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|part = Baoh
|cover = Baoh Pamphlet-1.png
|date = September 16, 1989
|interviewee = {{W|Hisayuki Toriumi}}, {{W|Hideyuki Hori}}, {{W|Ichiro Nagai}}, {{W|Yo Inoue}}, {{W|Noriko Hidaka}}, {{W|Shuichi Ikeda}}, {{W|Yusaku Yara}}
|type = Interviews and Commentary
Line 8:
}}
[[File:Baoh Pamphlet-1.png|200px|thumb]]
==Interview==
Line 29:
'''Toriumi:''' That's my biggest concern. There was a lot of discussion around the topic at first, but we couldn't come up with a clear answer, and in the end we decided to go with whatever was within the scope of the original work. Even then, when you watch the animation on the screen, it somehow lacks that sense of unpleasantness we aimed to recreate. It's simply impossible to recreate the texture of it. However grotesque you draw them, the images look beautiful once cel-shaded. So no matter how much blood is splattered, I don't feel the slightest bit uncomfortable watching it. The mutilation scenes are disgusting, but it doesn't carry the same shock value as, say, ''{{W|The Fly (1986 film)|The Fly}}''. On the contrary, I thought that if those kinds of scenes accumulated and were made more dynamic than unpleasant, the sadness of [[Ikuro Hashizawa|the protagonist]], who has been altered without his permission and is no longer a regular human being, would rise to the surface. He loses his speech when he transforms into Baoh, so it was necessary to have him express it with his entire body. The other characters in this film really don't have many lines either, though.
'''Q: It's not just the
'''Toriumi:''' Normally, the story is told through
'''Q: What were you particularly attentive toward when supervising the film?'''
Line 49:
'''Toriumi:''' It's just a matter of screen composition, but I asked them not to use the common practice of dividing the screen into three or four screens via masking. If you were to ask me why, I would say that there's just no need to go to the trouble of dividing the screen into smaller pieces. A movie's coherence comes from following the images within a frame, and dividing a picture into two parts, one on the right and the other on the left, should only be used when it is found to be the most effective. It's not something you can do just for fun. So I want it to be realistic and vivid. The other thing is that, if I have captured a close-up of Baoh's face from a frontal view, I don't want it to be changed without my permission just because it would look cooler as a low-angle shot. Of course, if it were a single picture, it would be cooler to draw the face from below rather than from the front. But that would ruin the interactions between each cut. For example, when two people are talking together, like we're doing now, there's no need to use low-angle shots at all. And that's what I'm concerned about. Since ''Baoh'' is an action movie, it's tempting to try and make every picture as cool as possible while ignoring the flow of the story. I tried to keep that in check as much as possible to create an atmosphere that emerges from the screen.
'''Q: In the opening scene, the way [[Sumire]]
'''Toriumi:''' Yes, that's right. Since ''Baoh'' is a bloody world, I felt that I could bring out a bit of romanticism in the way the suspense builds there.
Line 81:
'''Toriumi:''' Considering the current social climate, a work like this has phenomenally bad timing (laughs). So I want the audience to grasp not just the superficial action, but also the heart of Ikuro deeper within. The action is just decoration, so can you try and look at the core of it? We are creating this work here around being able to understand that. I don't know if we're living through a {{W|yōkai}} boom or not, but I would like the meaning behind the existence of yōkai to become more apparent. If it properly depicts a sense of human psychology and the value of existence, the meaning behind these monsters and yōkai existing, appearing where they do, then I think ''Baoh'' will turn out just fine. It shouldn't be just about slaughter or shock value. I hope that the audience for this film won't be caught up in the violence on the surface, but will instead sense the message of the filmmakers beneath all the violence.}}
|Transcript|
{{Text|遂にアニメーション化された「バオー来訪者」。映像化に際し、製作側の人間はこの作品をどう受けとめたのだろう。本作品では絵コンテと監修役を務められた、鳥海 永行氏にバオーについて語って
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{{Color|#FF0000|Q まず原作を読まれ
鳥海 本当にビックリしましたよ。正直これは驚きでしたね。僕はもともとバイオレンス系統のモノは読まないんですが、今のコミックはここまでやっているのかっていう感じでしたね。それから今の若い人はホントとんでもない事考えるんだなって感心しました。常識をひっくり
{{Color|#FF0000|Q そういった新しいアイデアに驚嘆するとともに、バイオレンスのきわどい描写を映像化してもいいものかといった疑問を持たれませんでしたか。}}<br/>
鳥海 それは一番気になるところなんですけどね。それについては最初色々ディスカッションしたんだけど明解な答えが得られなくて、結局、原作の中でやっている範囲内の事ならともかくやってみようという事になったんです。それからアニメーションも画面を観て
{{Color|#FF0000|Q セリフのみならず、登場キャラクターも比較的少なめですね。}}<br/>
鳥海 普通はセリフでドンドンドンドン積み重ねていくのに対して、「バオー」は動きの積み重ねにより物語を語らせているんです。結局それはアクションのすさまじ
{{Color|#FF0000|Q 今回演出をされる上で、特に意識した事というのはあるのでしょうか。}}<br/>
鳥海 僕の方は絵コンテを切るときに、大変だとは思いますけども、ワンカット、ワンアクションしか入れてないんですよね。今までですとワンカットの中に芝居を10も20も突っ込む場合もあるし秒数を長くとったりする事もあるんですけど。当然カットは短くなりましたが、それでも全体的に大変でしょうね。顔が溶けたり腕を切ったり、それを絵の段階ではどんなにショックでもかまわないって事で、演出家さんにふりましたから。そういった事を重ねていくのは難しいんじゃないのかなって気もしますけどねェ。<br/>
{{Color|#FF0000|Q 絵コンテを見せてもらったんですが、銃器の扱いに関してや{{Ruby|薬きょう|・・・・}}の飛び出す描写等も、リピートを使わないように等、かなり細かい指示がされており、やはりそれは「動」のグレードをあげる為の配慮からですか。}}<br/>
鳥海 自
{{Color|#FF0000|Q 作画や録音等の実作業の点で、今回特にこだわった点というのはあるでしょうか。}}<br/>
鳥海 撮影技術に関しては、各スタジオごとに制約があ
{{Color|#FF0000|Q この「バオー」の中で、これだけは押さえておきたかったポイントというのは何でしょう。}}<br/>
鳥海 画面の構成上の問題なんですけども、よくやるマスクに分けて画面を3つ4つに分けるやり方、こういう事はやめてくれとお願いしました。それは、なぜと聞かれれば、せっかくの画面をわざわざ細かく分ける必要は無いんだと。映画というのはあくまでフレームの中でもって画像を追っていって説明するもので、右に誰かの絵、左に誰かの絵って分けてしまうのは、それが一番効果的だと判断した時に使うべきなんです。遊びでやるってものではないんですよ。だからあくまでリアルに、生々とした感じでやって欲しいと思っています。もう1つは、例えばバオーの顔のアップを僕が正面顔でとらえたとすると、それを作画する時に、アオリの方がかっこいいからといって勝手に変えられては困るという事です。そりゃあ、1枚の絵だったら正面の顔描くよりも、アオった方がかっこいいですよね。でもそれではカットがつながっていかなくなる。例えばこうやって2人で一緒に話している時にアオリを使う必要は、全くないですよね。僕が気になるのはそういうところなんですよ。前後の流れというものを無視されて1枚の絵のかっこよさを追究されちゃうと、ついバオーっていうのはアクション物ですからそっちの方に流れやすいんですね。なるべくそれを抑えて画面から醸し出される雰囲気作りに専念しました。<br/>
{{Color|#FF0000|Q 冒頭のシーンなんですけども、部屋を脱出したスミレとそれを追うソフィーヌの描写が60年代のサスペンスタッチな映画という印象を受けたんですが、それは意識されての事ですか。}}<br/>
鳥海 そうですね。「バオー」は血みどろの世界ですから、ちょっとロマンティックな香りみたいなものがサスペンスの盛上げ方とかで出せればな、という気がしたんです。<br/>
{{Color|#FF0000|Q 全編を通
鳥海 んー。どちらかというと僕は静かなムードでサスペンスを盛上げるのが好きでしてね。一番、絵コンテの段階で気をつかっているのは、スミレと育朗が廃墟のビルに居てそこを襲われるという、あのへんのくだりなんです。あの中で戦っている育朗が自分がどういう姿をしている
{{Color|#FF0000|Q 逆にここはもう少しこうすべきであったという所はありますか。}}<br/>
鳥海 一番気になってたのはノッツォなんですね。あれは原作の荒木(飛呂彦)さんも何かに使おうと思ってらしたと思うんですよ。
{{Color|#FF0000|Q 今回「バオー」にたずさわられて、監督自身何か新しいものを得られたという事はあるでしょうか。}}<br/>
鳥海 ええ、アニメーターを始め、これまでおつきあいの無かった新しいメンバーと知り合いになれたのが楽しかったです。あがってきたフィルムを観せてもらって、「こういう事ができるのか。」っていう新しい発見もありました。<br/>
{{Color|#FF0000|Q この「バオー」の中で監督がいいたかったテーマといったものは何でしょう。}}<br/>
鳥海 テーマという程大げさなものでもないですが、人間誰にも自分の本意が相手に伝わらないって事ありますよね。悪意がなくても本音を伝えられない事で誤解されて、あいつはこういう人間だって決め付けられてしまうっていう事が。育朗っていうのはバオーに変身してしまうと意志の疎通も出来ないし自分を育朗だと分かってくれる人もいない訳ですね。そういう孤独なバオーが人の為に戦うのはなぜなのかといったところなんです。単なる正義感のヒロイズムじゃないところが面白いんでしょうね。<br/>
{{Color|#FF0000|Q 監督自身がフィルム構成されていく中で、常に念頭に置
鳥海 これはもう単純でしてね。観る人になるべく自分が訴える世界全部をわ
{{Color|#FF0000|Q 将来監督自身こういう作品を作ってみたいという希望はありますか。}}<br/>
鳥海 そうですね、自分にどういう作品があっているのか、まだ決めら
{{Color|#FF0000|Q 最後にファンの皆様へメッセージをお願いいたします。}}<br/>鳥海 今、こういう社会事情ですからこういう作品は非常にタイミングがまずいんですよねぇ(笑)。だから僕は表面的なアクションだけでなく、あくまでも内側に流れている育朗の心をつかんで欲しいです。アクションはあくまでデコレーションで、その核をみてくれないでしょうか。それがわかるように現場では作っていますので。今、妖怪ブームみたいなものでそういうジャンルが受ける時代なのかもわからないけど、僕はその存在意味をもっと出してもらいたいと思っていますね。なぜこのバケモノや妖怪がいるのか、なぜでてくるのか、そこにもっと人間の心理をついているものとか、存在価値というものがちゃんと描かれていれば僕はこの「バオー」もいいと思うんですよね。それがただ殺される為に、ショックを与える為に、だけじゃいけないと思うんです。この作品では、表面のバイオレンスな部分だけに捕らわれず、その奥に込められた製作者側のメッセージを感じ取って頂きたいです。}}
}}
Line 147:
バオーを初めて観た時は、かなり怖い作品だなと思いました。でも、他人の手によって自分の人生が左右されてしまう恐ろしさと人間が持っている優しさというものが、育朗というキャラクターを通じて伝わってくるのも感じました。<br/>
中でも、「こ これが俺か!? ……これが……。」という台詞は印象に残っています。信じられない事が現実として目の前に起こったという、育朗の心の動揺が良く現れていたと思います。もし仮に続編があるのなら、スミレちゃんとの愛と平和な日々を観てみたいですね。<br/>
いつも作品の流れとキャラクターの性格に気を付けているんですが、これからも常にハートを動かし続け、がんばって行きたいと思います。最後に、皆さんビデオ買ってね。
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|Transcript|
{{Text|{{Font|4|'''霞の目博士役/永井 一郎'''}}<br/><br/>
この作品を見て石井部隊を思い出しました。霞の目が最後に死んでくれるのが救いでしょう。生命をいじくってはいけない。科学は真理を追求する。それは自然な事。しかし哲学が科学に追いついていない。核を知る事は良い。しかし、原爆を爆発させたのは哲学の貧困。<br/>
今、人間は遺伝子をいじくっている。哲学貧困のままに。何か起こるに違いない。霞の目は哲学を持たず、悟らないまま死んだ。一体、誰がまっとうな哲学を作ってくれるのか? いつになるのか? いつまで待つのか? 少々まじめに答えてしまって、照れております。<br/>
霞の目の性格が最も
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Line 228:
|Transcript|
{{Text|{{Font|4|'''ドルド役/池田 秀一'''}}<br/><br/>
私がやったドルドという役は、上辺だけを見ると際立って狂悪なイメージを持つキャラクターなのですが、人はどんな者であれ正しい者
私が常日頃から思っているのは「毎日が闘い」であるという事であり、それをより強く感じるためにも、一つでも多くの良い作品に出逢いたいと考えています。<br/>
この「バオー」という作品も、皆さん一所懸命やった作品ですので、心ゆくまでそれを感じて下さればと思います。
Line 281:
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|Transcript|
{{Text|{{Font|4|'''ウォーケン役/屋良 有作'''}}<br/><br/>
バオーという生物兵器、何と恐ろしい発想なのか! 初めて見た時、残虐で気持ち悪いなァと思いました。私が演じたウォーケンというキャラクターは地上最強の超能力者と
やっぱりバオーは、復活した育朗と17才になっているスミレちゃんと
私のポリシーは、現状に満足する事なく常に初心を忘れずなのですが(でもよく初心忘れるんだ…!)与えられた作品のどの役がらにも努力、挑戦してゆきたいと考えています。それから皆さん、バオーに寄生された橋沢育朗の数奇な運命に哀れみと同情を抱きつつ、この作品を支持して下さい。そして育朗が目覚める次回作を楽しみに待ちましょう。(ビデオ買ってね……お願い!)
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==Gallery==
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BAOH OVA Pamphlet Pg. 17&18.png|Comments and Release Advertisement▼
Baoh Pamphlet-1.png|Pamphlet Cover▼
Baoh Pamphlet-3.png|Summary
BAOH OVA Pamphlet Pg. 3&4.png|Characters
BAOH OVA Pamphlet Pg. 5&6.png|
BAOH OVA Pamphlet Pg. 7&8.png|
Baoh Pamphlet-2.png|
BAOH OVA Pamphlet Pg. 11&12.png|[[Sumire]]
Baoh Pamphlet-4.png|Ability (Baoh)
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Line 315:
{{Archives}}
[[Category:Interviews]]
[[Category:OVA Interviews]]
[[Category:Baoh the Visitor Interviews]]
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