画家とマンガ家、絵を語る。
山口晃・荒木飛呂彦
筆とペンのはなし
互いの作品に敬意を払い合う画家・山口晃とマンガ家・荒木飛呂彦。空間を埋め尽くす密度の濃い画風、時空を超えて描かれる世界観など、創作のジャンルは異なれど、その作品に共通する点は多数。筆とペンの初顔合わせ。さて、勝負はいかに?
荒木飛呂彦(以下、荒木) 展覧会でよく山口さんの作品を拝見しています。
山口晃(以下、山口) 本当ですか?うれしいです。この作品(「邸内見立洛中洛外圖」p.49)は、京都の街を描いた洛中洛外図といわれる日本画のジャンルのものです。昔からいろいろな人が描いていますが、現代を描いたらどうなるだろうと思いまして。でも街全部を描くと大変なので、ひとつの家で京都を表してみました。
荒木 日本画の方かと思っていましたが、こちらは油絵ですか?
山口 僕は油絵出身です。いろいろな画材を併用していて、地は水彩、線は墨、油でグラデーションをかけています。グラデーションの濃いところは油で、薄い部分は水彩です。
荒木 山口さんの作品は、たとえば「spe-ll/r-machine」のように、江戸時代の武士のような風貌をした人物がバイクに乗っていたり、人間と馬が一体化していたり、異質なものがひとつの世界のなかで溶け合っているんですよね。映画のCGだと嘘っぽくなるけれど、絵だからこそできる表現だと思います。時代感まで融合させているところがまたすごい。
山口 絵だと質感が揃います。実物すべてが変換されますから、違和感のないところに収まっていくんです。
荒木 時代を超えた世界が描かれているから、逆に時代は変わっても人間は同じだと思わせる。「頼朝像図版写し」は何が嘘で本当かわからないところが面白い。頼朝の絵は何点描いているんですか?
山口 3点です。「遠見の頼朝共時性」では西洋の肖像画風に、微妙に立体感をつけてみました。
荒木 微妙な描き方の違いがいいですね。素通りする人もいるだろうけど、「何?」となると「なんだこれ!」って思うんですよ。
山口 ちょっとでも立ち止まって見ていただかないと(笑)。
絵に込められたロマン、謎、そして真実。
山口 荒木さんの作品は『魔少年ビーティー』のときから読ませていただいています。『ジョジョ』は、まず「奇妙な」というタイトルがいいですよね。奇妙な瞬間がいろいろなところで起こる。怖いでも面白いでもカッコいいでもない。「なんだろう」という意味づけできない瞬間があるんです。特にスタンドが登場してから、そうした奇妙な瞬間が多い。シリーズの第1部、第2部まではすべて科学的な裏づけがありますよね。でも第3部でスタンドが登場し、J・ガイルの鏡面を移動するスタンド(ハングド・マン)が出てきたとき、初めて超常現象のほうに針がふれたなと思いました。それまでは、スタンドは超能力といえども説明がついたのですが、理屈をすっ飛ばした設定に踏み込んだおかげで、不思議なスタンドがたくさん出てきた。物語世界が広がったと思います。
荒木 スタンドは超能力の絵画表現なんですよ。それまでは“波紋”を科学的に説明していたんですが、スタンドが出たらなんでもできるかなと。この世のあらゆるものが描けるって思ったんです。とはいえ光のルールなど、その現象内のルールは守ります。山口さん、鋭いですね!
山口 ルールは守るんですね。そこを外してしまうと、なんでもありでつまらないと思うんですよ。どこかで縛られつつ、最大限に幅を持たせるというのが醍醐味かと。今も目の前にあるマンガをついつい読んでしまうんですが『ジョジョリオン』になってから画風が変わっていますね?
荒木 変わってきますよ、どんどん。
山口 かなり立体的になっていますね。日本的な平面性の強い画風なのに、『ジョジョリオン』ではハッチング(面を斜線で埋める技法)を多用して立体的に作画しても成立している。二次元に特化した作画だと、立体的に影を入れ始めた途端、破綻することも多いのですが。
荒木 前のシリーズでやっていないことを次でやるんです。『スティール・ボール・ラン』はこうだったけど、『ジョジョリオン』はこれでいこうとか。
山口 ふたつの違いは?
荒木 まず『ジョジョリオン』は色使いが地味でフラットになっています。背景が落ち着いている。あとは緩急が違います。日常の話なので、すっきりしているところはラブコメ風の絵でもいいかと思い白く描いたり、アクションはガツンと描き込んだり。
山口 荒木さんはシリーズごとに絵の雰囲気をどう決めるのですか?
荒木 ほとんどは気分ですけれど、ここは激しくいこうとか、逆にやわらかくしてみようとか、読む人たちが飽きないように変えています。昔、イラストで描かれた映画の看板を見てわくわくしたんですよ。見たいなとか、何が起こるんだろうとか。マンガの表紙でもあの気持ちを出したいんです。
山口 それはなぜ?
荒木 多分、絵だからだと思うんです。アラン・ドロン似てないなーとか思うんだけど、なんかいいんです。絵には、ドキドキするようなロマンがある。そのロマンって、きっと「謎」だと思うんです。
山口 やはり不完全なものなんですよね。本物そっくりではない。そのズレが謎であり、そこに秘密があるのでいろんな意味が含まれる。
荒木 絵を読んでいくんですよね。
山口 絵を通して実物を見るというのは、複眼で見るようなものです。絵と実物を複眼で見ることにより、本質が見えてくる。
荒木 想像力が働く。
山口 自覚的になるでしょうね。写真だと、実物をそのまま写したものとして普通に見てしまう。でも絵は最初から違和感に気づいているから、そこから現実を想像するなり見るなりする。あらかじめ視点が広がっているのではないでしょうか。
絵画のルールを凌駕するジョジョの絵力
山口 扉絵はボードに描きますか?
荒木 ボードに下書きして証券インクという流れないインクで描きます。
山口 不思議なんですよね。デッサン的にはこの部分(p.43掲載の原画、東方定助の左肘)に黒はこないんですが、ちゃんと収まっている。
荒木 マンガはある程度立体感が出るように、わざとペタッと黒を置いてみたりします。間違えるときもありますけど、ま、いっかーと(笑)。ミュージシャンがコンサートで間違えても、そう思わせないのと同じと思って描いています。ライブ感が大事。
山口 僕も細かく描いていて唯一いいのは、間違ったのがわからないことです(笑)。あと『ジョジョ』を読んでいると、立体はしっかりしているけれど突然何が描いてあるのかわからなくなるコマがあるんです。図像認識が崩壊するコマというか。
荒木 黒の使い方だと思う。ちょっと反省したことがあります。伝えたい気持ちが強すぎて、勢いで描き込みすぎてしまい、黒のバランスが逆転するんです。白黒の絵の場合は、“もの”を線でなく影で認識する。あまりに描き込むと、どっちを見ていいかわからなくなってしまう。
山口 佳境のシーンに多いですよね。
荒木 さらっと描くと迫力が出ないんですよ。印刷と原稿の差もあるのかもしれないですが……。だからコミックス収録の前には、いつもゲラで最後にチェックします。
山口 でも間違いを全部直してしまうと、それにつられて、いいところもなくなってしまいますよね。
荒木 ひとつの流れができていれば、そこで終わりにします。あとやっぱり時間の制約は大事です。描いていると無限に描き続けてしまうけど、それをやっていると体を壊しますから。週刊マンガは大変なんですよ。一本原稿が上がったら、次の週のことを考えないといけないから。
山口 描きすぎないのは大事ですね。僕も筆が走るときに描きすぎると、次の日だめなんです。時間や締め切りは大事だと思うんですよ。自分の外にあるもので、大きなことを決めるものがないと、動かないことってあるんです。締め切りがなかったら絵を描かないような気が……。
等身大のジョジョが出現?これからの挑戦。
荒木 画家の方は、あんなにも大きな絵をどうやって描くのだろうといつも思うのですが?
山口 僕は普段、下絵を描かないこともあるんですけれど、さすがに大きな作品の場合は下絵を描きますね。
荒木 すごいな。手塚先生みたいですね。手塚先生もいきなり描いたそうです。僕は青鉛筆でまずあたりをとります。漫画は連続しているし、僕は映画のカット割のように描いていくから、コマ同士の連続性を考える。
山口 なるほど。大きい絵を描くときは、引き延ばすより勢いを同じにすることが大事ですね。小さいものはぐっと一息で線を引けるけれど、大きいのはぐっ、ぐっとついつい分けてします。そうすると下絵の持っていた勢いが死んでしまう。だからなるべく、ぐっと一気にいけるように。
荒木 僕は大きな絵を描いたことがないので、顔とか歪んでしまうと思う。マンガの原稿を描く距離でしか、絵を見ていないから。
山口 同じ比率のまま意識が拡大されるので、先生の体が覚えていると思いますよ。手が自然に動くのではないでしょうか。自分が立って描くと、身体のスケール感が変わるんです。
荒木 そうですか。
山口 余裕でお描きになれるかと。
荒木 ペンで描きたいな。でもインクが持たないよね。
山口 2センチ幅ぐらいのペンを特注で作って(笑)。
荒木 チタン製の(笑)。
山口 楽しみにしています。