User:Nabu/Sandbox trad

From JoJo's Bizarre Encyclopedia - JoJo Wiki
< User:Nabu
Revision as of 23:41, 18 December 2022 by Nabu (talk | contribs)
Jump to navigation Jump to search
Exclamation.png Note: This is a user's personal page attached to their profile!
This is not an actual article, may not be related to JoJo or Araki, and is not associated with the wiki. As such, it may not adhere to the policies.

露伴は「招かれるキャラクター」 ———本日はよろしくお願いします。 ミステリー作家の中でも、荒木先生の作品が好きだと公言されている方は多いです。

荒木 嬉しいですけど、ちょっと意外で······ほんとかな、みたいな(笑)。ありがとうございます。

———二年前の『このミステリーがすごい!』で青山剛昌先生の『名探偵コナン』を特集したんですけれども、『名探偵コナン』 101巻のカバー袖の「名探偵図鑑」に岸辺露伴が描かれていました。

荒木 そうなんです。探偵扱いでご紹介いただいて、大変光栄です。

———荒木先生は「探偵」としての岸辺露伴について、意識はされていましたか?

荒木 露伴は探偵・・・・・・なのかな?(笑) ミステリーのような短編を描いてると、岸辺露伴探偵みたいになってくるんですよね。探偵であり、お話の語り部。描いているうちにそういう役割ができていったんです。

———岸辺露伴の初登場は『ジョジョの奇妙な冒険』の第4部 『ダイヤモンドは砕けない』です。「一体どういう発想で、こういうキャラクターが生まれてくるんだろうか」と衝撃を受けました。

荒木 その頃の露伴は主人公である東方仗助たちにとって敵の漫画家として出てくるんです。誕生のきっかけは、僕が憧れてる漫画家のスタイルなんですよ。現実の漫画家だとやっぱり、読者の支持を得なきゃいけない。そのためには自分が描きたいことであっても、社会的に、あるいは少年漫画として子供向けに描いちゃいけないものもあるんです。ところが岸辺露伴にはそういう制約がなく、純粋に漫画と向き合ってる。しかも露伴はスーパー漫画家で、テクニックもすごいんですよ。徹夜もしなければ、アシスタントも使わないし、もうね、理想ですね(笑)。だけどその分突っ走ってるので、精神的、社会的な弱点もあるんです。あんまり人と仲良くしないとか、仗助が大っ嫌いとか(笑)。

———第4部で登場した後、最初に岸辺露伴を主人公として描かれた読切が、九七年の「懺悔室」でした。 岸辺露伴がふとした偶然から、とある恐ろしい罪の告白を聞いてしまうという話です。このスピンオフはどういう経緯でひがしかたじょう描かれたのでしょうか?

荒木 「週刊少年ジャンプ」で、漫画家の新しい魅力を引き出そうと編集長が考えたのか、「外伝禁止の短編を描く」っていう企画があったんです。『ジョジョ』のキャラクターを出すのはNGで、オリジナルの話を描けとのオーダーでした。それで短編を描いたんですけど、やっぱりメインのキャラクターがいな作品として弱い感じがして。それで「話を紹介する役割で岸辺露伴出していいですかね。二、三ページだけだから」って、ちょっルール違反をしまして(笑)。

———確かに「懺悔室」では、岸辺露伴が登場するのは話の最初と最後だけですね。

荒木 昔TVでやっていた『ヒッチコック劇場』とか『トワイライト・ゾーン』とか、制作者がちょっとだけ冒頭に登場して、ストーリーを紹介して視聴者を導くんですよ。それがわかりやすいなっていうので、そのイメージで一回だけやったら......。

———二十五年が経った今も、シリーズが続いています。

荒木 それだけ続いたのは偶然ですけど、 露伴は「招かれるキャラクター」なんです。描こうとして描いてるキャラクターじゃない。例えば集英社のほかの仕事だとルーヴル美術館やグッチに行くとか、「別冊マーガレット」のような少女漫画誌にも出張しちゃうとか。露伴はそういう特別な、お客さん的なゲストになれるキャラクターなんですよね。

漫画に対する哲学がある「探偵」 ———岸辺露伴は色々な場所に出掛けていってその度に事件に遭遇していますよね。

荒木 作中の編集者が露伴を事件に巻き込んでくるんですよ。泉京香さんから「取材行こうよ」と誘われつつ、「あんまりそこは行きたくないな」みたいな感じで始まるんですよね。でも露伴自身に強い好奇心がある、というところは主体的でもありますね。普通、探って正義や社会のために働いてるじゃないですか。 露伴の場合はただ漫画のためだけに動いてるんですよ。お金も名声も興味ないんですよね。面白い漫画のリアリティのために、取材に行って事件に巻き込まれたりする。そういう漫画に対する哲学がある「探偵」なんですよね。

———毎回、どのように決着するのか想像がつかないところが魅力です。

荒木 『岸辺露伴は動かない』は、毎回短編なんで、ちゃんと終わらせないといけない。敵と相打ちになるんだとしても、納得がいくような相打ちにしないと。

———「ザ・ラン」に登場する橋本陽馬の倒し方はスマートでしたね。

荒木 どう終わらせるか、いつも考えてるんですよね。最初から解決のアイデアができてるとは限らないです。でも、橋本陽馬はまだどっかにいますから。 彼とはもう一回リベンジの戦いがあってもいいですね。

———「ドリッピング画法」(※『ウルトラジャンプ』二〇二二年五・六月号掲載) も驚きました。 「絶望的に厭なエピソード」「もし読むなら覚悟して欲しい」という露伴の前振りから、予想外の展開に転がっていきます。

荒木 今解説すると、あの短編はヒッチコックの『サイコ』と同じストーリー構成なんですよ。中盤あたり似ていますよね。 最初から狙ってたわけじゃないんだけれど、描いていて途中で気づいたんです。 「でも自分、あの映画好きだからな」って(笑)。

———二十五年前と今とで岸辺露伴の描き方に変化はありますか?

荒木 何か昔のものに対する敬意を持つようになってきましたね。 岸辺露伴の礼儀の部分は意識するようになりました。 「ホットサマー・マーサ」 (※ 「JOJO magazine 2022SPRING」掲載)の御神木なんかも、第4部の頃の露伴だったらもっと踏み込んじゃって、ものすごいバチが当たってるような気もするけど(笑)、今の露伴は礼儀を守りながら戦っていく。そうした哲学は重要かなと思います。あと、ちょっと優しくなってますよね。今の露伴は人を助けたりするんですよ。泉京香さんなんて、露伴にとっては嫌いな編集者なんだけど、それでもいざとなったら助けるんですよ。

僕はホームズの影響を受けているんです ———荒木先生は以前のインタビューで、 岸辺露伴はシャーロック・ホームズの影響を強く受けていると仰っていました。確かに露伴は、知力で窮地を切り抜けるキャラクターです。

荒木 知力だけじゃなくて、ホームズはちょっと気難しいじゃないですか。 変人って言われてる部分だとか、一般の人にはとっつきにくくて、ワトソンだけが近づけるところだとか。ああいうところも露伴に共通していますね。

———シャーロック・ホームズは昔からお好きだったのですか?

荒木 元々、僕はホームズの影響を受けているんですよ。八三年に始まった『魔少年ビーティー』が僕の最初の連載ですが、あれはシャーロック・ホームズの裏返しだと自分で思っているんです。ホームズとワトソンのコンビを参考にしつつ、ミステリーのところを逆にして、「悪いことをするために知力を使「う」っていうキャラクターを描いたんですよ。露伴は、その時のビーティーのキャラクターとちょっと被っているんですよね。もし『魔少年ビーティー』の続きをもっと描いてたら、露伴みたいなやつに成長していたんじゃないかな(笑)。

———荒木先生はホームズ作品の中で、特にお好きなエピソードはありますか?

荒木 決められないですね。ホームズはあのキャラクターと語り口が良くて、「どの話が いい」とかランク付けするべき作品ではない。駄作もないし、全部が原理原則。十九世紀イギリスの世界観とあの二人のキャラクター、ストーリーに普遍性があるんですよね。古い作品の中には今読むとついていけないものもあったりしますが、ホームズは今でも全然面白い。タイトルがまた、ロマンがあるんだよね。「赤毛組合」とか「唇のねじれた男」とか、それだけで「なんだろう」って思うよね。「ま「だらの紐」あたりの邦訳もいいし、世界観が出ている。そういう良さがホームズにはあります。

———ホームズ作品は記憶に残るタイトルが多いですね。

荒木 タイトルを眺めているだけで旅行してる気分にもなるし、味わい深い。コナン・ドイルだけじゃなくてスティーヴン・キングも、ほんとセンスいいタイトルつけるなって、いつも思ってて。『キャリー』ひとつとっても、名前が不気味だよね。タイトルだけでグッとくるんですよ。どうやってつけたんだろうなって聞きたいですね。

『警察署長』は『ジョジョ』っぽいんですよ ———ホームズ作品のほかに、荒木先生はこれまで、どのようなミステリーを読まれてきたのでしょうか?

荒木 若い頃、七〇年代に読んだ本から始まっているんですよ。最初は『針の眼』(ケン・フォレット)からかな。 下敷きは多分『ジャッカルの日』(フレデリック・フォーサイス)なんだけれど、面白かったですね。『シャドー幻』(ルシアン・ネイハム)も手に汗握りました。色々読みましたね。

———今でも思い出す作品はありますか。

荒木 『シンプル・プラン』(スコット・B・スミス)、好きなんです。お金を隠すだけの話なんだけど、どんどん転落していく。それが一気に読んじゃうんですよ。『幻の女』もいいよね。いいミステリーは文章です。『ロング・グッドバイ』(レイモンド・チャンドラー)とか、トリックやストーリー構成っていうよりも、書きっぷりなんだよね。『薔薇の名前』(ウンベルト・エーコ)とか『推定無罪』(スコット・トゥロー)とか。『死の接吻』(アイラ・レヴィン)もよかった。アイラ・レヴィンは全作よくて、ヒットラーのクローンをめぐる『ブラジルからきた少年』も面白かったな。クリスティーはもちろん『そして誰もいなくなった』ですね。小説じゃないけど、似たようなストーリー展開の映画で『アイデンティティー』っていうのがあって、それも驚きましたね。

———冒険小説からサスペンスまで、幅広く読まれてきたのですね。

荒木 『警察署長』(スチュアート・ウッズ)もいいんですよね。 三世代に亘る物語で、ちょっと『ジョジョ』っぽいんですよ。 実は『ジョジョ』の第1部 『ファントムブラッド』の終わり、ジョナサン・ジョースターを死なせようとしたら、編集部に「主人公が死んじゃダメだろう」と言われて。でも『警察署長』の三代記みたいなことやりたい!って通したんです(笑)。

———国内ミステリーはどんな作品がお好きなのでしょうか?

荒木 日本の作品は、僕、好きなのしか読まないんですが、船戸与一先生とか、髙村薫先生の『マークスの山』とかも懐かしいなぁ。最近だと米澤穂信先生もすごいよね。短編集を読みました。ミステリーは短編にも傑作が多いですよね。短編にも、というか、短編にこそ、傑作が多いんじゃないかな。 ヘミングウェイの「殺し屋」とか。

———松本清張の短編「張込み」もお好きと伺いました。

荒木 松本清張作品は基本系かな。 『点と線』は中学生で読んでも面白かったです。キャラクターの動機が、推理ドラマの中ですごく共感できるように書かれている。社会性を取り込みながらも、犯人の動機に悲しみがあって面白いですよね。

妖怪視点で旅行すると見えてくる ———『岸辺露伴』を描かれている時と『ジョジョ』を描かれている時で、何か意識の違いはあるのでしょうか?

荒木 違いますね。『岸辺露伴』は短編ですから、アクセル全開から入ってく。 「ウウウウン」ってアクセル吹かしておきながら、助走をつけないで、もういきなり「ドン!」。すぐに状況に突入することが多いです。そうしないと短いページ数に収まらない。

———襲ってくる相手の描き方も、『岸辺露伴』と『ジョジョ』は少し違いますよね。

荒木 『岸辺露伴』は旅行に行った先で「何か」の怪異に出会ってしまうというイメージですね。で、『ジョジョ』の場合は主人公に対する「敵」ですから、ぶつかってくる人間たちとその動機を描いています。作品によっ出会う敵のタイプが変わるんですよ。『ジョジョ』でいえば、第3部の『スターダストクルセイダース』は主人公の空条承太郎がずっと旅をする話ですから、敵も向こうから襲ってくるタイプなんです。だけど第4部と第8部では、元々その場所に住んでいて、主人公を待ち構えている敵なんです。全然能力が違うんですよ。 第4部では、第3部で思いついても出せないスタンドが余っていたんで、いっぱい出しました(笑)。

———余っていた・・・・!?

荒木 描いてる時はアイデアがたくさん出るんだけど、「今回の土地じゃ使えないな」というものは、ボツだなと思っても大切にノートにメモしてるんです。まあ、趣味なんですけどね、それがまた楽しくて。 で、 メモがたまって見返したりすると、新くうじょうじょうたろうしい土地に使えるアイデアが出てくるんです。そうやって出来ているのが 『岸辺露伴』や『ジョジョ』ですね。

———岸辺露伴が相対するのは、ホラーや怪異に近い脅威が多いです。

荒木 横溝正史先生の『八つ墓村』や『犬神 家の一族』で書かれてきた、日本伝統の怖さに興味があるんです。 この現代社会においてずっと昔から残ってきた家系や佇まいというのは、不思議な魅力がありますよね。そうしたものを描こうとしているのが、 露伴に出てくる妖怪のような怪異です。妖怪といっても、水木しげる先生が描くような姿はしてないんですよね。「ザ・ラン」の橋本陽馬みたいに、すぐ隣、街のどこかにいそうなやつなんです。一方で山や海にいくとエネルギーがあって、その影響で生きてるようなのもいるんですよ。「密漁海岸」のアワビだったり、「六壁坂」の妖怪だったり。

———ああいった怪異のイマジネーションはどこから生まれてくるのでしょうか。

荒木 やはりですね、水木しげる先生の妖怪視点で旅行すると見えてくるんですよ。

———妖怪視点...!?

荒木 あるんですよ。この神社は妖怪いるなとか、あの蕎麦屋のおばさん妖怪っぽいなとか。「ここにいそうだな」って。何千年も何万年もそこで生きてるんじゃないかと想像させるようなものがある。そういう歴史を感じるものが怖いですね。

———『岸辺露伴』が好きなミステリー読者に、おすすめしたい映画はありますか?

荒木 『変態村』っていうフランスの田舎を舞台にした映画があるんですが、村の人たちがどこか異質でいいんですよ。『脱出』も、やっぱり田舎に行ったらひどい目に合うっていうだけの映画なんですけど面白い。ジュリア・ロバーツの『愛がこわれるとき』。これも好きで、何度も見てますね。『狼の死刑宣告』や『デス・ウィッシュ』のような、復讐を描いた作品もいいですよね。 やっちゃいけないことなんだけど、気持ちはわかる。そうした道徳や倫理にも踏み込んだ話を描けるのもミステリーなのかなと思います。 最近の映画だと『ナイブズ・アウト/名探偵と刃の館の秘密』は、最初に犯行を見せるんだけど、それが偶然の事故なのか、計画があってやっているのか、動機のところが曖昧なのが面白かった。パトリシア・ハイスミスが原作の『リプリー』もいいですね。『リプリー』はストーリーと映像が一体化してるんですよ。ベネチアやナポリの風景と殺人の画が、一緒になっている。その旅情がなんともいいんですよね。悲しくて。極上のミステリーには旅情があります。アガサ・クリスティーもそうだけど、登場人物が着ているファッションとか、食べてるものまでいいですよね。

———『岸辺露伴』読者にとって嬉しい映画情報をありがとうございます。

荒木 でも、いちばん『岸辺露伴』的なやつはロマン・ポランスキーの『ナインスゲート』ですかね。ヨーロッパの古い祈祷書を探偵役が追っていくと、恐ろしいところに行き着くんですよ。主人公役のジョニー・デップ、ちょっと露伴っぽいです(笑)。描く上でかな影響受けてますよ。

今なら吉良吉影の「弱い部分」を描きたい ———荒木先生の作品には、殺人犯がよく登場します。『岸辺露伴』でも「六壁坂」などで「殺人を犯してしまった人間」が描かれていますし、『ジョジョ』第4部の敵・吉良吉影は街を脅かす連続殺人鬼です。

荒木 僕が育った仙台では、バブル前の七〇~八〇年代に、山を崩して住宅地がいくつも建てられたんですよ。するとそこに住んでるのは、知らない謎の人たちなんだよね。そこに、ハンニバル・レクターを描いた『羊たちの沈黙』(トマス・ハリス)や、『殺人百科』(コリン・ウィルソン)なんて本が出たりとかするとね、「確かに隣の人が何してるかわかんないな」みたいな、ミステリーの想像力が掻き立てられる。それで、美しい町並みなのにどこか不気味なところがある場所を描いたのが、『岸辺露伴』や『ジョジョ』第4部の舞台の杜王町なんです。

———第4部で描かれた杜王町は、再び形を変えて第8部 『ジョジョリオン』の舞台に選ばれました。当時と今とで「殺人鬼」の描き方も変わっているのでしょうか?

荒木 第4部の頃は、少年誌で描いてたっていうのもありますけど、殺人鬼がいる場所が異世界というか、ちょっと憧れのあるファンタジーだったんです。ところが今は、殺人鬼に対してもっとリアリティがありますよね。どう違うかっていうと、当時は吉良吉影の、殺人鬼としての「弱い部分」を描かなかったんですよ。主人公に対する悪役としてだけ描いてたんです。だけど今描くんだったら、吉良吉影が「ああ、自分は殺人鬼なのか」と、自分の悲しみみたいなものを感じたりするところを描きたい。

———吉良吉影のその弱さも、見てみたかった気がします。

荒木 一方でそういう感情を描くほど、敵としては弱くなってくるんです。そうすると第3部の敵のDIOと比較した時に「こいつはなんなんだよ」ってなる(笑)。その辺は少年漫画だったからというのもあるかな。いまは時代も媒体も変わってきてますから、描けるようになってきた。だから第8部の『ジョジョリオン』で描いた敵は、すぐ隣にいるような悪でもあり、ジレンマを持っているというような描き方になっていきましたね。

———時代に合わせて敵の描かれ方が変わってきていますよね。第7部 『スティール・ボール・ラン』の敵、ファニー・ヴァレンタインも、ただの悪役ではなく、見方を変えれば主人公であってもおかしくないような「正義」を掲げています。

荒木 『ジョジョ』は、敵であってもみんな前向きなんですよ。自分たちがやっているこ嫌だなと思ってないから、主人公たちと激突するときにうじうじしてない。敵にも思想があるんです。

———第4部が連載されていたのは九二~九五年です。当時、あのようなサスペンスは少年漫画の中で画期的でした。

荒木 あの頃は年配の作家さんから若い人まで、いろんな作家さんがベストセラーを出していましたよね。海外作品もパトリシア・コーンウェルの検屍官シリーズとか出てきて盛り上がっていた。そういう時代の流れもあるかもしれません。

———九〇年代は、国内でもミステリーが盛り上がっていました。

荒木 すごかったですね。同時にね、ホラー映画でも、あらゆるテクニックが進化してたんですよ。

———その頃のホラーで、特に印象に残ってい映画はありますか?

荒木 やっぱりスティーヴン・キング原作の『ミザリー』とか『キャリー』、あの辺がいいですね。ヒッチコックの『サイコ』の辺りを引き継いで、キングが人間の内面を描き始めたりして、ホラーをより日常に近づけていった。そのようなフュージョンが起こってきたのが八〇年代、九〇年代のような気がします。その頃に、全編一人称でずっと撮っていく『ブレア・ウィッチ・プロジェクト』とか、いろんなスタイルのホラーが出てきているんですよね。CGなどの技術も発展してきて。スピルバーグの『ジュラシック・パーク』や『ジョーズ』もホラーに分類していいような気もするし。この頃のホラーは、音楽もまたいいんですよ。

ミステリーこそ王道だなと思ったんです ———荒木先生のキャリアの始まりを見ると、デビュー作の「武装ポーカー」からして、ミステリーの構成を持ったお話です。

荒木 懐かしいですね。あの読切でデビューできて光栄でした。

———そこから最初の連載が『魔少年ビーティー』です。ミステリーものを続けて描かれたのは、どうしてでしょう?

荒木 自分はどういう漫画家になりたいかと考えたとき、僕は昔から「ネッシーっているのかな」みたいな、謎が好きだったんです。今では僕も大人になって、ネッシーやUFOはいないと思うんだけど(笑)、あの辺のブームのあと、八〇年代に殺人鬼の本がいっぱい出たんですよ。それを読みながら、「なんで殺人鬼は人を食べるのか」とか、不思議に思ってたんですよね。ネッシーのようなミステリーは消えたけど、代わりに新しい謎が時代とともに生まれてきた。そっちのミステリーのほうが「人間って謎だな」っていうので、より身近で生活と隣り合わせだった。それで、ミステリーこそ王道だなと思ったんです。

———荒木先生がデビューされた当時はミステリーが流行っていたのでしょうか?

荒木 ホームズに加えて僕が影響を受けたものの一つに、アルフレッド・ヒッチコックがあるんです。自分がデビューした年にヒッチコックが亡くなっているんだけど、その後ヒッチコックの影響を受けて、スティーヴン・スピルバーグやマーティン・スコセッシといった監督たちがサスペンス映画をさらに発展させていったんです。八〇年代はそういう時代で、サスペンスのラインナップが充実していた。それで僕も、そういうサスペンスを描く漫画家を目指そうかなって思ったんです。だから僕のストーリー構成はミステリーやスリラーアクションなんですよね。

———荒木先生はヒッチコックとトリュフォーの『定本 映画術』を参考にされていると仰っていますよね。

荒木 僕が子供の頃、ヒッチコック論がいろんな映画雑誌などで取り上げられて騒がれていたんです。昔は名画座というのがあって、一日中ヒッチコックがかかっていたりしたんですよ。「こんな映画が昔流行ってたんだな」とか思いながら、出入りしてました。 四〇年代、五〇年代に撮られたような映画が、今見ても面白いんです。

———ヒッチコックで特にお好きな作品は?

荒木 『サイコ』はもちろんですけど、『見知らぬ乗客』も好きですね。パトリシア・ハイスミスが原作のやつ。交換殺人の構成も、キャラクターもいいです。


ミステリーは一つの謎を追っていく ———荒木先生は以前著書の中で、よいサスペンスの条件の第一に「謎」をあげてらっしゃいました。

荒木 描くか描かないかを、謎がより面白くなるかどうかで判断して決めていって、その他はカットしていくんです。 ミステリーってカットする部分が残ってない作品ほど名作がと思うんですよ。でもその時に、大事な動機の部分がカットされてたりすると、やっぱり違うし、名作ほど全部が無駄なく融合してるんですよね。

———荒木先生の作品は、一つでも要素を抜いたら成り立たなくなるぐらいの切り詰め方をしています。

荒木 そこまで削り取っていって、「必要なものだけ」で固めていくっていうのがミステリーの描き方なんです。絵もそうなんですよね。絵って無限に描けるんですよ。でも、あとちょっと塗ったらもう自分のイメージじゃなくなるとか、逆にこれではまだ足りないなとか、足し引きできない場所がある。そこにいかに迫っていくかというのが、作品を作る人の向き合い方なんじゃないんですかね。中でもやっぱりミステリーの傑作小説は、一番すごいですね。俳句並みに足しても引いてもいけない。完成されていると思います。

———『ジョジョ』の作り方で、ミステリー的に意識されていることはありますか?

荒木 やっぱり『ジョジョ』はミステリーですからね。ミステリーって一つの謎を追っていくんですよ。僕の場合は「誰が敵なんだ?」とか「この攻撃はどこから来てる?」とか、そういうやつですね。その謎が終わったら次の謎、終わったらまた次の謎って描いていく。そうするといつも謎が一つなんで、読者はページをめくりやすいんです。

———確かに 『ジョジョ』では新しいスタンドが出てくるときに、 「今何が起きてる?」「敵のスタンドは何だ?」といった謎から入って、それを解き明かしてい ような構成が多いです。

荒木 謎がいっぱいって一見良さそうだけど、ちりばめると逆効果なんですよね。だかジョジョでは「今、何が謎なのか」が必ず一つ定まるようにしてます。 ほとんどの名作と呼ばれるミステリー作品はそういう構成になっていると思います。 大切な謎を一つ決めて、それを追っていく。自分で描く時は、ちょっと先走って謎だけいくつも並べたりしがちだけど、それはよくないんですよね。

———「敵のスタンド能力に対して、どうやって勝つ?」というのも一つの謎ですよね。 そうした「謎」を作るとき、解決もセットで思いついてらっしゃるんですか?

荒木 これがね、「やっちまったな」的なやつがあるんです。敵が強すぎる時があるんですよ。例えば第4部の敵・吉良吉影の「キラークイーン」の爆弾、あれには攻められすぎた感じがあって、これじゃ仗助負けるなと思いました(笑)。しかも週刊連載で描いちゃってるからね、前に戻って直せないから。ライブ感は僕の場合ありますね。

———解決法が思いつかない時はどうするのですか?

荒木 主人公に「頑張って」って応援して、神様に助けてもらうって感じが多いかな。だけど、読んでる方は真剣勝負みたいでそこがまたいいのかもしれないですよね。だから最初から解決を決めない方が良かったりはするんです。

———その結果、どうやったら解けるのか読者にもわからない、面白い謎になっているんですね。

荒木 解けないかもっていう謎があっても、いいんじゃないですかね。ダメですかね?(笑)でもミステリーだけじゃなくて、絵を描くのでもね、何ができあがるかわかんないで描き始めたりする時があるんですよ。「ここ、どう塗ろうかなあ」「あっ、この色失敗したな」みたいなこともよくあるんですよね。そういう時も、「神様すみません、助けてください」ってお願いしてます。

露伴が次にどこにいくのかが楽しみです ———普段、荒木先生がどのように「謎」のアイデアを見つけているのか気になります。

荒木 日常に謎はあるんですよ。たとえば僕の友達に、ずっと僕のことを見張ってるおばさんがいるんだけど。

———・・・・どういうことですか?

荒木 僕を直接監視するんじゃなく、周りの人の情報を頼りに推測して、「あそこに行ってるな」と居場所を当ててくる友達がいるんです。でも動機が謎なんですよ。いつも何がしたいんだろうなって(笑)。全然わかんないけど、そういうのが好きなんです。 謎の日常。それが人生なんだよね。

———『岸辺露伴』で今後描いてみたいことはありますか?

荒木 『岸辺露伴』は今まで二冊出てますが、そこと話が被っちゃいけない。だから新しい場所ですかね。例えばアメリカ大陸みたいに、まだ岸辺露伴が行ってないようなところを旅行して行くような話を描きたいですね。 露伴が次にどこにいくのかが楽しみです。あとは、そこに住んでる人とのゲーム的な戦いは描いてみたいですね。「ジャンケン小僧」みたいな。

———『ジョジョの奇妙な冒険』は第8部の『ジョジョリオン』が昨年完結しました。 これからの『ジョジョ』の展開についてもお伺いできますか。

荒木 今は第9部を企画しています。それはやっぱり「ジョースター家の血統」を描く物語ですね。第8部の最後に「ジョセフ・ジョースター」というのが出てきたんですが、あれは伏線で、彼の子孫が出てくるお話になる予定です。

———最後に本書の読者に向けて、メッセージをいただけますか?

荒木 僕は人間生活ってミステリーだと思うんです。ミステリーこそが物語の王道だし、人生でもある。これからも「謎」を描いていきますので、今後ともよろしくお願いします。(二〇二二年七月 荒木氏お仕事場にて)