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カラム:荒木飛呂彦、各部ボスを語る

第2部で「柱の男」が出てきた理由

——せっかくの機会なので、ディオ以外の『ジョジョ』の敵キャラについても語っていただければ。

荒木 それは漫画術とはまた違う話ですよね。『ジョジョ』を続けていく中で、僕はこういうふうに作ってきましたよという、ちょっとコアな内容になりますけど。

——ぜひお願いします! たとえば第2部だと、メインの敵キャラは、カーズ、ワムウ、エシディシの「柱の男」たちですが、なぜ、ああいう感じの敵にしようと思ったんですか。

荒木 第2部は石仮面の根源にまつわる話を描こうということだったので、そこから出てきた敵キャラという感じかな。太古の昔に「柱の一族」みたいな人たちがいて、長い歴史を眠り続けてきたという設定は、やっぱり不老不死、究極生命体の敵にしたかったということですね。

——敵を3人にしたのは、どういう理由だったんですか?

荒木 まず、「柱の一族」だから敵は何人かいるだろうということと、それから、第2部は第1部より色々な意味でパワーアップさせたかったんですよね。だから、敵の数も1人から3人に増やしました。あと、敵が3人いると、「ひとりずつ順番に対戦していって、最後はこの中の一番強いヤツと戦うんだな」と、読者にも自然と伝わります。ある種の、予告テクニックですね。

——主人公と悪役をセットで考えるということでいうと、第1部の主役であるジョナサンと第2部のジョセフとでは、かなり印象が違います。 真面目なジョナサンと比べると、ジョセフは弾けたキャラクターで、それこそ敵キャラが3人もいるのに全然負けていないというか。

荒木 そうですね。世代を変えたいというのがあったし、さっきのパワーアップという意味でも、ジョセフはあれがいいんですよ。

——『ジョジョ』のシリーズを始めるときから、よく知らない先祖の因縁で襲われる怖さを描く構想があったということですが、第1部から続けてディオ(DIO)と戦うのではなくて、別の敵を出してきたのはなぜだったんでしょう?

荒木 『キャプテン』っていう漫画があって、 弱小野球チームの代々のキャプテンがバトンを受け継いで強豪に成長させていくんですけど、ああいう感じをイメージしてたところもあるんですよね。ジョセフはジョナサンの孫ということになりますが、おじいちゃんぐらいだとわけがわからない因縁というより、何があったかまだ理解できるんじゃないかと思うので、ディオ(DIO)が蘇ってくるまで、もう一世代乗り越えたかったんです。

承太郎はジョナサンの孫の孫、つまり玄孫で、そうなるとジョナサンのことは完全に自分が知らない、無関係な世代の話になる。だから、第3部をスタートさせたときは「来たな、ついに!」と思いました。

——満を持して、DIOが登場するわけですね。

荒木 そう。だから、第3部では早くDIOを描きたくてしょうがないんだけど、当時の担当編集者が「絶対出すな。DIOが出てきたら読者の気持ちは目の前の敵じゃなくて、ラスボスのDIOにしか行かないから」と、ずっと止めてたんです。だから最終決戦の舞台となるエジプトに来るまでは、ずっとシルエットだけのDIOしか描けなかったんですよね。

「普通の人」吉良吉影の怖さ

——第4部では、杜王町という町のあちこちに潜んでいる不気味なものが「敵」になります。

荒木 先祖の因縁で敵が襲ってくるという構想は、第3部でほとんど描くことができました。ところが今度は、色々なスタンドのアイデアが余ってきちゃったんです。たとえば待ち伏せする敵とか、砂漠みたいな何もないところでは使えないじゃないですか。そういうスタンドを出すにはどうすればいいか考えたとき、スティーブン・キングの『呪われた町』みたいに、心霊スポットがあちこちにある、得体が知れないヤツがいる町のマップを作っていこう、と。

だから、主人公の仗助も町の友達風になってくるし、ジョセフや承太郎と違って、マッチョじゃない感じにしたんだよヤンキーはヤンキーでも、ちょっとおしゃれだったり。

——そういえば、仗助は高校生なのにフェラガモの靴とか履いてました。

荒木 第4部の連載を始めたのは、筋肉むきむきのヒーローを演じたシュワルツェネッガーの時代が終わった頃で、そういう時代の変化も影響していると思います。

——最初はアンジェロ、虹村形兆など色々な敵との戦いがあって、吉良は途中から登場しますが、 先生の中では最初からいたキャラクターだったんでしょうか。

荒木 そうですね。杜王町のようなところには、やっぱりシリアルキラーがどこかにいるんだろうなというのは、最初から考えてました。

——悪役は主人公とセットで作るというお話で言えば、 吉良も仗助と対比させながら造形していったんでしょうか。

荒木 仗助だけじゃなくて、DIOとの対比ということも考えました。つまり、ただパワーが強いだけのわかりやすい敵ではなくて、そこのカウンターを目指したんですよね。時代的にも、バブル経済が終わっていたので、「アゲアゲのキャラクターでいくのはちょっと違うな」という感覚もありました。その流れから、日常の中に潜んでいたり、ヤバい本性を隠しているのが実は強いし、怖いんじゃないかなって思ったんです。

当時流行っていた『羊たちの沈黙』という映画や、本で言うと『殺人百科』のようなシリアルキラーものでも、一見普通の人が実は殺人鬼だったりする。吉良はどこにでもいそうな目立たない人物として生きていますが、実際、連続殺人犯で捕まっていない人もいるわけで、自分のすぐそばにそういう人がいるかもしれないと考えると、これは怖いですよ。

そういう吉良のキャラクターを考えて、彼を杜王町という日常の中に入れれば、もうそれだけでストーリーができていきます。漫画って、そういうふうに同時にでき上がっていくものなんです。

——ちなみに、吉良の身上調査書はどんな感じだったんですか。

荒木 やっていることはヤバいんだけど、とにかく普通の人だというイメージなので、持っているトロフィーが全部3位とか、普段は本当に目立たない人物という感じですね。

あと、吉良は吉良で一生懸命自分の幸せを追求しているので、彼の身上調査書を作るときも、怖いとか強いとかいうことだけじゃなく、前向きな部分とか、人間として素晴らしいところを書いていきました。そうするとキャラとして深みが出てくるし、敵として申し分ないという感じになるんです。ほんと、彼は強かったですよ。

——吉良が川尻浩作に成り代わった後、真相を知らない奥さんがだんだんときめいていくのも、それだけ吉良が魅力的だからということですね。

荒木 思慮深いところもあるし、吉良はただの変態じゃないんです。でも、吉良もけっこうかわいそうな人なんだと思いますよ。ああいう歪んだ人格になったのは、たぶん生い立ちとか、なんらかの理由があるはずで、今だったら吉良のそういう哀しい部分も描くと思います。ただ、当時の少年漫画にそこを入れるのは違うかなと思ったので、あえて描きませんでした。

——確かに吉良の哀しさが見えてしまうと、読者はなかなか「仗助、行け!」と思えないですよね。

スタンドがキャラクターを最強にする

——第5部はマフィアの大ボスという、非常にドス黒い敵が出てきます。一方、主人公側のジョルノたちのチームもマフィアですから、単純な正義の味方という感じではありませんでした。

荒木 マフィア対マフィア、両方とも悪なんですよね。ただ、同じ悪でも、なんのために戦うかというところが、両者を分けている。ブチャラティたちは生まれたときからマイナスという設定にしたわけですが、信じていた組織に裏切られたとき、彼らは人として正しい道を行くことを決断した、ということです。

——大ボスであるディアボロが『ゴッド・ファーザー』のマーロン・ブランドのような貫禄のある年配の男性ではない、というところはとても新鮮でした。

荒木 美少年を描くというのが、第5部のテーマのひとつだったんです。舞台がイタリアだからファッショナブルでありつつ、スタンドバトルもしっかり見せるということで構成していきました。

——ディアボロは、二重人格的なところもある、かなり複雑なキャラクターです。

荒木 第5部の構想を練っているとき、『24人のビリー・ミリガン』のような多重人格ものが流行っていた影響もありますね。

『ジョジョ』も長く連載してきて、「人気があったからまたDIOみたいな敵を出そう」というやり方もあるかもしれませんが、僕は、やっぱり前の敵とかぶってはいけないし、バリエーションに富んでいる方がいいと思うんです。だから、ディアボロはDIOや吉良と違う悪、しかも彼らと対抗できる新しいキャラクターにしようと考えました。

——さらっとおっしゃいましたが、DIOと吉良と対抗できて、しかも違うパターンの悪役を作るって、すごくハードルが高くないですか。

荒木 たぶんスタンドがないと、なかなかできないですね。スタンドって要するにキャラクターなので、いつもふたつのキャラクターを同時に作る作業をしているんです。労力は2倍かかりますけど、ひとつのキャラクターにふたつ入っているというか、ブルA面でヒット曲が2曲入ってるような感じになるので、最強のキャラクターが作れてしまうんですよね。

隠れみのとしての「神父」

——第6部は主人公の徐倫対プッチ神父という構図になるわけですが、『ジョジョ』という「受け継いでいく物語」の中で、主人公を承太郎の息子ではなく娘にしたのは、なぜだったんでしょうか。

荒木 以前、『ゴージャス★アイリン』という作品で女の子を主人公にしたことがあったんです。今は女の子が主人公の少年漫画なんて珍しくないけど、当時の「少年ジャンプ」だと、まだちょっときつかったんですよね。社会のジェンダー意識が子どもにまで染み付いていたというか、やっぱり女の子なら、かわいくて、守ってあげたいキャラクターでなければならない、という感じがすごく強かった。

それから時代が変わって、ハリウッド映画でもシガニー・ウィーバーみたいな戦う女性主人公も出てきました。女の子も殴られたりバトルをすることが珍しくなくなってきたし、中性的な雰囲気があったジョルノの後、誰を主人公にするかと考えたとき、もう女の子しかいないと思ったんですよね。

徐倫を主人公にしたのは、第1部のエンディングでジョナサンを殺したときより冒険だったという気がします。 これまで承太郎、仗助、 ジョルノという主人公たちがいたからこそできた冒険で、いきなりだったら、徐倫を主人公にはしなかったかもしれません。「女の子描けるかな」という不安もあったし、特にバトルができるかできないかは非常に重要だったんですけど、刑務所だったらいけるかな、と思ったんですよね。

——徐倫刑務所で出会うのが、プッチ神父です。プッチ神父はDIOの友人という設定でしたが、敵を「神父」にしたのは、どういう意図があったんでしょうか。

荒木 何か宗教的なことというより、やっぱり隠れみのとしての「神父」という意図がありました。プッチ神父は、頼りにされる先生みたいな存在だけど実は敵だった、みたいなヤツで、あんまりわかりやすい悪じゃないんですよね。そういう複雑さがもう少年漫画じゃないのかなって思ったり……年齢的にも4歳ぐらいになっていて、「そろそろ『少年ジャンプ』ではないのかもしれない」という感覚もありました。

第6部を始めたときは、全然そういうことは考えていなかったんですけど、描いているうちに、どこか行き着いたというか、色々と究極のところまで来てしまったな・・・・・・という感じになってきたんです。スタンドもありとあらゆる物理現象を描いてきて、自分としてはけっこう描き切った感がありました。でも、「達成感とかそういうことを思うこと自体がヤバいよね?」と自分の中で赤信号が点滅したんです。もともとは違うラストを考えていたんですが、その赤信号のおかげで「究極まで行った現代文明を捨てて自然に帰ろう」という、第7部につながるようなアイデアが出てきたんです。

ちゃんとしてる大統領、だから強い

——第7部からはパラレルワールドの『ジョジョ』の世界になっていくわけですが、第1部と同じ時代のアメリカ大陸横断レースという壮大な世界観が展開されていきます。 主人公はジョニィと相棒のジャイロというバディで、敵はなんとアメリカ合衆国大統領です。

荒木 第6部が刑務所という閉じた世界の物語だったので、今度は広いところを描きたかったんです。それでアメリカ大陸を旅するロードムービーという設定にしたんですけど、『キャノンボール』や『トランザム7000』のような、ひたすら走って、カーチェイスして、ぶっ壊して終わりみたいな映画も下地になっていると思いますね。

ロードムービーなら2人でバディにするのがいいかなと思って、ジョニィとジャイロは対比させながら、同時に作っていきました。ジョニィは、未熟な人間が旅をしていく中で次第に成長していくという、ある意味、典型的な主人公キャラですね。一方のジャイロは、古くから続くある王国から来ていて、先祖代々、処刑人の仕事に携わってきた家の出であり、生きるか死ぬかの究極のところにいる人間です。 彼は大陸横断レースに参加することで、古い時代の制度や考え方と対立していくことになるわけですが、ゴールが西海岸ではなくニューヨークなのは、行き詰まりつつあるそれまでの因襲から抜け出して新しい時代の文明の地に向かうという意味を込めているんです。

アメリカ大陸横断レースだったら、ラスボスはやっぱり大統領でしょう。時代設定としては、産業革命や人間の権利のような新しい流れが来ている頃ですから、ヴァレンタイン大統領というキャラクターを作るときは、能力やルックスより先に文明の利権的な理論をしっかり持っている人にしようと考えました。彼は、これから馬から機械の時代になることも、民主主義イコール資本主義経済の権利取得だということも知っている。しかも、彼の動機は私利私欲にあるんじゃなくて、あくまで理想とする国家観に基づいて行動している。たとえ悪いことをしていても、それは国のためなのだから、誰かが犠牲を払うのはしょうがないというのが、彼の理屈です。

——単純に、悪い誰かが敵だというのではなく、ジョニィとジャイロが体現する個人対ヴァレンタイン大統領に象徴される国という戦いに入っていくわけですね。

荒木 人としてはどうかというところはありますが、大統領としてはちゃんとしているヤツで、ちゃんとしてるほどやっぱり強いんですよね。あと、ヴァレンタイン大統領の偉いのは自分で戦うというところで、そこはすごいです。自分で戦いにくる大統領って、なんかいいですよね。

敵は「人間ではない何か」に

——第8部は、主人公の定助は記憶喪失で、自分はいったい何者なのかという謎を追求していくわけですが、敵はもう人間というより、どうしようもない呪いだったり自然環境の厄災という感じになっていきます。

荒木 透龍君は強力な敵キャラではないかもしれないけど、なんだかもう人間対人間の戦いではないのかな、という気がするんですよね。最近の気候危機、それから東日本大震災を考えてみても、やっぱり人知が及ばない大地の力というものがあるよね、というところから出てきたのが、「悪魔の手のひら」や「壁の目」です。

第8部では再生医療などの話とからめつつ、次の世代の新生命、あるいは、人類と同時に進化してきて、覇権をのっとるような存在を作りたかったんです。かつて、ネアンデルタール人とホモサピエンスが共存していたように、もしかしたら僕たちが知らないところで人類と同時に進化してきた生物がいるかもしれない。それが岩人間で、 康穂が子どもの頃から寄り添って、ずっとそこにいる透龍君の存在感は、そんな怪しさや怖さを表すものだったんじゃないかなと思っています。

——第8部までの『ジョジョ』の敵キャラについて、貴重なお話をありがとうございました! 次の第9部にどんな「悪役」が登場してくるのか…………は、これからのお楽しみですね!