しいことを考えようとしたりはしますね。空をピンクに塗ってみようというのもその一つです。あとは、書店に本が平積みで並んだときに、隣に負けてる感じが嫌なんです。いろんな雑誌、文庫本とかも並んでいるじゃないですか。その中でぐわーんって来るにはどうするか。それが構図だったり、誰も使っていない色だったりするんですよ。
絵金の場合、残酷だったり、ドラマチックな絵っていうのは、最初、「うっ」となるけど、やっぱり引きつける何かがあるんでしょうね。色遣いを計算していることもわかります。適当だったら、目立つ赤をばんばん置くじゃないですか。あえて一カ所だけに止めているし、緑も置いている。あと、首が飛ぶときも、ぐあーっと前に、前に飛ばしている。あれは3Dですよ。
木下 3Dですか! たしかに飛び出してくる感じがしますね。絵金は白目のところにろうを塗っているそうです。目力を出そうとしたんですかね。
荒木 生き生きさせようとしたんでしょうね。面白いですね、そういう工夫が。
何が一番怖いか
木下 なぜ絵金を主人公にした小説を書こうと思ったかなんですけど、僕の母親が高知出身で、「絵金さんって知ってる?」って言われて、まずその名前にびっくりしたんですよ。そのどぎつさに。聞くと、幕末の天才絵師。けど贋作騒動を起こして、一説には罰として顔に入れ墨を入れられた。まず生き方が面白いなと思いました。しかも血みどろの絵を描いている。
荒木 ロマンがありますよね。いいキャラクターだと思いますよ。
木下 絵金は狩野派から離脱しましたが、荒木先生にとってチャレンジだったことはありますか。『ジョジョ』が第1部から第2部(『戦闘潮流』)に変わるときに、編集者から反対されたと聞いたことがあるんですが。人気があるんだから同じ主人公で続けろ、と。
荒木 チャレンジというほどではなかったですね。僕はもともと異端扱い。「少年ジャンプ」の中では変わってるって言われながらデビューしているので。むしろ編集者からは、「少年ジャンプ」はメジャー誌だから、逆にマイナーなことやったほうがいいんじゃない? って言われましたね。編集者が澁澤龍彥とか、怪奇幻想が大好きだったということもありましたし。
木下 そうだったんですか。荒木先生もホラー映画が好きだから、好みが合ったんでしょうか。
荒木 たぶん。だから、僕、その編集者に認められたんだと思うんですけど。それに、当時、一九七〇年代後半とかから急にホラー映画がブームになったんですよ。『ハロウィン』(一九七八)のあたりから。ちょうど良かったですよね、時代が。
木下 荒木先生が『ジョジョ』の第1部、第2部でやっていらっしゃる怖がらせ方は、ゾンビ映画の怖がらせ方に近いような気がします。でも、第3部でスタンドが出てきてから怖がらせ方が変わったような気がします。お化けの怖さではなく、スタンドの正体がわからないという怖さ。怖さの興味が変わったりとかはありますか。
荒木 ホラー映画はおそらくもともとはサスペンス映画からの影響でつくられていて、怖がらせ方も視覚的な効果や、音を使ったりするだけでなく、ストーリー構成で怖がらせたりもするんですよ。いろいろな方法がある。僕はその辺をすごく研究していたので、いろいろな手法を使ってみたくなる。怖がらせ方の大本をたどるとヒッチコック映画に行き着くんですけどね。
木下 そうなんですか。
荒木 ヒッチコックはいろいろな実験をしながらつくっているすごい映画作家なんです。その精神を受け継ごうとすると、人が描いたことのない構図とかが描きたくなってくる。真上から俯瞰して見ようとか。
木下 第7部(『スティール・ボール・ラン』)から平行世界に突入して、この世界がほんとにあるのか、みたいな怖さを僕は感じるんですけど、平行世界にされたのはどうしてですか。
荒木 どういうのが一番怖いのかってことを考えていった結果ですね。子供ってゴジラとキングコングが戦ったらどっちが強いかとか、スーパーマンとスパイダーマンはどっちが強いとか考えるじゃないですか。それと一緒で何が一番怖いのか。『ジョジョ』ってそういう打ち合わせをずっとしているんですよ。
木下 すごい打ち合わせですね(笑)。
荒木 ご飯を食べながらそういう話をしているんですよ。先祖からの因縁が怖いねとか、時間を止めるやつは強いよねとか。そういう話を子供の頃の延長線でやっているんです。
木下 それは編集の方と。
荒木 そうですね。何が怖いかって。そうすると、重力や時間とか、物理的法則を無視しているものは怖い。平行世界もその一つ。その上でどう描くかを考えて、ストーリー構成やキャラクターを決めていくわけです。
木下 怖いものがものすごく好きなんですね。
荒木 人間は恐怖が基本なんですよ。恐怖が幸せでもあるし。
木下 幸せは恐怖の裏返しにあるっていうことですか。
荒木 そうですね。絵金さんもたぶんそういう部分があるんじゃないですか。それを一枚の絵でやろうとしていますよね。
木下 そうですね。絵金の時代は明治維新によって今までの価値観が崩れてしまう時代なので、ある意味でそれって恐怖ですよね。
荒木 でも、それまでの価値観も捨ててはいないですよ。背景部分を見ると、狩野派の影響があるから。
木下 そうなんですよ。狩野派の技法も融合させながら描いているって研究者が言っていました。絵金は浮世絵プラス狩野派だって。
荒木 ファッションもいいですよね。江戸時代の。
木下 ほんまですか。ちょっと『ジョジョ』の登場人物に着せてみたいような着物がありますね。
荒木 そうですね。和服って描くのが難しいんですよ。骨格を消しているようで実は消していない。着物にも重力がかかってくるので、どういう肉体がどう着ているかがわかっていないと描けない。ぴったりした洋服なら、普通の肉体にただ着せていけばいいけれど、袴とか羽織とか、隙間がある服をちゃんと着ているように描くって難しいんです。絵金だけじゃないですけど、日本画を見るといつもそう思いますね。
荒木さんが原画展のために描き下ろした絵について、「絵の具が垂れないように筆を下から上に動かすこともある」と手振りを交えてお話しされ、興奮が隠せない木下さん。
"岸辺露伴"対"絵金"!?
木下 荒木先生にお会いしたら絶対聞きたかったことがあるんですけど。僕は岸辺露伴(第4部『ダイヤモンドは砕けない』に登場する人気漫画家)がめっちゃ好きなんです。もし岸辺露伴が絵金と対決するとしたらどうなると思いますか。
荒木 いいですね。僕、それちょっと考えたけど、これ、もらったらダメだろうなって(笑)。
木下 いや、ぜひ。絵金はどんなスタンドを使うんだろうとか、どうやって攻撃するのかなとか考えちゃいますね。
荒木 『絵金、闇を塗る』は絵金が周囲の人に影響して人生を狂わせる。その発想はいいですよね。僕が描くとしても、周りの人に影響していくとか。
木下 自分が攻撃するんじゃなくて周りに影響を与えていくスタンド。
荒木 肉体のほうがとっくに死んでいながらもね。露伴もそれでちょっとハマってしまって、いかんいかんみたいな(笑)。負けてしまいそうになる、みたいな。
木下 スタンドになって岸辺露伴と戦ってほしいですね。
荒木 時代はいつでもいいですか。
木下 いつでもどうぞ(笑)。
荒木 ぜひ岸辺露伴を送り込みたいですね。
木下 そんなことになったら、僕、小便ちびりますよ(笑)。ぜひ描いてください。
荒木 でも、その前に土佐に取材にも行きたいと思いました。絵金の生涯や考え方にも興味があるので。
木下 絵師の生き方は絵にあらわれますか。
荒木 あらわれるんじゃないですか。狩野派を逸脱しているということもあるし、時代の変化や、高知の地形も関係があると思います。
木下 たしかにそうですね、地形的に高知は半分が山でもう半分が海という特徴があるので。
荒木 あと、ろうそくや提灯で絵を照らすお祭りの様子にも想像力がかき立てられますね。
木下 荒木先生が絵金祭りで絵を飾るとしたらどんな絵をイメージされますか。『ジョジョ』の場面の一つでしょうか。
荒木 新しいのを描くかもしれないです。絵金風にするわけではないですが、お祭りの雰囲気に合わせて。『ジョジョ』の第2部に出てくるワムウとか、あの辺のキャラクターを持ってきたいですね。
木下 謎の生命体の「柱の男」ですね。ちょっとシャーマンチックというか、鬼とか悪魔とかと関わりがありそうな。
荒木 そうですね。あと、究極生物を送り込みます(笑)。でも、お祭りのムードに合うと思いますね。
木下 なるほど。たしかに、絵金祭りにはちょっとシャーマニズムな雰囲気もありますから、きっと合うと思いますね。
荒木 ぜひ行ってみて、この目で見たいですね。[10]
Men's Non-no
"奇"と"美"を愛す。漫画界の若き巨匠
『魔少年ビーティー』『バオー来訪者』『ジョジョの奇妙な冒険』・・・・・・。独特の絵、スリリングなストーリー、奇妙かつエレガントな世界観を持った作品で知られる漫画家・荒木飛呂彦。圧倒的な支持を集める各作品の連載秘話からプライベートの話題まで、完全網羅のディープインタビュー!
少年時代
意外だっていわれるんですけど、少年野球をやってたんですよ。でもね、団体スポーツの不条理な部分が嫌で。「オレのほうがうまいのに、なんであいつがレギュラーなんだ」とか思ったり。わがままだったのかもしれないけど、居場所がないなと思ってましたね。自分を抑えてまでやる意味もわからなかった。それで中学から剣道を始めたんです。「もう野球みたいなチームスポーツは絶対やらんぞ」と心に決めて(笑)。そのころからですね、自分は集団に合わない性格なんだって気づきだして。ひとりで本を読んだり、絵を見たり、描いたりしてる時間の心地よさに目覚めた感じですね。ひとりでその世界に浸ってる状態が楽しかった。
双子の妹
今にして思えば、ひとりの世界が好きっていうのは、家族関係も影響してると思うんです。僕には4つ年下の双子の妹がいるんですけど、彼女たちの存在は相当大きい。小さいころの話ですけど、例えばおふくろがおやつにケーキを3つ用意してくれていたとするじゃないですか。たいてい、僕より妹たちのほうが帰宅するのが早いから、先に食べてますよね。そうすると、「(お兄ちゃんの分も)食べちゃえばわかんないんじゃない?」とか思うんでしょうね。妹どうし、結託して僕の分も食べちゃうんですよ。僕だって、くれって言われれば別にあげるんだけど(笑)、なんかこう、知らないところでよくだまされてたっていうのかなぁ。ケンカしたりしても、僕は悪くないのに、2人いっぺんに泣かれたりすると、こっちが悪い気になってきちゃう。もうね、常に無実の罪を着せられてるような気持ち。だから家に帰るのがだんだん好きじゃなくなってきちゃった。妹どうしの絆の強さを目にしてたから、妙な疎外感を感じちゃってて。精神的なひとりっ子ですね(笑)。そういうわけでよけいにひとりで何かを楽しむことが好きになったんだと思う。別に今はふつうの仲ですよ、妹たちとは(笑)。
熱中していた漫画・小説
当時は『巨人の星』とか梶原一騎の漫画にはまってましたね。もう人生まで教えてもらったと思ってます。もう少し経つと『あしたのジョー』とかにはまってました。もちろん手塚先生の漫画も大好きだったんですけど、毎週発売日に走ったのは、梶原先生の漫画だったな。中学に入って剣道を始めたのも、今思えば梶原漫画の影響だったと思います。漫画以外だと、江戸川乱歩シリーズとか、シャーロック・ホームズシリーズはよく読みましたね。そのころはすでに漫画のようなものを描きだしてたのかな。でも不思議と、人気キャラクターを模写してたって記憶はないんですよね。最初から、こう自分の世界で描いてたというか。
高校時代
高校時代(※)って、だんだん自分の進路とか将来がリアルに感じられてくるじゃないですか? 僕の性格上、どこかに勤めるという生き方はできないなって思ってましたね。ちょうどこのころ、漫画の力というものをね、考えたりしたことがあって。読む人にページをめくらせる力、次の展開を待ち遠しいと思わせる力、発売日と同時に走って買いにいかせてしまう力・・・・・・。やっぱり漫画の力はすごいあるなと思って。このころからですね、漫画家になりたいって強く思うようになったのは。
漫画では、横山光輝先生のサスペンスものにもはまってましたね。梶原先生の熱くて「のし上がっていくぜ」的な漫画とは全然違うんですけどね。こう、もっと動機とか駆け引き、事件性をドライに追っていくという感じ。その一方で、学生服を着た少年が古代遺跡で活躍したりするような、心地よい違和感もあった。こういう漫画もあるんだなって新鮮でしたね。
ほかに印象的だったのは『蠅の王』という小説。これも考えさせられた。『十五少年漂流記』とモチーフは似てるんですよ、少年たちが無人島に流れ着いて、っていう。だけど『蠅の王』では、子どもたちの間で派閥争いが起こったり、しまいには殺し合いみたいなことになってしまうんです。僕には、断然『蠅の王』のほうがリアルだったな。
初めて投稿した作品がジャンプの選外佳作に選ばれたのもこのころでした。ページの下の角のほうに小さく名前が載ったりして。それはすごいうれしかったなぁ。今までの人生でいちばんうれしかった出来事かもしれませんね。
※高校時代はロードレース部に所属。得意科目は理数系、苦手なのは英語だったとのこと。
専門学校時代
何回目かに投稿した作品で、画力が不足って批評されて。じゃぁ、絵がうまくならなくちゃいけないと思って、高校卒業後、地元の仙台のデザイン専門学校に通うことにしたんです。
当時、仲のいい友達のなかに、やたらと僕の作品を誉めてくれるやつがいたんですよ。今思えば、たいした漫画じゃなかったと思うんだけど、「おお、いいなぁ、すげーなぁ。また読ませてくれよ」っていつも言ってくれてて。ほら、人間のせられると気分もいいし、やる気がでるじゃないですか(笑)。その言葉にはだいぶ励まされたし、助けられましたね。
そうこうしながら投稿を続けてるうちに、ふと東京の編集部まで直接持っていこうと思い立って。そのとき見てくれた編集の人には、ホントいろいろ言われましたね。「ここはダメだ。ここにはこういうエピソードを入れて」とか。絵の矛盾や歪みも全部指摘されて。当時はまだ作品の最初と最後で、キャラクターの絵が違ってきちゃうようなこともありましたから(笑)。でもそうやって直しを入れた作品のほうが全然よくなってるんですよ。それは自分でも実感できるほど。アドバイスを受けて直しを入れたこの作品が、僕の初めての入選作になりました。
『魔少年ビーティー』
僕の連載デビュー作ですね。まだ仙台で描いているころです。この作品は当時、編集部で猛反発を受けたんですよ。いじめの描写もでてくるし、主人公もちょっとダークな側面を持ってましたからね。タイトルからして”魔少年”だし(笑)。清く、正しく、美しくじゃないけど、当時の風潮とは完全に逆を行く作品だったから、あやうくボツになるところだったんです。それを当時の編集の人が編集長を説得して救ってくれたという。何年か経ったあとに当時の編集長が「こういう時代になるとは思わなかったなぁ」と言ってたというのは聞きました。
『魔少年ビーティー』は、小さいころに読んだシャーロック・ホームズの裏返しという意味合いも強かったですね。ビーティーがホームズで、友人の公一がワトソン。公一の語りで話が進行していくとか、ビーティーのセリフすべてにいちいち意味があるというのも影響のひとつですね。あとは白土三平先生の『カムイ伝』『サスケ』かな。どちらも僕の好きな作品です。トリックの種明かしにページを割くっていう構成でも影響を受けてる。絵もそういうところあるかな。ビーティーがどこかカムイに似てるような(笑)。
『バオー来訪者』
『魔少年ビーティー』でトリックやテクニックを使ったいわば知的な作品をやったので、なんとなく次は肉体がテーマかなと思っていたんです。スタローンやシュワルツェネッガーが人気の時代だったし。それともうひとつ、世界的に遺伝子操作が騒がれだした時代だったんですよね。『バオー来訪者』は、そうした流れのなかで生まれた作品です。遺伝子操作で作り上げられた究極の生命体の話ですね。人間の本質とか、本当に強い人っていうのはどんな人なんだろうということもテーマにありました。自分の絵をいちばん模索してたのもこのころですね。
『ジョジョの奇妙な冒険』①
究極の生命体という、いわば“バオー”を発展させた考えの先にあったのが吸血鬼。不老不死というのもぴったりだし、相手の血を吸う、生命を取り込んで生きているというのも、究極の生命体にはまってた。吸血鬼ってダンディーなイメージもあるでしょう。それもよかったんです。
それでいよいよ、担当の編集の人に「次は吸血鬼を敵にした作品にします」ってことを伝えたんですよ。そしたら、彼がまたそういうダークな世界が好きな人で。僕がその話をしたときに、妙に目が輝いてた(笑)。専門学校時代の友達じゃないけど、うまくのせてくれる人が近くにいるとね、僕はどうしてだか、そっちに行っちゃうんですね。
『ジョジョの奇妙な冒険』②
“ジョジョ”は、壮大な大河ドラマにしたいと思ってたんです。吸血鬼の存在が噂されたのが1880年代だから、第一部はその時代から始まるということを決めて。その後、子ども、孫と現在まで続いていくような話にしたいと。ほかに決めてたのは、主人公の愛称をみんなジョジョにしようってことぐらいですね。波紋やスタンドも当初のアイデアにはなかったんです。
ルール
吸血鬼って夜にしか活動できない、十字架に弱いという、規制というか、ルールがありますよね。ルールがあるからこそ、漫画は面白くなる。話はちょっと違うかもしれないんですけど、僕は、自分で自分に課したルールに従って生きている人間やキャラクターにすごく惹かれてしまうんです。自分のルールに従うことで、たとえ立場が不利になったり、窮地に追い込まれたとしても、それを最後まで貫く。そこがたまらなくかっこいい。承太郎がどんなときでも帽子を脱がないというのも、ルールです(笑)。
いちばん好きなキャラクター
そのとき描いているキャラクターがいちばん好きですけどね。強いていうなら、第4部の仗助かな。1999年の設定だったんですけど、彼は学ラン姿に気合いの入ったリーゼントスタイル(笑)。「そんなやついね~よ」って話なんですけど、貫いてるでしょ? だからかっこいい。それに彼は自分が父親や先祖から受け継いだものをしっかりと自覚している。仗助はジョセフの浮気相手の子どもなんだけどそこに悲壮感はまったくないし、ハッピーに生きてるってところもいい。何より心に熱いものを持っているからね、だからすごくかっこいいんですよ。
女性キャラクター
以前『コージャス☆アイリン』を描いたときにですね、女性を描くことに限界を感じてしまってたんですよ。例えば主人公の女の子が敵を殴る、殴られるというシーンがあるじゃないですか。それがもうすでに不自然というか。僕にはあまりリアルじゃなかったんですね。まだまだ女は女らしくという時代だったし、アイドルだってかわいければいいという感じでしたから。だからね、逆にいつかは女性の主人公をもう一度描きたいって思ってたんです。ほら、今って殴られてすぐさま殴り返す女性を描いたとしても、とってもリアルじゃないですか(笑)。女性が強いということがリアルな時代。第6部のジョジョが女性っていうのは、そういう時代性もありますね。
過去の作品に対する思い
僕にとって過去の作品は日記みたいなもの。記録なんです。ほかの作家の方はどうかわからないけど、どの作品でも「あれは失敗したなぁ」とか「自分の歴史のなかで、なかったことにしたい」なんて気持ちはまったく起きないんですよね。例えば前のページでは右足をケガしてるのに、後ろのほうでは左足になってたなんてことがあっても(笑)、それはそれでいいと思っちゃう。コミックとして出版されるときには、やっぱり書き直してほしいって言われるんですけどね。それでも僕は、「できればそのままにしておきたいなぁ」と。直したくないんですよね。汚点もまたよし。それも含めて僕の記録だと思ってますから。
イタリア
食べ物も街並みも全部好き。イタリアは本当に好きですね。興味ないのはサッカーぐらい。ファッションも好きなんですよ。とくに80年代のベルサーチ(※)とかね。「こんな服ありかよ」ってぐらいパワフルだったでしょ。巨大な金の鎖がシャツ全体に描かれてたりとかね、初めて見たときは相当ショックを受けました。もちろん“ジョジョ”のファッションのルーツもこのヘんにあります。踊ってるような、ねじれてるようなポージングも影響受けてるなぁ。奇抜でエレガントな衣装に妙なポーズ(笑)。全然ありですよね。
ほかにイタリアというと、怪奇庭園もいいですね。変わったもの好きの貴族が、お金と権力にまかせ集めちゃいました、みたいな美術館とかも好き。やっぱり奇妙なものに惹かれるなあ(笑)。でも自分自身はモノに固執しないんですよ。コレクターじゃない。持ってる本も完全に資料ばかりですし。そういえば、車の免許も持ってないし、携帯も持ってない。パソコンもやらないしな。でもなぜかボートの免許は持ってたりするという(笑)。変わってるねとよく言われます。
※イタリアを代表するファッションブランドのひとつ。斬新かつ絢爛な色彩や柄も有名。創立デザイナーのジャンニ・ベルサーチは97年に亡くなった。「すごいショックでしたね。彼の新作がもう見られないのかと思うと悲しい」と荒木氏。ちなみに荒木氏は80年代のモスキーノなどからも影響を受けたと告白。現代のデザイナーのなかではジョン・ガリアーノ(現クリスチャン・ディオールデザイナー)がお気に入りとか。納得。
もし漫画家になっていなかったら
イタリアンレストラン(※)のウエイターとかがいいですね。なんかこう、テキパキ仕切っていく感じの。常にサービスすることを考えていたい。お客の好みを覚えてたりするような、気のきいたウエイターがいいな。
※オフの日など、イタリアンレストランに行くのが楽しみという荒木氏。「以前、イタリアに行ったときなんだけど、ナスを揚げたものにチョコレートをかけて食べるって料理が出てきたんですよ。最初は誰でも『えぇ!』って思うじゃないですか? でも食べるとすごくおいしい。自分にとってなじみのない組み合わせがおいしかったりしたらもう最高ですね。『新発見!』という感じ(笑)」
漫画とは
僕にとって漫画とは。う~ん、描いてるときの気持ちそのものですね。だから、例えば過去に誰もが認める最高傑作を描いたとして、その作品を超えられないと悩むとか、スランプに陥るってことはない。常に今描いているものがいちばんいいと思ってるし。それに最高傑作といっても、見方によっていろいろ違うものじゃないですか。人によってはアンケートの人気かもしれないし、売り上げかもしれない。自己満足できたかどうかという見方だってある。もちろん読む人それぞれで最高傑作は変わるものだし。
だからこそ僕は、毎回一生懸命描くってことだけを意識してます。現在進行系の気持ちをぶつけてる感覚ですね。
閑静な住宅街に佇む荒木氏のアトリエにて。
「道具へのこだわりは特別ないですね。気にしてるとすれば、10年経って、描いたものが薄れてしまうようなインクとか、すぐボロボロになっちゃうような紙は使わないってことぐらい」
と荒木氏。職業柄、徹夜仕事が多いのではと問うと、
「仕事で徹夜はしませんね」。[11]
JoJo in Paris interview
今回の個展は荒木さんたっての希望で実現したという。
荒木さんは「僕は世界に一枚しか存在しない『絵』というものにひかれるんだよね」という。確かに、つねに独創的で魅力あるイラストを描き続けてきた作家である。今回はそんな『ジョジョ』作品をもって、フランスでの個展。彼のイラストは西洋絵画の伝統ある画廊の人にどう受け止められたのだろうか?
漫画というフィールドから新たなジャンルへ挑戦を挑む荒木さんと画廊のオーナー・ヴェドヴィ氏に話を伺った。
――今回フランスで個展をされるにあたってきっかけはどんなことだったんですか? 作家さん主導で、というのは珍しいと思うのですが。
荒木 僕のマンガというのは十五歳くらいから二十代の人が読むものだと思うんだけど、ある時九歳の女の子が僕に対して「絵、じょうずね」っていってくれたんですよ。それがね、嬉しかったの。マンガを読んでもいないのに、僕の絵にだけ興味を持ってくれていたのね。それと年寄りの人もやりなさいよっていうわけよ。それで、「そうなの?」って感じてやろうと思って。でも日本人よりも海外の方はどういう風に見るんだろうなと思って、その後いろんな人と知り合ってフランスでの個展になったの。自分でも驚いてはいるんですけど、きっかけは小さな子供。
――なるほど。では、画廊のオーナーとしては個展の開催依頼があったときにどのように思われましたか? こちらの画廊はいつもはルノアールやシャガールなどを展示している老舗の画廊だと伺ったので、とても新しい挑戦だったのではないかと思うのですが。
ヴェドヴィ まず私は抽象絵画の画商として、今世界的に注目されているマンガやアニメに非常に興味があったんです。そして村上隆さんなどの絵を拝見して非常に憧れを持っていた。そして何か新しいことを始めたいという気持ちがあって、お話が来たときにすぐ繋がりが持てるような感じがあった。だからそれが運命の繋がりだったんだと思います。また、同時期にトーマス・アルノーの、この人は有名なアニメの抽象絵画の画家なのですが、その人の絵を私は非常に好んで見ていました。でも彼が成功しているのは、アニメのテクニック、アニメの原画のイラストを出していること、色遣いもアニメのものにしていることが原因だと思うのです。そうした彼の持ち味に非常に興味を持ったことが、やはり荒木さんの展覧会に繋がったんだと思います。
――それは、日本的なアニメやマンガをご覧になって、西洋絵画にはない特殊な感じを受けるということでしょうか?
ヴェドヴィ 今までのものの考え方でいけば、フランス人もマンガやアニメは子供の読むものと思っていたのです。ですが、村上隆さんにしても奈良美智さんにしても素晴らしい芸術を発表してらっしゃる。そのことがフランスやヨーロッパでも認められている。それはやはり芸術として認めたということで、それに私も共感するということです。だからマンガのイラストレーションも抽象絵画の一端に入るという風に私たちは思っています。それは私たちだけではなく、ヨーロッパ人の芸術感覚だと思います。もちろんフランスでも若い人たちはマンガを好みます。ですから『ジョジョ』がフランス語版で出ていますが、買っている読者は十代から二十歳くらいの子供たちかもしれない。でも彼らも芸術性がなかったら絶対好まないんです。芸術性があるからこそ子供達の夢の中でもそれが受け入れられたと思うので。
――ヴェドヴィさんは抽象画としてご覧になっているそうですが、お描きになっている立場としてはどう思われますか?
荒木 自分的には抽象絵画というよりも西洋の古典技法に影響を受けているので、例えばベラスケスとかゴーギャンの色の配置が大好きで研究してるところがあります。それをマンガに取り入れているところはある。だから抽象絵画という概念はないです。むしろ取り入れて融合しているフュージョンの感覚はあるかな。マンガ家はたくさんの役割を持っていて、脚本家やカメラマンや俳優などがあったりするけど、画家みたいなところもあるのかなって思う。僕はそういうところに力を入れているというか、そういうタイプの漫画家だと思うので。でも抽象絵画は好きで見てはいますけど、概念は僕にはあんまりない。むしろどちらかというと古典的な方に意識はいってるから、なんというか・・・・・・ネオベラスケス?
――なるほど(笑)。古典絵画がお好きで見ていらして、そこから色の法則などを追求なさっているとのことなんですが、そういうところはヴェドヴィさんもお感じになりますか?
ヴェドヴィ 彼の作品の色の使い方が非常に美しいということから、やはり印象派の絵を非常に見てらっしゃるなという感じはします。でも抽象絵画、いわゆるコンテンポラリーの絵画もジャンルとしてとても構図に動きがある、雰囲気がある、色も非常に多く遣う。そしてやはり彼の作品の中にも非常に動きを感じる。動きがあると同時に美しい色遣いがある。そこが何か夢を膨らますように私には感じます。
――確かにキャラクターのポーズなども凄く独特で、マンガのモノクロ原稿でも非常に面白い構図があるんですね。それは荒木さんの特徴の一つだと思うのですが、そういうところも同じように見てらっしゃるのでしょうか?
ヴェドヴィ 一つ一つの、一コマ一コマの絵のデッサンが非常によくできているというところに感動があります。
――日本では最近はデッサンを取れた上でいかに自分なりにデフォルメするかというのが問題なのですが、その大先輩が荒木さんみたいな方なんですけれども。これから日本でマンガとかアニメーション、そういうものに携わっている方たちに期待されることはありますか?
ヴェドヴィ 日本の終戦後というものは、マンガの社会、アニメの社会、そういった芸術面でもアメリカから非常に影響を受けてこられた。しかしこれからの社会では日本のアニメというものが世界に影響を与えていく。日本のアニメーション、マンガの社会というものが世界に知られているということはみなさんが感じてらっしゃるわけです。そのように認知しているでしょうから。だからこれからは若い人たちが非常に出やすい形で発達して行くんじゃないでしょうか。
――なるほど、面白いですね。国内で作品を描いてる立場ではそういうことはなかなか分からないですから。海外で日本のマンガやアニメが流行っているといわれてもピンとこないんです。他の人からどう見られているのか、特に海外からそういう風に見られているという事はとても面白いです。
ヴェドヴィ 我々はやはり今までの既成概念に囚われている。新しい若者たちが自由な立場でもって世界的に視野を広げながら、自由な社会で何かをするということが、アニメやマンガを描くということも含めて、新しい意見になってくるんじゃないでしょうか。
――ちなみに今回は荒木さんの展覧会ということで、個人的に荒木さんの絵のどこらへんが一番面白いと思われますか?
ヴェドヴィ まず美しいこと。美しさを追求するということがこの社会からだんだんなくなってきている。また、新しい、今までなかったようなエリアに踏み込んでいること。私が子供の時に見たマンガ、子供の時に見たアニメというものとは全然違った新しい社会を創造してらっしゃる。そういうこともわたしが興味を持っていることです。個人的なお話になりますが、私には六才の男の子がいてその子がもうすでにマンガという言葉を使っている。ということは日本の「マンガ」という言葉がフランス語化しているということなんです。それだけ日本のアニメ、マンガが浸透しているという風に理解しています。そもそもわたくしの息子は荒木さんの『ジョジョ』の大ファンなんです。
――そうなんですか? 読者は世界中にいるということですね。
ヴェドヴィ そういうことです。たくさんいるということですよ。
――じゃあフランス展だけでなく、また別の国や土地でも展覧会を開催するといいかも知れませんね。
ヴェドヴィ 私の両親はベルギーのブリュッセルにある老舗の画廊なのです。ですからたぶん次回はベルギーでも公開させていただくことになるかもしれません。そうしたいと私は思っております。
――もう次回の予定があるようですね(笑)。
荒木 ヴェドヴィさんからいわれると。プロポーズがあったら地の果てまで行ってもやりますよ(笑)。すごい喜んで。
――じゃあ、次回展覧会を楽しみにしていますということで(笑)。ちなみに、今後こういう風に絵を描いていきたいというような抱負みたいなものがありましたら。
荒木 僕はいつも「勇気」みたいなものをテーマに絵を描いてるんです。やっぱり読んでる人に元気を与えたいかなって。ネガティブな方向には走らない、そこだけ気をつけて行こうと思っています。
――九歳の少女や六歳の少年もファンですからね(笑)。今日はどうもありがとうございました。
個展レポート
漫画のイラストを抽象画として
今回の個展が行われたのは、オーデルマット―ヴェドヴィ画廊。ここはクリスチャン・ラクロワなど高級ブランドのブティックが建ち並ぶフォーブル・サントノーレ通りに面し、フランスの大統領官邸・エリゼ宮のすぐそばにある老舗の画廊だ。インタビューでも出たように、普段はルノアールやシャガールなどを展示しているということで、今回のように漫画のイラストを抽象絵画として展示するのは大きな挑戦だったそうだ。
もちろん、その背景には村上隆や奈良美智など日本の現代美術のアーティストたちが評価されていることがある。また、フランスのテレビで『ドラえもん』や『遊戯王』が放映されており、日本の漫画・アニメが浸透していることもあるのだろう(ちなみにこの二作品は、個展会期中朝の八時台に放映していた)。
そんな中で、漫画・アニメの絵を「新しい抽象画」として位置づけたいというヴェドヴィさん。今回の個展に関してだけでなく、新たな時代の流れをこのように考えているそうだ。「新しい世代の代わり目だし、新しい抽象絵画の時代はマンガの社会じゃないかと思います。それに対してはわたしの目は狂っていないと思うのです」
老舗でありながら新たな挑戦を忘れない。それは、漫画家でありながら絵画としてどう見えるのか?にチャレンジした荒木さんと響き合うスタイルではないだろうか。
ジョルノとジョリーン 描き下ろしの二作品
画廊の正面に飾られたのが四八ページ(※↑)に掲載したジョルノの新作イラスト。このページ(※↓)に掲載したジョリーンの作品とは対になる、描き下ろしの二枚だ。八四×五九センチという大きなサイズで描かれたジョルノは画廊の玄関の美しさと相まって存在感充分。もちろん、道行く人が足を止めて見入るシーンもあり、年代も若い女性からスーツ姿の中年男性、おばあちゃんなどさまざま。ちなみにジョリーンのイラストは、ジョルノの作品の「真下」に展示。画廊の地下(非公開)に設けられたスペースに飾ってあり、一階の床に空いたガラスごしの小さなスペースから覗くという構成だ。これはガラスを鏡に見立ててた面白い構成で、荒木さんらしい遊び心のある演出。
余談だが、ジョルノにそっくりと言われていたオーナーのヴェドヴィさん。荒木さんいわく「あんまり似てるから、それで気に入ってくれたのかな?」と冗談をいうシーンもあった。
ファンもたくさん来場
オープニング初日はたくさんのファンが来場し、会場は一時混雑状態に。ファンの多くは日本語版のコミックスを手にしてサインを求めていたが、中にはLDを持参している人も。四十枚近く飾られた原画をしげしげと眺めながら漫画について語る姿は日本とほどんど変わらない。中にはベルギーから来たという大学生もいて、ネットのファンサイトで出会い、グループで来たそうだ。
また、漫画のファイルを持参して荒木さんにアドバイスを求めていた人も。荒木さんいわく「日本人は線で描くような人が多いけど、フランスの方は面で描くようなタイプが多くて違いがあるよね」など親身に相談にのる一幕もあった。他にも『ジョジョ』作品のゲームやアニメなどの質問が相次ぎ、一時はファンによるミニインタビューのような雰囲気に。
そして、帰りには芳名帳に感想を記していたが、そこにはもちろんジョジョキャラが。フランス語版は第三部までしか発売されていないとのことなので、日本の読者には懐かしい承太郎などが描かれていた。
Manga Omo! 2002/01
洋楽しか聞かない理由
最後にちゃんと聞いた邦楽は、たぶんシーナ&ザ・ロケッツの『ユー・メイ・ドリーム』だと思う。紅白歌合戦はまず25年以上は見てないし、桑田佳佑だとか松任谷由実、宇多田ヒカル、浜崎あゆみ。名前は雑誌でみてすごい有名らしいってのは知ってるけど、どうゆう歌を歌ってる人なのかまったく知らない。
家にある邦楽アーティストのCDはたった一人、渡辺貞夫。
どうしてわたしはこんな人間になっちゃったのか?邦楽は本当にまったく聞かない。
人と邦楽の話がまったくできない。すぐ話題を「浜崎あゆみのマツゲは本物ですか?」などと違う方向へ、持っていってしまう。音楽誌のインタビューで「邦楽ベスト5」をあげてと言われて、教師の前で九九を忘れた小学生のようにこおりついてしまった。
なぜこんなんなっちゃったのか?
答えはたぶん自分がマンガ家だからじゃあないかと思う。
仕事をする時はBGMにあらゆる音楽はずっと流して聞いているのだが、仕事中の自分の意識はマンガの中の登場人物の心情に集中されている。キャラクターの喜怒哀楽を考慮しながら絵を描いてるわけだ。そこにBGMが日本語の歌詞で「わたしは天使なの」とか「寂しさには負けない」だとか「胸が痛い」とか言われると。今そーゆーシーン描いてんじゃあないんだけどなーと、気分的にジャマなのだ。時にはなぜか怒りとかわいてくる歌詞とかあるし、おまえにそんな事言われたくないよ、なんてムキに思ってしまうものもあって、日本語は感情がストレートすぎる、仕事中には向いてない。・・・というわけで、だんだん邦楽は聞かなくなってしまったのだ。と自分で分析する。
で・・・ずーっと聞いてないとどうなるのか?タクシーとかに乗ったりして、運転手が聞いてるラジオからたまたま半強制的に邦楽を耳にしたりするのだが、これが全部同じ歌手同じ曲に聞こえるような感覚に自分がなってる事に気づいた。
明らかに感覚の衰退だと思った。音楽は勉強し続けなくてはならないものであるのは確かなようだ。
・・・で、わたしは「洋楽だけ聞いてよ」っと思ったのだ。
―今回はテーマが「快感」なんですが、「ジョジョの奇妙な冒険」というと謎解きや敵を倒す時の爽快感があって、そこには物語も描写も含めて面白い!という快感があると思うんです。お描きになってる立場として意識してらっしゃいますか?
やっぱりね、善とか悪ってあいまいじゃないですか。ある視点から見れば、悪も良い人かも知れないし。それは青年誌にいくとあいまいなんだけど、少年誌だとハッキリ分けないとダメなんですよ。例えば殺人鬼にも、生い立ちとか生活があったりして、その人を知れば知るほど味方したくなってきたりする。そうすると可哀想な人に思えてくるんですけど、そこを少年誌で描いちゃダメなんです。その人が敵じゃなくなってくるから。キャラは「主人公と比べたら完全に悪い人だ」っていう確実な線引きがあるから快感になるんじゃないかと思うんですよね。
―でも作品中にはそういう生い立ち的な部分も多く描かれてませんか?
だから、そういう部分を描くと快感みたいなものはなくなるかなと思うんですけど、大人の味わいとして「哀しいな」みたいなのは出てくると思うんです。でも最初はとにかく悪いヤツだっていう風に決めつけて描いていかないとダメなんですよ。で、戦いが終わってから味方にしたりとか、バックボーンを描いたり、いろいろしますけど。
―そういう意味では少年誌で悪役の人生を描くと、物語のスピードが止まっちゃうところがある、と。
そうでしょうね。大人のマンガと子供のマンガの区別っていうのは多分そこだと思うんですけど。善と悪がわかりやすいというか。
―子供にはこう、善と悪がハッキリして、たたみかけるようなのが。
でも、「あんまりいつまでも子供でいちゃいけないよ」とか思うんですけど。単純なもんじゃないよ、あとあとの人生は、と(笑)。
―それから画面描写!特に肉体の破壊される描写がすごくて、快感に繋がっていると思うんですよ。
あれはただ、グロく見せようとかそういうものじゃなく、肉体を破壊するってことを絵の楽しさとして描いてるんですよ。例えば、大友克洋先生の破壊って、コップがパズルのように壊れるじゃないですか。部品がハッキリと描かれてますよね。それを人間の体で描くのが面白いんですよ。古い人ですけど、レオナルド・ダ・ヴィンチは人間を描きたいために、「体の中はどうなっているんだろう」って解剖して筋肉のつき方まで見たっていいますけど、そういう気持ちなんじゃないかなと思うんですよね。
―なるほど・・・・・・。でもたまに、重力に反した曲がり方も描きますよね・・・・・・。
(笑)。そこがまた面白いんですけど。
―逆にわざとそういのを描くことが面白い?
そうですね。そういうところ快感かも知れない。絵を描かない人は、大変なんじゃないかとか、一体何時間かかるんだろうなとか考えるんでしょうけど、描いてる人はそういうことをあんまり恐れなくてもいいと思うんです。やってると楽しいですから。実は絵を描いてるところでそういうパズル的な面白さがあって、その辺は気持ちいいという感じがありますけど。
―確かにマンガ全体で感じるんですが、キャラが写実的に立ってるというより、変な格好でこう・・・・・・(と「ジョジョ」ポーズを取る)。
それもね、イタリア美術の影響がすごくあると思うんだよね。彫刻とかを見るのが好きなんですけど、ねじってたりするんですよ。妙なドラマチックなポーズっていうのかな?あれなんですね。こうね、腕の片方が上がるともう片方がグッと入るとか(と体をねじる)、一つのキマリ、流れがあるんですよ。なんか見てると分かるんですけど、そういうのが面白いんだよ。ねじるとさらに面白くなってくるというか。
―きちんと立つものじゃなく、ねじったりする方に魅力を感じるという。
普通じゃないっていうんですかね。普通に描いてたら普通の絵だけど、絵ってちょっと変な感じを取り入れるともっと面白くなると思うんですよ。ちょっと気持ち悪いとかね。まるっきり美しいよりちょっとケガしてるとか。
―純粋な造形美よりも、そこになんらかのドラマ性だとか、別な何かがある方がいいという感じですか?
そうでしょうね。写真とかでも完全な美人よりちょっとニキビがある方が面白いと思うんですよね。どうしちゃったんだろう?みたいな(笑)。だから、ちょっと変なものがやっぱ面白いと思うんですよ。その辺はまだ子供には分からないところもあるかも知れないんで、ツライとこではある(笑)。でも、中学とか高校になってきたら分かるんじゃないかな、って思うし。今のうちから教育しておけば(笑)。
―それから、コマ割りについてお聞きしたいんですけど、あの・・・・・・昔より変型ゴマ増えてますよね?ナナメに切ったりしてて、自在に操れるようになってるというか。
そうですか?まっすぐのコマもあると思うんですけど(笑)。ナナメになってたりするのはね、指が切れたりするからなんですよ。まっすぐにしてると小指が入んなかったりするので、コマの方を動かしてる、というか。
―じゃあ、重要な絵のためにコマの形を変えるという?
そうですね。あと、フキダシが入んないから、フキダシを作るためにずらすっていう(笑)。
―でもそれだけじゃないような気が・・・・・・。たまに丸いのとかありますよね。
ありますね。あれはほとんど表情ですね。目の動きとか。ただそれだけですね。
―それはご自分でパターンみたいなものがあるんですか?
そうですね。ちょっと欲しいと思うんですよ。主人公が何を考えてるかわかんないなと思ったときとか、ネームの後で足りないなと思ったときとか。で、丸いからどこにでも入るんですよ、アレ。
―ああ、逆に四角いコマ入れると一コマ割り直すことになっちゃうからですか。じゃあ、変形ゴマを使った見開きで迷宮的な空間を創ろう、ということではないんですね。
そういうのはないですね。構図のためですね、あくまでも。あとやっぱりアクションの時はナナメになっちゃいますね。意識は全くしてないです。でもあんまり重要じゃないと思うんですけど。
―でもあれは一ページ単位でバランスを考えてやってるのではないんですか?
一ページ単位というか全体で見たりはしますけど、ちょっと暗くしてから明るくとか。黒っぽいコマにしてからちょっと明るい広めの構図取ったりとか、そういうのは前後見てかないと分かんないので。
―だから読者としては結構ビックリするコマ割り・ページ割りが多いんですよ。それはどこをポイントにして描いてるのかなと。
つまり、「ここは」っていう見せたいコマが絶対あるんですよ。ストーリーはそれに付属してるじゃないですか。だからだと思うんですよ。最初にネームの段階でそのコマがあって、説明的な人物のセリフなんかは次の重要度だから小さくして、というか。だから、絵で見てる人はここだけ見ればだいたいの話は分かる、細かいところはそこのセリフを読んでくれ、と。
―じゃあ、パッと見てもストーリーが分かるという構造になってる、と。
そうですね。絵を描いてる仕事なんだから絵を見て面白くなきゃマンガじゃないと思うんですね。ネームも重要ですけど、絵に魅力がないと。基本は絵描きじゃないですかね。作家とか、映画監督とかよりも自分的には重要だと思うんですけど。
―では、キャラクター造形でいうとどんなところを一番重視してます?
まず動機ですね。何で闘ってるのか、何で銀行強盗するのか、とか。そういうところをきちっと決めてくというのが大切だと思うんですよ。だから、ロボットマンガ描きたいな、と思ったら、何でロボットに乗ってるのかが一番。いきなり乗ってて闘うのは、なんだかわけわかんないですから。
―なるほど。背景が読めないと物語に信憑性がなくなりますからね。
そう。だから、そこが一番大切じゃないかと思うんですよ。で、動機が決まるとね、いろんなものが決まってくるんですよ。関連して決まってくる。こういう性格で、ちょっと勝ち気で、でも虫には弱くて、弱点はこうだとかね。どんどん面白くなってくるんですよ。だから、動機が基本で、徐倫とか、ジョルノとか仗助とかジョセフもそうだったんじゃないですかね。そうしていくと、その動機は親だったり、先祖からの因縁だったりするんですよ(笑)。「ジョジョ」の場合はそういうところですね。あと社会の圧力だったりとか、そういうのが多いじゃないですか。それに対して自分はどういう風に思ってるのか、という風に決定されていくと思うんです。
―確かに「ジョジョ」では闘う動機とか性格などを血として受け継いでいってますよね。
そうですね。やっぱり、因縁というのはあるんじゃないかと。あとね、マンガを描いてると哲学的な境地にまで考えが及んだりすることがあるんです。そもそも主人公は何でここにいるんだろうな、と思うわけ。描いてると、どうしてこの人は生まれてきたのかなという所まで考えちゃうんですよね。そうすると人間って何でいるんだろうなというところまでいくんですよ(笑)。神様っているのかなとか、何で人間は地球にいっぱいいるのかな、みたいなさ。そういうとこまでつい考えてしまうんですよね。描けば描くほどそういう風になってくるんですよ。で、動機にに戻りますけど、マンガ描く人はまず動機を決めるべきだと思うんですね。そうするといろんなものがとにかく不思議にできてくると思うんですよね。拡がってくるというか。あと、人とちょっと違ったものにしようという意識が必要というか。なんか見たことあるヤツだな、っていうのはちょっとやめたり。
―じゃあ、キャラデザインも生き方や動機の設定という部分とリンクさせた方がいいんですか?
そうそう。それも一致するというのが基本ですよ。で、動機というのはやっぱりね、その作家のものの考え方、一人一人の見てきたもの、経験なんじゃないかと思うんですよね。
―なるほど。それから、すごく巧妙な物語のトリックについてお聞きしたいんですが。
それはまず、何を描くかを一個決めて、それに合わせていくっていう感じです。先週からの続きっていうのもありますけど。例えば、岸辺露伴だったらマンガのためならクモでも喰う、みたいなことを決めて、その週は彼がどういうヤツかっていうのだけ描く。だから、二個も三個もあるのは絶対ダメです。二個も三個もある時は次の回にまわして、一つだけでいいんですよね。
―その一つを展開させるためにエピソードを作るという感じで?
ええ。クモまで喰うのは面白いなと思ったら、その前から何か変なヤツだなって風に展開させていって、「あ、やっぱり変なヤツだったよ」っていう流れにするんです。で、「こいつが敵かよ?ちょっとやばいんじゃないの?」って思わせたりとか。主人公としてもどうしていいかわかんなくて、「どうやって闘うんだよ?」って思うじゃないですか。
―確かに!そういうのはすごくスリリングで怖いですよね。
あと、物語の進行の基本がサスペンスにあるっていうのかな。そこが人と違うのかなといつも思ってるんですけど。ナゾとかが基本というか。サスペンス映画が好きだから、始まって何分後にナゾが出てきたとか、人が死んだとか、そういう風な起承転結やテクニックをすごい勉強しましたね。とにかく起承転結が好きなんですよ。やっぱ四コママンガ的な基本というか。食事とかも前菜、スープ、メイン、デザートみたいなのが好きなんで(笑)。
―最後に、少年誌っていうのは人が初めて見る物語の媒体の一つだと思うんですけど、それに関して意識してることはあります?
いや、それはほとんどないですね。でも、例えば子供を殴っちゃいけないとか、最近ちょっと規制が増えたので、逆に描きづらいかも知れないですね。でも、少年誌という意識は自分では全然してないです。だってそれを意識してたら、外人を主人公にしちゃダメだよとか、主人公殺しちゃダメだよとか(笑)、さんざん言われてきたことをやってるわけで。でもそういうのは打ち破っていかないと。意識してたら逆にダメかも知れない。「やるな」っていうことをやるのは人間好きだから(笑)。でも、タバコを吸うシーンとかは描かないようにしてますね。直接クスリやったりするシーンとか。
―そういう状況があっても、シーンとしては描かない、と。
そう。暴力シーンやエッチなシーンとかはあんまり意識してないと思いますけど。
―そうすると今までわりと自由に描いてきた、っていう感じですか?
それはそうですね。描き直しも何回かはありましたけど。でもやっぱりマンガ家になる人はそういうことをちょっと考えてからやらないと。表現としてはどうなのかな、と思うことはありますから、自分で基準みたいの決めた方がいいと思いますよね。
インタビュー以外に、ラフ画やプロット、ネーム、下書きの見える原稿と、とても貴重なブツが荒木先生の作画テクと共に紹介されています。
つねに時代のムードを反映させている「ジョジョ」の世界、荒木さんとしては、映画やテレビ、小説などで今流行ってるということは、もう古いということだから描かないようにしているとか。「仗助とか承太郎にピアス入れるとき勇気いったよね。あの時代は一般的じゃなかったから、マンガの主人公がやっていいのか?って思って」。また、最近は入れ墨やタトゥーの模様、グラフィティなどに関心があり、写真集を見ているという。「グラフィティはストリート技術というんですかね。描いてみるとなかなか描けないんですよ。アシスタントにやらせても何か違うんだよね。抽象画っぽいというか、このかっこよさ、悪そうな感じが出なくて。環境が出てくんのかもしれないですね」。
少年誌には珍しくピンクや水色などカラフルな色を使う荒木さん。色味に関しては、聞いてみたところゴーギャンの影響があるとか。「ゴーギャンって、浜辺をピンク色に塗ってバカにされたっていう画家なんですよ。でも、そこがいいなと思うんです。その水色とピンクの対比というか。色の組み合わせにはパワーがあると信じてます。この色とこの色が並んだときに出すパワーとか。力のある組み合わせがあると思うんですよ。地味なヤツもいいですけど。色は古典的なところから学んでたりしてますね」。ちなみにキャラ造形についてはこんな逸話が。「誕生日や血液型、好きな映画を決めるのはプロフィール考えるときの基本で、やらないとダメだと思うんですよ。あと、前は相性占いまで調べてたんですけど、当たってないな、と思ってやめたんです(笑)。動物占いが流行ったらそれもかな、と考えてたんですけどね(笑)」。
これがカラー原稿用のラフ案。左二つは扉ベージの試案で、右は隣のイラストのラフ。ラフ案に関しては机の周りに置かれた『イタリアン・ヴォーグ』などの海外ファッション誌を見ながら、流線で構図のアタリを取っていくという荒木さん。なんと男性を描くときも女性のファッション写真を参考にしているという。「男性の写真って普通に立ってるのが多いから、面白くないんです。例えばスティーブン・マイゼルの写真とかって、体のどの部分なんだコレ?みたいなのあって面白いと思うんですよね。それに印象に残るのはこっちの方じゃないですか」。扉のラフに関しては、このままだとお尻が入らないからずらし、肩や首の角度も直したそうだ。また、注意して描いてる部分は「肩のボリューム、ウエストライン、あと膝下が長い人が好きだね。膝下長いっていうのはカッコイイ条件だから厚底サンダル履く気持ちが分かる(笑)」とのこと。
プロット
これが「Act.85 思い出」のプロットで、左側にキャラ名、右側に状況説明とセリフが書かれている。特に荒木さん独特の擬音が大きく描かれていることに注目。青の線ひと区切りで1ページ分の目安だとか。「1回19ページなので、4枚目半ばあたりから入れ込みすぎてちょっと今週やはばいなっていう(笑)。来週送りじゃないのか?って悩みつつ、ここまでは入れないと読者わかんないだろうな」と調整してネームに移るそうだ。「テンポとか構図を考えながら、移動していくんですけど、ネームへいくのも大変でパワーいるんですよね。ページに入りきるかとか、迫力あるように演出できるだろうかとか思って。プロットは好き勝手なこと描いてるんですけど、ネームが基本ですから、やっぱり」。
上はプロットから起こしたネーム原稿。「実際描いてみて迫カがないなと思ったら、移動します。これ(下の図版参照)見開きで、ただ三コマですね。振り向いて、矢印なんですけど、敵を襲う。ホントにただの記号として描きますね」とのこと。しかもプロットからネームを起こすときには、すでにコマ割りまで頭の中にできているそうだ。また、コマを割るときのカメラワークについては「カメラの視点は上下左右いろいろなところから撮ったりしないで、同じ視点で寄ったり引いたりとか、そういう構図が多いと思います。作家さんによっていろいろあるんですけど、私の場合はアクションとか起こさない限り、ずっと定位置なんですよ。だから回り込んで寄ってたりはしないんです。物語の、カメラの視点っていうのは、主人公の視点だったり、敵の視点だったりするわけですから」ということで、定位置を心がけてるそうだ。
クローズアップ
これから紹介するのは「Act.85 思い出」の回の生原稿。荒木さんは画用紙をピンで留めて裁断したオリジナルの原稿用紙を使用している。人物のアタリをラフスケッチと同様に青線で取っていることに注目。また、枠外にはトーン番号や効果線の指定などが同じく印刷に出ない青線で描かれている。
肉体派キャラのルーツについて聞いたところ、キリシャなどの古典西洋絵画の伝統にあるという。「昔は肉体美に生命力というかそういう意味を感じてて。シュワルツェネガーとかの全盛期で、面白い作品いっぱいあったから。でも今は女性の方がバキバキになってるから、男性よりそっちの方に変わってきてるかもしれないですね」。ただ、キャラを描くときの意識としては、「女性とか男性の区別はなくて、人間として捉えてます。これからのマンガだとは特に区別しない方がいいかも知れないですね」とアドバイスをしてくれた。
「ジョジョ」においては男女問わずキャラがセクシーなのは有名だが、そのヒミツが分かるワンショット。F・F(エフ・エフ)の目元、眉毛に注目。目の縁取りはペンで描かれたものだが、外側、いわゆる化粧でいうアイラインを黒のマーカーで太めに描いているのだ! ちなみに男性キャラの眉毛についてはこんな逸話が。「少年マンガには、絶対眉が太くなければいけないっていうキマリみたいなのがあってね、私もそれを克服するのに何年かかったことか(笑)。それは川崎のぼるさんの「巨人の星」の呪縛で、それがとれてきたのが仗助の頃です」。
DアンGを撃とうとして逆にホワイトスネイクの手刀を受けてしまうF・F(エフ・エフ)。ここはプロット1ページ5段目から2ページ2段目までのシーン。プロット1ページ4段目を前に載せた計3ページの原稿に振り分けて、こちらのシーンをアクションたっぷりで見せている。上のアップは勢いよくホワイトスネイクの手にめり込む弾丸のスピードを表現しているシーン。血しぶき、ペンの上から入れたホワイトの線、素早い動きを表現するための斜線に注目(右上のホワイトスネイクのAの字は右部分だけ斜線になっている)。
右はヨーヨーマッが蒸発していくシーン。煙が立ち上るように入れられたホワイトと、トーンを貼った上から重ねられたインスタンテックスが消えていく様を見事に表現している。左は最終ページ。前出のネームでは、アナスイがショックを受けている顔のアップが最後のコマになっていたが、最終的には手形が焼きごてのように残っているということをアップで強調して不気味さをさらに増した形の原稿が完成した。
弾が当たって下から上へ首がふっ飛ぶという荒木さんらしいケレン味のあるシーン。血のように見えるように「ドボ―――」のドだけ白抜きされていたり、遠くに行くほど大きくなる「ゴァパァァアン」の文字が血しぶきを連想させる。また、胴体から出ている血はベタで表現されているのに対し、壁にかかった血は集中線が入っているところが面白い。こういうアクションシーンはどういう順番で描くか悩むところだが、荒木さんの場合、キャラのペン入れ、細かい血しぶき、集中線を先に入れ、その上からトーンを貼り、そして描き文字をおいてホワイトで文字の周りを抜いているようだ。
スタンドラフスケッチ
上は画集用に描き下ろされたイラストからスタンドが集合している一枚。左はスタンドのラフ案など。スタント造形に関してもデザイン的に奇妙で印象に残る方を重要視するという。「テーマがあるんですよ。闘う形とかね。肉体派でパンチを繰り出すな、と思ったらそうするし。例えばザ・グレイトフル・デッド(カラー図版右端の緑のスタンド)、あれはパンチがいらなから手をとって全部足にしたんです。要するに彼は機能を100%どう活かすかという、機能性のために形ができてる代表選手かもしれないですね」。ちなみに、第三部に出てくるマジシャンズレッドはエンキ・ビラル「ニコポル三部作」のホルスからとったんですと笑顔で教えてくれた。
左はエルメェスのスタンド「キッス」、右はジョンガリ・Aのスタンド「マンハッタン・トランスファー」のラフ。「ジョジョ」ではスタンド名に洋楽アーチストの名前やアルバムタイトルがつけられることが多く、ファンの楽しみの一つ。鉛筆で描かれた方の「キッス」のラフは首・胸の衣装が変化している。スタンドは本人の成長により進化するものなので、今後新たなカが生まれる可能性が?
Sources
http://blog.livedoor.jp/jojolab/archives/45899256.html
http://blog.livedoor.jp/jojolab/archives/31912422.html
http://blog.livedoor.jp/jojolab/archives/45568197.html
http://blog.livedoor.jp/jojolab/archives/44970302.html
http://blog.livedoor.jp/jojolab/archives/35539747.html
http://blog.livedoor.jp/jojolab/archives/35490123.html
http://blog.livedoor.jp/jojolab/tag/%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%82%B8%E3%83%A7
References
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