User:MothGhost783/Sandbox4
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Art Gallery
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(Autograph) |
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Sourcing needed
荒木 飛呂彦 イロイコ先生ッ イロイコ先生 So much sourcing needed!
Afterword
荒木さんの作品とのファースト・コンタクト(はじめてのふれあい)は、彼が出した手塚賞の応募原稿を読んだ時だったと思う。驚きそして喜んだ。なぜなら、彼は僕と同じにおいがしたからだ。
彼は何よりもまず、ストーリー展開を何度も緻密に練りあげてから構成していく。人間関係はもちろん、それを取り巻く状況、センス・オブ・ワンダーをどこに置くかなど、すべてを完壁に把握した上でなければ語り出さないタイプだ。とはいっても、これは小説や脚本を書くのと同じ手法であって、連載マンガ家としては非常に不利な一面を持っている。
みを求めるあまり、画面の中にちりばめられたSF的感性や主人公の中にある計算されたワンダーに、すべては大気のように気づかれず読み落とされる場合が多い。
しかし、SF作家はそこにこそ自らの資質をつぎ込み、自分の白中夢を映像化しようとこころみる。
先に、彼と僕は同じにおいがしたといったが、それは彼の求める作品の方向が、僕のそれと非常に近しいと感じたからだ。
SF漫画において、作品の質を低下させずになおかつ、エンターテイメントであろうとする作家は数少ない。彼はもちろんその中のひとりであり、今後、今のにおいを持ったまま成熟してゆくと思う。
SF漫画にSF小説でもSF映画でもない。あたりまえのことのように思えるが、SF漫画を描く上ではこの認識が最も重要であり、難しいものだと思う。
お互いそれを意識し、SF漫画というものが何者であるかを知るまで描き続けていきたいものだ。この異様な迫力を持った物語を、ぼくは少年ジャンプ連載時から注目して読んでいた。絵柄もストーリーも遠慮がないのがよかった。おそらくは、この作者が何年もあたためていたものが、この作品でいちどに噴き出したからであるう。
小説の説得力が"文体"によって生まれるのなら、漫画の説得力は"絵"であると思う。どのような"絵"を読者の目の前に差し出せるかである。その"絵"の説得力が、そのまま、その漫画の持つ説得力になる。小さな理屈はどこかに漫えてしまう。
そういう意味で、寄生虫であるバオーの"絵"を見た時、その不気味さ、つまり説得力にばくはうなってしまった。このような"絵"を見せられれば、読者はその作家信用してしまうのである。「SFは描写だ」と、山田正紀氏(SF作家)が何かに書いていたが、漫画も描写であるとぼくは思う。
この物語の続編は、やがて必ず描かれねばならないものであろう。